生きる

2007年7月28日 (土)

たまに仕事さぼうろうぜ その14

Nec_0004 この銅像は1970年.3月6日に誕生し数々の伝説を生んだハイセイコー号です。北海道は道の駅新冠町のレコード館の入口にあります。1972年7月12日大井競馬場でデビューしました。地方競馬場で6連勝しました。その勝ち方があまりにずば抜けていたために中央競馬へ進出することになりました。初レースから10連勝という驚異的な勝ち方であっという間に人気馬になりました。今は同じ新冠町の明和牧場に墓があります。墓碑に「偉大なる名馬、ここに眠る」とあります。彼は転戦に継ぐ転戦中、何を考えていたのでしょう。生涯のライバル馬タケホープ号との激闘の歴史、引退の最終レース(1974年12月15日有馬記念)で初めて君はタケホープに一矢酬いたのだね。わずか4年間で君のレースは終わったけれど何かとても大切なものを君から頂いた気がしてなりません。走ることがただ好きだったんだよね。

Nec_0008 親子のサラブレッドの写真です。写メではちょっと小さくて見えないかもしれません。子馬が二頭います。ハイセイコーもきっとあの世で親子でいまだに駆けています。

Nec_0003 ジンギスカンです。この頃はこの丸いジンギスカン鍋も都内でもありますが、やはり本場、北海道は一工夫ありますね。ラムタンやラムソーセージも以外にいけます。ジンギスカンの食べ方も味付けとこの写真のように生をそのまま焼いて食べる二種類が主流です。ととしは生でかつ「ベルのジンギスカンのたれ」がベストですが、まず置いている店はないね。北海道の家庭では自宅で食べます。だから大抵のフードショップには「ベルのたれ」があるよ。醤油ベースのシンプルな味がいいな。これとビールが実にあうんだね。北海道のアサヒビールの工場付属のビール園はだいたいジンギスカンでビールをやるのが当たり前なのです。(もちサッポロさんもだよ)このジンギスカンて北海道発と長野で言ったら、長野が発祥の地なんて言う人もいました。詳細は別として、うまいもんはうまいのです。ちなみにこの店のオーナに「アイスあります」とのぼり立てなよて提案しました。メニューの最後にさりげなくデザートで生乳のアイスが載っていました。まず気が付かないね。油っぽい料理の後のアイスがまたいいんだね。(薄野羊屋:札幌中央区南8条西3丁目)

Nec_0002 札幌のススキノを流れる鴨々川(かもかもがわ)の鯉です。朝方(AM5時頃)すごいバシャバシャと音が聞こえるので覗いてみました。岸辺を飛んでいる藪蚊《やぶか》を狙ってジャンプしていました。写メではごらんのとおりはっきり見えないのですが、陸に上って川まで戻る鯉がたくさんいます。ほんとうに鯉の滝昇りてあるんだと実感したのでした。すごい迫力です。こんな繁華街の中にも自然があると実感したのです。

Nec_0001 新千歳空港の出発ロビーからの写メです。駆け足の二泊三日で北海道へ行ってきました。色々と渡世の義理事ともうしましょうか。ついでに夏休みしてきました。札幌からレンタカーで日高へいったりなんて感じです。でもやっぱ夜はススキノですね。今が北海道は最高です。毎日、マイカ(するめイカ)食ってました。イカそうめんを熱いどんぶり飯の上にのせ、生姜醤油《しょうがしょうゆ》でやると「ああ北海道を食っちまった」て感じになります。安くてうまい。一押し(^◇^)

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2007年4月15日 (日)

たまに仕事さぼろうぜ その13

Nec_0022 今日は椎《しい》の木さんのお話です。

「私もずいぶんと生かさせていただきました。
今年も桜さんの枝ぶりも艶やかに咲きほこっているね。
おや、そこいくアリさん達どこへ行きなさる」

「えーとさ、この病院がなくなるんだって」
「へ、知らなかった」
「私がまだ小さかった頃からあるんだよ」
「椎の木さんて幾つだい」
「私かい、そうだねもう百十二歳ぐらいだろう」
「長生きだね、全然そう見えないよ」
「ありがとうよ」
「でもどうして、止めるんだろう」
「さあ、人間様の事情てやつだろう」
「そうかい、私はどうなるんだろうね・・」
「そういえば、池のハクビシンさんも行くところがないて」
「ああ、鼬《いたち》さんかい」
「あれも、親の代から住みついているんだけどね」

そこへ一人の老婆が桜を眺めながら椎の木の前までやってきました。

『おやまたあんたかい、あんたが麻疹《はしか》や、お産の度に、私の前に来るね・・』
『あんたも百歳はこえたよね、こうしてあんたにもあと何回会えるだろうね』
『たくさんの人が病気や怪我でここにやってきたのにね、病気や怪我になったらどうしたらいいのかね・・』

Nec_0018 『あんたの通う病院がなくなっちまうね、もうそろそろこの世から去るんだろうから、この病院から逝きたかったろうに・・』

『女学生の時は、いつも私の前で恋文なんか読んでいたね、そういえば、あんたここで働いていたね、あれはいつの頃だったかね、看護婦さんだったんだね、ずいぶんと昔のことだ』

Nec_0019_1  『今の東京知事さんはオリンピックを誘致しているんだってね。
前のオリンピックも賑やかだったけど、それより人の命を守るほうがよっぽど大切なのに、財政とかそんな事情で病院を止めるのはずいぶんと情けない話だね・・』

『あんなにたくさん都職員がバスに乗ってやってきたのにね、今年でバスも来なくなってしまったし』

『大都会東京の青山の一等地に病院はもう余っているのかね・・』

Nec_0015_1 『喜びと悲しみのたくさん詰まった思いでもこうして幕を閉じるんだね私がどこかへ行くのはいいことだけれど、あんたにとってはたった一つの病院だよね』

『毎日、悲喜こもごもの出会いと別れがありました』
『ここで一生懸命に働いてきた多くの人々がいました』
『ありがとう・・』

平成19年12月31日をもって東京都職員共済病院 青山病院は閉院します。

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2007年2月 4日 (日)

たまに仕事さぼろうぜ その11

Nec_0048_3 ぺこちゃんが今弱ってます。永遠のヒロインペコちゃんの復活を心からお祈りしています

 

 

Nec_0047_1 「恋愛小説依存症候群」の資料として購入したフロイトなどの本です。精神て奥深いですよね、きっとあまり読まないでブックオフ行きかな(^◇^)

 

 

 

Nec_0046_2 入門書から始めますか(^◇^)ケケ

 

 

Nec_0045_1 やっぱととしはこういうのが スキ スキ「少女セクト」1、2巻ももれなく買ってしまったのです。日曜の午後はまったりと脳のエンドルフィンを刺激しましょうか

 

てなわけで、硬い煎餅を食べていて、一緒に前歯の差し歯を飲み込んでしまいました。

歯医者が嫌いです。

けどしかたかないか、日曜日もやってるとこあったけ(-_-;)

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2007年1月 3日 (水)

さよならだけが人生か その12

 夕闇迫る北海道積丹岩内の上空を垂直離陸可能なハリヤーが爆音を上げ、低空飛行で現れた。
 ほとんど海面すれすれを飛行してきた。
 北部航空方面隊の第29警戒隊、奥尻島にあるレーダーがこの辺では一番近い、このレーダー波の下を掻い潜ってきたことになる。
 「エトー様、目標を補足」
 エトーは巨大空母の作戦室にいた。
 戦闘空母というが世界でこの空母を保有しているのは、米国と仏蘭西ぐらいだ。かの旧ソ連でさえ建造費のあまりの高額なために建造を断念した。ビッグEといわれるエンタープライズが1961年から就航していることを知っている人はあまりいない、もちろんその間、何度かの再装備化が行われ現役として任務についている。
 飛行甲板にE=mc2とペイントされている。
 まさに原子力船として核が放出するエネルギーを源として無限の航海が可能だ。
 エトーの乗艦する空母にも五千人を超える人間が勤務している。
 この空母がどこで作られ、なぜ公海上を大手を振って航海できるのか、世界には暗黙の了解がある。
 米国にもいくつもの触れられない暗部がある。
 エトーはそれを握っている。
 世界中の秘密を握ってきた。
 時の権力者を脅し、そして透かした。ある時は権力を与えた。
 日本の企業群も彼の意思なしにはその経済活動さえままならない。
 米国の一人勝ちにさせたのもエトーの意思が働いた。
 もちろん人間も刻々と進化してきた。
 中国がそのいい例だ。
 米国にとって変ろうとしている。
 しかし、それは不可能だ。
 エトーがバックにいない。
 エトーは二日前ぐらいから酷い眩暈《めまい》を覚えるようになった。エトーに睡眠は不要だ。ただ横になって瞑想する。世界中の景色を想像するだけであたかもそこにいるが如く見る能力がある。透視能力(クレヤボヤンス)の一種なのかもしれない、リアルタイムに監視カメラのように感ずる。その能力を妨害する力が働いている。それはどこからくるのか? 日本に近づいてから特に激しくなった。それは、青い光に覆われていた。エトーが見ることのできない物、この地球上に存在するとは思えない。

 永村隆と塚本一之は夕闇の中をジープで疾走していた。
「永村さん、ほんとうにここにえりはいるのか」
 永村には確信があった。
 永村は小さい時から夢でよく見る風景があった。
 それが彼が生まれた時からインプットされたものなのか。
 潜在意識に刷り込みされた記憶なのか、それはわからない。
 永村は東京に戻る飛行機の中で睡魔に襲われた。
 その睡眠中にまたあの風景が夢に現れた。
 海が見える。長い半島のような岬が突き出している。
 その風景がどこなのか、意識せずに探していたのかも知れない。
 塚本に話す気はなかった。
 永村は無駄な話をする男ではない。
 しかしこの時、塚本に夢の話を語った。
「不思議だ」塚本が言った。
「俺もその夢をよく見る」
 永村は一瞬、塚本の顔を穴の開くほど眺めた。
「そこは北海道にある」
 塚本一之はそう言った。
「俺の所属するプロレス団体が札幌で興行がある時、実はその風景がある場所で民宿を借りて、合宿する」
「どこだ」
「神威岬《かむいみさき》」
 『神威』は和人が『神』を当て字にしたものだが、意味するところは熊などの猛禽類が棲む場所を意味する。人里から離れた場所を意味することが多い。アイヌにとっては獲物が多い、神山(カムイシリ)をそう呼ぶ。
「俺はそこに行った時、驚いた。夢と同じ風景が存在した」
 永村隆は詳細にその風景を説明した。
「まったく同じだ」
 塚本一之は念を押した。
 羽田からそのまま二人は新千歳空港へ向かった。
 永村の所属する組織に連絡を取った。
 新千歳空港にジープを用意させた。
 道央道から札樽道をアクセルの踏めるだけ踏んだ。
 余市からシャコタンブルーの海岸線を右手に神威岬へ向けて疾走していた。

 「オンザ様」
 夕闇迫る岬の研究施設の外で、間久部と塚本えりは上空に出現したハリヤーを眺めていた。
 間久部は顔の皮膚を剥がすような動作をした。
 一瞬にして甲冑を着た中世の騎士が現れた。
「ドラゴンの騎士ロック、お帰りなさい」
 塚本えりの目は緑に輝いていた。
 ロックと呼ばれた甲冑の騎士は腰から大刀を引き抜くと、天上目掛けて差し出した。
「吹けよ風よ、吹けよこの地上に」
 その途端、俄《にわ》かに辺りが暗黒に包まれた。
 天上から稲妻と雷鳴が轟きだした。次々と稲妻が海へ落雷する。
 息つく間もなく激しい大粒の雨が地上を襲った。

 ハリヤーに装着されたカメラから送られた映像がモニターに映し出されていた。ドラゴンの騎士と塚本えりが映し出されている。
 エトーは違うと思った。あの女は間違いなく捜し求めてきた者だ。
 しかし、この眩暈を引き起こしている別の力が刻一刻と近づいてきている。『なんだ、何者だ』
 エトーの身体が赤く輝き出していた。
 エトーはふと自分の手を見た。
 鱗が手の甲を見る見る覆い出していた。
「うぐぐ」
 エトーはかって経験したことのない苦痛に襲われていた。

 ドラゴンの騎士の横で、塚本えりは地面に倒れ、のたうち回っていた。緑の光で覆われた瞬間、原始生物の原型となった翼竜、『緑のドラゴン』が翼を広げ横たわっていた。

「ロック、オリント以外のオーラーを感じます。悲しみで覆われたオーラー」
「オンザ様、それは」

 夕闇を切り裂くように、ジープから放たれたヘッドライトのハロゲンランプの明かりが変身した二人に照射された。

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2007年1月 2日 (火)

たまに仕事さぼろうぜ その10

初詣(元朝参)

Nec_0036 明治神宮へ初詣にいって参りました。しかし、すごい行列でした。午後2時半頃、JR原宿駅を降り立った私がお賽銭を献上してお参りを完了したのは午後5時半でした。おお、なんて首都圏に住む方は我慢強いのか、寒風の中、立ちっぱなしで初詣をする忍耐力、恐るべし(ビシバシ) 例によって不謹慎なととしはお神酒、熱燗二合とフランクフルト二本を食べてから並びました。そんなこんなで私の前で「きゃはきゃは」と笑い捲くっていた赤ちゃんです。「あんたが一番」ということで写メさせていただきました。「まだ上げそめし前髪の...」島崎藤村の「初恋」でしたか...ちょんまげが似合っています。お包みのキティちゃんも似合ってます。それにしても、今時の女の子は黒いブーツに茶髪で、後ろから見たら区別がつかないんですけど..昔、ととしが学生の頃、はやった学ランに徳長(長靴)みたいに見えるよ..

