小説

2011年6月26日 (日)

良子のヒ・ミ・ツ

第五回小説宝石新人賞一次予選落選作品(^◇^)

     六

 武と美香は恐る恐る教授に近づいた。教授の指す懐中電灯の明かりに、自分たちの懐中電灯の明かりを重ねた。
 光の先に人の影が映し出されていた。
着物姿の女性が石造りの台座の上に、まるで生きているように横たわっていた。
「氷付けで腐る事無く保存されてきたようじゃ」と教授がいった。
「すごい!」と美香がいった。
 武は腰が抜けていた。声一つ出すことができない。その姿をようやく美香が、気がついた。
「どうした、とうちゃん」
「こ、こんな・・・」と言うだけで武は精一杯だった。
「武藤さんどうしたかのう」
「み、み、美香、かあちゃんや」
「ええ」と美香が叫んでいた。

 教授の結論はこの発見は色々な学会に影響が計り知れない事、マスコミに公表するのはしばらく調査が完了するまで控えたほうがよいだろうといった。
 教授がどう手を回したのか分からない、鳴沢氷穴はその日を境に関係者以外立ち入り禁止となった。氷穴の近くに研究者用のプレハブが建設され、寝泊りしながらあの建物や沼を調査することになった。
 武藤武は、氷の底深くに横たわる女に良子の面影を見た。忘れもしない良子と瓜二つの容貌の女、どう説明いたらよいのか自分でも分からない。美香は良子の顔を思いだせないのか、『かあちゃんに似ているか』と断定できなかった。
 【愛の伝道師】の販売はあいかわらず好調だった。武はついにある行動を起こすことを決意した。
「とうちゃん、しばらく大阪へ行こうと思う、美香に商売を頼みたいんや」と武はある晩、美香へ切り出した。
「かあちゃん、探しにいくんか?」
「そうや、あんな沼の底で死んでいるはずがない」
「そうか、おいらにまかせとき」と美香は引き受けてくれた。

 十七年ぶりの梅田界隈だった。
 高層の商業施設が駅前に建ち、武はすっかり土地勘を失っていた。どうにか良子と出逢った路地裏を見つけたが、とうにあの居酒屋は存在しなかった。だが、相変わらず鄙びた居酒屋が軒を連ねる風情(ふぜい)は同じだった。夕方以降、武は『北一』という居酒屋の消息を知る店の経営者を訪ね歩いた。歩いて数件目で、「ああ、北一さんですか、娘さんに不幸があったところでしょう・・・」と居酒屋『北一』を知る老年の店主を探し当てた。
「不幸が・・・」
 もつ煮から香ばしい味噌の匂いが立ち昇っていた。
 武は焼酎のもっきりを注文しカウンターに座った。
「ええ、磯谷さんの娘さん、気の毒にね、植物になったんでしょう・・・」
 武は店主から、磯谷の娘が交通事故に巻き込まれ病院に運ばれた事、それ以降、店は従業員が継いでいたが、娘の父親が逝去したため店を畳んだことを聞き出した。
「その磯谷さんのご自宅をご存知でしょうか」と武はいった。
「ああ知っているよ、この界隈じゃ有名な的屋だよ」と店主は新聞の間から裏に印刷のないチラシを取り出し、耳に挟んでいたボールペンで地図を書き武に渡した。
「たぶん、娘さんのおかあさんがいると思うで」と店主はいった。
 武は礼を述べ、地図に従って良子の実家を目指した。
 梅田の駅前から1キロほどだろうか、白い漆喰(しっくい)の壁でぐるりと囲まれた大きな屋敷であった。繁華街からあまり離れていない場所にあった。
 門柱に『磯谷』と表札が掛かる。
 その横に勝手口があり、インターホーンが設置されていた。
 武は数度インターホーンのボタンを押下した。しばらくそのまま佇(たたず)んでいた。
「どちらさまです」とインターホーンから女の声が聞こえてきた。
「すいません、私、武藤と申します。お嬢さんと結婚しておりました・・・」
「ええ、良子と結婚・・・」
 それからが大変だった。
 屋敷の応接間に通され、応接テーブルを間に良子の母親に経緯を説明した。
 居酒屋で出逢った事、東京で暮らし、娘が生まれた事を母親に伝えた。
 母親は一言も発せず、繁々(しげしげ)と不思議そうな顔で武を眺(なが)めていた。
「武藤さん、いつ娘と会いましたか」と武が説明するとようやく母親は口を開いた。
「娘が十七ですから十八年前になりますか・・・」
「武藤さん・・・娘は約十八年間病院に入院したままです・・・」
 武藤武は理解できなかった。
「十八年・・・」と武はいった。
「おかしな話です。あなたのおっしゃる事が、本当なら、娘は七年間、東京に住み、そして娘を産んだということでしょう・・・」と品のよさそうな良子の母親がいった。
「確かに・・・」と武は口を噤(つぐ)んだ。
「磯谷さん・・・あの申し訳ございませんが、入院中の良子さんに面会させていただきませんか・・・」と武は頭を下げ願い出た。
「あなたが何者かわかりません、でも私は何か感じるところがあります。一緒に病院へ行きましょう・・・」と良子の母親はようやく許可してくれた。
 病院へ向かうタクシーの中で良子の母親はこんな事をいった。
「先週ぐらいでしょうかね、良子が枕元に現れて、こんな事をいったのよ・・・『かあさん、ごめんね、良子のいい人の事黙っていて、もう少しで来るわ、よろしく』」

 真っ白いベッドに身体中にチューブが接続された女がじっと目を瞑(つむ)ったまま横たわっていた。ベッド真上の壁に『磯谷良子』と生年月日が記されていた。入院年月日の文字はサインペンで書かれたのだろうか、すでに色あせてかすみかかっている。
「武藤さん、この娘が良子ですわ」と紹介すると母親はハンカチをそっと眼に当てた。
「身体にはまったく異常がないそうです。ただ、意識が回復しません・・・」
 武は改めて女の顔を確認した。
 女の容貌は良子とは異なっていた。
「武藤さん、娘でしたか」
 横たわる女はじつに美香に似ていた。
 実の父親が思うのである。
『どういう事だろう・・・あの沼に横たわる女は良子にそっくり、そして本来の良子のはずの病院で横たわる良子は美香に似ている・・・』
 ただ武は呆然とするだけである。
「あれ、鼻から」と良子の母親が叫んだ。
 鼻からうっすらと鼻血が出ている。
 母親はベッドの横にぶら下がるナースコールを押した。
 看護師が駆けつけてきて、それから白髪の丸い黒い眼鏡を掛けた医師が呼ばれてやってきた。
 医師は聴診器を良子の胸に当て、脈を取った。身体に取り付けられた心電図を、医師は繁々と眺めていた。
「磯谷さん、もしかして・・・意識が回復しつつあるのかもしれませんね」と医師はいった。
 医師は看護師に指示して鼻の血をガーゼで拭い、ペンライトで鼻を覗(のぞ)いた。
「特に出血箇所はないようですね」と医師が説明をした時だった。
「えらい遅いわ、とうちゃん待ってたで」
 聞きなれた声、そして話し方。
 ベッドにチューブをつけたままの女が起き上がり、目を開けていた。
「良子か」
「あたりまえや、おいらが良子や」とベッドの良子は答えた。
 その後、良子はすぐに家に戻ると病院で大騒ぎを起こした。病院服のままタクシーで梅田の実家に戻った。
良子は父親の仏前にお参りをすると東京へ帰りたいとまた大騒ぎを起こした。
「かあちゃん、おいら娘をほったらかしや」と良子は母親にいった。
 武と良子の母親は18年間以上病院に入院していた良子がどうやって娘を産んだのか・・・その謎を暗黙のうちに無視しようとした。 
 触れざる謎・・・たぶん良子から説明を受けても理解できないだろう。
 世の中にはこんな不思議な事がおきるんやぐらいに留めておこうと武は思った。
 あの巻物を武が書いたとか書かないなど、どちらも問題ではない。
 良子が帰ってくるのであれば、すべて問わない、そう武は考えた。
 元の良子と顔形が変わったが、性格も話し方も以前と同じに武は感謝した。
 東京へ向かう新幹線の中である。
「良子、あの男どうした」と武は気になったスーパーの社長の事を尋ねた。
「ああ、スーパーの社長か?」
「そうや」
「社長は夜逃げや、金持って大阪に向かったんや、どうにか捉(つか)まえて、東京へ戻る車が事故に巻き込まれ社長は死によったわ、おいらは植物で寝たきりや」
「でも、お前・・・美香に家を出るていっただろう」と武は少し憤慨(ふんがい)していった。
「ごめんな、冗談であんたを脅かすつもりが・・・ほんとになってもうたわ」と良子は涙ぐんだ。
 武は順番が違うと思った。
 良子と出逢った時、良子は病院のベッドに寝たきりだった。
 武には説明ができない、時間軸がどうしたとか未来から過去へ時間を遡(さかのぼ)るタイムトラベルができるはずがないと思っている。
「あの女は誰や」と武は尋ねた。
「そうか女も見たんか・・・あれは祖先らしい、あの女がおいらの頭の中に現れて、武と会う運命だから、身体を貸してやるとかいってたで」と良子は窓に広がる夕闇に沈む富士を眺めていた。
「美香おおきくなったか」と良子はぽつりといった。
「お前にそっくりや」と武は答えた。
「そうか、よかったわ美人に生まれて、かあちゃんに感謝しならんわ」
 武は巻物からの経緯を良子に説明した。
「そうか【愛の伝道師】売るのが楽しみや、おいらがバンバン売ったるで」と良子はいった。
 家にもどってからも一騒動あった。
「帰ったで」と良子がいうやいなや、
「どこの馬の骨がのこのこと帰ってきた」と美香が返した。
 取っ組み合いの喧嘩がはじまった。
「てめ」
「ぶっ殺したる」
武はなだめすかすのにその夜中かかった。
朝方和解した親子は一緒に風呂に入ったらしい。
武は夢の中で、湯船で騒ぐ親子の声を聞いた気がした。
武が【愛の伝道師】を使う機会はまだ来ない。

(了)

にほんブログ村 小説ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

良子のヒ・ミ・ツ

第五回小説宝石新人賞一次予選落選作品(^◇^)

     五

「私は巻物をさらに調べる事にした」
「巻物を・・・」
「ああ、かってに申し訳ない、巻物をばらばらにしてみた」
「ほんとですか」
「元通りにする」
 教授は黒い手提(てさ)げカバンから大判の書類入れを出した。
「巻物の背表紙の中かからこれが出てきた」
 教授は応接テーブルの上に書類入れから墨で書かれた地図のコピーを広げた。
「地図ですか」
「そう、地図がでてきた。この山の横に富士山と書いてある。ここは川口湖と西湖だ」
「富士山?」
「ここに○で囲んだ箇所があるだろう、現代の地図に照らし合わせると青木ヶ原樹海の鳴沢氷穴と一致する」
「鳴沢氷穴?」と武はいった。
「西暦八六四年閏年、富士山系の長尾山の噴火によりできた風穴じゃ、夏でも三度ぐらいの気温で保たれた洞窟のため、氷穴になっておる」
「氷穴ですか」
「ああ、天井から浸透した水が氷の柱となった氷柱だらけらしい」
「なぜ、そこの地図が?」
「まさにそれがポイントだ。丁度、時代は第五十六代清和天皇の時代、いわゆる清和源氏の始祖だな」
「清和源氏!」
「そう、君が源氏の子孫と言っていたが、まんざら真実かもしれん・・・その天皇は実に数奇な運命を辿(たど)っている」
「数奇な・・・」
「九歳で即位、なんと二十七の歳に天皇の位を譲位しておる。後にも先にもそんな天皇はいない、その当時は大友氏と藤原氏の政争が激しい時代じゃ、譲位後出家して苦行の末、崩御(ほうぎょ)している・・・」
「誰に・・・譲位ですか」
「もちろん第一皇子、貞明親王、後の陽成天皇じゃ、かれもまたわずか九歳で即位した。この辺りに何か匂わないか・・・貞明親王の曽祖父は藤原長良という、だがどうも貞明は長良の子という説がある」
「父が異なる・・・」
「まさにそのとおり、実はその事が面々と巻物の第三篇に書かれておる」
「そうでしたか、目を通していませんでした」と武は教授の解読した資料の一部、妙薬の調合方法だけしか読んでいない事を認めてしまった。
「そんな事はどうでもいい、わしは君とこの時代がなぜ結びつくのか検証したいのじゃ」
「と言いますと・・・」
「鳴沢氷穴に私と一緒に行ってみよう」
「ええ、氷穴にですか?」
「もし君が過去に存在していたとして、この巻物を君自身が作った。地図を裏表紙にわざわざ書き残した。なんのためじゃ」
「なんのため・・・」
「よく考えれば、一目瞭然」
「はて?」
「未来の君へ残したのじゃ!」
「ええ・・・」
「とりあえず、私も講義のコマをいくつか抱えておる。君の行ける日取りを決めてくれ、休講にして行く事にするよ」
「はあ」と武は曖昧に答えた。