Nec_0037 右は韓国からの留学生、左は台湾からの留学生とのことです。例によって、誰にも愛想を振りまくととしは横浜元町からきたおばちゃんとお孫(男)さんと並んでいる間、三時間もお話しておりました。お孫さんさんは渋谷の音楽の専門学校に通っているとのこと、ミュージシャンを目指しているそうです。そのお孫さんが軟派してたのが、右の女の子です。19歳、韓国語、日本語、英語、スペイン語に堪能な彼女は二年ほど米国に留学していたそうです。残念ながら「日本のボーイフレンドがいます」と振られていました。あまり長時間並ぶので二人は途中で帰るとのこと、例によってととしは「じゃ飯食いにいきますか」とまんまと軟派に成功と思いきや、くだんのおばちゃんに「並んでこそご利益があるんだよ」と説得され、泣く泣く彼女等と別れたのです。ちなみに、左の女の子は明日から米国へ留学するそうです。お前等いいとこのお嬢さんだな。

Nec_0030 そんなこんなで明るかった付近もごらんの通り、暗くなってしまいました。名古屋から来ていたおじさんは、この後、靖国神社、伊勢神宮なんか回るそうです。すごいや、お宮参りを趣味にしている人もいるんだ..

ととしは明治神宮で充分という感想です。たぶん来年は来ないね..

そこで一句

「初詣 一日かかる 明治神宮」 字あまり おそまつ

今年も宜しく

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2006年12月24日 (日)

たまに仕事さぼろうぜ その9

聖夜に

Nec_0012 30年の年月を超えてやった来た二人のお嬢さんです。一人はクラッシクギター(YAMAHA C-180)、ワンオーナーのため非常にきれいなボディーをしております。左の傷だらけでかなりネックが順そりされてる方はフォーク全盛時代に生まれた一品です。(YAMAHA FG-202B) ともにヤフオクで4、000円で身売りされて私の元へ宅急便でやってまいりました。値段はとてもリーズナブルですが、新しい弦、ギタースタンド、ギターワックスなどなど購入するとなかなかの出費です。今、メンテナンス中です。今日はとりあえず、C-180のほうのボディー側のコマをやすりで削って弦高を調整してなんとか弾けるとこまでもっていきました。FG-202Bのほうのボトルの調整用の金具が旧式のため六角レンチでは合わないので、未調整のままです。いづれにしてもネックのアイロンに出す必要がありそうです。う~、安物買いの銭失い..いいえとんでもない、彼女等は私に出会うために生まれてきたのです。どんな声で泣くのか、泣かぬのなら、泣かしてみよう...てわけで、C-180でビートルズのAnd I Love Herをやってみました。結構な音がでます。

Nec_0015 変な領収書みたいな紙ですが、ロト6の当選金の引き換えの明細書です。この年の夏、せっせと毎週購入して、クリスマスイブに引き換えるのだ!と温存してきた結果表です。なんと、13回購入の当選5回、結果15、600円をゲットしました。(購入金額は1万円以下です)ちょっとしたクリスマスプレゼントになりました。どこかにいらっしゃるサンタクロースさん「ありごとうございます」、まあ先日、入院中に知り合った友人の外泊の際に、二ヶ月女体に触っていないということで、ピンサロ(やっちゃん経営の妖しい店)でおごった分が戻ってきただけなのかもしれません。もち本番で抜かしてもらったのは言うまでもありません。その間、私といえば真っ暗な中、店長と二人でウーロンハイを飲んで昔話を色々拝聴いたしました。「今、ぼったら終わりだよ」昔川崎で店をやっていたそうです。う~この道40年の店長さん、やっぱあんたただものじゃない!!

Nec_0014  先日行った文京シビックホールの第九のコンサート前のステージです。クラシックのコンサートなど行くことがないと思っていた私ですが、お師匠様の奥方と娘さん二人が合唱に出演するというので出かけてまいったしだいです。だいたい第九が第四楽章から構成され、第三楽章になるまで唄がないとは、初めて知りました。う~ん、驚きというかすごい、まあロックやフォークのコンサートは数知れずいった私ですが、レインボー、エリッククラプトン、ジェフベック、クイーン...、クラシックはこんなに緊張するだと体験いたしました。後で、お師匠の奥方からの話によると一年間も練習しているとのお話です。おお、たった20分ぐらいの合唱のために、う~ん、泣けるお話です。いづれにしても「最初で最期の第九でしょう」

Nec_0013_1 お師匠様と奥方です。コンサート終了後にロビーにて撮りました。一男二女に恵まれた二人ですが、お師匠は絶対助からないという大病をしたそうです。奥方も癌に蝕まれたそうです。ほんとうは、ふたりとも今世にいなかったかもしれません。私とこうして出会う偶然をいただき、ほんとうにどこかにいらっしゃる○○さま「ありがとうございます」 この後、居酒屋で騒いだのは言うまでもありません。

お師匠のお言葉 「みんな生かされているです」 最敬礼(T_T)

私からのクリスマスプレゼント

「一人はみんなのために みんなは一人のために」

Have a nice X'mas.

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2006年12月17日 (日)

たまに仕事さぼろうぜ その8

失ったもの得たもの

Nec_0007 建設中の有楽町再開発ビルの現在の最上階(21階)から東京駅方面の写真です。右手にちょこっと交通会館が見えてます。蛇のように長く新幹線が東京駅の構内へ吸い込まれていく様子です。一般の方は勿論、入場できない場所です。ヘルメットに安全帯を装着して、建設用のエレベータであがります。まったく違う業界の人と出会う偶然もありかなと思うしだいです。2006年は色々あった年です。一番の大きな出来事は長年、使い慣れた右足の親指を失ったことでしょうか。酒池肉林の結果といえばそれまでですが、せっかく親にいただいた身体の一部を失ってしまう親不孝ほど身に沁みることはありません。

Nec_0002 最上階で作業されている方です。鉄骨に取り付けるプラットホームの切断を行っておりました。普段まったく違う世界(社会)で暮らす、私にとってすごく未知の世界です。都会のビルがどのように出来上がっているのか目の当たりにすることはなかなかありません。このビル、上へどんどん建設するのと同時になんと、どんどん地下へも建設しているという工法で作っています。ピンときますか?このビルはなんと空中に浮いてる?日本の技術力はすごい、やっぱり土木の竹中工務店だなと思うしだいです。もちろんJV(ジョイントベンチャー)なので頭の会社は違うのですが、この建設を支える技術は下請けの総合力の賜物と思うしだいです。

Nec_0001 建設資材をあげるタワークレーンです。まじかで見てその巨大さにあっとうされます400tの揚力があるそうです。有楽町再開発ビルにはこれが2機あります。とても写メできるような被写体ではありません。広角レンズが必要です。このクレーンも上へ上へとビルが伸びるに従い、上へ上へと上がっていくそうです。タワーの円筒にはオペレーター専用のエレベーターがあるということでした。

Nec_0003 煎餅好きの私のお師匠様です。入院中に知り合った方です。今回、この現場に入れたのもこの方のおかげです。バイク乗りのギターリストという不思議な現場代理人です。このような方と知己を得たのは不思議な出会いと本当に神様に感謝、感謝です。今日、お師匠から伝授を受けるためアコギをオクションで2本買ってしまいました。日光まで「アルハンブラ宮殿の思い出」習いに行きますよ。そのかわりパソコンがんがん教えます。12月21日の第九の演奏会のチケットありがとうございます。すごく楽しみにしています。

「ここから下を歩いている人間を見るとまったく蟻んこみたいに見えるけど、人間てすごい存在だよ」お師匠の言葉です。うん、含蓄のあるお言葉。

こんな世界で「生きる」て一人じゃないんですよね。色んな人から成り立っている。そう実感した土曜日でした。

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2006年12月 4日 (月)

さよならだけが人生か その11

 間久部は睡眠剤で眠らせた塚本えりを無菌室のガラス越しに眺めていた。
 この未知の生命体との出会いは偶然ではない。
 『古事記』の語り部の稗田阿礼による口承の記録に、海神の娘がヤヒロワニに変身するという筋立がある。この場合のヤヒロワニとは『龍』を表す。また、『日本書紀』にもトヨタマヒメが『龍』に変身したという記述がある。
 つまり、古代日本に人間から別の生物へ変身するのを見かけ、または、その類の物の怪の出現が記録されている。このような怪異な現象はずっと歴史の中で隠蔽されてきた。
 時の権力者達によって秘匿され続けてきた。 
 人間を一瞬で滅ぼしかねない強力な力を持った生物『龍』を支配下に置くことは、この世界を支配することと同じなのだ。
 この無邪気に手術用ベットに眠る若い女のどこにその力の源があるのか、間久部はあらゆる研究機関から優秀な人材を集め、この施設で塚本えりの生体を研究してきた。
 しかし、調査の結果は普通の人間と違いがなかった。
 それではこの実験体を市中で生活させる。
 そして、再び変身を起こさせる。
 そこまでの計画はよかった。
 そこでどうなったのか、塚本えりは極道集団に浚われ、南海の島で変身を遂げた。
 危うく実験体を失いかけたが、どうにか取り戻せた。
 しかし、間久部は今、自分が危機に直面していることを感じていた。 二つの機関から追われている。
 一つはこの日本政府の別の機関、それは戦後から続く米国の日本駐在機関、日本国内で米国への反旗を翻すのを常に監視し続けている。日本人によって日本人を監視するという特異な組織だ。その素性は知られていない。ただ、米国大領からの直接の命令で行動するといわれている。日本の戦後政治の暗部に常に彼らが行動し、実践したとその筋では囁《ささや》かれている。
 もう一つが『エトー』といわれる謎の人物が君臨する組織だ。
 この組織も謎に包まれている。
 その巨大な力は米国と戦争すら可能とまでいわれている。
 間久部は絶対絶命に追い込まれていた。
 たぶんこの二つの組織を敵に回して逃げ延びるのは不可能だろう。
 時間は限られている。
 自分の居場所など当に知られているに違いない。
 塚本えりを人質にしてこの場を逃げる方法も考えた。
 しかし、しょせん一時的な逃亡だ。奴等は地の果てまで追いかけてくるに違いない。
『俺もここまでか』間久部の心に諦めに似た気持ちが浮かんだ。
『なにが悲しいの』突然、間久部の脳裏に女の声が響いてきた。
『ああ、幻聴を聞くようでは』間久部は懐からリボルバーを取り出した。あの女も始末する。そして、俺も最期にしよう。全部無かったことだ。『今、空に二つの鳥が現れます』また、女の声だ。
『私は昔、オンザといわれていました』
『オンザ』間久部は、全裸の塚本えりの腹から緑の光が出ているに気がついた。
 その光は無菌室を満たし、とても安らかな気持ちを与える輝きを放っていた。
「おい、ここを開けろ」間久部は無菌室の外にいる研究員にどなり散らした。
 飛び込むように間久部は無菌室に駆けいると、緑輝くベットへしがみ付いた。
「お前は何者だ」
 今、すべてがわかる間久部はそう感じた。何がわかるのか自分でもわからない、不思議な感覚だ。
『オンザはこの世界を作った片割れ』
『今、世界は滅びようとしています』
「滅びる?」
『貴方はかっての記憶を忘れた、私の僕《しもべ》、ロックです』
「ロック」
『人間の時間では50万年を超える昔です』
「50万年」
『エトーと私はこの世界を作った』
『エトーは私の主人であった者』
『彼は眠ることを拒んだ』
「エトー」
『彼は自分の名前すら忘れてしまった』
『彼がこの世界の調和を乱し、そしてまた滅亡へ進んでいる』
「滅亡?」
『彼はもう限界に来ています』
『私を探し続けてここまで来ました』
『彼の名はオリント』
『私は彼の苦しみを解放しましょう』
『貴方は昔のように、私に協力してください』
 オンザの放つ緑光からひつ粒の緑玉が弾けた。
 一瞬後、それが間久部の口から腹へ進入したのを感じた。
 激しい痛みが伴った。辺りが真っ暗闇に覆われた。
 いくつもの原始生物が自分の周りをぐるぐると駆け巡り、
あらゆる生物の進化の過程を具《つぶさ》に体験した。
 その場面にはオンザもいた。見知らぬ若者もいた。その若者が、エトーことオリントだろう。
 一週間あまりの間にガス状だった惑星が球体になり、激しい雷鳴とスコールが地表を襲った。見る見るうちに青く輝く球体になった。
 オンザとオリントが言い争うのを目撃した。
 オリントはオンザの静止を振り切って、地上へ向かった。
 赤く輝く龍の姿をしていた。
 オンザの放った稲妻に当たり、激しい勢いで落下していった。
 間久部もその後を追った。
 しかし、記憶はそこまでだ。
 何代も繰り返し生まれ変わっている間に記憶がぼやけたのだ。
『私はいつもお前の傍にいた』
 オンザの放つ光はいつしか塚本えりの全身を覆っていた。
 そして、ベットに全裸で起立する女は、かってオンザであった女性へと変身を遂げていた。
 完璧なプロポーションを持つ女性、ミロのビーナスを彷彿させる容姿だった。
 施設の緊急サイレンがけたたましい音を鳴り響かせた。