 同じ事務所内で買掛伝票の整理をしていた美香は、この話を最初から最後まで聞き耳を立てていた。
「とうちゃん、おいらもついていくで」とニコニコとしていた。

 鳴沢氷穴は山梨県鳴沢村にある。
 移動手段としては、新宿駅からJR中央線を利用し山梨の大月駅で下車、富士急行線に乗り換え河口湖駅で富士急バスに乗車し鳴沢村の氷穴へ向かう。
 所要時間で三時間弱である。もちろん乗り換えの待ち時間を考慮した時間である。
 注意しないといけないのがバス路線である。9時から14時までの運行時間しかなく、一時間に1便のバスが走るだけで、それを超えると鳴沢村に泊まることになる。幸いなことに温泉施設とペンションがあり割とリーズナブルに宿泊ができる。
 翌週の月火と工場を2日休日にして、武と美香、そして教授の三人は早朝の新宿駅で待ち合わせをして鳴沢村へ向かった。
 車中である。
「とうちゃんと初めての旅行や」
 と窓に広がる景色に見入る美香である。
「そうか、初めてやな」と武も美香の言葉に感慨深いものがあった。
 美香が幼い頃に良子が駆け落ちした。
それ以来、武藤家の家族イベントは皆無(かいむ)になった。たまに公園で美香とキャッチボールをする武であったが、運動会に行った事もない。それを思うとふと熱いものが目頭(めがしら)から零(こぼ)れそうになる武であった。
「そういえば、奥さんはどうされたかのう」 
 と教授がいった。
 教授に悪気はないだろう、ほんとうの事を述べてもいいと武は思った。
「うちのかあちゃん、男作ってどこかいってもうた」と美香が武を制して答えた。
「そうか、それは失礼した」と教授はいった。
 何が失礼したのか、武には判然としなかったが、それ以後、教授は家庭の事に触れなかった。
こうして夏まっさかりの富士パノラマラインを走り、武藤武一行は鳴沢氷穴に到着した。

 いくぶん猛暑は過ぎていた。しかし外気はうっすらと汗ばむ気温である。
入口の大きな看板に『天然記念物鳴沢氷穴』とある。入口から洞窟へ続く階段を下りて行く。大人がようやく立てる天井の洞窟が続く、入ってすぐに床が氷で滑る急な坂道になる。油断するといつでも滑落(かつらく)する恐れがある。なるほど、洞窟は天然の冷凍庫ということがわかるほど寒かった。
 美香と私は教授が用意したヘルメットを装着していた。その上にランプが取り付けられている。
「この氷穴は環状になっていて、ぐるり一周できるようになっておる」
 と教授は説明した。
「先生、きたことあるんですか」と美香がいった。
「いや、観光案内をネットで見た」
「すごいほんとうに氷の柱がたくさん」と美香が声を上げた。
 ライトアップされた氷柱が突然現れる。
「この先に地獄穴という穴がある」と教授はしっかりとした足取りで前をずんずんと進んでいた。
「行き止まりだ」と武はいった。
行き止まりのさきに、神社を模した小さな社(やしろ)が置かれていた。
「武藤さん、なんか思い出さんかのう・・・」
「この穴はどこへ続いてるんや」と美香はしゃがみ込み地獄穴を覗いていた。
「観光案内には江ノ島までと書いてあった」と教授はリュックから巻物から出てきた地図のコピーを取り出した。
「地図に沼が書かれている」と教授は地図の沼という文字を指し示していた。
「この穴から先に沼があるということですか」と武はいった。
 武たちはさらに地獄穴から天井の低いトンネルを匍匐(ほふく)前進し続けた。ようやく大人が立てる広い空間が現れた。
「見たまえ、氷の沼だ」と教授は懐中電灯の明かりで凍った沼を指していた。
 真っ暗で天井の高さが分からない、武は懐中電灯を天井目掛けて照らしたが、天井の果てが分からないほどであった。まさに地の底にその沼はあった。
「先生、スケートできるわ」と美香は沼の縁の氷に足を掛けていた。
「美香、割れたら大変や」と武は心配して言った。
「この辺りの気温は2度ぐらいだから、まず溶け出すことはなさそうだな」と教授。
「先生、でも水は0度で凍るのでは?」
「確かに、表面は常に溶けるのだが、その下が0度よりさらに低い温度になっている。つまり溶ける一方すぐに凍るというせめぎ合いが起こるため、完全に溶ける事がないのだ」
「あ、先生ここ」と美香が声を上げた。
 美香の指し示す沼の縁に武たちは、人の手によって造られた敷石を組み合わせた床を発見した。
「これは、誰かが敷いたものだな」と教授。
 30センチほどの正方形の石が規則正しく敷かれている。幅は丁度2メートルほど。懐中電灯で照らすと、壁のほうから沼に続いて、まるで神社の境内の敷石を思わせる。
 教授がその敷石の上を歩き壁まで向かった。
 丹念に壁を教授は調べていた。
「武藤さん、この壁見てくれ」
 武は言われるまま、壁に近づき教授の懐中電灯の明かりの先を見た。岩石質の岩肌にまったく違う粘土質の壁がアーチを描いている。
「この壁、後で埋めたようだ・・・」
 教授はリュックから折りたたみのハンディシャベルを取り出した。
「この壁を掘ってみよう」
 教授と武は交互にシャベルを持ち、壁を崩しながら穴を掘り続けた。粘土質のため割合簡単に掘り進むことができた。二メートルほど進んだところで、一気に壁が崩れた。
「あ、あれはなんだ・・・」と教授が叫んだ。
 開(ひら)けた空間に、神社に似た建物が立っていた。
 武たちは懐中電灯をたよりに、建物へ近づいた。
「これは・・・」と教授は絶句した。
「神社みたいやわ」と美香はいった。
 高さは優に十メートルを超え、幅は先がわからない長い廊下を持った建物だった。
「こんな洞穴になぜ建物が」と武はいった。
「考えられる事は、ひとつじゃ・・・、誰かをここに幽閉(ゆうへい)していた。そのために造られた建物、そしてその者はこれだけの建物に住むのに相応しい人間・・・」
「誰?」と美香。
「やっぱり第三篇から、皇室に関わりのあるものだという推論ができる・・・」
「悲しすぎるわ、真っ暗な闇で生きるなんて、うちようできんわ」と美香は悲痛な声でいった。
「建物を調べよう」と武たちはさらに建物を調べることにした。
 建物へ続く階段を上がり切った板張りの廊下で履いてきた登山靴を脱いだ。埃(ほこり)が積もった廊下が続く。ようやく建物の入口に辿り着いた。
 引き戸があった。
 引き戸に細長い紙が張ってある。
 色あせる事のない暗闇のため白い紙にくっきりと墨で達筆な文字が書かれている。
「なんて読むんや」と美香がいった。
 教授が近づき紙を改めた。
「護符だな、この戸開けるべからずと書いている」
「ほんと『開』という漢字があるわ」と美香は懐中電灯を護符に向けた。
「開けるべからずか・・・どうします教授?」と武はいった。
「私は開けて入る」と教授は毅然と答えた。
 教授は戸を開けると懐中電灯を頼りに中へ進んでいった。
「とうちゃん、うちらも入ろう」と美香は教授に続いた。
 武は正直困惑していた。
『開けるべからず』と書いてある場所、何か得たいの知れない呪いでも降りかかる恐れだってある。と思ったが、武一人が入口に残るとあまりの静けさに、武も続く事にした。
 板張りの廊下を中央にして、両側に畳の和室が幾つもの襖で仕切られ続いていた。
「お城のような家や」と美香は懐中電灯で和室を照らしていた。
「寝殿造りというのだろう」と教授はいった。
 この建物の中で一番大きな部屋に辿(たど)り着いた。床の間に墨で書かれた絵が掛かる。
山紫水明(さんしすいめい)を墨の濃淡で表した一幅(いっぷく)である。
 部屋の中央に布団が伸べてある。
 掛け布団は人が寝ていた形跡を残していた。
「誰かがここで寝起きしていたようだ」と教授はいった。
 隣の和室で武は平机に夥(おびただ)しい書物を発見した。幾つかを取り上げ中を改めると、いずれも達筆な筆使いで文字が書き込まれている。
「先生、大量の書物ですね」と武はいった。
 教授も幾つかの書物を捲(めく)っていた。
「どうやら、ここに住んでいた人間は歴史書をつくっていたようじゃ・・・」
「歴史書?」と美香が繰り返した。
「和暦の年月日とだれ某(それ)が何をしたのか、そして何が起こったのか、連綿(れんめん)と綴(つづ)られている」と教授は熱心に懐中電灯を当てていた。
「いったい誰や」と美香はさらに部屋を物色するように懐中電灯をあちらこちらに当てていた。
「皇族のそれも正当な皇位の継承者・・・」と教授は言葉が急に途切れた。
「そうかわかった」と教授は声を荒げた。
「ここに、密教とある。平安時代に中国から密教が日本にやってきた。そして小角(おづの)と記されている。これは役(えん)の小角の事。そうか日本霊異記(りょういき)にある、小角が伊豆に島流しになり富士山で修行したとはここのことか・・・」と教授は書物を握り締めたまま呆然としていた。
「小角とは誰ですか?」と美香が尋ねた。
「日本の修験道の開祖と呼ばれている。山岳信仰を広めた仙人のようなものだ。時代もあっているな、確か西暦で六三四年の生まれ」
「彼はなぜここに」と武がいった。
「彼は役(えんの)行者(ぎょうじゃ)と呼ばれておる。そうか、小角は藤原氏からここで皇族の血筋を継ぐ者を監禁していた。そしてその監禁されていた者がここに書物を認めた・・・妙に辻褄(つじつま)が合いだしたぞ」と教授は明らかに興奮していた。
「行者は聞いた事があります」と武はふと不思議な事を思い出した。
「聞いた事がある?」と教授はいった。
「はい妻から・・・」
「ええ、かあちゃんが・・・」と美香が驚いていった。
「それがな・・・良子は時々俺のことを、ギョウザとかいっていたことがあるんや、それで聞き返した事がある。ギョウザとはなんだて・・・そうしたら、『ぎょうじゃ』とかいってたわ」
「ぎょうじゃ・・・」と美香が繰り返した。
「他に何かいってなかったか」と教授が尋ねてきた。
 武は良子がいなくなる少し前にこんな事をいったのを思い出していた。
『とうちゃん、わてがしばらくいなくなっても、美香育てられるか・・・』失踪してから何度も武自身が繰り返してきた。
 あれはどういう意味だったのだろうかと改めて考えた。
 しばらくいなくなるという前提は、いつか戻る事を意味するのだろうか、ということは、良子はどこかへ行かなければならない自分の立場を伝えたかったのではなかろうか・・・。
『人はみな生まれ変わりやから』という良子から出た言葉をふと思い出していた。
「生まれ変わり・・・」と武は漏らした。
「生まれ変わり?」と美香。
「武藤さんの一族は巻物を継承してきた。巻物をどうやって手に入れたのか、また巻物に隠された地図の存在を知っていたのか、兎に角、武藤さんのご先祖は間違いなく、この場所を知る立場にあった関係者に違いないと私は思うのじゃが、いかがだろう・・・」
「関係者には違いないでしょう」と武は答えながら、書物の端に重ねられた紙を取り上げた。
 その紙は見取り図に似た図面が記されていた。
「先生、これはなんでしょう」と武はいった。
 受け取った教授は懐中電灯の明かりで図面を改めた。
「これは、沼の工事の遣(や)り方(かた)図じゃ」
「遣り方図てなんですか?」と美香がいった。
「工事などを施工する時の設計図じゃな・・・そうかあの沼は人工に造った沼なのか!」
「人工ということは、人の手で造った!」と武はいった。
「もう一度、沼を見てこよう」と教授は部屋からすでに沼へ向けて歩き出した。
「あれだけの沼を造るのも大変だが、あの氷を作るための水をどうしたのだろう」と教授が呟(つぶや)いた。
 沼に戻ると教授は氷の上に乗り、凍った沼に懐中電灯を当てだした。武と美香もそれに習い、同じように氷を通して沼を覗き込んだ。
 沼の直径は、五十メートル四方の大きさはある。
 武の目にはまったく透明な氷があるだけにしか見えなかった。
 しばらく経ち、教授の声が武を呼んだ。
「武藤さん、見つけた!」
 教授の声が沼を囲む空間にこだましていた。

にほんブログ村 小説ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

良子のヒ・ミ・ツ

第五回小説宝石新人賞一次予選落選作品(^◇^)

     四

「とうちゃん、借りてきたで」
 金曜日の夕方である。
 美香の弁当屋の配達は土日休みである。
 客のほとんどがオフィス街のサラリーマン。土日は弁当販売をしても購入する客がいない。美香を通じて弁当販売用の配達車を借りてもらった。この弁当用の配達車は、リヤカーと同じ構造をしている。弁当を入れるボックスが後部に取り付けられ、両脇に自転車のタイヤにそっくりなタイヤ、前にボックスを引っ張るための鉄のパイプが取りつけられている。大きさはそれほど大きな物ではないが、会議テーブルやパイプ椅子二脚と紅白幕など運ぶには十分すぎた。
 二回分の分量を入れた小さなプラスチックの容器に軟膏を詰めサンプルを百個ほど製造した。容器の胴に使用方法を印刷したタックシールを貼り付けた。
美香に弁当販売の時に配ってもらった。もちろん無料である。あわせて販売する日時と場所を書いたチラシをパソコンで作って、これも美香に配ってもらった。
 サンプルはたった一日で配り終えた。
 美香の弁当販売のアルバイトにおんぶに抱っこであった。

 さて、ここで武藤武はすっかり失念していた。
商品名を付けていなかった。
「とうちゃん、商品名のないもん、よう売れんわ」
 武藤武と美香は喧々諤々(けんけんがくがく)と議論を続けた。
 結果三つの候補に絞り込んだ。
 【男の力】
 【愛の山脈】
 【愛の伝道師】
 マーケット理論やプランニングなど知る由も無いわけで、ましてや商品のネーミングが売上にどれだけ影響するかの知識は皆無であった。
「とうちゃん、【男の力】は直接すぎるで、やっぱり【愛】がつけならん」
「ほな【愛の山脈】や」
「それもあかんな、山脈がいかにもとちがうか」
「【山脈】・・・いいのにな、富士山をマークにしたらどうだ、中国人観光客に富士山はすごい人気があるで、国内だけでなく中国でもよう売れるかもしれんわ」
「だめや、富士は山脈違うで、この軟膏を使う目的がはっきり響いてこんわ」
 と美香が強い口調でいった。
「人がこれを使って幸せになる。聖書と同じや」
「ほな【愛の伝道師】か」
「それしかない、人間の根本に関わる問題や、誰もこれをさけて通れんわ」
「ごっつ美香大人ぽっいこといいよるわ、とうちゃん驚いたで」
「ほなら【愛の伝道師】で決まりや」
「これでいこうや」
 と家族会議の結論は【愛の伝道師】で決まった。

さてサンプルを配った翌日に美香はいつものように炎天下、弁当を満載した配達車を引っ張っていた。
 早朝と昼で美香は販売する場所を変える事にしている。朝は十時まで電車の乗降客がたくさんいる駅近くの歩道で販売し、それからオフィス街の一画にある公園まで販売車を移動させる。
 まだ朝8時である。
 いつもの弁当販売する場所に異変があった。
 勤務先へ向かう通勤のサラリーマンの波が一箇所で堰(せ)きとめられ、その堰を避ける人の波ができていた。
『なんや』と美香は思った。
 近づいて呆然とした。
「おはようございます」と一斉に美香へ朝の挨拶(あいさつ)が起こった。
 全員、美香の弁当を購入する客である。
「あれ、どうしたんやみんな」と美香は言ってみて、客全員が昨日配ったサンプルの容器を手にしているに気がついた。
「美香ちゃん、おかわり!」と客は口を揃えた。
 何がおこったのか一目瞭然である。
「ごめんね、もうサンプルないんや」
「ええ」とざわめきが起きた。
 二十代のまじめそうな男。
「昨晩は美香ちゃんの事思って悶々(もんもん)として、よく眠れなかった。あの薬どこで売っているんでしょう。教えてください」
 三十代の頭をワックスでオールバックにしたサラリーマン。
「俺もだ。生まれて初めて、男になった気がした。なんとしてもあの薬を手に入れる」
 四十台の管理職らしき男性。
「そうだ、俺なんか・・・十年ぶりで女房とエッチした。女房が失神した。今日の朝食は赤飯がでた」
 俺もだ、俺もだという声が期せず起こり、駅前の歩道は一時騒然となった。
 美香としては、武が作ったチラシのとおり説明するしかなかった。
「来週土日昼から、公園前で販売するさかい、みんなで買いにきてな」
 全員しかたなく出社したのであるが、朝と昼の販売で用意した弁当は朝だけで完売した。
 百五十食である。これは配ったサンプルの数を超えていた。とおりすがりの者も五十人はいた勘定になる。
 美香は予感した。
『とうちゃん、これはえらいことになったで』

 さて路上販売の初日である。
 武の発案で【愛の伝道師】の文字を印刷したプリントティシャツを作ることになった。
 その場でティシャツに文字を入れてくるサービスがあるらしい。
「どうや」と武は黄色のティシャツを美香に手渡し、自分は黒のティシャツを頭から被った。
「うちなんかはずかしわ」と美香。
「まあ、がまんしときや、これでもうかったら、もう少しましなもん作るわ」
 と二人で公園まで弁当販売車を引っ張っていった。
 なるほど武も美香から話を聞いていたとおり、公園前に今か今かと待ち焦がれたサラリーマンの集団が待ち構えていた。
「来た来た!」と一同より熱望が直に伝わってくる声が期せず起こる。
「美香ちゃん、待っていたぜ」
「早く売ってくれ」
「昨日から並んでいたよ」
 等々切望する声が次々と武と美香に投げかけられた。
 会議テーブルを組み立て、その上に紅白幕を掛け、パソコンで印字した【愛の伝道師】のポップをセロテープで貼った。
『心と身体に愛と勇気をお伝えする。
 愛の伝道師
 一瓶金五千円で好評発売中』と印刷されている。この値段が妥当(だとう)な価格であるのか、武藤武は少し自信がなかった。高すぎれば、購買意欲が無くなるだろう、また安すぎてもいかにも怪しげなものと取られかねない。
 初日に用意した【愛の伝道師】は二百個、集まった客はどうみても百人以上である。
 武と美香が夜なべをして二百個を5日間で瓶詰めした。
「美香、一人一個しか売れへんな」
 と武は【愛の伝道師】を手に入れられない客がでないようにした。喧嘩にでもなれば、即警察行きもありえる。
 さっと現れてさっと売り切り、場所を移動する。と美香に販売方針を述べた。
「わかったわ、ゲリラ販売や、毎週場所と時間替えて売ったほうがええな」と美香はいった。
「ほな、インターネットの掲示板に掲載しようや」
 これが【愛の伝道師】販売までの道のりであった。
 初日、三十分で用意した二百瓶は完売した。
 一度購入した客が再び最後尾に並んだらしい。
「皆様、おわりがとうございます」と最期に二人で頭を下げた。
「とうちゃん、やったで」
「ああ、ぜんぶいってもうたで」
 用意した【愛の伝道師】二百個を入れてきたダンボールの中は札束がぎっしりと入っていた。
「とうちゃん、すごい金や」
「ああ、三十分で百万や」
 と話していると紅白幕の前に二人の男が立っている。
「すまん、もう完売や」と武が答えた。
「あ、銀行屋!」と美香がいった。
「こんにちは武藤さん、私K銀行I支店の加藤と今泉です」
「なんぞ用か」と武は借りているローンの支払いが滞っているのを思い出していた。それというのも【愛の伝道師】の材料でかなりの出費をしていたからだ。
「拝見(はいけん)させて頂きました。商売繁盛でなによりでございます」
「とうちゃん、この人たち、うちの弁当屋に来ている銀行やわ」
「そうか、で、なんの御用で」
「弁当屋さんでお聞きしまして、はせ参じさせて頂きました。これだけのご商売、ぜひ当行とお取引願いたくお待ちしておりました」
「お取引と申しますと」と武。
「ご商売と申しますと、なにかと資金もご入りようと思います。お見受けしたところこの商売、絶対当たります」
「資金?」
「ええ、私どもも購入させて頂きました」と銀行屋はカバンから【愛の伝道師】を取り出した。
「今は路上販売、行く行くは全国販売も夢ではないと判断します」
「なぜ?」
「客はうそをつきません。サンプルを配り、これだけの客が集まり、即完売、私どもではぜひご協力させていただきたいと思いますが、如何なものでしょうか」
 武藤武は天と地がひっくり返ったような気がした。昨日まで銀行など俺に見向きもしなかっただろう、それがどうした事だ、向こうから金を借りてくれとやってきた。
 武は銀行屋に言われるまま【愛の伝道師】という名義で口座を作らされた。
「さっそく売上金を数えさせて頂きます」
 慣れた手つきで二人の行員は札束を数えおえると、
「ご入金は如何ほどになさいますか」
 武は来週販売するためには材料を再び購入する必要があると考えた。
「半分でお願いします」
 二人は入金の預かり書を記入し、それを武に渡すと去っていた。
「とうちゃん、やったで」
「ああ、やった」
 武藤武は手元に残った札束と預金通帳を握り絞めていた。
 それから毎週土日に【愛の伝道師】のゲリラ販売を各地で行い始めた。銀行屋も毎週集金に来るようになった。販売量も1回の販売個数を二百個から五百個までに伸ばした。美香と二人だけでは生産が間に合わないので、近くの貸し倉庫を借り、そこにアルバイトに主婦を集めて製造を本格化させた。一回の上がりが三百万円、土日で約六百万円、月二千五百万円の売上まで伸びた。
 原材料についてはメーカーへの大量発注でかなり割引がきくようになった。なにしろ現金で買い付けするのである。メーカーは喜んで運送まで込みで卸してくれるまでになった。容器も専用のプラスチック容器を用意した。人件費、原材料費やもろもろの原価を考えても粗利益は80%を超えるほどの商売となっていた。
 貸し倉庫の二階の事務所を住居用に改造を行い事務所兼住居とし、長年住み慣れたアパートから住み替えた。初めて美香は自分の部屋持ちになった。
「とうちゃん、これからは一人ずつ寝るんや、さびしかったらいつでも布団もってきな」など喜びを隠しきれないではしゃいでいた。
 美香は、三ヵ月後に弁当ファンクラブを解散し、【愛の伝道師】に専念するようになっていた。ファンクラブの連中はおのずと【愛の伝道師】の広告塔になっていった。彼らがネットで色々な効能や体験を広めた影響は計り知れない。
 インターネットで【愛の伝道師】の噂が日々上るようになって、武のところに次々と人々がやってくるようになった。
 まずやってきたのが有名な媚薬を製造している会社の営業本部長であった。
 ○△製薬株式会社 本社営業本部長 岩根 権蔵と印字された名刺を差し出した。
「武藤さん、お噂はかねがねお聞き申し上げております。弊社(へいしゃ)でもネットオークションで入手いたしまして、被験者(ひけんしゃ)で試験を実施させて頂きました。これがすごい効き目、弊社の総力を結集いたしましても、これを製造するのは不可能という結論に至りました。研究所におきましても成分分析を行い、分析結果に従った調合を重ねましたが、いっこうに同じ結果が得られない・・・そこで弊社といたしましては、ぜひ共同開発を行い、さらなる販売強化のお手伝いをさせて頂きたく参ったしだいです」
 武はなるほどと思った。
 K銀行の加藤が先日話していたとおりだ。
『軟膏の製造方法を聞きに来る者、手伝いしたいなど言う者が現れたら、一度当行に必ずお問い合わせ下さい。大体はたかりでしょう、軟膏の製造方法に関する特許を申請中の間は、そのような申し出は笑って考えさせてくださいなどと言ってはぐらかしたほうがよいでしょう』
 武藤武は【愛の伝道師】の製造方法の特許申請をK銀行から紹介された弁理士を通じて行っていた。
 特許というものは申請してから認可されるまで、早期審査でも三ヶ月ほどかかるらしい。
「これは大手○△製薬様じきじきに大変恐れ入ります。弊社、というかまだ個人商店でございますが、大変うれしい申し出でございます、なにぶんまだ影も形もないような軟膏でございます。吹けばとぶような木っ端みたいなものです。一時の人気もありましょう、私個人としましては、もう少し路上販売を行った上ではっきりとした効能が定まった時点で世に問いたいと考えております」
「なるほど、じっくり世間の評価を得てから、流通に乗せる。それもよい販売戦略、ただ・・」
「ただ、なんでしょうか」
「必ず、柳の下にドジョウが二匹いる事をお忘れなきようにお願い申し上げます」
 営業本部長は説得に失敗したことに憤慨(ふんがい)して、こんな捨て台詞(せりふ)を吐(は)いて帰っていった。
 次に現れたのが意外な人物だった。
 あの巻物の解読を依頼したK大学の某教授である。
「やあ君、探したよ」
 教授はいつもと変わらぬ不機嫌そうな表情で応接椅子に座っていた。
「ええ、アパートを引っ越しまして、住所が変わりました」
「今日はどんな御用でございますか」と武はいった。
「巻物の事に決まっている」
「巻物が何か?」
「巻物を書いたのは君だよ」
「ええ・・・」
「私はあの巻物に墨汁で付けた指紋を発見した。ついでに巻物の外側から数人の指紋も採取して、調べてもらった。外側には三人の指紋が調査結果から報告された。もちろん私と君、残り一人は不明、報告書に外側の指紋と一致とある」
「まさか・・・」
「そのまさかじゃ、あの墨汁の炭素年代測定の再調査を依頼した。やはり平安時代前期と判定結果が届いた。これはどういうことじゃ」
「先生、外側の指紋はその・・・平安時代の巻物を書いた人間のものが残っていたのでは?」
「私もそう思った。巻物を入れていた桐の箱からも同じ指紋を検出、そして君が箱を入れて持ってきた大手家電量販店の紙袋から、君と私の指紋だけが出てきた。平安前期の人間が現代に現れて大手家電量販店の紙袋に指紋を付けた・・・ありえんじゃろう」
「ありえませんね」と武はいった。
「私は、そこでいくつかの仮定を立てた。ほとんど空論と呼ばれるような仮定を立てるしかない・・・」
「君は過去からやってきた。または君は過去へ行った」
「過去へ・・・」

にほんブログ村 小説ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

良子のヒ・ミ・ツ

第五回小説宝石新人賞一次予選落選作品(^◇^)