「オンザ様、最期の戦いの始まりです」
 オンザを従えて、間久部ことロックは無菌室から、このとても長い年月からのお別れに向かった。
 

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2006年11月14日 (火)

さよならだけが人生か その10

 世界がまだ幼い頃、エトーはある日、目覚めた。
 緑に覆われた平原が続き、花々が咲き乱れる。
 小川のせせらぎが優しく流れ、さわやかな風が心地よい。
 自分がどこからやって来て、どこに行くのか、そんなことも考える必要のない時代だった。
 恐竜が支配する時代が終わり、哺乳類がそれにとって変わるまでの長い間、エトーはなぜこの世の中に自分だけが一人ぼっちなのか悩み続けた。あらゆる動物、植物には、必ずペアの性別が存在する。もちろん、雌雄同体の場合もある。しかし、エトーには相手となる性をもつものが存在しなかった。
 年月が流れた。エトーはあらゆる生物を解剖し、また交配させ始めた。動物、植物、はては細菌類まで交配させ続けた。
 エトーはまったく歳をとることはない。また、病気にもならない身体を持っていた。地上に存在する唯一だった。
 ねずみが植物を大量に食らい、大発生した。しかし、ねずみは知能が低すぎた。エトーはそれにすぐ気がついた。魚類が巨大な身体を持つことに着目した。それに比較して哺乳類のねずみは身体の割りに脳が大きい。
 原種のねずみから魚類との掛け合わせ、鮫が誕生した。
 鯨まで繋がる種が誕生した。
 数万年が経過した。
 鮫から地上へ上がるために、呼吸器の改造が行われた。
 鰐やトカゲのように魚類へ先祖帰りする種も誕生した。
 エトーと同じ、長い四肢を持つ動物、狼の祖先が誕生するまでにどれだけの新しい種が誕生したことだろうか。エトーの関わらない種へ続きまた滅んだ種もある。
 チベット高原で類人猿の祖先と出会うまでに、さらに数万が必要だった。
 両腕をぶら下げ、両足だけで歩行する動物を発見したとき、エトーは驚いた。種はそれ自身で交配し変化する。もちろん環境と長い年月が必要だ。親の遺伝子を長い間、取捨選択して最適化していく能力の他に、まったく新しい能力さえ取得する力を秘めていることに気がついた。
 エトーは彼らの種族を繁栄させるため餌場となる地域へと導いた。
 彼らは頭脳の発達の代わりに病原体に非常に弱い種族だった。
 次々と固体が若くして死亡した。
 死亡原因を探る内に、エトーの体内から得た血液を注射することで新たな種へ進化することを突き止めた。

 彼らは道具を使うことを覚えた。
 水の豊な土地で植物を得る方法も知った。
 そして、言葉で意思を伝え合うことができるようになった。
 エトーに言葉は必要ではなかった。
 動物や植物に念を送る。
 彼らが何を思っているのか意思の疎通ができる。
 エトーも彼らの言葉を覚え、彼らの集団に入ることもあった。
 やがて集団生活から村、そして規模の大きい集落ができ、各地へ種は散っていった。
 それぞれ独自の生活様式を確立していく、その過程で彼らは経済活動を始めた。物々交換からいつしか、貨幣経済へ移行していくプロセスでより大きな集団へ変容していった。
 色々な技術が生まれた。
 農業を中心とした土木技術が発展し、巨大モニュメントが作られる。 他の集団を襲い、侵略するために武器が発達する。
 集団の長の権力が大きくなるに従い、権力維持のためのルールが作られる。今も昔もその本質は変らないとエトーは考える。
 持つものと持たざるもの、この二つに分かれる。
 エトー身体は女性器を有する。
 しかし、人類の身体の特徴からするとほぼ男性である。
 アンドロギュノスなのだ。
 人類という種が誕生して、エトーは男性と交わった。
 妊娠することはなかった。
 エトーは自分がなにによって作られたかその疑問を解くことに専念するようになる。

 数十万年という年月の中で永遠の牢獄に閉じ込められた者。
 それが、エトーなのだ。
 この地球という球体が彼の実験場であり、草刈場でもあった。
 いくつかの知恵を人類に与えたこともある。
 そのたびに歴史が大きく変った。
 巨大な帝国が世界を席巻したこともある。
 エトーがこの世界の支配者であることを知る者はいない。
 なぜなら、この地球上に存在する動植物を作ったのはエトーであり、その生存権さえ奪う力を有していた。
 世界中に彼の拠点となる基地があり、また企業群がある。
 どの企業もそれぞれの国の中枢部と繋がり裏で支配する仕組みができている。
 この地球で起こるすべてを知る者、それはエトーの他に存在しない。 貨幣や財宝の類にエトーはまったく興味がない。
 なぜなら、この地上にある物はエトーが所有しており、誰かが所有権を主張したとて、あまり意味のないことなのだ。

 巨大空母が日本へ向かっていた。
 世界の警察を自負する米国の航空母艦をはるかに凌駕する巨大空母の特別船室にエトーは刻々と世界情勢が映し出されるモニターの前に座り、世界中の組織へ命令を出す。
 こんな状態になったのは、太平洋戦争以後だ。
 愚かしき人類は自らを自滅する核兵器を作ってしまった。
 それを監視するために組織が巨大化した。
 自己で管理できない兵器を作った人類を一度、あの氷河期と同じように絶滅させようと考えた。
 エトーにはできなかった。自分と同じ種の誕生の近いことをなぜか感じていたからだ。
 それまで、この世界を維持させよう。この牢獄から解き放てる、自分のペアを待っている自分の心がこの愚かしい人類を滅ぼすことを止めたのだ。
モニターのひとつから音声が流れた。
「エトー様、間久部という内閣府に所属するエージェントがターゲットを隔離しております」
「場所は」
「北海道、積丹半島にある施設です」
「わかった、場所の正確な位置をデータで送信しなさい」
「はい」
エトーはマイクスタンドから空母の操舵室へ指示を出す。
「北海道、積丹半島へ向け全速力を維持、ジョット機、施設周囲を確保」
 巨大空母が面舵を切り、漁船が転覆するほどの浪がしらを立てていた。

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2006年11月 3日 (金)

さよならだけが人生か その9

 高層の摩天楼が林のようにそそり立つ。
 いつのまにか東洋の一都市がニューヨークを凌駕するほど繁栄した。 中国、上海。
 港を見渡すビルディング群の中でも一際高層の一つが朝陽を浴び、暗い夜明けから開放されようとしていた。
 最上階にあるペントハウス。
 一人の青年が巨大なスクリーンの前に美しい裸体を晒していた。
 スクリーンに映し出された映像は非常に興味深いものだ。
 塚本えりの映像が映し出されていた。
「ついに見つけた」
 その全裸の男は得たいの知れない奇妙な声を発した。
 かって誰も聞いたことのないような薄気味の悪い低音で、聞きようによってはガラスコップを金属片で引っ掻くような音にも聞こえる。
 部屋の中央に湯気の上がる湯船がある。それはプールといってもよいほど広く、青年は頭から湯船に飛び込んだ。
 平泳ぎで反対側へ泳ぎつく。
 そこに、バスタオルを用意した女が立っていた。
「エトー様、おはようございます」
黒いツイードの上下でスレンダーなボディを包んでいた。年齢不詳の感じであるが、40歳には達してはいない美貌の持ち主だ。
「あの映像の者の行方は知れたのか」
「はい、日本政府の諜報機関で保護したようです」
「私が直接出向く」
女は驚いた表情を浮かべた。
「この日を待ち続けてきた、そう三千年の年月だ」
エトーと呼ばれた青年はいつしか年老いた老人へと変化して裸体すら干からびたミイラのように変っていた。
ソファに深々と沈めた身体はまるで着ぐるみに見える。
 ただ深く窪んだ眼窩だけが妖しい光を放っていた。

 話を少し前に戻す必要がある。
 塚本えりと対峙していた永村隆の上空から突然、機関銃の掃射が起こった。隆とえりの兄は避けるのが精一杯だった。
 上空からパラシュートで降下する兵士が現れた。
 彼らはプロだ。えり以外の人間に対し容赦なく雨のような銃弾を浴びせた。
「親分、こちらへ」
建物の影から、譲二と島へ渡った内山が現れた。
隆は建物へ飛び込みながら、完全武装した兵士がえりに対して催涙弾を発射したのを確認した。
 炎と催涙弾の煙の中でえりに頭からネットが掛けられ、確保された。 隆を運んできたヘリコプターは機銃掃射を受け島のどこかに不時着したらしい。
 隆はパラシュートで最期に降りた男と瞬間、視線が合った。
 それはお互いに感じたことだ。
 かって会った誰よりも通じるものを刹那に感じ取った。
 それはとても危険な匂いなのだが、どこか懐かしいもの。
 二人はそれぞれの存在を感じ取った。
『誰だ』お互いにそう思った。いつか出会うべきして出会った。
上空から戦闘用ヘリコプターが着陸した。えりはネットで全身を覆われて兵士と共にヘリコプターで島を立ち去った。
 隆には視線を交わした男の印象だけが強く残った。

「あいつは..」
 えりの兄が突然ヘリコプター目掛け駆け出した。
 隆は無駄な動きを好まない。
 また、上空から機銃掃射が起こった。
 塚本一之を組み伏せどうにか機銃掃射から免れた。
 隆は男の名前を塚本一之から聞きだした。
「間久部?」
「えりを教育するため施設の教官だった男だ」
 隆は彼らが政府機関のどこかに所属することを知った。
『なるほど、これは面白い』
『エトー様と同じ種族..人類の異種』

 永村隆はエトーの存在を知っていた。
 隆自身がエトー呼ばれる謎の人物の庇護の下で生きてきた。
 一度も会ったことはない。
 ただエトーは世界中に諜報機関を持っていた。
 情報機関の名前と最初は思った。
 しかし、人の名前ということは最近知った。
 ある情報を得るためだけに莫大な費用を費やしていた。
 『まさに塚本えりがそれだ』
 永村隆は確信していた。
 島の警備用に用意していた無人のビデオカメラに塚本えりの姿が記録されていた。
 隆は非常用発電機を稼動させ、無線機経由で映像を配信した。
 隆はエトーの組織のどこかがこのビデオにかかったスクランブルを解き塚本えりの姿を補足すると考えた。
 その答えは数時間後にこの島中を囲んだ潜水艦群と戦闘機が物語っていた。
「親分、なんですかこの軍隊は」
 内山は怯えていた。
 島には数百人の兵士が上陸した。
 この島であった出来ことをすべて抹消するための作戦が行われた。
 隆、塚本、内山は上陸船に運ばれ潜水艦の一艘に収容された。
「譲二は..」内山は呆然と島を眺めていた。
遠ざかる島影は炎に包まれ、最期に爆撃機から落とされた爆弾によってすかっりとその姿を変えた。
 かってそこで何が行われたのか、その答えは海の藻屑となる。
 人が決して知ってはならないことに今、隆を含め、内山、塚本らは関わってしまった。内山に至っては、あの塚本えりが何者であるのか、それすら知らない。
 ただ、とんでもない事態に巻き込まれていることを長年の渡世の暮らしから感じ取っていた。
「親分、あっしらどうなるんですか」
 隆にもわからなかった。
 エトーに会えるかもしれない、隆はふと思った。
『歴史を変えてきた人物..』
あの島のように抹殺される運命かもしれない。

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2006年10月24日 (火)

さよならだけが人生か その8

「お前は誰だ」
 開かれた扉から朝陽が目を開けられないほど強烈な光を部屋に充満させた。
 グレーの背広を着た老人だった。
 隆が美里以外に会う初めての人間だ。
 男は弁護士の井上正直といった。
 永村家専属の弁護士だ。
 永村は元々島津藩ゆかりの名家ということだ。
 南洋貿易で一代を築いた先祖がこの地を支配していた。
 美里は小さい時に精神に異常をきたしたらしい。
 今では、永村の本家は九州に移っている。
 この洋館は美里のために建設されたものだ。
 一族の暗部を隠蔽した。
 ここで美里は隆という赤ん坊を手に入れた。
 出生が判らない人間を18年間に渡って育てたのだ。