     三

 口上場に集まった客は取らぬ皮の胸算用(むなざんよう)よろしく、【愛の伝道師】の購入後の莫大な利益を考え、目が明らかに血走っていた。先頭に並んでいる客は常連で占められている。
 いったいいくらぐらい儲かるのか?
 武はジャムの小瓶大の【愛の伝道師】一瓶を五千円で販売している。
 ネットオークションでは10倍から20倍が相場との話がある。
 つまり一瓶10万円を出して購入する者もいることになる。

 巻物に記された調合を調べるため、アパート近くの大学へ訪れた。古文書を研究している准教授からK大学の某(ぼう)名誉教授を紹介され、巻物を持ち込んだ。
 某教授は内容より、巻物の装飾に興味を示した。
「あんたこりゃあ狩野派の模様にそっくりだ」
「どんなもんでしょうか」
「えれえしろもんかもしれんぞ」
 と教授は目をきらめかせた。
「とりあえず調べさせてもらうよ」
 預けたことを忘れた頃、かの某教授より携帯電話に連絡があった。
「武藤さんかい、内容を解読したから、大学へ来てもらえるかのう」
「はい、暇ですから」
 昼下がりのひっそりしたキャンパスを通りぬけた教授棟の一室で教授は難しい顔で待っていた。
「とりあえず、内容はほれこの通り、ワープロで清書したよ」と教授はA4用紙十数枚が入った封筒を渡してくれた。
「君、これをどこで手に入れた」
「武藤家伝来の家宝です」
「家宝?」
「すごいもんじゃ」
「すごいというのは?」
「この巻物は、君、皇室の所有物だったはずだ・・・」
「皇室?」
「失われた巻物、君の祖先が拝借(はいしゃく)したか、なんらかの手段を講じて手に入れた可能性がある」
「清書した内容にもあるが、天孫(てんそん)降臨(こうりん)の話が出てくる。君は確か鎌倉時代ぐらいと話していたが、これは平安前期に作られた和紙でできている、私の知り合いに炭素年代測定の鑑定をしてもらった」
「平安前期ですか」と武はいった。
「内容を要約すると三篇の物語が記(しる)され、最期に子孫繁栄を願い付記という形でなにかの薬について調合方法と使用方法が書かれている」
「三篇の物語?」
「そうじゃ、第一編は大陸から渡ってきた経緯、第二編は天下(あまが)原(はら)での天孫降臨、そして問題の第三篇」
「問題の第三篇」と武は鸚鵡返(おうむがえ)しでいった。
「すごい事がかかれている。血の断絶」
「血の断絶?」
「皇室の隠蔽(いんぺい)された秘密が書かれている。もし内容が真実であれば・・・歴史の大発見になる」
「歴史の大発見!」
「天と地がひっくり返るぐらいの話が面々と記されておる」
「薬についてはどのような効能があるのでしょうか?」
「そうそう、私は専門外でなにに利くか、とんと見当がつかん、知り合いに調べさせようか」
 と某教授はあきらかに興奮していた。
 血の断絶など武藤武にはどうでもよかった。
 武の身体に起こった奇跡について話すべきか躊躇(ちゅうちょ)していた。
「それで武藤さん、さらにこれを私にしばらく預けてもらう分けにいかんかのう」
 と教授は武藤が断るはずがないと確信しているように擦(す)り寄ってきた。
 武藤は一つだけ条件を付ける事を思いついた。
「先生、その付記の部分・・・武藤家の直伝薬の製造にかかわる箇所について、必ずや秘匿(ひとく)いただけるお約束をいただけるのであれば、
お預けいたします」
「私は第三篇以外、興味がないよ」
 と教授は話したが、A4用紙を一枚取り出し、巻物の預かり書を認(したた)め、氏名を明記の上、捺印して武に差し出した。
「ほら、第三篇以外について口外しない事を誓うと書いたぞ」と教授はいった。

 なけなしの大枚を叩いて、教授の解読した薬の材料を集めだした。もちろん叔父からもらった一瓶があったが、それは手を付けないつもりだった。そろそろ叔父夫婦に返納しなければ、叔母から嫌われるような気がしたからだ。
 ここで薬の成分を明記したいのだが、賢明な読者諸氏にまんまとかっさわられる訳にいかないので割愛(かつあい)する事をお詫(わ)び申し上げる。
 ヒントは鹿の角、これはえらい高価だった。そしてある茸(きのこ)、これも目が飛び出すような値段だった。そんなかんなで、集めた材料を家の風呂場で天井にロープをかけて干していた。
「ぎゃあ、とうちゃん風呂に・・・」
 と親が見ても興奮する全裸の美香が飛び出してきた。
「あ、ごめん、とうちゃん、薬の材料干してるの言い忘れてたわ」
「もうびっくりよ、風呂の天井から鹿の角がにょきりだもん・・・おいら銭湯いってくるわ」と美香は銭湯へ出かけた。
 夜なべなどする必要もなかったのであるが、兎に角、調合にはまって三日ほど試行(しこう)錯誤(さくご)の結果、ついに叔父から借用した一瓶と似たものが完成した。部屋中、すりこ木やすり鉢がころがり、異様な匂いに包まれていた。
 美香は呆(あき)れ果て押入れの中で熟睡していた。
 白色ワセリンに丁寧(ていねい)に混ぜ合わせ、ジャムの空き瓶を熱湯洗浄して乾燥した中に詰めた。
 さて試験をする必要がある。
 自分の身体は一度経験がある。
 美香の起きる前にトイレで試すことにした。
 『臍より下三寸、陰棒生えし少々上に塗りこめ、次に肛門の周りに丹念に塗りこむべし』と教授の解読した文書にある。
 さて便座に座り、自作した薬の効能を試してみた。叔父のより少々匂いが薄い。若干肌への刺激がある。これは丁子(ちょうじ)の成分による刺激である。十分調整可能だ。
 塗りこめて、1分未満で肛門より、何かが進入する感覚がある。これが不思議な感覚だ。脊椎(せきつい)までじーんと何かが流れ込む。次に男性自身の付け根を締め付ける感覚が襲ってくる。昔、物の本で男性自身を輪ゴムで止めてうっ血させて性交におよぶうんぬんという文章を読んだ記憶がある。なるほど根元の血流を活発にすることで男性自身への血流を増すのか、など考えていると・・・やはり、一本の直立した立派な男性自身がそびえていた。
 武藤武はこの男性自身を試してみたかった。
『そういえば、良子が駆け落ちしてから、あれをした事がない・・・』という事に気がついて呆然としていた。
 武藤家では、良子が去ってから、家庭内で性に関することは完全にアンタッチャブルになってしまっていた。
 美香に月のものがやってきた時も、武はおろおろするばかりであった。
「とうちゃん、布団の中血塗まみれや」
 と美香小学五年の夏の朝、初潮が訪れた。武はこう言った記憶がある。
「病院へいかならん」
 急に美香が笑いだした。
「とうちゃん、これ生理や、おいらついに大人の身体になったわ」
 確かに美香の言う通りだった。
 女親のいない悲しさがある。
 武の母親に電話を掛けた。
「武、まずナプキンだ。たぶん学校で教わっているはずだから、後は赤飯炊きなさい、それより美香に代わって、いいから早く・・・」
「身体いたくないか」
「ばあちゃんか、大丈夫や、今トイレでいっぱいティッシュ当ててきたわ」
「とうちゃんに必要な物買ってもらいな、ばあちゃんそちらに行けないけど、がんばってな」
「うんわかったわ」
 そんな経緯(いきさつ)があった。
 トイレの中でそそり立った一物を凝視しながら、武は男のくだらなさを感じていた。
 これでセックスを試してみたいだと、なんて俺は堕落(だらく)しているんだ。
 娘が一生懸命、夏の炎天下、弁当売りで生計を助けているのに、お前は何をしているのだ。妙薬だと?
 朝一でハローワークに出掛け、仕事を探すのが親の責任じゃないか、どの面下げてトイレで男自身をおっ立ててるんだ!
 馬鹿過ぎて・・・と思わず涙ぐみそうになった。急にトイレのドアが開いた。
「とうちゃん、なにうなってるんや」
 美香だった。
「げ、またあれたってるわ」
「美香、ドア閉めてくれんか」
 勢いよくドアが閉じられた。
「早く出てよ、おしっこ!」と美香が騒いでいた。武はどうにか男性自身をパンツに格納してズボンを引き上げ、トイレを後にした。
 そのまま布団に潜り込んでしまった。
調合に集中し過ぎた。
三日ぶりの睡眠で武は久しぶりの夢精を経験した。

「それでとうちゃん、その軟膏売るんか」
 夕方まで完全に寝きった武の前に、職場の売れ残り弁当を皿に盛りつけながら、美香はいった。
 武は布団から首だけを出した格好で、
「こんな薬売れるんか」
「びっくりや、三日三晩、とうちゃんが真剣に作ったもんやないのか」
「そりゃそうだ」
「おいらが弁当のついでにサンプルを客に配ろうか?」
「なんやそれは?」
「よくメーカーから新商品のサンプル配り頼まれるんや」
「サンプルか?」
 と武藤武はすでに朝の凹んだ気持ちを切り替えていた。
「美香、それで行こうや!」
 一瞬、武のあたまを過ぎった光景がある。
 近所の夏祭りの露天でどういう経緯であったか忘れたが、良子がバナナの叩き売りをした。さすが的屋一家の娘、門前の小僧習わぬ経を読むの例えよく、実に堂に入った口上ぶりだった。
 半被(はっぴ)に日本手拭(てぬぐい)をきりりと頭で締めつけ、一尺三寸の板台に白(しろ)足袋(たび)をかけ、白(しろ)股引(ももひき)もあらわな姿であった。
「やいやい、天下の公道を闊歩(かっぽ)する紳士淑女の皆々様方、さあさあ寄ってらしゃい、見てらっしゃい、ここに並べしバナナ、バナナ、バナナと申しましても、人間様と同じで親もあれば兄妹もござります。生まれは遠いフィリピン、いわゆるフィリピーなでござります。
 はるばる日本まで船で揺れること10日と5時間、最初はもぎたてま緑の房がなんと皆様のお口に合うべきま黄色に熟したお姿がこれでござります。
 さてさて、ここに並べしバナナをよくよくごらんくだされ。そのへんの八百屋で売っているものとはちいと違いがござります。
 そこの粋なだんな、おわかりで?
 まず論より証拠、ここに取りい出だしたるバナナを一本だんなにご賞味いただきましょう」
 一番前に立つ若い男にバナナを一本渡す。
 いわずと知れたサクラ役の男。
「だんなどうです、ああおいしい」
「ただで物をもらえば、誰でも悪い気はしないものでござります。特に食い物ときちゃ、誰でも世辞の一つも出ます。さてお集まりし、皆様のお疑いをすっきりといたしましょう」
「ここに取り出したのはまな板、そしてこれが出っ歯」と良子はまな板に出っ歯をブスリと立てる。
 口上場の客にざわめきが起こる。
 良子はビニールの買い物袋を取り出す。
「これは、敵情視察で近所のスーパーで手に入れたバナナでござります」
 と言い終えるやいなや、房から一本取り出したバナナを出っ歯の刃に向けて左右に振りながらスライスを始めた。次々とバナナが輪切りでまな板の上に落下して、二つに分かれて輪切りのバナナが調度半分になった形状で積み上がった。
 再び客にざわめきが起こる。
「さて、こちらが当店販売のバナナ」
 と再び同じ動作でバナナをスライスした。
「おお」というどよめきと拍手が巻き起こった。
 先ほどの二つのバナナのスライスの上に見事に後からのバナナのスライスが積みあがっていた。一つの取りこぼしも無く、二本のバナナはスライスされてまな板に積み上がっていたのだ。
「さあ、ここからが本題だ。違いの分かるお客様なら一目瞭然(いちもくりょうぜん)、おわかりの方、さあ、えんりょなく」
 一人の中年の男が手を上げる。
 もちろんサクラ。
「切り口が・・・きたない!」
「おお」と再び客からため息ともつかない驚きの声が起こる。
 確かにじっくりバナナのスライスの切り口を確かめると、明らかな違いがある。
 下にスライスされたスーパーのバナナの切り口は皮が凹み、すでに褐色に変色しつつある。それに対してどうだろう、後からスライスしたバナナの切り口はすっぱりとした切り口で、スライスしたはずの切り口がまったく目で見ただけではわからない。つまり後からスライスしたバナナを真っ二つにして積み上げたようにしか見えなかったのだ。
 良子の包丁の技術なのか、バナナの鮮度がこの現象を起こすのかはわからない、この実演を見たものは必ずといって鳥肌が立つ。
 目の前で魔法を見せられたようなものだ。
「さあ、違いは一目瞭然、おいらと同じ事を試したいお方がいれば、どうぞご遠慮なく」
 当然チャレンジしようとする奇特な客はいない。
「さあこのバナナを皆様にお分けいたします。
一本、一本売りしたいところでありますが、この房一つずつが家族を構成しております。おとうさん、かあさん、にいちゃん、ねーちゃん、そして妹、この端があかちゃんでござり。
もちろん、じいちゃんにばあちゃん、さあ一家団欒のお茶受けに、スタイルを維持したい素敵なお嬢様のダイエットに如何でござります」
 客がわれ先にバナナを買う姿を武藤武はぼんやりと布団の中で思い出していた。
『そうだあの時の中年のサクラ、良子のスーパーの社長ではなかったのか・・・』

にほんブログ村 小説ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

良子のヒ・ミ・ツ

第五回小説宝石新人賞一次予選落選作品(^◇^)