「たかしです」
 隆が井上と接点がなければ、隆もまたここで朽ち果てていたかもしれない。
「お嬢様はどちらです」
 井上はずかずかと部屋を歩き回った。
 二階で井上は美里の遺骸、それはすでにミイラと化した物体としかいいようがなかった。
「いつ..」井上はその完全なる死体がかって美里と呼ばれたお嬢様ということをすぐに理解できるほど聡明だった。
 そのことは逆に、『たかし』というこの少年が美里が産み、育てていたという誤解を生んだ。
 それについて、特に隆が否定する必要や説明がいるわけではない。

 廊下に展示された写真を井上は眺め、彼の前に立つ少年がその写真の本人であることを認めていた。
「おかあさん」隆が美里以外に話す言葉だった。

 島に隆を教育するためのスタッフが集められた。
 井上は隆を一人前にするために、世の中に出すための教育を施すことにした。井上がお嬢様と呼んだ美里の死は彼の胸の中に仕舞込まれた。これを井上は長年、使えてきた永村家への復讐に利用したのだ。
 教育係りという名目で島へやって来た者達に問題があった。

 隆は世の中がどのようなものであるか、漠然とした知識さえ持ち合わせていなかった。そこに現れた、男二人と女二人、食事の世話のための老女、そして一人の家政婦。
 井上が手配したこの六人の人間によって、隆の人生が決まったといっても過言ではない。

 最初に家政婦の泉川静子が隆に要求した仕事は、隆のベッドでミイラ化した美里の墓を作ることだった。

 初めて経験する外の世界、美里に拾われてから初めて外の空気というものを隆は経験した。軽い眩暈が彼を襲った。空気というものの存在を隆は知った。誰も経験したことのない、知っていて当たり前のことさえ彼は与えられていなかった。
「スコップをお持ち」
金縁眼鏡の泉川鈴子はいつも怒鳴るような声で隆に命令を与えた。
「スコップ?」
 もちろん、隆は見るもの触るものすべてを知らない。
 彼の存在してきた世界はあまりにも狭く、限られたものだった。
 それを理解していない泉川静子にとって、いつも隆という少年は無能で役に立たない少年にしか見えなかったに違いない。泉川がどのような人生を歩んできたか、それ自体に意味がないかもしれない。だが、この閉鎖された島へ来るからには、泉川にも問題を抱えていたはずだ。

 隆は大切にシーツに美里を包み、背中に背負った。
 干からびた美里は軽かった。色白で透き通る肌を持っていた美里は赤茶けた肌に変化した。以前は大きな瞳が閉めていた眼窩は大きく窪み、光を失っていた。
 隆の知る唯一の人は今は朽ち果て、その意志もまた失っていた。
 隆は不思議な感覚があった。
 美里が死んだという認識がなかった。
 いつかまた隆の前に食事を持って現れように思えた。
 『死』隆は言葉で知っていたが、それさもその本質を理解してはいなかった。どこまでも続く青空がひろがっていた。洋館から続く小道、うっそうとした森に囲まれた中を抜けると、海を見渡せる小高い丘に通じている。そこに美里を埋めるための穴を隆は掘り続けた。
 汗が額を流れ、目の中に入る。
 肉体を動かすことを経験したことのない隆にとってこれもまた未知の経験だった。

 隆は毎日、その丘へ通い森に咲き誇る花を摘み、それを植え続けた。 いつしか丘は一面が花畑になった。
 陽が登り、沈む景色を眺める。
 隆が心安げられる場所だった。
 彼らから受けた虐待から生還した時も隆はここで海を眺めた。

 そこで何が起きたのか、その答えを知る者は隆だけであった。
 なぜなら、その島にかって不完全な死体であった者達は、今は全員が完全な死体となり、その丘に眠っている。これもまた隆だけが知っていた。

 二十歳で隆はその島を離れた。
 あらゆる恐怖から開放する術を身に着けた、一人の若者が向かった先は東京だった。
 Dead Man Walking.
 欲望渦巻く都会、すべてはそこで学んだ。

 えりだった全裸の青年は、自分の前に立ちはだかる男になにか得たいの知れないオーラを感じていた。
 それは人が忘れた本能によるものだ。
 隆は興奮していた。
 それがどこから来るものなのか、自分の心に秘められた黒い炎を感じた。

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2006年10月22日 (日)

さよならだけが人生か その7

 悲しみの向こうにある真実..
 隆はいつも自分は不完全な死体と考える。
 なぜ、いつから、そんなことを考えるようになったのだろう。
 シェイクスピアのリア王に「人は泣いて生まれてくる」という一節がある。人は悲しい時も嬉しい時も泣く。それじゃ、なんで泣いて生まれてくる。
『悲しいから、嬉しいから、不完全な死体、いつか必ず死体になる運命を嘆く』
『人の最大の恐怖は死だ、そのためだったら何でもやる』
『それを忘れたいから、何かに溺れる』
『もっと知りたい真実、俺はいつ、どこで死体になるんだ』
『なんて不確かで曖昧なんだ』

 ヘリコプターのジャイロが島の中央で激しい風を起こしていた。
 上空から見える光景、建物の窓という窓から炎が噴出す。
 辺りを赤く染め、まるでにぎやかなキャンプファイアにも見える。
 すでに幾つかの完全な死体が地面に転がる。
 狂ったように雄たけびを上げる全裸の青年が、女の頭髪を掴み、まるで布を引きずるように引き回していた。

「えりだ」プロレスラーの兄が今にもヘリコプターから飛び降りように身体を乗り出していた。
 かって経験したどの暴力より魅力があった。
 隆の知るいづれにもあてはまらない、完全さがある。
『完全な殺人者』ふと隆は思った。
 完全無欠なものに憧れる。隆は完璧主義者だ。妥協はない。
 隆は建物から離れた場所にヘリコプターを着陸するように指示した。「さてあのえりだった男をどうやって捕まえる」
その答えは幾通りか考えられる。拳銃一発で終焉させる方法もある。
しかし、隆の求める答えはそんなちんけな答えではない。
『今度は俺が浚《さら》う』
塚本一之は隆を振り返った。
「鏡で自分の姿を見せることで、再びもとに戻る」
『おお、なんて魅力的なんだ』
『こんなすばらしい事があるとは』
 隆は思わず身震いした。

 隆と塚本一之はヘリコプターのドアを開ける間もなく、飛び出しえりへと向かった。
「おい、獲物は俺だ」隆はえりの前でモーションを掛ける。
 隆にはまったく怯えなどない。
 えりだった青年は自分の前に現れたダークスーツの男を凝視した。
「うう」と犬が敵に対して発する威嚇の低い声を出す。
「ほんとうの獣だ」
 全裸の青年は自分の前の男に対して非常な警戒心を持った。
 ある意味で正解だ。
 それは隆という男の生い立ちからくるものだ。
 幼い頃からの異常な環境が隆という人を作った。
 非情で英知の限りを尽くす、悪の天才。
 学歴などなにもない。彼が育った生い立ちを聞いたら、どんな人も
その恐怖で押しつぶされる。

 隆に両親はいない。生まれた場所は、真っ暗な地中だった。
 明かりのない世界に隆は生まれたまま生き埋めにされた。
 三日目に地中から、隆の発する笑い声を聞いた女によって、この世が光に満ちた世界だったことを知る。
 もちろん記憶などない、女の名前を永村美里といった。
 美里は精神を病んでいた。
 隆は世間から隔離された部屋に閉じ込めら、大人になった。
 隆の世の中との唯一の繋がりは美里だけだった。
 彼女の話す、独り言から言葉を学んだ。
 ある日、美里は心臓発作で死んだ。
 隆はその異変に気がつくのに数日を要した。
 二階建ての洋館の二階の奥が隆の部屋だった。
 その広い洋館に美里と隆だけが十八年間暮らしていた。
 その隠された生活がある日、突然バランスを崩した。
 毎日、決まった時間に美里が食事を運んでいた。
 それがある日止まった。
 隆は最初、理解できなかった。
 ぼんやりした思考能力しかそれまで持っていなかった。
 教育を受けた経験もなかった。
 純粋無垢に培養された一つの不完全な死体にしか過ぎなかった。
 部屋を出ることは許されていなかった。
 異臭が建物に充満した。
 真夏だった。
 飢えと渇きが隆を部屋から出させた。
 広い廊下が続く、その両側に写真が飾られている。
 そのいずれも被写体は隆だった。
 土だらけのお包みの中で笑っている赤ん坊から始まって、つい最近のものまでが延々と年代別にまるで、絵日記のように並んでいた。
 すべてが隆の歴史を切り取っていた。
 毎日、美里は写真を撮っていた。
 彼女にとって隆というペットを飼っていたのかもしれない。

 台所の床に朽ち果てた美里が横たわっていた。
 異臭の原因は彼女の遺体から沸き立つものだ。
 白い小さな虫が顔中を這い回り、部屋を飛び回る、無数の羽を持った虫が音を立てる。『ブーン ブーン』と。
 隆はその遺体を抱え、かって自分が存在していた部屋のベットに彼女を横たえた。
 一階の彼女の部屋で隆は美里の日記を発見した。
 隆を発見した経緯から、彼女のすべての思いを知った。
 そして、隆の将来に対する希望が綿々と綴られていた。

 その日記に何度も出てくる言葉があった。
『暗殺者《アサシン》』
 隆は将来、美里によって『暗殺者』として育てられる運命だった。
 その計画は美里の死によって終わるはずだった。
 しかし、隆は彼女の計画に従った。
 すべては『完全な死体』のために..

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2006年9月29日 (金)

たまに仕事さぼろうぜ その7

昨日青山でお仕事の打ち合わせがありました。
それで海浜幕張駅までいきました。
え!信号機の火災で京葉線全線スットプ!

それでなくてもPM10:30必着なのに..(T_T)

わたしゃ もともと 蝦夷育ち (ブギウギでよろしく)
東京なんて 右を向いても 左をむいても
大都会 知ってるのは 東京駅だけ
ありゃ どうしたら
ありゃ こまったわ

てか\(゜ロ\)(/ロ゜)/

そんでなんとか時間まで間に合ったのですが
よがった(ーー;)

大都会て突発的事故に弱いのね
きっと第二次関東大震災がやってきたら 壊滅的だな

お、いいネタ発見☆ミ(^v^)☆彡
----------------------------------------------------

今日はネットで出会った 超超美人の”ゆかこ”さんのブログを紹介するぜ\(~o~)/

この写真を見るべしビシ ビシ

Q9liw7ty くう(T_T) いい女 この人と接触するには

ここだせ⇒ ☆ゆかこの部屋☆

OLらしいけど ネットで知り合って日は浅いのですが

すごくいい人だよ かなりお仕事忙しいのにちゃんとレスしてくれる ちょ優しいお方です。

うん なかなかいない三色兼備とはこの人を言うのです。

おれっちのブログの小説の愛読者というのも自慢なのです

(●^o^●)
くう(T_T)がんばちゃう

実はゆかこさんも小説書いてるだな お~ライバル(^O^)/

ぽっちとこの当り 行ってや⇒ 小説ブログ

みんなで遊びにいってや\(゜ロ\)(/ロ゜)/

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2006年9月26日 (火)

さよならだけが人生か その6

 譲二は温泉で中国から浚われてきた女二人を犯していた。
 シャブ漬けは終わっていた。
 一人は腰まで届く黒髪のスレンダーボディの女。
「私16ね」と愛くるしい笑顔を譲二に向けた。
『掘り出し物だ、しばらく俺専用にしよう』
 一方はグラマーなボディの女。
 その女を後ろから貫き、長髪の女の秘所を舌で貪る。
 三人は絶頂へ向かいつつあった。
 その時、どこからか一人の逞<<たくま>>しい身体の男が露天風呂の湯船に入り込んだ。
 譲二が露天風呂を使う場合、誰も来てはならない、不問律だ。
 もうそこまで来ていた絶頂が遠のく、譲二に激しい怒りが湧く。
「なんだ、お前」
 湯船から顔だけを覗かせた男の眼が妖しく輝く。
 譲二は女を払いのけ、男を殴り飛ばそうと湯船を駆けた。
 そこにあった男がいきなり飛び上がった。
 それは常人の飛躍ではない、譲二は目で己が頭上にある男を目で追った。次の瞬間、譲二は首から下を湯船に何かとんでもない力で組み伏せられた。呼吸が止まりそうになった。
 そして、今まで経験のない肛門へなにか、木の棒のような硬い物が進入してきた。譲二は腕力に自身があった。それが簡単に組み伏せられる。異物はゆっくりとピストン運動を始めた。それは、譲二が今まで経験のない興奮があった。
 二人の中国女は抱き合ったまま湯船でその光景を目の当たりにしていた。妖しい男同士の交尾、それは今まで見たどのSEXより興奮した。 すばらしい筋肉質の身体、逞しい陰部が譲二の肛門を犯していた。
 譲二はようやく呼吸ができるぐらいに湯船に顔をだしている。もう意識が遠のくように朦朧としていた。己がペニスは今まで膨張したことがないほど勃起していた。後ろから男の手がペニスをしごき始めた。
「うお」と譲二は発した。膨張しきったペニスはとうとう男のしごきで爆発した。譲二は初めて「落ちた」そうしか言えない、いままでのSEXなど子供だましだ。レズの世界でもタチ専門のタチが存在する。お互いに擬似ペニスを腰に巻き、松葉崩しの体勢でクロスしたペニスをお互いの肛門に挿入する。互いにクリトリスを剥<<む>>きしごきあう、何時間でもその体勢で行き合う。それを知るともうネコの女とはできない、究極の同性愛だ。肛門愛については、その奥の深さは日本では以外に知られていない。排便した時の快感は誰にもある。それは肛門に快感を得<<うる>>ポイントが存在していることを意味する。
 譲二の後ろの男は肛門から節だらけの強大なペニスを引き抜いた。
 男は意識が混濁した譲二の頭に両手を添える、次の瞬間、軽く頭を捻った。「ぐぅ」という声を発して譲二は湯船に沈んだ。
 女達はその男の顔をはっきりと見た。すばらしい美男子だ。まるで女のような切れ長の瞳、そして股間にぶら下がる、一物。
 二人は湯船を掛け、譲二などお構いなしに男に駆け寄った。そして肛門を突き出し、男の責めを懇願した。
 男は一人の女にまた節くれだらけのペニスを挿入する。それに余された女の肛門に指を挿入する。「ああ」「うっぐぐ」二人の女は狂ったように腰を振る。

 隆はえりの兄塚本一之とヘリコプターに乗っていた。
 胸騒ぎがする。塚本から聞いた話は信じられなかった。
 塚本えりはミッション系の女子高校に通っていたという。
 そこで起こったことを塚本は語った。
 異常な世界。今のえりは過去の記憶を変えられている。なぜか、それは政府の特殊機関がその女子高校で起きた事件を隠蔽しただけでなく、えりを研究対象として日の目から隠した。その理由はわからない。
 えりが浚われた時、尾行の者が油断した。24時間えりは監視されている。譲二はまんまと浚うことに成功したのだ。

 女子高校で何があったのか、えりはテニス部に所属していた。
 一つ上の先輩がシャワー室でえりを抱きしめた。女はもともとレズに憧れるという、たまたま出会いがないだけで、心のどこかに淫靡な欲望がある。えりもそのまま接吻に応じた。そしてオルガスムに達した。
 先輩はえりの変身を目撃した。
 肛門を貫かれ、クリトリスをしごかれ、何度もいった。
 シャワー室に三人の女子が入ってきた。
 その異常な性交をただ黙って見た。
 先輩が「落ちる」と三人は我さきに衣服を脱いでその男にせがんだ。 女子高に男はいない。たいていは女同士で済ませる。それでも我慢できない生徒は50を越える男の教師にラブレターを送ったりするという。制服の下の身体だけはすでに大人になっている。性欲がない訳がない、簡単にその手の情報は巷から手に入れられる。授業中にオナニをする生徒がいる。昼休みにトイレでレズに耽<<ふけ>>る生徒がいる。欲望は誰にも止められない。
その社会に波紋が投げられた。普段は女、ところが男になるという。
その噂は女子生徒の間に密かに伝わった。テニス部屋はハーレムになった。全裸の女子生徒達がえりのクリトリスをしゃぶる女を見つめる。
 そしてえりは男に変身する。そして女子生徒は次々と陶酔の世界を得。この部室に入れるのは選ばれた女だけだ。
 えりは変身する度に性格に変調が起こるようになった。
 残虐な嗜好が現れた。
 そしてついにその日がやって来た。
 女の首を絞めた、えりは腕力任せに、締め続けた。
 女は泡を噴いて絶命した。
 えりのペニスから飛沫の法物線が描かれた。
 同じようにその部室にいた女達は次々と犯され、そして絞殺された。 まるで蛇に睨まれた蛙の如く、金縛りにあったような状態だった。
 異常な悲鳴で中年の女教師が部室で、絶滅した女生徒の真ん中に全裸で立つ男を発見した。警察が駆けつけた、タオル一枚を腰にまとったえりはパトカーの中で女に戻った。運転していた警官がルームミラーに女がいることに気がついて驚愕した。パトカーを止めた。
「あんたは誰だ」
「塚本えりです」
 パトカーは路肩に急停止した。
 警察本部に無線が入った。
 そして政府のある機関に連絡が行った。
 えりはそのままその機関の用意した研究施設に送られ、そこで暮らすようになった。

 プロレスラーの兄塚本一之がそれを知ったのは一ヶ月後のことだ。
 兄妹に両親はいない。
 兄が妹に仕送りを送り、えりを女子高校へ通わせていた。
 その女子高校で起こった事件は当局によって隠蔽された。
 研究施設に案内され、塚本はえりの起こした事件の概要を聞いた。
 今、えりは興奮状態にあり会うことはできないという。
 サングラスを掛けた色白の男が説明した。
 紳士然とした男。黒い背広にストライプの黒いネクタイ。
 なにか腹の底を舐められるような薄気味の悪い男だった。
「間久部といいます」
「妹さん、まだ精神に異常をきたしています」
「いつここを出れますか」
「社会に適用できるように、我々の医療スタッフも全力を尽くしております、その時が来たら御連絡致します」
 二年後、えりは研究施設を出た。
 そして、まったく違う性格が彼女に与えられ、あの記憶は消された。 研究施設で何が行われたのかはわからない。
 OLとしてえりは働きだした。そしてこの事件が起きた。

 ヘリコプターから遥か洋上に浮かぶ島影が現れた。
 島から赤い炎が立ち上がっていた。

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2006年9月24日 (日)

たまに仕事さぼろうぜ その6

 TBSの王様のブランチでLiLiCoねーさんが朝っぱらから、キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックの「イルマーレ」の宣伝をやっていましたので、今日はこれだと、またまた海浜幕張でレイトショーと相成りました。

 結果は惨敗です。今年、鑑賞した映画の中ではランク付けされません。 今日21時から放映した「電車男」のスペシャルのほうがよっぽどおもしろいかも..今、戻ってビデオに録画したものを鑑賞中です。

 さて、この映画、タイムスリップする「手紙」を利用した、時間を越えた超遠距離恋愛をテーマにした物語です。(大人向けかな?)
 設定は2年後に存在する医師のサンドラ、2年前に存在する建築家のキアヌが湖の岸辺に隣接して立てられたコテージのポストを介して、過去と未来で手紙のやり取りをする内にお互いに惹かれていくというストーリです。(詳細はネタばれになるのでここまで)

 「イルマーレ」は元々韓国映画(2001年)で製作されたものを、ハリウッドでリメイクした作品です。(こちら見てません!)

 たくさんいいアイテムがあります。「手紙」「マンションに植えられた木」「二人が共通で飼う犬」「落し物の本」「父の残した湖の家」「二年後のイルマーレ(レストラン)の予約」「交通事故で死ぬ男」これらがどのように結ばれて、二人の恋愛が発展するのかワクワクしながら鑑賞しました。時間軸を曲げる事を次々行うのですが、まあ、勘弁して見ていました。(2年後からの手紙なら、ロトの当り番号とか教えてもらうとか、ついそちらへ下衆の思考が働いてしまいます。)
 最後がいかんです。ほんとなんだこんな落ちかと失望しました。

 やっぱり組み合わせとしては、レストラン「イルマーレ」を最後にもっていくべきです。ワンちゃんが最後に二人を引き合わせるとか..

 たぶん原作に忠実に製作されたのでしょう。
 このハリウッドを代表する二人で違う映画を撮って欲しいと思うのは私だけでしょうか?

 「邂逅(めぐりあい)」なんかどうかなと思います。トム・ハンクスとメグ・ライアンの「めぐり逢えたら」のストーリて、この映画のパクリと思える感じです。エンパイア・ステートビルの展望台で会う約束をするところなんて、なんてロマンチックなんでしょう。

 やっぱ、ニューヨーク、クリスマス、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーなんか恋人の基本キーワードです。

 ああ、いい映画が見たい...

 さて、原稿用紙に文字を埋めましょうか...

LiLiCoねーさんを萌え風にしてみました。

Lilico

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2006年9月20日 (水)

たまに仕事さぼろうぜ その5

_007 おお、なんと貴方は「パンタ」ではありませんか?
新宿駅の工事現場の安全用のフェンスに貴方を見つけたとき私は驚きでショック死しそうになりました。
あの頭脳警察からパンタ&ハルを経て、こんなとこにおさっまていたのです。あの新宿ルイードや日比谷野音の伝説のライブで活躍された貴方ですもの..小説ブログの「放浪」に掲載しました。(無断ですいません)

_006 日本の首都の駅 東京駅中央口にある「牛<<モウ>>ちゃん」です。
なんでレンガ造りの瀟洒なモダン建築の東京駅のそのまん前にあるのか謎です。勝手に命名させていただきます。

 

_001

この建物有楽町で発見しました。タイル張りの結構古い建物です。
実は札幌に住まいの方であれば、この建物の窓や外壁になじみがあります。なんと北海道電力の本社とそっくりなのです。「おおMyゴッド」という感じでしょうか?きっと設計者が同じなのかな?

「たまに仕事さぼろうぜ」終わりにしたつもりだったのですが、昨日も新宿や渋谷をぶらぶらしてきました。取材です。と自分を慰める。
 この頃、取材費とか言って結構出費してます。あのレズ御用達<<ごようたし>>の「カーミラ」全10巻とうとう手に入れたぞ。これはすぐに「さよならだけが人生か その5」のレズプレイの参考にさせて頂きました。まあ俺は男だからその世界はやはり謎です。愛のラーゲ袋とじとか、結構そそります。

 昨日はアウトレットで手に入れたナイキのランニングシューズの履き初めで都内を8時間も歩き回りました。帰宅したときには、やはり普段歩きなれないせいか、ベッドにたどり着くと即死状態で朝を迎える羽目になってしまいました。その間、色んなところから携帯が着信していましたが、まったく取れなかったです。

 そんなこんなで、先週までやっていた本職のほうのお仕事をお片づけするつもりです。それを片付けたら、長野まで取材に行こうかなとまた悪い虫がおきています。

 ちょっと長野は詳しいのです。長期出張で3年ぐらい暮らしました。善光寺さん参りでも行こうかな...仕事しよっと..

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2006年9月18日 (月)

さよならだけが人生か その5

「俺がえりという女を浚ったとうのか」
大男は隆の視線を外すことがなかった。
大抵<<たいてい>>の男なら、隆の発する極道特有の雰囲気に圧倒される。
「大変なことになる」
まるで大男は何かに怯えるように顔を強張らせた。
額にはじっとりと汗が滲む。
「何が大変だって」
隆は業界特有の凄<<すご>>みを利<<き>>かせた。
大男は人払いを求めた。隆は若衆を部屋から出した。
応接テーブルを挟んで、大男と向かいあった。

 隆は朴訥<<ぼくとつ>>に語る大男の話が終わった時、まだその内容が理解できなかった。
『バンパイヤ』
『なんだそりゃ、えりという女はオルガスムに達することで男に変身する』
そしてこの世のものと思えない凶暴な性格が現れるという。
『そんなSFような話があるものか』
隆はふと譲二が向かった島で異変が起きてはいないか不安が過<<よ>>ぎった。

 えりは島に着いた。切り立った岸壁にトンネルが空いていた。その中に漁船が入る。しばらく進むと眩しい光に包まれた岸壁に着いた。
 三階立ての建物が見える。東洋人らしい作業服の男達が待ち構えていた。彼らの卑猥な視線を感じた。水商売の女達と三階の部屋に案内された。
「譲二たら、また中国人の初物を食うそうよ」
部屋は豪華な調度品に囲まれたものだ。バストイレも高級ホテルと比較してもなんら遜色<<そんしょく>>がない。
 女達は部屋につくなり、下着姿になり、浴槽にお湯を入れ水浴びを始めた。
「あんた、名前なんての」三人の中で一番お姉さんらしいの女が聞いた。
「えりです」えりはベッドの端に座っていました。
「あんたも身体汚れてるだろう、あんなに吐いたんだから」
「汗流しな」
女達は身体を隠すこともなくあっけらかんと身体を洗い流しあっていました。なんか妙なエロチシズムを感じます。
そうか、この女<<ひと>>が漁船で口を拭いてくれたんだわ。
えりはやっと勇気を振り絞ってベットから浴室へ向かいました。背を向けて服と下着を脱ぎました。
「なにやってるの、早くおいで」
お姉さんが床で身体を洗っていました。他の二人は湯船で鼻歌を歌っています。時々じゃれあっています。
「さ、こちへおいで身体洗ってあげる」
「はい」えりは言われるまま、お姉さんにボディソープで泡だらけにされました。
「かわいいわ、おっぱいも小ぶりでまだ未開発ね」
恥ずかしくて、えりはずっと下を向いてました。頬が火照るの感じました。きっと真っ赤だわ、きっと。お姉さんはゆりをバスタオルで包んでくれました。
「私どうなるのかしら」
お姉さんはくすっと笑って、「譲二にやられるに決まってるじゃない」「え、譲二て?」
「あのキザ男」
「ほんとは譲二ていうんですか」
「まあ、あんたも騙された口かい」