     二

 武藤武は半信半疑(はんしんはんぎ)であった。
 叔父の家より薬の調合方法が書かれているという巻物と薬入りの瓶と軟膏のサンプルを拝借(はいしゃく)してきた。
「どうせ暇なんだし、巻物を解読して、薬の正式な作り方を調べて売り出せば、大もうけできる」と武藤功はいっていた。
 武藤武はちゃぶ台に叔父から借りてきた品々を広げてため息をついていた。
「そんな大もうけなんて、楽して稼げるなら、叔父夫婦がやるだろう・・・」と一旦は考えたが、意外にまじめな武だけに、軟膏の蓋を開けて見た。
「強烈な匂いだ」
 夏の日の昼下がり、アパートの六畳の居間で、武藤武はとりあえず下半身をはだけて、塗ることにした。
 指に軟膏を取り、叔父から教えられたとおり、臍から三寸、そして肛門の周りに塗りこめて見た。
「別に何も起きないじゃないか」
 と思った瞬間だった。
 わすれて久しい感覚が身体の芯から突如(とつじょ)沸き起こってきた。
「あ・・・」
「ああああああ・・・・
 アパート中に響く声を武藤武は出していた。
 昼の配達を終え一時帰宅中の美香は、アパート近くの角を曲がったところで異様な叫びを聞いた。
『なに、家の方からだ』
 急に駆け出し、アパートの階段を駆け上がるとドアを押し破る勢いで部屋へ突入した。
 そこには当然、下半身をはだけた武藤武が呆然(ぼうぜん)と立っていた。
 武の男自身は人類が考え得る限界の角度で起立していた。
「何しているのよ、とうちゃん、昼間から・・・」
 と美香は言ってみたもの、父親の股間に釘付けになっていた。小さい頃からいつも一緒に風呂に入ってきた。何度も武藤武の一物を見てきた。それがどうだろう、目の前にある一物、どしたらそうなるのか、好奇心が美香を動かした。
「触りたいけど、おいら・・・」
「ええ、だめだよこれは・・・」と武藤武は答えたが、何かそれを自慢したい気持ちもあった。午後の西日を背にして武はまるでアフリカの大地に立つネイティブの気分を味わっていた。
「一度だけ」と武はポツリと答えた。
 美香は恐る恐る武の男自身に寄るといきなり握り締めてきた。
「きゃあ、すごい硬さ、男てこうなるのね」
 と美香は武に男を知らないことを告白していた。
 美香が離さないので武は、
「あの美香もうええか、ちょととうちゃん痛いよ」
「あ、ごめんね」と慌てて美香は手を引っ込めた。
 武は急いでパンツとズボンをはいたが、あれはその形が十分わかる陰影をまだ描いていた。
武は、翌朝までもんもんと布団の中で眠れぬ一夜を過ごしたのである。
 それまでの武はセックスについてどちらかといえば実に淡白であった。女を知ったのも大学を中退して、アルバイトの給料が出た夜、給料目当ての先輩に無理やり連れて行かれた風俗店である。
 逃げた妻の良子は三人目の女になる。
 もちろん武以外知らないことだ。
 今思えば、良子は性欲が強かった。残業に次ぐ残業で疲れた果てた身体に妻とのセックスは過酷であった。
『おとうちゃん』と甘えた声で良子は武の布団によく潜り込んできた。

 武と良子は大阪梅田の鄙(ひな)びた居酒屋の一つで出遭(あ)った。
 まだ若かりし武が大阪の長期出張中のことだ。
 勤務を終えた武は土地勘のないまま梅田界隈をうろついていた。
 兎に角、腹がすきすぎて、目がくらむような思いで路地裏に迷いこんだ。
 その路地にミニスカートで白い胸元もあらわな格好でスタイル抜群の良子がティッシュ配りをしていた。
「にいちゃん、いかすで」と見知らぬ女が急に声を掛けてきた。
「俺金ないから」と武は風俗店のキャッチだと思いそう答えた。
「なに寝ぼけたこといってるねん、おいら居酒屋のキャッチや」
「居酒屋?」
「ほらそこや」良子は笑顔で【北一】と暖簾(のれん)が掛かる店を人差し指で指し示した。
「ああ、居酒屋か、安いか」
「えらいサービスしますよ、よってください」と良子。
 良子にそのまま連れ込まれる格好で暖簾をくぐると、どうみてもその筋と思われる男達がぐるりカウンターを埋めていた。
「おお、良子ちゃんが客連れて来たで!」
「ほらみんな席空けんか!」
 五人のパンチパーマの男達が忙(せわ)しくお絞(しぼ)りを運んできた。
「何飲む」と良子が注文を取りにやってきた。
「おい、ここ暴力居酒屋か」と良子の耳元で囁(ささや)いた。
「暴力居酒屋ちがうで、ここはまっとうな店や」と大声で良子が答えた。
 一人の大男が行き成り近づいてきた。
「にいちゃん、えらい度胸ええな、なに暴力居酒屋、なにいちゃもんつけてけつかるねん」
「みちお、やめな客や」
 良子が男を叱責(しっせき)した。急に男は震え上がるように首を縮め、すごすごと厨房(ちゅうぼう)に消えていった。
「なに飲むねん」とあきらかに苛(いら)ついた良子が繰り返した。
「生ビールをお願いします」と武藤武は答えた。
 その後、良子は二つ生ビールを持ってくると武藤武の横に陣取り、男達を顎(あご)で使い始めると席から動かなかった。
 良子にいわれるまま酒盛りを続けた。
 気がつくと武藤武はカウンターにうつ伏せに寝てしまったらしい。横に同じようにカウンターにうつ伏せで良子が寝ていた。背中に武の背広を引っ掛けていた。
 武藤武が店内を見回すと閉店したらしく、カウンターに椅子が並べられていた。
 振り返ると入口より朝陽が差し込んでいる。
「おねさん、帰る」と武はいった。
「うん、何時?」と良子がようやく目覚め、口元の涎(よだれ)を拭(ぬぐ)う仕草(しぐさ)が幼さを感じさせた。
「会社へいくよね」
「ああ仕事にいく」
 良子は武の後ろに回ると背広を武藤武の袖に通し着せ付けた。
「あらまだ六時半じゃん」
 と良子はそういうと厨房へ向かい、
「おいら朝食作るわ、まっててな」といった。
 武は大根の葉っぱ入りの味噌汁とサンマの塩焼きで朝食を馳走(ちそう)になった。
「うまいか?」
 食事中、ずっと良子はカウンター越しに両肘(りょうひじ)をついて武を眺めていた。
 味噌汁がからいと言いたかった。
 さすがにその事を武は言えなかった。
「ああ、おいしかった。ごちそうさま」
「おねえさん、あのお勘定してください」
 と武はいった。
「昨日はうちのもんが迷惑かけたから、おいらのおごりや」
「いいよ、ここでアルバイトしているんだろう」
「おいら、ここのオーナーや」
「オーナーて?、もしかして経営者?」
「そうこの店やってるのおいらなの」

 良子十七歳、武二十五歳の出会い。
 良子は磯谷組という的屋(てきや)一家の長女であった。店で働く男達はいずれも普段的屋を生業としていた。
「良子お嬢は俺達のアイドルや」が全員口癖で、ちょっとでも客が良子に色目を使うと大抵(たいてい)ぼこぼこにしばかれていた。
 そんな調子であったので居酒屋北一の商売はさっぱりだった。どういうわけかそれから武藤武は、ほぼ毎日仕事帰りに北一に寄るようになった。いつも武はカウンターの隅に座り、一人手酌でやっているだけなのだが、非常に居心地よさを感じた。その場所が自分に予め用意された場所で、そこに座ることで一日が終わるのにふさわしいとさえ思っていた。その席から良子と客のやり取り・・・ほとんど喧嘩ごしの接客なのだが、良子や客が創り上げる賑(にぎ)やかな店内で自分だけが、東京もんという異邦人(いほうじん)が占めていても溶け込む余地があった。
 誰でも自分の場所を求める。
 それがたとえ一畳にも満たないカプセルホテルの空間であろうと、人は張り詰めた気を休めたい欲望がある。
 武藤武は居酒屋北一のカウンターに見出した。
 一年後、武へ東京帰社の辞令が下りた。
 まだ当時は会社員である。絶対的な命令だった。
「ええ、武さん転勤!」良子は驚いた表情を見せた。
「転勤というより、本社へ戻りさ」
「そうだよね、武さんの会社東京だもんね」と良子は武をじっと見つめていた。
 一年間、武と良子は常連客と店主の間柄でしかなかった。良子も恋愛対象として武を考えていなかったらしい。
 良子は『東京』という場所に恋をしていた。
 時々、良子は東京について武に尋ねた。
「それでさ、原宿の竹下通りて、渋谷のすぐ隣よね」とか「東京ディズニーランドて、千葉にあるのに、東京てどういう事」などなど、枚挙に暇がなかった。
 東京へ移動する朝、良子は新大阪駅へ見送りにやってきた。
「うちよう考えたけど、やっぱり一緒に東京についてゆくで」
「なんだって」
「だから、武と東京ものになるんや」 
 よく見ると、良子はキャスター付のボストンバッグを引っ張っていた。膝上30センチはあろう超ミニスカートに真っ赤なハイヒール、普段すっぴんの顔に珍しく真っ赤なルージュを引いていた。
 新幹線の中で弁当を食べないので尋ねてみた。
「どうした?」
「あのさ、唇」と自らの唇を指差ししている。
「わからんか、ルージュやで」
「ルージュ?」
「だからめし食ったら、剥(は)げてしまう」
「塗り直せばいいだろう」
「あほぬかすな、東京駅に着いて、東京ものに笑われたらどうするんや、なんでも最初が肝心(かんじん)なんや、一発きちときめてみなあかん」
 と結局東京までの新幹線の中で飲まず食わずを決め込んだ。
「よくお前のとうちゃん、東京行OKしたな」と尋ねた。
「家出娘に転落や!」
「ええ・・・」
「家出してきたのか」
「そ、家出してきたんや」
窓の外に富士山が見えていた。
「うち、一生懸命働くさかい、武とこいさせてな」
「それはいいけど」と武は言ってみたものの、良子と暮らせる自信がまったくなかった。
「お前、他に東京に知り合いいないのか」と聞いてみた。
 良子は人差し指を真直ぐ武に向けていた。
「ここにおるだけや」
「そうか」
「がっかりしたんか」と良子は不安そうな顔でいった。
「まあ、どうにかなるさ」と武は口癖(くちぐせ)をいった。
 かまやつひろしというシンガーがいる。
 その彼が歌った『どうにかなるさ』という曲がある。武藤武の愛唱歌だ。
 事或(あ)る事にこの曲の歌詞とメロディを思い出す。
「そや、その粋や、そのうちいい事あるで」
「なんだよ、いい事て?」
「ヒ・ミ・ツ」とルージュを引いた唇の前で指を一本立てた。
 神奈川の南部線沿いに2DKのアパートを借り、良子と暮らし始めた。
もちろん男と女である。
くっつくまでに時間は掛からなかった。
良子はアパート近くのスーパーのレジのパートを見つけてきて働き出した。
暮らし始めて三ヵ月後には美香が妊娠した。
武藤家だけを集めて暮れに祝宴と籍を入れて二人は結婚した。
良子は実家から勘当同然であった。
「おいら誰も呼べんわ、とうちゃんにだはんこいて開いてもらった店ほうりだしてきてもうた」という経緯(いきさつ)があった。
いまでも武はあの「ヒ・ミ・ツ」が何であったのか本人から聞きたかったが、とうに良子はスーパーの社長井上勝と駆け落ちしてしまっていたので、聞くことはできない。
武と美香が二人だけの時、なぜ変な関西弁で会話をするのには理由があった。
「とうちゃん、かあちゃんもうええわ、あのとうりの鉄砲玉や、おいらがこの家のおかんになったる」と小学校二年生の美香がいった時からずっと二人は関西弁で会話するようになった。二人とも生まれも育ちも生粋の東京にもかかわらず。美香は口で言わないが、子供なりに良子の代わりをしようとした。それに答える唯一の方法は武も関西弁で答える事だけだった。母親が自分を捨てていなくなった。どれだけ辛(つら)かっただろうか。女のようにめそめそする武を励ますために、気丈(きじょう)にも美香は涙することもなかった。それどころか、翌日から台所に立ち朝食の仕度を始めた。
 あれから十年経つ。
 武は時々美香に良子の面影を見出す。
 今でも狭い部屋で布団を並べて寝ている。
 武は幾度(いくど)か美香の寝言を聞いた。
『かあちゃん、もうええわ、帰ってきていいわ、許したる』

にほんブログ村 小説ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

良子のヒ・ミ・ツ

第五回小説宝石新人賞一次予選落選作品(^◇^)