 夕食が部屋に運ばれてきました。豪華なフランス料理でした。部屋のクローゼットには下着や服が用意されていました。お姉さんは黒のティーバックのパンティを着けただけでした。他の女達もパンティだけで夕食を採りました。えりはティシャツを上からかぶり、お姉さんが選んでくれた白いキャミソルのパンティだけです。すごく恥ずかしかったけれど、なんとなく雰囲気に酔っていました。ワインを結構、勧めらほろ酔い気分になっていました。

 天井から吊るされたシャンデリアと間接照明の寝室に私達はその後、向かいました。ツインのベットはキングサイズが二つ並べられています。最初に二人の女達がベットの上で抱き合い始めました。
お姉さんはベットに身体を横たえていました。
「えりもこっちへおいで」誘っていました。
『ああ、ごめんゆかり』ゆかりは私の大親友です。ゆかりはえりのことが大好きです。だからえりはゆかりのために今までレズ童貞を守ってきました。『でもだめ、今晩きっとレズの初体験をしてしまう』
きっとゆかりに告白したら怒られるだろう。

 ベットに引き寄せれれると熱い唇がえりの唇を覆いました。先をとんがらした舌が口の中に進入してきました。男とは違うとても柔らかい愛撫が胸を強襲しています。お姉さんがえりをベッドに押し倒し、覆いかぶさってきました。スレンダーな贅肉のない身体、乳房も硬く、乳輪は黒々としていますが、その先の乳首は特大です。熱い吐息が耳をより熱くします。「洋子よ」とお姉さんは囁きました。
「初めて?」
「はい」
「かわいいわ、たっぷり教えてあげる」
隣のベッドの二人は一回戦が終わりつつあるようです。
横向きの69の体勢で脚を抱えながら、お互いの大切なところを嬲っていました。
「ああ..」
「ちょっとまって、いっしょに、ああ..」とても刺激的な光景です。「えりもこんなにぐちょぐちょになって」
洋子さんがキャミソルの間から人差し指を入れて、えりの大事なところの潤いを確認しました。
 いきなりえりをM字開脚すると洋子さんは舌で攻め始めました。
 舌の先で包皮を剥<<むく>>くとクリトリスをゆくっりと旋回させ、外界へ導き出しました。「ああ」えりも声を出さずにいられません。
『オナニなんか問題じゃない、帰ったらゆかりにやったあげよう』
「随分長いクリちゃん」と洋子さん。
ちょっと恥ずかしいけど「ああ、もういっちゃう」
「いっていいよ」
洋子は唇でかわいがっていたクリトリスが突然はじけるのを感じた。
口の中に棒が突然進入してきた。最初何が起こったか判らなかった。
それは喉の奥まで到達しようとしていた。
思わずえりから身体を離してしばらく咽<<むせ>>ていた。
目を凝らした。えりの股間にこの世の物と思えない一物がそそり立っていた。洋子はベッドから床にずり落ちていた。
見事な亀頭部は赤く輝き、陰柱には見たこともない瘤<<こぶ>>が木の節のように幾重にもあった。

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さよならだけが人生か その4

 飛行機に揺られ、船に揺られ、その間中、えりはずーっと目隠しされていました。時々食事とトイレの時に目隠が外されます。飛行機は小型機。船は漁船。魚の生臭さと揺れで、えりは何度も船室で嘔吐をしました。そのたびに柔らかい匂いが近づき、口元を布で拭いてくれました。女性が付き添っているようでした、目隠しを外された時にいるのはいつも白いスーツ姿の男でした。
「内山、着いた」
 船室に外から、潮風が吹き込んできました。船室のドアが開いたのでしょう。その声に聞き覚えがありました。あの夜の男です。
「さあ立て」無理やり起こされ、えりは漁船の甲板まで引きずり出されました。目隠しがはずされ、目前には大海原が広がり、その中心に突然そそり立つ険しい岸壁の島が見えました。
 見るからに水商売風の若い三人の女に囲まれて、あの『たかし』といった男がタバコを燻らしていました。
 その後ろにあの白スーツの男と漁師らしい老人が立っていました。
 快晴がひろがり、島に近づく頃には船の揺れは収まり、コバルトブルーの海がどこまでも続いていました。
『ここはどこかしら』えりは一度、友人といった沖縄の海を思い出していた。

 沖縄県石垣島からさらに台湾よりに二十海里ほどの位置にその島は存在していた。周りはすべてそそり立った絶壁で覆われ、周囲四キロメートルほどの島だ。譲二は隆からその島の名前を聞いた。

『人食島』

 隆は石垣島から南へ下がった島で生まれたという、先祖代々漁師の家系と語った。隆は何度かその島を見たことがあると話した。
 台湾のマフィアの伝手<<つて>>も隆から得た。幼いころ一緒に島で育った一人が台湾で成功していた。最初、覚醒剤は台湾から直接仕入れていた。しかし漁船で島伝いに運ぶには限界があった。距離がありすぎる。また当局の監視も厳しかった。台湾、中国、そして日本の沿岸警備隊の目を掻い潜って運ぶのは至難の業<<わざ>>だった。

 譲二は経済水域という言葉を隆から聞いた。『人食島』はその三国のまさに中間に位置し警備の盲点なのだという。まして人が住むことを拒む絶壁で囲まれた島。その周りには体長二十メートルはあろうフカがうようよといる。昔からこの島に漁に出るものは、このフカとの戦いに明け暮れた。好漁場なのだ。だからたくさんのフカがいる。小さな漁師船などこのフカの突撃で木っ端微塵だ。だから『人食島』と漁師に恐れられ、誰も近づかない。

 隆はここに覚醒剤の輸送のための貯蔵庫を作る提案をした。二年間かかった。台湾から労務者が連れられてきた。絶壁の一部にトンネルを堀り始めた。絶壁の一部に入り江があり、外海から遮断される場所があった。木材で筏<<いかだ>>を組んだ。その上で生活をし、トンネルを掘り進めた。トンネルなど掘ったことのない労務者ばかりだ。何度も落盤事故が起きた。監督にあたった台湾マフィアは落盤事故で死んだ遺体をそのままフカの餌にした。血の匂いで忽<<たちま>>ちフカがやって来る。人間を咥えてフカが狂ったように水面に踊り上がる。譲二は工事を見学に来てそれを目撃した。頭蓋骨が噛み砕かれる音がした。あれから何度も夢の中でその音を聞いた。その頃から精神になにか不安を覚えるようになった。

 完成したトンネルは島の唯一の平野部に貫通した。人跡未踏の地は豊な緑に覆われたいた。さらに驚いたことに川が流れ、湖があり、天然の温泉が噴出すパラダイスだった。ここに三階立ての鉄筋コンクリートを建築した。切り立った崖をフェンスにしているため、上空からしかわからない。隆はカモフラージュするため建物の上を全て木々や草で覆った。まず、発見するのは困難だ。生き残った労務者はそのままここの警備に当たらせる。むろん奴らは台湾に戻っても生きる術がないものばかりだ。重油の発電機があり、大量の重油を貯蔵するタンクも地中に作らせた。娯楽施設もある。建物は覚醒剤の貯蔵庫の他に中国大陸からの人身売買で連れられてきた女を監禁する部屋も作った。三階部分は幹部用になっている。高級ホテル並の設備が整えられた。

 譲二はここで覚醒剤と女に溺れた。俺が王だ。そう思った。どの女も自由にできた。毎晩、ひっかえとっかえ寝室へ越させる。言うことを聞かない女はフカの餌だ。そのうち、昼間から酒池肉林に溺れた。温泉に全ての女を裸にして乱交に及んだ、自分でも気が狂ったと思った。覚醒剤は精力をエンドレスにする。薬が切れるまで勃起が続く、女もまた覚醒剤で狂う。譲二は飽きた女を警備の台湾人に払い下げする。警備は覚醒剤を持っていない。だから女は覚醒剤を求めて暴れる。最後はやっぱりフカの餌だ。警備の連中は女に飢えている。まさに輪姦だ。覚醒剤を求めて暴れる女を二三人が取り押さえる。そこへ次々と男が突き刺さる。女の腹は白濁した精子まみれになる。譲二は一週間が限界だと思った。飽きると日本に戻る。しかし、一ヶ月もすると島へ行きたくなる。
そう新しい女を連れて、また中国からの新しい女も到着しているはずだ。

 繁華街の一等地の高層ビルに隆の組事務所があった。
 昔からここは各組が利権を分け合っていた。スナックやクラブの数は県で一番だ。隆はここで潰れそうなスナックやクラブに高金利で金を融資する。最後は首の回らなくなった店をそのまま乗っ取る。店の女はそのままで働かせる。店のママなど使えそうな女は残す。しかし、酒やセックスに溺れている女は島へ送り込む。それで The Endだ。再生できない女は許せない。隆は女を信用していない。女など金と欲望だけだ。
そう考えていた。

 隆は組長室にいた。パソコンで今月の上がりを計算していた。
「組長、髭を生やした変な奴が、組長に会いたいとやってきてます」
隆は黒縁のメガネをはずすと机の上に置いた。
「どこの誰だ」
「それが、名前を名乗らないのですが」
若衆を押しのけるように髭面の大男がドアを蹴破るように組長室に入り込んだ。
「誰だお前」
「あんた、うちの姪っ子どうした」
「えりだよ、あんたパーティでうちのえりを連れてでたのを見てる奴がいるんだ」
『ああ、譲二が掻っ攫ってきた女だ』

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愛について その10

永遠の謎、それは「愛」です。

人は生まれて死んでいきます。

たった一人で生まれ、そしてたった一人で死んでいきます。
これは絶対の真理です。

人にはそれぞれ与えられた道があります。その道がなんであるのか、私自身も時々迷います。それは、まだ「心が未完成」だからです。

どんなに努力しても自分で描く人生を手にいれられる人は稀有<<けう>>です。人と出会う偶然の中で、私達は、はかなきこの道で恋をして愛を育<<はぐく>>みます。

確かな事などこれっぽちもありません。その出会い、出会いの刹那<<せつな>>に精一杯の気持ちで立ち向かう勇気だけが貴方を後押ししてくれるだけです。

どんな運命になるのか、そんな不安や恐怖は捨てなくては、前にちっとも進めません。貴方の「心が渇望<<かつぼう>>」しているんです。

たとえ道で倒れても、明日、立ち上がればいいんです。

たとえ人に踏みつけられ、だまされ、傷つき、紐<<ひも>>の切れた凧<<たこ>>みたいに風の中をふらふらと漂っても、立ち上げればいいんです。

全部、最初から始めたっていいんだよ。まだ生きてるんだもの。
身体に溢れる情熱が枯れたわけじゃないよ。今、萎んだ蕾をもう一回咲かせる気持ち、それは貴方自身の中にあるんだよ。

くじけそうな時、そっと貴方の「心」に問いかけてみてください。
『もう歩けない?』
答えは『No』です。その答えに達するのに随分時間が掛かる時もあるけど、いつか必ず『No』と言っていますよ。だって今までも、たいていのつらいことを乗り越えてきた貴方ですもの..

悲しみも、喜びも全部、「心」の中にあります。
貴方のすべてを知っている唯一の人、それは貴方自身です。
貴方自身をだますのはやめましょう、貴方の「心」を変えられるのは唯一、貴方自身だもの。「愛」にたとえ傷ついても、貴方の「心」を癒してくれるのは、実は貴方自身なんだよ。

この世の中は随分と広いけど、貴方の「心」の深遠ほど広大で計ることのできないものはありません。人を「愛する事」で、今まで気がつかなかった貴方自身を鏡の前で発見したとき、そこには光で輝く貴方が佇<<たたず>>んでいます。あの草原の輝きと同じく、深く「心」に刻まれ悠久の中で繰り返し、貴方に希望と勇気を与えます。

ちっぽけな一個の存在でしかなかった貴方がいつしか、きっちりと「愛」に向かい合う。

人を愛す不思議さに欲望が伴うのは自然なことです。
それはお互いが求めるものです、何一つ恥ずべき行為ではありません。欲望を隠蔽<<いんぺい>>し秘匿<<ひとく>>する不自然さこそ恥ずべき行為です。これなくして人類の未来などありゃしない。

ものすごく寂しくて、一人でいられないとき、「愛について」考えてみてください。

『どうして生まれてきたのだろうか』

『どうしてこの世で生かされているのだろうか』

誰もその答えはわからない、でもただ一つだけ言えることは、貴方に出会うために、生まれてきた誰かの存在があるということ、この事実は誰も否定はできない。そしてその日がいつか必ずやって来ます。

だからこそ、誰もがその日を信じて「生きる」のではありませんか。

愛を切り売りしている少女達へ

「貴方の愛は本物ですか」

欲望に負けて火遊びをする少年達へ

「貴方の愛はそんなちっぽけなものですか」

人を「愛する」ということは、貴方自身のすべてをかけるという一点において、過去も未来も違いはないということに気がついてください。
本物の「愛」は貴方の人生を豊にします。たとえ、どんな結末だろうと、それを宿命と受け入れたとき、きっと貴方の「愛」が完成するはずです。

誰もが誰かを「愛」する。

きっと幸せになりたいから...