     一

「さあさあ、見てらっしゃい、寄ってらっしゃい、御用とお急ぎでないお方はごゆるりとお聞きください、そこにいらっしゃる若社長に若奥様・・・見ようによってとお断り申しますが・・・」
一同爆笑の渦。
「さてさてここに取りいだしたる・・・」
 と青い半被(はっぴ)姿(すがた)のどう見ても四十過ぎ、贔屓目(ひいきめ)に見ても三十後半、脂(やに)だらけの歯茎(はぐき)をむき出しにして、というかかなりの出っ歯である。
 会議テーブルに紅白の鯨幕(くじらまく)を引っ掛け、即席の口上場に十数人の客が取り囲んでいる。
 この年の東京は観測史上最高の猛暑であった。
出っ歯の口上など聞くために立ち止まらずともさっさと炎天下の都心から目的の場所へ移動すればよいものと思うのである。
 ところが、彼らには出っ歯を取り囲む理由があった。
 会議テーブルからぶら下げられているA4用紙三枚をセロハンテープで繋ぎ合わせて作った用紙に書いている文字に彼らは釘付けになっているのである。
【エンドレスな愛のお供】
【武藤家千年、伝家の妙薬を直販】
【これで我が家は十人家族】
 出っ歯の後ろに右側から左側に頭を瓦屋根の勾配で八人の子供が並んでいる。
 赤青黄色の色とりどりのティシャツにジーンズとスカート姿、そしてスニーカーといういでたちである。
ティシャツに書いている文字が統一されていた。
「愛の伝道師」とプリントされている。
 出っ歯、出っ歯と差別用語のような気がするので、彼を本名で呼ぶ事にする。
 出っ歯こと、武藤(むとう)武(たけし)と上から呼んでも下から読んでも武藤武という男である。
 浅草の海苔を販売している会社のような名前である。
 つい最近までIT企業を渡り歩く派遣社員を生業(なりわい)としてきたが、この不況であるご他聞に漏れず派遣難民に転落してしまった。
「愛の伝道師なる軟膏(なんこう)、この頃は皆様のおかげで売切れ続出・・・なにしろ自家製のため少量生産、少量販売、ほんとうに皆様にはご苦労をお掛けいたします。我が武藤家はかの源氏の末裔、いいくにつくろうの鎌倉幕府を開闢(かいびゃく)した源氏でございます。かのご先祖様、子孫繁栄を願い古今東西の秘薬を密かに研究いたしました結果、ここに瓶詰めし軟膏の成分を子孫に書き記しここに至りました。この薬の類似に蝦蟇(がま)の油という粗悪品もございますが、これは正真正銘の愛の秘薬、後ろに控えし不肖(ふしょう)武藤武の子が証拠でございます」
 といつものように口上をやっていた分けである。
「一瓶、福沢諭吉一枚と言いたいところでございますが、この不景気、皆様の懐(ふところ)具合(ぐあい)もありましょう、日ごろのご愛顧にお答えいたしまして、【たけくらべ】の作者一枚で販売いたします。なおまとめて二瓶お買い上げ頂きましたお客様には、なんともれなくもう一瓶お付けいたします」
炎天下、武藤武の前では早くも客たちが口上の終わるのを今か今かと待ち受けていた。
なぜ客が集まるのか、客は子供を使った演出や武藤の口上などどうでもいいことだった。
 客は武藤武が手にする【愛の伝道師(でんどうし)】なるうさんくさいネーミングの軟膏を手に入れたいのだ。
 路上販売は基本許可が必要である。
露天商の免許はすでに許可が下りない、発行済みの免許を高額な金額で購入する以外手に入らない昨今である。
 さらに言うならば、身体に塗る薬なわけである。
これもまた完全な薬事法違反すれすれである。
薬の瓶に効能を記入しない売り方、入浴時にお使いくださいなどと妙なことを印刷したラベルを貼っている。
瓶といっても白いプラスチック容器に【愛の伝道師】とラベルが貼っているだけである。
 つまり武藤武は無許可路上販売プラス薬事法違反を堂々と行っているのだ。色々な法律や条令が国民や市民を守るために制定されていると思ったら大間違いだ、あれは全部企業を守るためのペテンだというのが武藤武の持論なわけで、元IT業界に席を置いていた経験を生かし、ネット上の掲示板に販売する日時と場所を案内するだけで、これだけの購入希望者が殺到する。
 いわゆるゲリラ販売を行っているのだ。
 ここに集まっている客全員、購入後、直ちにネットオークションへ出品するのを目的でやってきていた。
 この商売を始めて早三ヶ月が経過しようとしている。
もちろん、何度か警察署できついお灸を饐(す)えられたこともある、地回りの露天商から嫌がらせを受けたこともある、紆余曲折(うよきょくせつ)はあったがご先祖様の作った妙薬でこれだけの儲(もう)けを得られるとは、実際のところ武藤武は想像していなかった。
 後ろに並んでいる子供達の八人中一人を除いて全員アルバイトである。一番右側の背の高い、茶髪に野球帽を被った武藤美香以外全員がいわゆるサクラなのである。
 十年前、武藤武の妻は年下の男と家出をしたまま行方不明になっていた。
 当時美香は七歳。小学校に入ったばかりであった。
「とうちゃん、かあちゃんがまさる君を好きになったから、家をでるていってたわ」
「あいつほんまなに考えとるんや」
 残業帰りで終バスに乗ってアパートに戻ると部屋の電気も点けず美香は真っ暗な部屋の中にいた。
テレビで深夜帯のスポーツニュースを見ていた。
「とうちゃん、今日イチローヒット打ったで」
 美香は根っからの野球少女だった。
 小さい頃から武藤武に背負(せお)われ神宮球場の外野席で野次が怒号する中で育った。
だから普通の女子と少し違った夢を持っていた。
 小学、中学と野球のリトルリーグで四番ピッチャーとして大活躍した。もちろん高校へ進学して憧れの甲子園、そしてプロ野球という夢見る少女だった。
 だが、中学三年の夏に武藤武からこう告げられた。
「あのな、すまんが美香、このとおりの俺や金が無くて、お前をよう高校へ行かせんわ」
「いかれへんか・・・おいら(美香は自分のことをおいらと呼ぶ)、やっぱり股にあれないからプロ野球も行けんし・・・」
「そんなあほな事があるか、働いて社会人野球からプロ野球に進んだ選手が沢山(たくさん)いる」
「そうや古田(敦也)もトヨタからヤクルトへ入った。わかったおいらトヨタでもなんでも働いてプロに入ったるわ」
 と楽天的な美香へ中学卒業と同時に武藤武は、弁当屋のアルバイトの口を探してきた。
「野球部がない仕事、ようできんわ」
「美香、食い物商売は食いぱっぐれない仕事や、がんばるんやで」
「とうちゃん、おいらプロ野球の選手になるんや」
「わかってる、そやさかい弁当屋の配達で体力を維持せんならん、仕事もせんと家で引きこもってみろ、そげん夢かなわん」
「せんないな、わかったわ」
 あれから二年経つ、美香は黙々と都心を中心に弁当を載せた専用の車を引っ張り続けた。
 やがて店一番の売れっ子になった。
 この界隈(かいわい)で知らないサラリーマンはいない。
 それというのも美香は飛びぬけた美少女だったのだ。
『弁当屋美香ちゃん』で大変な人気者として中高年サラリーマンのアイドル的存在であった。
 噂ではファンクラブも存在するらしい。

 今年の春に武藤武は派遣切で無職になる。武藤武はとりあえず失業保険で食いつなぐ一方で就職活動を行った。だがこの不景気である。平成大恐慌と誰も言い出さないのが不思議なぐらいだ。毎日ハローワーク通いの甲斐もなく、三ヶ月ほど無為(むい)の内に過ごした。
同じ都内に家を構える親戚の家へ十数年ぶりで出かけた。
「そうか、武おまえ無職か」
 父の三人兄弟の一番上の叔父がケラケラと声を出して笑った。武藤功は三十年ぐらい農業機械部品の工場(こうば)を経営してきた。
「だからお前が大学辞めた時、俺の工場へ来いといったのを聞いてればよかったものを、今(いま)更(さら)だな」
「はあ、今更ですよね」
 と武藤武は苦笑(にがわら)いした。
 茶を給仕しに現れた武藤功(いさお)の妻、幾代(いくよ)が言い出さなければ、今こうして武藤武は【愛の伝道師】を販売していなかった。
「まあほんと、武君ご無沙汰(ぶさた)ね、それにしても困ったわね、美香ちゃんもいるし、そう美香ちゃん、働いているんだって」
「はい、弁当屋で働いています」
「美香のほうがよっぽど偉い、四十超えたいい大人が無職など・・・ほんとうに情けない」
「ええ、情けないです」
「あんたこそ、この不況で、毎日、毎日金策(きんさく)じゃない、人の事を言えないじゃない、武君、家もこんな状態なの協力してあげたいけど、ごめんね」
「ええ、わかります」
 と武藤武は叔父夫婦に頭を下げた。
 叔母もずいぶん会わない間に老けていた。
 武の結婚式以来だから十八年近く会っていない勘定だ。着古したエプロンを頭からかけ、体形を隠しているように見える。彼女は昔、親戚中で一番のスタイルを自慢するほどの美貌(びぼう)だった。
 叔母が急に思いついたように、
「あんたあれ」
 叔父は不審な顔で叔母を睨(にら)み付けた。
「あれよ」
「だから、なんだよ」叔父の堪忍(かんにん)袋(ぶくろ)の緒(お)が切れそうになった。
「薬」
 叔父はようやく思い出したようだ、叔母にうなずき返した。
「武、いいことを思い出した」
「なんでしょう」
「武藤家先祖伝来の薬がある」
「薬?」
「ああ、武藤家直系だけが受け継いできた薬だ」
「なんですかそれは?」
「子孫繁栄を願い、五百年前のご先祖様が調合した霊験(れいげん)あらたかな妙薬(みょうやく)じゃ」
「妙薬って、セックスの時の・・・」
「武君、そんなはっきり言って・・・」
 急に叔母は顔を赤らめて叔父に背を向けるように座り直した。
「そうそれ、お前ちょっとあれ持って来てくれ」
 武藤幾代は奥の仏間から何か取り出してきた。
 それは長細い色あせた桐の箱だった。
紫の平(ひら)紐(ひも)一本で閉じられていた。
叔父が紐を解き、中から菊の模様柄をあしらった巻物を取り出した。
 武はその巻物を受け取り、中をあらためた。
 達筆な字が蛇のようにのた打ち回っていた。
「読めません」
「ああ、俺もまったくだめだ」と叔父。
「その中に書かれている薬の作り方は本物だ」
「どうしてですか」
「家の子供の数を考えてみろ」
 武藤武は一瞬で理解した。
 武藤農機具販売の従業員は、全員武藤姓である。十人兄妹。長男は武より五歳上、下は武より十歳も若い娘がいる。武藤農機具販売は家族で従業員を構成していた。
 叔父が二階の寝室から運んできた瓶の中には唐辛子(とうがらし)に似た粉末が詰めてあった。
「四代前の祖先が巻物通りに作った薬だ。これを薬局で売っている白色ワセリンと混ぜると、こうなる」と叔父は、金属製の平べったい軟膏入れを開けて見せた。強烈な匂いがしていた。
「麝香(じゃこう)の匂いがきついだろう、こいつの使い方も書いてあるらしい、臍(へそ)より下三寸に塗りこめ、さらに肛門の周りに塗ると効果ある」
 叔母は真っ赤な顔で下を向いてもじもじしていた。
「もちろん女性にもきく」
「女性に・・・」
「すごいの」と幾代は下を向いたまま答えた。
 叔父と叔母の乱れ狂う姿を想像してしまい、飲み込もうとしたお茶に思わず咽(むせ)る武であった。

にほんブログ村 小説ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月21日 (月)

108物語 「セカンドラブ」

 私は誰にも知られなていない部屋を借りていた。

 前島正孝との十年におよぶ結婚生活に終止符を打った時、すぐに両親が住む静岡に戻るつもりは無かった
 都内に1DKの小さなアパートを借り、前島のマンションから身の回りの物を運び入れた。
 いざ前島のマンションから出る日、父が倒れた。
 母一人にするわけはいかないと、取るものも取らず、実家にそのまま戻った。
 総合病院の外科外来の待合室で腰を掛けるには、あまりにも固いソファーで母と二人で待っていた。
 何を待っているのか、時々不思議な疑問が沸き起こってきては、消えていった。白い壁と白い服を着た同じような格好の多くの医療従者がせわしなく、廊下を行き来していた。
 消毒のアルコールで満たされた診察室で、母と共に老齢の医師より、父についての告知を受けた。
「もって1年、延命措置を施した場合ですが・・・」
 父は『骨髄異形性症候群(MDS)』という血液の病気になっていた。
「助かるには・・・」
 母は嗚咽しながら医師に尋ねた。
「骨髄移植が必要です」
「つまり、骨髄を提供してくれる人が必要ということですか」
と私はいった。
「須藤さんは還暦を越えたばかり、まだお若い、もし適合するドナーが現れれば、生き延びる可能性もある」
 医師は黒縁のセル眼鏡を斜めにして、父のレントゲン写真を眺めていた。
『ドナー』と私は頭の中で繰り返した。
「最初に肉親の中から、適合条件にあった提供者を探します、それで適合者がいない場合、ドナーバンクから適合者を探すことになります」
 医師はなにか事務的な書類を読んでいるように説明した。
「白血球の型が合えばということになります」
 母は他人、娘の私ならば、父と適合する確立は高いと医師はいった。

 病室のベットには変わり果てた父が、軽い鼾を発て寝ていた。
 やせ細った身体が痛々しさをさらに感じさせる。
「おとうさん」
 と私は知らずのうちに、母の手を強く握り締めいていた。
 長い年月、私の中で眠っていた疑問が改めて眠りから覚めようとしていた。