----------------------------------------------------
「愛について」あとがき

ちょう難しいテーマを終わってほっとしてます。
その10が書けなかったといのが実感、かなり紆余曲折してあたりさわりなく当たり前に書くのがベストという感じで書きました。「う~ん」という感じが正解です。ノートに結構書いたのですが、全部没にしました。やっぱ苦戦したんだと思います。原稿用紙も全没ですからて言い訳かな。しばらく、「生きる」のテーマはお休みして「坊ちゃん...」に集中します。今月は月末まで会社が振り替え休日でやっと夏休み取れます。つまり、10月まで書きまくりです。

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2006年9月11日 (月)

さよならだけが人生か その3

 瀟洒な住宅街の一角に巨大な武家風造りの屋敷がある。
 檜の巨木に挟まれた瓦葺の門から黒のジャガーがこの屋敷に侵入した。車寄席にジャガーが停止すると半被<<はっぴ>>姿の若衆が飛び出してくる。
 男は車から降りて玄関の土間で一度振り返ると、若衆の一人に
「車の後ろに女を浚<<さら>>ってきた。どこかに閉じ込めておけ」
「へい、わかりやした」
 千坪はあろうか木々に覆われた庭に面した畳の大広間に和服姿の老人達が集まっていた。床の間に『天地創造』と殴り書きの掛け軸を背に白髪で同じく白髭に覆われた老人が盛んに叫ぶような声で騒いでいた。
 老人の横に若衆二人に押さえつけられて畳にうつ伏している白スーツの男がいた。
 男は大広間に入る前に背広の内ポケットからレイバンのサングラスを取り出し掛けた。軽く会釈して大広間に入った。小さなどよめきが老人達に起こった。
「譲二..」白髪の老人は押し殺したように叫んだ。
「おやっさん、その男、家<<うち>>の舎弟の内山です」
「引き取りにきたか」
「へい」
「おまえんとこ、いつからシャブに手をだした」
白髪のおやっさんと呼ばれた老人の座卓に広げられた和紙にビニール袋にパックされた白い粉が並べられていた。
「そりゃシャブじゃない、ただの精力剤だ」
「なんだと」白髪の老人が立ち上がった。
「まあおやっさん、話を聞いてくれ」
男は白髪の老人の横に座る。
一度、他の老人達に会釈する。
「俺は小さいときからシャブだけには手を出してはならぬという先代の教えを聞いてきたものだ」
「しかし、舎弟にそれを諭しても、聞かないものは出てくる。こんなご時勢だ。金がないものは親への上納金で首が回らない、そんな中にシャブに手を出す者も出てくる。それを取り締まらないでいる俺が悪いといえばそれまでだ。しかし、組織には家庭を持ち、子供を渡世とは違うまっとうな学校へ通わせている者もいる。そんな奴が内山だ。俺は奴を責めない、内山の切ない気持ちが手に取るようにわかる」
「内山、お前のかかあと子供はまかされた」
譲二は背から八寸はあろうか長ドスを取り出す。それを内山の目前に畳めがけて投げた。みごとに内山の目の前にドスは刺さっていた。
一瞬、内山を押さえていた若衆の手が緩んだ刹那、内山は刺さったドスで自ら腹を掻っ捌<<かっさば>>いた。
血飛沫が二間は飛んだ。それを避けるように老人達が右往左往した。
「おやっさん、場を汚してすまない、俺は指を詰めたりはしない、内山をもらっていく」
「てめ..」白髪の老人は握り閉めた拳から血が滲んでいた。
「精力剤もらっていくぜ」
譲二は内山を抱えながら長廊下を下がっていた。
 老人達はただ見送るだけだった。

 ジャガーに着くと内山をトランクに放り込んだ。若衆が血だらけの譲二を見とめていた。
「おい、女を連れてこい」
 若衆の一人が食堂へと翔って行った。譲二は車のトランクの横でマルボロに火を付けた。
 周りにいる若衆には聞こえない声だった。
『いい演技だ。しばらく島へ行け、奴らを全部叩きのめしたら、戻って来い』
 塚本えりは猿轡<<さるぐつわ>>を噛まされて、後ろ手に縛られていた。両目にはうっすらと涙が滲んでいる。
 譲二は一度、女と視線が会った。
「気がついたか」言うまもなく、えりはまた鳩尾の熱い拳で落ちた。
 マルボロの軌跡がゆっくりと地面に方物線を描いた。
 ジャガーがまたイグニッションで眠りから目覚め、けたたましい咆哮と共に武家風造りの屋敷を後にした。
 片手でドライブしながら譲二は携帯のリダイヤルを選択し、携帯電話を掛けた。
「内山を取り戻した。島へ女を連れて行かせる、迎えにいくか」
「ああ、そうしてくれ」きれぎれの声だ。
「おい、またシャブやっているな」
譲二は携帯電話の切断ボタンを力任せに押すと助手席にほうり投げた。「あいつは..」

 譲二と白髪に呼ばれた男はほんとうの譲二ではない、今携帯に出たいた男、塚本えりをさらった男が譲二だ。そして、あの白髪の老人の甥がほんとうの譲二なのだ。ジャガーを運転している男は、永村隆<<たかし>>が本名だ。この瓜二つの顔を持つ永村はふとした経緯で里村譲二と知遇を得た。それから、譲二の影武者として存在するようになった。いつのまにかその立場は逆転していた。譲二は心が弱かった。とても極道社会に生きていけない男だった。せいぜい、女をたらし込んでシャブ付けにして水商売で働かせるくらいしかできない。永村は水を得た魚の如く、この社会に溶け込んだ。めきめきと頭角を現していつしか一家を構えるようになった。譲二を知るものは人格が変わったと言わしめた。現組長の叔父でさえ一目置いている。誰もが次の組長は譲二こと永村隆と思われていた。

 クラブの灯は消えていた。シャッターも下ろされていた。永村は店の横にジャガーを止め、トランクから内村を出した。
「おやぶん、すいません」
「謝ることはない、いづれはこういう日がくるのは覚悟していた」
 ビルの裏口から永村と内山は店に入った。

 ボックス席に譲二はいた。下半身を剥き出しにしていた。太ももには針の跡が生々しく幾つもあった。床やガラスのテーブルに注射器が散乱していた。全裸の女達がむさぼるように譲二の性器に取り付く、床では女同士の痴態があちらこちらで繰り広げられていた。その呻き声や様子をぼんやりと譲二は眺めていた。最後は近かった。
「内山、譲二も島へ行くそうだ」
「へい」内山も繰り広げられる痴態に異常なものを感じていた。
「譲二帰るぞ」
「ああ、兄貴迎えに来てくれた」
 永村は唾を吐き散らかしたかった。

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さよならだけが人生か その2

 ありふれた毎日、職場と家の往復、変わり映えしない鏡の中の私。
 出会い系サイトでいつもドキャンされている私。

 何かわくわくする冒険がしたいのです。
 恋をしたい..そんな気持ちがつのり、とうとう市で開催する独身の若者を集めた集団お見合いのパーティに申し込みをしました。

 電車の向かいに座るオヤジ、週間ジャンプのから時々視線を私のスラリとした脚からミニの中を覗いていますね。まぁいいか。

 今日はちょっと決めています。この日のために服を買ったり、めったにいかない美容室にも行ってきたの、だからもっと視線で私を犯して..

 スナック菓子とソフトドリンク、つまらない男ばかり、私の求めている男ていったいどんな男なのだろうか?市の職員だろうか、禿げデブちびの男が私に寄ってくる。
「そんなに離れていないで、中で話しをしてください」
「はい..」
薬指にきらりと輝く結婚指輪。この男を好きになる女もいるんだ。
油きった鼻筋にうっすらと光る汗、この男とは生きていけない。
そう思った。こんな集まりにこなければよかったと思っていたときだ。「よろしければ」と一人の長身のすらりとした青年?が私に近寄ってきました。白く輝く歯並びとその笑顔はとても清潔な印象がありました。「さきほどからずうっとお一人ですよね」
「ええ」こんないい男がいたんだ。
「つまらないので帰ろうと思っていたのですが、いっしょに抜け出しません」
『ああ、なんて魅力的な誘い方なんだろう』付いて行くしかないわ。

 彼の車の助手席に収まっていました。ミニから出る脚をもう少し出そうかしら。時々脚を組み替えたりして...街はネオンがまるで夜光虫を誘うように眩しくなっていました。
「おいしいフレンチの店があるんですが、ちょっと食べていきますか」『断る理由なんてないわ、もうぞっこんよ』
運転する横顔がなんて凛々しいの..ああ、あの禿げデブちびはこの男と知り合うための道標と思えた。今ではあの集まりに感謝さえしている。
 おちついた雰囲気の店つくり、間接照明で彩られ、静かにクラッシク音楽が流れている。
「いい雰囲気でしょう」
テーブルについて、その男は給仕にワインと料理を注文した。
「あの私、塚本えりです」
男はちょっととまっどた笑みを浮かべました。
「いきづりの二人でしょう、今夜限りのアバンチュールに名前は必要じゃない」
『今夜限りのアバンチュール?』なんてキザなせりふ、『でもちょっとも不似合いじゃない』
「でもなんて呼べばいいのかしら」
「そうですね、たかしとでも呼んでいただきましょうか」
その時、一瞬男の目が何か獲物を狙う獣のように輝いたように思えました。黒い仕立ての良いスーツに身を包んだ身体から何か得たいの知れない威圧感がありました。けっしてやせすぎではなく、無駄な肉がひとつもない俊敏さをまとった身体つき、鋼のようでしなやかな身体..
「僕は形式ばった食べ方ができないので箸で食べますが」
男はテーブルに料理が並べられると一言も発しないまま私を見つめながら食べ始めました。その食べ方が異常でした。むさぼり食う犬か狼のようです。食べてる間中、笑みを浮かべまま視線を片時も私から逸<<そ>>らしません。まるで舌なめずりしているようにも見えます。
『そうよねこの後に起こる愛の行為を考えているんだわ、きっと』
私も一戦に備えて力を蓄えなきゃ、そう思って、私も出される料理を次々と平らげていきました。
 満腹感とワインのほろ酔い気分で店を出ました。

 彼の車の横に同じように黒のスーツの男が立っていました。
 その男は街角のぽっかり空いた空間に顔を出した満月を背に立っていました。だから顔をはっきりと判別できませんでした。ただ両手に黒い革の手袋..
 たかしと名乗る男が急に私の鳩尾<<みぞおち>>に熱い拳入れました。 その後、気を失いました。
「まあ並だが仕方がない」月を背にした男がたかしと名乗る男の腕の私を眺めていました。
 二人の男は私を車のバックシートに載せると急発進してこのジャングルのようなビルディングの中を縫うが如く車を進めました。
「シャブ付けにしてくれ」助手席でゆっくりとマルボロを燻らせるたかしと名乗る男は運転する男に言いました。
「はい、例によってシャブ付けの後は店に出しますか」
「すこし教育する。島に送り込んでおけ」
「はい」
「来月の初めに俺も島へ行く」
「若頭、今晩、親父さんの集まりどうします」
「お前が顔を出しておけ」
「俺は店へ回る、そこで下ろしてくれ」
車からたかしと名乗る男が下りる。黒のジャガーが月明かりの中、急発進して去っていく。店はこの街の繁華街にあるクラブだ。
 ジャガーの男の顔が月明かりではっきりと暗闇の中で浮かぶ。
 今、クラブの前で降りた男と瓜二つの顔をしていた。
 バックシートにはこの後の悲惨な運命を知らずに気を失ったままの塚本えりが横たわっていた。

「ばかな女がまたばかな男に捕まった
 こんな人生ならば
 生まれてこなきゃよかった

 生きるのがつらいとか
 悲しいとか言ってるうちはいいもんだ
 こんな地獄があるんなんて
 生まれてこなきゃよかった」

 男は涙を流しながら、ハンドル片手に鼻歌を歌っていた。

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2006年9月 5日 (火)

さよならだけが人生か その1

この頃の事をまとめて書き流し..