 病院から実家に戻った私は、元夫に電話を入れた。
「和子か、おとうさんどうだった」
 あいもかわらず前島は私に無関心であるけど、父への哀れみかそんなふうに尋ねてきた。
「骨髄の病気、もう長くないって・・・」
 前島に父の病状を説明すると、何が悲しいのか、涙が自然と零れてきた。
 手は今にも携帯電話を握りつぶそうとしていた。
 きっと悔しいんだ、と気がついた時、別の考えが浮かんだ。
 ほんとうに、それができるのだろうか・・・?
「あなたにお願いがあるの・・・」
「なに?」
「明日、東京へ戻るわ」
 と前島和子は答えた。
 翌朝、和子は新幹線で東京へ戻ると、前島の勤務する産婦人科へ向かった。
 前島は産婦人科医である。
 応接室で夫と久しぶりに向き合うと、和子は向かいに座る男を知らないと思った。
 和子が一緒に暮らしていた男、あのマンションにしか存在していなかった。
 白衣姿の前島も写真でしか見たことはなかった。
 せめても子供でもできていればと思ったこともある。
 前島に外に女がいると気がついたのは結婚して間もなくのことだった。
 時々、出張で札幌や大阪に前島は二三日留守にすることがあった。
 前島の書斎で女からの手紙を何通か見つけた。
 読むつもりはなかった。
 明らかに女の睦言が並べられた文面だった。
 そしていつも出張にその女が同行していることも知った。
「あなたが言った、離婚の条件、私決めたわ」
 と和子は前島にいった。
「条件・・・」
 前島は明らかに警戒した表情を浮かべた。
「赤ちゃんが欲しいの・・・」
「赤ちゃん・・・」
「あなたの精子と私の卵子で、赤ちゃんを私に授けてください」
 きっと私はこれをずっと言いたかったのかもしれない、と思った。
「何を急に言い出すんだ」
 明らかに前島は怒りを表情に浮かべた。
 そんなことはどうでもいい・・・
「一切、あなたに迷惑はかけない、それが私の条件」
 と私は言い切った。
 私の決意は変わらない、私はこれから授けられる子供と共に生きて行く、それがあなたにわかって欲しい、貧しくても、悲しくても、すべて受けう入れて生きて行く、それが和子の決意。
 前島は呆然とした顔で私を見ていた。

 人工授精の処置の後、私は誰にも知られたいないあのアパートで暮らし始めた。
 前島からもそして、母からも姿を消した。
 一ヵ月後にアパートから近い産婦人科を受診した。
 妙齢の若い女医だった。
「シングルマザーになるつもり」
 真っ赤唇、明らかにレズビアンであることを隠さない、島崎まなみ女医は私を問い詰める。
「生まれた自分の子供と二人で生きる、それが問題ある」
 私は少し挑発ぎきみに彼女に答えた。
「いいわ、それはあなたが選ぶ道、でも私は勧められない」
 何を彼女が言いたいのか、和子にはその当時わからなかった。
 私の心の奥底を彼女は見え透いたのかもしれない。
 十月十日後のその日、島崎まなみにより和子は男の子を取り上げられた。
「元気な男の子よ」真っ赤な鮮血に染められたゴム手袋の向こうで、まなみはこう言った。
「白血球の型を静岡の○○病院の門松外科医師へ送り、須藤巌と適合するか確認して」
 とそう和子は言うと気絶した。

 コーヒーの匂いがした。
 狭い部屋、低い天井、ベットの横、ベビーベットに私の赤ちゃん、キッチンに島崎まなみがジーン姿にトレーナのラフな格好で、赤ちゃんのミルクを作っている。
 和子はここが自分の借りたアパートだとわかった。
 振り向いたまなみが笑顔で近づいてくる。
「ようやく気がついた?」
「ええ、どうしてここに」
 と尋ねられずにいられなかった。
「私はあなたのこと全部調べたの・・・」
「和子とまなみの興味深い共通点がわかったの、聞きたい?」
「ええ」
「同じ男に捨てられたということ、前島は私の学生時代の男」
「前島の奥さん、前島の赤ちゃん、こんな偶然があるのかしら、運命て残酷ね」
 まなみは私に顔を近づけ、唇を重ねてきた。
「同じ男に傷けられた者どうし、よかったら一緒に生きて行かない」
 和子は簡単に答えられないと思った。
 まなみは思いだしたように、
「おとうさんと白血球4/6で一致したそうよ」
「一致」
「そう、あなたの赤ちゃんはおとうさんを助けられる・・・」
 それだけで十分だった。
 和子は自分からまなみの小さな顔を捕まえ、唇を奪った。
「ここで暮らす?」
 とまなみはいった。
「私、いびきうるさいよ」
「じゃベットルームが二つ必要ね」
 と和子は自分から積極的にまなみをベットに押し倒した。

にほんブログ村 小説ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月27日 (日)

108物語 「石を積む男」

 雑踏の中、早朝の電車の混雑にもすでに辟易しなくなった。
『この鈍感な感覚はなんなんだ』
 と鈴木務は目を瞑ったまま吊革をさらに強く握り締めた。
『もう限界じゃないか』
『俺はいったい何をやっているのだ・・・』
 腐った果物の匂い達に囲まれ、その匂いに身体中が蹂躙される恐怖を、なぜ我慢するのだ・・・

 真っ白い壁、黒渕眼がねの白衣の紳士。
「鈴木さん、これでいかがでしょうか」
 私は退社後、耳鼻咽喉科を訪れていた。
「嗅覚過敏症の原因は様々ですが、鈴木さんの場合、鼻にまったく異常がありません、あなたのおしゃるように、人体から出る様々な匂いを嗅ぎ分けられる能力はある種の能力かもしれませんが・・・」
 井上耳鼻クリニックに通うようになって1年ほどになる。
 定期的に鼻の嗅上皮をレーザーで焼いてもらい、嗅覚を鈍らせてもらっている。
「苦痛はありませんか」
「いいえ大丈夫です」
 白い診察室はアルコールと医師、そして若い看護師の匂いで充満している。レーザー治療は精々三日も持てばいい、それ以上は今日の通勤列車の状態になる。
「鈴木さん、次は来週でいいですか」
 屈託のない看護師は私の予定を尋ねる。
 彼女は月経臭で満ち満ちている。
 私は女の月経臭を嗅ぎ分けられる。
『もし私が朝の通勤列車の女性専用車両に乗ったとしたら、いったいどうなるのだろう・・・』

 草臥れた顔のサラリーマンがプラットホームに疎らに立っている。
 一日を終え彼らの背広はその日を象徴する体臭がしっかりと染み出し、まるで空中をまっ黄色に染めかねない。
 もしすべての匂いに色があるとしたら、私は確実に色を識別できるだろう、たとえそれが意味のないことだとしても・・・

 数年前の秋口だっただろうか、私は上司の勧めである女性とお見合いをすることになった。白い肌、ゆったりりた頬の曲線、それと一対の胸や臀部の曲線が振袖を通して十分想像できた。婚期を迎えた女特有な匂いを放っていた。
 花々が昆虫を誘い、受粉する仕組みは生物すべての基本になっているのではないか、と私は思う。もしそれがフェロモンというホルモンの匂いだとすると神は実に匂いに特別な意味を与えたことに、私は敬意を払わざるを得ない。
 先天的あるいは後天的に、人間を含め生物は脳に匂いとその意味を解決する記憶が刷り込まれる。枚挙に暇がないが、靴下の汗が蒸れた匂いに発情する女、ゆで卵の匂いを嗅ぐと便意を催す者、鉄さびの匂いで唾液を垂らす者、車の排気ガスを嗅ぐと勃起する者、などなど、そして私は・・・

「鈴木さんは・・・」
 はにかんだ表情、纏めてはいるが十分長くその若さを象徴するつややかな髪、少し下膨れの瞼は幼さを表すが、愛らしくも私を見つめていた。
「ご趣味とか・・・」
 それだけを話すだけで精一杯だった。
「特に趣味と言えるものはありませんが、読書と映画鑑賞が休日の過ごし方ですかな」
 と私は彼女側の仲人を見た。
 明らかに私が興奮するにおいの持ち主だった。
 お見合いの和室に通された時、その仲人の中年の男は一度私を値踏みする視線を投げかけた。次の瞬間、私の鼻腔を通して鋭利な刃物が脳に刺さる感覚を覚えた。ああ忘れて久しい匂い・・・
「島崎と申します、本日はお日柄もよく、・・・」と口上を述べると、私とお見合い相手の簡単な経歴を説明した。
 お日柄がいいかは別として、私は男に『死臭』を嗅ぎ取った。
 彼自身が今どういう状態か知りえた。
 私は女などちっぽけも興味がなかった。
 いかにも健康そうな身体、病気ひとつもしたことがないという感じであった。
 見合いを終え、私は島崎と近づくために、女と付き合う旨を島崎に伝えた。
「いいお嬢さんです。私でよければ、お嬢さんにお付き合いをさせていただきたいとお伝えください」
「それはそれは、先方様もお喜びなられると思います」
 と島崎は見るからに腰の低そうに、何度もお辞儀をした。
「島崎さんの連絡先を教えてください」
 と私は名刺入れから自分の名刺を取り出し、男と名刺交換した。
『島崎土地開発株式会社 専務取締役 島崎 巌』とあった。
 なるほど私が所属する会社の下請会社の役員ということを確認して、その席を去った。

 次の日、私は島崎を誘い出した。
 どこのオフィス街にでもありそうな居酒屋の席で私はこう切り出した。
「大変失礼ですが、最近あなたの周りで死んだ人がいらっしゃるでしょう」
 と私はいった。
 しばらく島崎は私を見たまま硬直したままだった。
「なぜ・・・」
 島崎はうなだれたまま押し黙った。
「その死体の始末、私の処理させてください」
 と切り出した。
「・・・」
「島崎さんにはいっさいご迷惑は掛けません、それどころか日々の苦しみから解放してあげます」
 と私は言い切った。

 真夜中に島崎と私は島崎の会社が管理するマンションへタクシーで向かった。
 最階上の部屋の浴室にブルーシートに包まれた若い女の死体が転がされていた。
 ほろびゆく腐敗臭と白く丸々と肥えた蛆がのた打ち回り、浴室中を銀蠅が飛び回っていた。
 鼻を突く異臭に私は気が遠くなる感覚を覚えると共に、島崎を振り返り、こう言った。
「凶器はなんですか」
 島崎は浴室に近づくことなく、口をハンカチで覆ったまま怯えあがっていた。
 島崎はようやく口を開くと、
「首を・・・」
「首を手絞めた?」
 私は背広のポケットから軍手を取り出し、両手に嵌めた。
「いえ、私のベルトで・・・」
「そうですか、それはずいぶんひどいことをされる」
 私は島崎の後ろに回ると、自身のベルトを音も無くはずし、そっと島崎の首に掛けた。
「うっ」
 島崎は口を押さえていたハンカチを床に落とした。
「どうですか、苦しいですか」
 と私はさらにベルトを絞り上げ、島崎の首を締め上げた。
 さして抵抗も無く島崎は静かに床に崩れ落ちた。
 そのまま男をベルトで床を引きずり、押入れまで運んだ。
 押入れの柱と天板の間に男のズボンからベルトをはずしてかけた。
 押入れの中段まで男を持ち上げ、男の首を丸く輪を作ったベルトに通した。
 男の身体を外すと、男はそのままベルトに首をいれたまま空中にぶら下った。
「これで楽になったでしょう」
 と私は男から徐々に滲み始めた死臭でエレクチオンせずにいられなかった。
 ズボンを膝まで下ろして素早く手淫を終えると床に散らばった白き飛沫を軍手で綺麗にぬぐい終え、その場を後にした。
 帰宅の途中で私は警察に密告した。
「○○町の△△マンションの部屋から叫び声が聞こえました」
 翌日の夕刊に島崎の自殺の記事が載っていた。
『会社役員不倫相手絞殺後、自殺か』

 私の欲望は鼻腔をレーザーで焼くだけでは収まらない。
 あの時、島崎から紹介された女が今の妻、佐織だ。
 佐織は島崎の件で縁談を断られると思っていたらしい。
 私は縁を大事にする。
 沙織にも同じ匂いを見出した。

「ねぇあなた、ちょっと・・・」
 佐織が私を呼んでいた。
 私は親から譲り受けた庭付きの戸建住宅に沙織と居を構えていた。
 家のブロック塀の四隅の一つに、私は石灰の平べったい石を積んでいた。
 雨に当たると光り輝く。
 時々、一枚その石を追加する。
 理由は島崎と同じだ。
 昨日、妻の高校時代の友人が泊りがけでやってきた。
 妻の話だと一番の友人とのことだった。
 妻の寝室に盗聴器を仕掛け、夜二人の寝話を聞いた。
「沙織、かずゆきくんのこと忘れた」
「まさか、あんたこそ・・・」
「一生二人だけの秘密よ」
「ええ誓うわ」
 私にはそれで十分だった。
 妻から漂う匂い、その正体に光が見えた。
 今日、私は二枚石を積み上げるかもしれないと思った。
 ずいぶんこの石積も繰り返した。
 すでに、三十枚を超えている。

 昭和四十五年三月四日の北海タイムにこんな記事を見出した。
 『北海道道立□□高校三年の柏木和幸君は体育館で何者かに指され、出血多量により死亡
  道警は当日学校近辺の不審者の聞き込み捜査を行っている模様、清水校長は卒業間じかの不幸に同級生一度悲嘆に暮れているという談話を発表』

にほんブログ村 小説ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月13日 (日)

108物語 終わらない夜3

 俺は私立探偵、高杉晋作。
 誰もが一度は聞いた覚えのある名前だ。
 歴史上の同姓同名の男とまったく関係がない。
 俺は生まれた時から、不思議な力がある。
 一度も行ったことがない場所をあたかもそこに存在するように見る能力だ。
 人はそれを『千里眼』というらしい。
  俺は今、尾行の真っ最中である。

 尾行中の男、岩城譲二、IT関連企業グループのオーナー、35才、独身、私生活を一切公開せず。
 依頼者のマリーの兄らしいということだけが、俺に与えられた情報だ。
 今、譲二を乗せたタクシーを俺も拾ったタクシーで尾行していた。
 車は多摩丘陵、右側にゴルフ場を横目に、ずんずんと山奥へとライトをぎらつけさせながら進んだ。
 両側が切り立った崖を越えると、道幅が狭くなり、車一台分がようやく通れる幅のため、時々、駐車待機用のスペースが現れる。
 木々が鬱蒼と生い茂り、満天に広がる星々の光を遮るため、真空の中を二台のタクシーだけが存在するような錯覚に陥る。

 道の終わる場所に大きな鋼鉄製の門があった。
 両脇に同じように鋼鉄製の門柱に蔓が巻きつき、この門がずいぶんと昔から存在することを伺わせる。
 門から先へ進むとどこかで見た西洋館、その建物が都内に建つ、迎賓館に酷似している事を知る人は少ない。
 なぜなら、この場所に入れる人間は稀有なのだ。
 俺は何も知らず、こんな場所へ導かれてきた。
 その中に妖怪じみた人間がいる事もまったく知るよしも無かった。

 大理石の床が続き、湯気が立ち込める温泉プールが青白い光でライトアップされていた。
 プールの中で一匹の獣が凄い勢いで水中を進んでいた。
 その前を全裸の女三人が悲鳴を上げ、懸命に逃げ惑っていた。
 獣は水中から水しぶきを上げ、空中高く飛び上がった。
 全身を黒い剛毛で覆われ、尻から細長い黒い尾が伸びていた。
 顔もまた剛毛で覆われ、耳までも続くと見える口から伸びた舌は、胸まで垂れ下がり、絶えることなく涎を流し続けていた。
 剛毛の中から見える眼は真っ赤に光り輝いていた。
 とうとう髪の長い若いスレンダーな女の髪が獣の手に落ちた。
「きゃー」
 と女は声を上げ、股間から大量に失禁すると気絶した。
 獣の股間から垂直にそそり立った一物は正に怒髪天を突く勢いでそそり立っていた。
 それもまた黒々とした剛毛で覆われ、節くれた様子は丸太を思わせた。
 誰がみてもそのスレンダーな女に挿入などできないと思わせる長さと太さを誇っていた。
「ぎゃー」
 と獣に挿しぬかれた女は絶叫した。
 女は呑みこんだ。
 女のあそこは子供を生むことができる。
 たとえ馬のあれでも挿入できる。
 獣は立ったまま女を貫いていた。
 筋肉質の腰が上へ突き上げる度、女は口から泡を吹いていた。
 それを呆然と見とれていた、二人の女はプールの中で、知れずにお互の下の突起を擦りあっていた。
 獣に対する恐怖はいつしか、畏怖に変わった。
 そして貫かれている女の姿を見た時、女達は欲望を感じた。
 女も勃起する繊細で敏感な性器を持つ。
 大抵は少女の頃に偶然その突起から得られる喜びを知る。
 人知れず夜こっそりと楽しむ。
 勃起することも知るようになると、そこが包皮に覆われ、男のペニスと同じように皮を剥くことでもっと鋭利な喜びを得られること知る。
 男と性的な関係を結び、初めて人の口と舌で弄ばれるとその喜びで狂う。
 しかし、女同士でそこを擦りあった時に得られる喜びを知った女はされらに狂う、コリコリした突起同士の擦りあいほどしっくりいく性技はない。
 周りを包む小陰唇がお互いにぴったりと吸いあい、愛液が濡れぼそり、陰核同士が微妙にぶつかり合う、お互いに頂上を迎えるのを調整しながら、ミクロ単位で触れ合う、一気にその時を迎えると包皮から真っ赤に熟した女自身が相手の包皮めがけてぶつかり合う。
「ああ」
 プールで激しく絡み合っていた女達が痙攣したようだ。

 プールの脇で車椅子に乗った老人がこの光景を見ていた。
 膝にブランケットを掛け、両手をしっかりと膝の上で握り締めていた。
 その指は枯れ枝のように見えた。
 顔に刻まれた深い皺と褐色の肌、長髪の白髪が肩に掛かっていた。
 プールの入口に黒服を着た男が小走りに現れた。
「エトー様、お客様がおいでになったようで」
 車椅子の老人は片手を挙げた。
「新王よ、静かにしておいで」
 その声を聞いた獣は股間から女をプールに投げ捨てた。
 獣はプールから外へ出るドアを開け、闇に消えた。
 老人の後ろに回った黒服が車椅子を押し始めた。
「譲二も探偵一匹誘い出すのにずいぶん手間をかける」
 急に老人は笑い出した。
「ようやく、わしが亡くした物を取り返す時が来たようだ」
 永遠に続くかと思われる絨毯の上を車椅子が進んでいた。

 俺は譲二とともにタクシーを乗り捨て、満天の星の下で対峙した。
「探偵さん、この先へ同行してもらうよ」
 思った通り、俺は罠に嵌められたようだ。
 まだスターダストを見つけられずにいた。

 (続)

にほんブログ村 小説ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 6日 (日)

108物語 終わらない夜 2

 俺は私立探偵、高杉晋作。
 誰もが一度は聞いた覚えのある名前だ。
 歴史上の同姓同名の男とまったく関係がない。
 俺は生まれた時から、不思議な力がある。
 一度も行ったことがない場所をあたかもそこに存在するように見る能力だ。
 人はそれを『千里眼』というらしい。
  俺は今、尾行の真っ最中である。

 俺には真美と由美という女子高へ通う娘が二人いる。
 親馬鹿で申し訳がないが、二人ともかなりの美人である。
 よく二人で原宿や渋谷を歩いているとモデルのスカウトに声を掛けられる。
 10年前に別れた元妻のマンションで暮らしているが、二人とも俺の探偵事務所にやってくる。
 今では俺の貴重な助手として、勉学の合間を縫って手伝いをしているのだ。

 俺は旧式の携帯電話を取り出し、事務所に電話を入れた。
「はい、高杉私立探偵事務所です」
 真美が電話に出た。
 なんとも愛くるしい声が返ってきた。
「俺だ」
 と俺はいつものように娘に対しても、スタイルを変えない。
「先生、どこにいるのよ」
 と真美はかなり怒気を含んだ声を上げた。
 それというのも今日は彼女達らと約束した大切な日なのだ。
 17年前の今日、2月2日に彼女達は一卵性双生児として誕生した。
 つまり今日は彼女達の誕生日、そして俺は夕食の約束をしていた。
「今、誘拐犯人を追っている」
 これだけで十分である。
 真美と由美がどういう性癖であるか、さすがに父親でありながら触れられない秘密であるが、彼女達の一番の興味がなんであるのか、それだけは、はずすことがないと自負している。
『スリルとサスペンス』
 このキーワードほど彼女達を興奮させるものはない。
「ええ、誘拐事件、犯人を尾行中なのね」
 明らかに、興奮した声がした。
「パパ今どこ」
 受話器を奪った由美が電話を変わったらしい。
「それより、渋谷のプラザホテルの712号室へ急いでくれ、そこに秋元祐樹が縛られたままベットにいるはずだ」
「ええ、あの失踪した秋元祐樹・・・」
 絶叫したように聞こえた。
「ええ、祐樹・・・」
 受話器を通して、真美の叫びが聞こえた。
「今日は特別に俺が許す、例の力を使って急いでくれ」
 と俺は言ったが、彼女達はたぶん俺に許しを得ずとも、例の力を使うのだろうと思った。
「わかったわ、先生、犯人捕まえてね」
 と由美は言うやいなや受話器を激しく電話機へ叩きつけたらしい。
 その後、彼女達が何を始めるのか一瞬想像してしまった。
 娘二人の姿態を想像する情けない父親なのである。

 その頃、高杉私立探偵事務所の応接の長椅子で真美と由美は熱い口付けを交わしていた。
「誘拐事件、秋元祐樹」とどちらの口からも漏れる。
 セラー服姿の二人はスカートをお互い巻くり上げ、お揃いのピンクのティーバックのフロントのわずかな布の横から指を入れあっていた。
「ああ、硬く勃起しているわ」
 熱い息が由美の耳にかかる。
「まだよ、まだよ、あわせて」
 と真美が切なく小さな声で囁く。
「ああ、だめ真美・・」
「いいわ、私も・・・」
「ああ」
 と同時に叫んだ。
 その瞬間、真美と由美を包むように光が輝いた。
 そして光が徐々に薄れ、二人の姿が長椅子から消え失せた。
 真美と由美はテレポーテーションの超能力がある。
 その力を発現するためには二人で協力し合わなければならない。
 父親からは硬く禁じられている。
 真美と由美はレズっこである。
 それぞれ彼女がいるが、彼女とエッチをしてもこの能力は発現しない。
 つまり姉妹でエッチした時だけ、テレポートできるのだ。

 秋元祐樹は身体をきつくロープで縛られ、口にタオルを噛まされたままベットに横たわっていた。
 超ミニスカートから伸びた美脚の踝に痛々しくロープで締め上げられ赤い蚯蚓《みみず》腫れが妖《なまめ》しかった。
 眼は空ろで、今自分の置かれている境遇を恨めしげに視点の定まらないままであった。
 その眼に突然、炎が揺らめいた。
 次の瞬間、セーラ服姿の女子高生が忽然と床の中かから飛び出してきた。
『ええ』と祐樹は驚いて声を上げたが、猿轡《さるぐつわ》を噛まさせていたので声にはならなかった。
 眼を凝らすと女子高生はお互いのスカートの中をまさぐっている。
 熱い吐息を吐いて、お互いの唇を求め合っていた。
 秋元は恐怖を感じた後、状況を理解できないで身悶えた。
 床でちょっとの間、余韻を楽しんだ女子高生達は、ようやく立ち上がり身づくろいを正すと、祐樹のベットに近づいてきた。
「だいじょぶですか」
 とそっくりな顔をしたかわいい顔の一人が尋ねてきた。
 祐樹は事態を飲み込めないでいたが、声を上げようと必死で叫んだ。
『た・す・け・て』
 真美と由美は、祐樹を縛り上げているロープを悪戦苦闘の後、解いた。
 祐樹は二人に抱きかかえられて、起き上がり、ようやく猿轡をはずしてもらった。
「ありがとう・・・」
 祐樹は涙声で感謝した。
「秋元祐樹さんですよね」
 と由美。
「ええ、祐樹です」
「早くここから安全なところへ・・」
 と真美はいった。
 もちろん祐樹は早く逃げたかった。
 だが、彼女は一つの疑問を持っていた。
「あなたたち、どこから来たの」
 当然の質問である。
 ましてエッチをしていたまま忽然と現れた。
 祐樹でなくても聞きたくなる。
「高杉私立探偵事務所の高杉真美と由美です」
 と真美と由美は同時に答えた。
「高杉私立探偵事務所?」
「ええ、先生からあなたを助けるように指示がありました」
 祐樹はすこしずつ恐怖から開放されると、さきほどの二人の姿態を思い出していた。
 マスコミには知られていない、祐樹の秘密、それは祐樹もレズっこだった。
『このふたりをペットにしたい』
 と祐樹は自分の欲望を必死に堪えていた。
「私、祐樹さん好きよ」
 と真美が長い祐樹の右脚を摩ってきた。
『だめよ』と祐樹は声を発っしそうになったが、できなかった。
 三人がプラザホテルを出たのがそれから三時間後ということを高杉は報告を受けていなかった。

 男は多摩センターで小田急の乗り換え、終点の唐木田駅で下車した。
 駅前で客待ちのタクシーを拾い乗り込んだ。
 俺も一台タクシーを捕まえ、
「前のタクシーを尾行してくれ」
 と言った。
「お、刑事さんですか」
 俺はしかたなそうに、背広の内ポケットから、偽の警察手帳を取り出した。
「こりゃすげ・・・」
 と運転手は急に車のスピードを上げた。
「おい、君近づきすぎだよ」
「おっと、すいません」
 車は尾行する男を乗せた車と並走していた。
 俺は後部座席のギャングスタイルの男を確認するため、何気なさを装い、視線を向けた。
 なんと男は窓越しにピースサインを出して微笑んでいた。
『くそ、あいつは最初から俺が付ける事を知っていたな・・・』
 と俺は罠に嵌《はま》った獣のような気分に陥った。
 あのメイド姿の女は最初から俺をこの罠に陥れるための仕掛けの一つなのか、そんなことを考えながら、俺はなすすべもなく奴の車に従った。

 窓から注ぐ星々に俺は思わず、星に願いのフレーズを口笛で繰り返した。
 まだスターダストは確認できないでいた。

 (続)

にほんブログ村 小説ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