「坊ちゃんに会いたくて」 歴史小説家になったみたいにノートにびっしり西郷どんの生い立ちから西南戦争までの私の感想を書いています。これを脱稿したとき、すごいよなんて嘯<<うそ>>ぶいています。
まあちょっと寄り道しています。いいものを書くにはこの無駄も必要と思います。

「愛について その10」
うん悩んでいます。簡単に書けない局面です。スラスラと書こうと思えば書けるのですが、結章なのでこれはというものを書きたい。
てなわけでひたすら世界名作映画を鑑賞中。

この間に「ねた帳」に発表すべきストーリができていますが上記二つが私の前に依然立ちはだかっています。
「坊ちゃん..」ほんとうは八月中完成をもくろんでいました。こりゃ来年までかかりそうな状態になっています。

それで、「ねた帳」から二つ。

★「狂気」まあ、ピンクフロイドの「狂気」とは違いますが、徹底的暴力を主題にした作品の予定。発禁間違いなし。

★「貴方へ」年老いた郵便配達人が主人公。配達されなかった、または転居によりあて先人不明で郵便局の片隅に埋もれていた13通の手紙を配達するお話、それぞれ手紙一通で一話の話です。5つほどストーリ作りました。涙涙のお話の予定だよ。

「たまに仕事さぼろうぜ」はENDとします。

繋ぎに、「さよならだけが人生か」を5回ほどやります。

---------------------------------------------------

 寺山修二をご存知ですか? と聞いても知っている方はあまりいないと思います。詩人で小説家で演出家です。天井桟敷という劇団を主宰していました。ネットで調べてください。以下に掲載の詩を読んでみてください。私は始めてこれを読んだとき衝撃がありました。

「懐かしのわが家」

昭和十年十二月十日に

ぼくは不完全な死体として生まれ

何十年かかゝって

完全な死体となるのである

そのときが来たら

ぼくは思いあたるだろう

青森市浦町字橋本の

小さな陽あたりのいい家の庭で

外に向かって育ちすぎた桜の木が

内部から成長をはじめるときが来たことを

子供の頃、ぼくは

汽車の口真似が上手かった

ぼくは世界の涯てが

自分自身のなかにしかないことを
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
知っていたのだ
~~~~~~~~~~~~~~~~

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貴方はどう感じますか?

本題「さよならだけが..」は
同じく寺山修二の以下から借用しました。

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「幸福が遠すぎたら」

さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう

はるかなる地の果てに咲いている 野の百合は何だろう

さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろ

やさしいやさしい夕焼とふたりの愛は何だろう

さよならだけが人生ならば 建てた我が家なんだろう

さみしいさみしい平原にともす灯りは何だろう

さよならだけが 人生ならば

人生なんか いりません
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さて「さよならだけが...」を考察していきましょう。

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2006年9月 3日 (日)

たまに仕事さぼろうぜ その4

てなわけで仕事サボって4日になりました。ちょっと記録です。

昨日は「ゲド戦記」をレイトショーで鑑賞しました。まあ感想はジブリのスタッフが社長の息子のために一生懸命作った秀作というところでしょうか。今日も幕張の海岸に読書へ行ってきたのですが、その間中なぜ「ゲド戦記」に感動しなかったのか答えを探していました。

結局、「作りすぎ」という感が否めないのです。アニメーション技術に関してはもうこれ以上がないとういう作品です。

アレンの「死」というテーマに対する葛藤がなぜか中途半端さを感じます、「愛」を語るわけではなく、結局RPGの原作の基本になった「ゲド戦記」のあらすじを嘗っただけの作品になっています。

ハイタカ(ゲド)をもう少しいじったほうがよいような気がしてなりません。一度失った魔法をアレンと出会うことで回復していくとか、最初から魔法を使えるあたりがちょっと反則です。アレンの力を最後に取っておくべきではなかったのかという気もしてなりません。

カレシンをなぜ出さないのという疑問も残ります。

世界を統治する王の名前はレバネン(アレン)ということも全然でてきませんし、結局「ゲド戦記」の原作を読めということでしょうか。
この手の原作にあるものを作品する場合、やっぱり壷は押さえて欲しいのは熱烈な読者の期待をこれだけあっけらかんと裏切れるのもちょっとと思います。私が原作者だったらたぶん抗議しているかも..

世界名作映画の続き
「哀愁」を見ました。ビビアン・リーがいいです、哀愁のワルツの曲が「蛍の光」ということに驚きました。こりゃ、やっぱり卒業式とかの最後は女子生徒とダンスでお別れしたくなるのですが、日本の文部省もPTAもそんなことは許しませんよね。あたりまりのことを教えて、当たり前に卒業させる。それが今時の教育ですよね、道を歩いている少年少女にやっぱりきっちと「愛」について教えてください。

村上龍作「69」の主人公みたいに「フェスティバル」やろうぜという悪ガキはどこへ行ったのでしょう。

まあ明日は月曜日だから、もう一つの本業のほうへ行くとしますか。

あ「坊ちゃんに会いたくて」落ちました。

ごめん、原稿用紙に字が埋まってませんから。

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2006年9月 2日 (土)

たまに仕事さぼろうぜ その3

Dsc00124 そいうえば一昨日浅草でみた「電気ブラン」の写真です。
こんなアルコールが存在するのはやはり浅草が普通ではない証拠です。天晴れという感じかな。

ほんでもって本日もサボっています。
今日は本に天気がよいので幕張の海岸まで進出して本なんかよんできたぞ!(今は白州次郎オンリーです)

ついでに取ったメッセとマリンスタジアムです。Dsc00138  Dsc00127

写メなのでかなり解像度悪いです。(雰囲気)
まあチャリンコで徘徊するには最高の場所ですね。
本当にこんなすばらしい場所はありませんよ。

今、CMでもやってる「マクハリタマゴ」てこのへんだよね、
マンションいっぱい作ってます。バレンタイ通りなんか外国みたいだし..外車の路駐取り締まりしないの?て感じで当たり前に路駐しています。

この落書きすごいよ、メッセ大橋の下のトンネルで発見しました。必見だよ。Dsc00131 Dsc00132_1

それでこれから、今日は昨日の続きで水野晴朗選の「怒りの葡萄」から鑑賞です、昨日は「白い恐怖」「嵐が丘」を鑑賞しました。さすがにモノクロ映画に飽きてきていて、幕張の海岸から戻ってくる途中で誘惑に負けて「ゲド戦記」のレイトショーの前売り買ってしまいました。

それでちょっとサボりも飽きつつあるのです...
ああ「酒とバラの日々」て持続するの難しいね!

またね

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2006年9月 1日 (金)

たまに仕事さぼろうぜ その2

今日は雨が降っています。
いっぱい降ると大変なことにまります。
小さいときから雨音で目覚めるのが好きでした。
薄暗さの中に何か優しさを感じます。

もちろん人それぞれに感じ方が違います。
農家の人にとっては、暑さの続いた後の恵みの雨です。

芥川龍之介の羅生門では、確か雨止みを待っていたんですよね。
今時、雨止みを待っている人見かけなくなりました。
コンビニエンスで手に入れられるビニール傘を差す人ばかりのような気がします。

昔、祖父の家の三和土<<たたき>>に立てかけていた番傘を開いては、雨も降っていないのに、それを差して得意になったような気がします。
番傘には確か家の家紋や商店ならば屋号が書かれていたと思います。
はっきりしませんが、どこかで祖父が食事をした帰りに雨が降りだすと、その飲食店で傘を借りて帰宅する。当然、家にはその店の番傘がある。ところが、家に来た者がやはり帰宅する際に雨が降りだすと傘が貸し出される。その傘が件<<くだん>>の番傘の場合は、又貸になる。
しかし、その番傘は人々の間を渡り歩いて、最後は元の飲食店の店先へ戻っている。ああ、これが昔の物を大切にする仕組みなんだと感じ入るのです。英語でシェアリングなどというかもしれませんが、古き良き時代と言う人はこれを実際に経験している。いつのまにか個人主義が蔓延り<<はびこり>>、すべての物に所有権を設定しなければならない世の中になってしまってのですね。

万物に所有者などいないのです。空気、水にだれが所有権を言うのか、全部、人間が勝手な理由で所有権を主張しているだけです。
そう考えるとなんか雨も皆に平等に降っていますよね。
「愛」も平等に人々に与えられているものです。

てなわけで、本日も仕事をサボっています。まだ後ろ暗い気持ちもあるのですが、えいやでサボって、今日は先日TVショッピングで購入した水野晴郎選の世界名作映画20巻の視聴を成し遂げようとしています。レベッカは見ました。第三の男からの続きです。さて私もハリー・ライムを探そうとしますか...

その前に飲み物と食べ物の買出しというわけです。
本当はかわいい誰か(もちろん女性)と一緒に部屋に篭って鑑賞したいのですが..こればっかりは買出しできませんから、残念!

では See you again

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2006年8月31日 (木)

たまに仕事さぼろうぜ その1

このごろ全然ブログ更新していません すまん ネタ切れではないのですが かなり書き溜めています 今しばらくお待ちください...原稿用紙持参でこれから書こうかな..としていますが、誘惑に弱いので参ります。

てなわけで、幕張(正確には海浜幕張辺り)に生息して早3ヶ月が経過しようとしております。今日は終日、サボって浅草まで雷門や浅間神社なんか行きってきました。外で昼間からビールや酒を飲んだりするのはちょっと恥ずかしいのですが、例によってレイバンのグラサンで顔を隠しながら飲んでいました....tohoho

渋谷の漫画喫茶でこれをシタタメテイマス...貴方に青い便箋がマブシイです..(by 井上陽水 心もよう)

先日、北海道に帰郷しました。墓参りが目的だったのですが、車(レンタカー)で向かう途中で、男の子一人、女の子二人のヒッチハイカーを拾いました。全然向かう方向が違ったのですが、なんかついでに帯広まで往復360kmも余計に遠回りしました。

京都大学のサークルのメンバーとの話でした。結局、真っ暗ななか一本のろうそくをたよりに墓にたどり着いたのは、真夜中でした。怖い..一人肝試し状態です。けっしてちびったりしませんから、よろしく。まあ、青春真っ只中の諸君の少しでも応援ができたらよいと思うわけです。そんな青春をおくれてすばらしいと思います。ととしの場合は学生を8回生までやっていましたから、なんでそんなに学校いっていたの?といわれましても、なんとなくいついていました。まあ諸事情があんなになって、こんなになってましたです..tohoho

まあそのなこんなで、日本ブログ村の放浪のテーマの管理人にいつのまにかなっていましたので、今日はそのご報告とみんで書き込みしてくれのお願いをしています。

だから、「たまに仕事をさぼろうぜ」というのまたいいです。ん満足、人生に後悔なしと嘯<<うそぶ>>いている昨今です。

しかし、東京は異常に暑いんですけど、全部のクーラーを破壊するテロをしたい気分です。

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週末リリース予定

「坊ちゃんに会いたくて 23~25」

おもしろいぞ、いよいよ西郷隆盛が登場するぞ!!!

以上 またね

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2006年8月23日 (水)

愛について その9

I love you

今だけは悲しい歌聞きたくないよ

I love you

逃れ逃れ 辿り着いたこの部屋

何もかも許された恋じゃないから

二人はまるで 捨て猫みたい

この部屋は落葉に

埋もれた空き箱みたい

だからおまえは子猫の様な鳴き声で

...

I Love you 唄:尾崎豊/詞:尾崎豊/曲:尾崎豊

雪が解け 小川のせせらぎが ゆっくりと流れてゆく
厳しい冬の間 じっと待っていた花が咲き誇る

草原が緑輝く頃 僕たちは出会ってしまった
何の飾りけもない 君だったね
ずいぶんと女を持て余していたよ

小麦色に焼けた素肌 腕には花のブレスレット
うなじにうっすら光る汗
黒髪が風にそよぐたび そっと髪を整えたね
愛について語るには ずいぶんと若かった僕と
夢ばかり語る君

初めて結ばれた夜に ラジオから
どんな音楽が流れていたのか もう忘れてしまった
祖母の死んだ夜に 激しい雷が轟き
フロントガラスに叩きつける雨の中
二人は獣のように

あの夏の夜に 戻ることはできないけれど
あの夏の夜に 二人は愛の嵐の中にいたんだ

僕は学校を途中で止め 都会で君と暮らし始めた
将来など 約束はできなかった
君のお腹には 同じように
未来を約束されていない 子供がいたんだね
曲りなりにも就職し 家庭らしいきものを築き
なんとか今日まで生きてきたんだ

父親のがらじゃない僕だけれど
ぜんぶ君のおかげで 人を愛すことを知ったんだよ
二人の間には 二人の男の子ができました
今では 生意気になっていまったけれど

離婚しても 何かを埋めるために会い続けました
人と出会い別れる これも人生と考えます
ずいぶんと長い間 一緒に歩いたけれど
今でも君が一番大切な人です
子供といっしょに 人生を歩めないのは残念です

遠い旅の空下で ゆっくりと思い出の中に忘れてきた
自分と向き合い いつの日かまた会うことを楽しみにしています

むずかしいことは 考えたくはないけれど
僕の心の中にある ずいぶんと長い間 留まっていた気持ち
それに辿りつくまでの間に ずいぶんと 葛藤があったんだ
簡単に答えを得られないのもまた人生哉《かな》と

さよならも言えずに分かれた二人だけれど
そこにあるほんの些細な行き違いに
深い意味があるんだね
勇気を持って言います

心の中にある真実はひとつです

君を愛せずにいられないこの気持ち

人を愛する大切さを感じます

どんな時代でも人は「生きる」戦いを続けてきたんだよね

憎しみ続けることはできないんだよ

悲しみはいつかきっと喜びに変わり

その日 すべてを知る日が必ずやって来ます

草原の花は枯れ また咲き誇ります

あの夏の日の花は 心の中にあります

永遠の時の流れの刹那な時間だけれども
一生忘れることのできない 帰らざる時

I love you with all my heart.

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2006年7月15日 (土)

愛について その8

見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光りが
ささやかな幸せを うたってる

見上げてごらん 夜の星を
ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを 祈ってる

手をつなごう ぼくと
追いかけよう 夢を
二人なら 苦しくなんかないさ

...

(見上げてごらん夜の星を 唄:坂本九 詞:永六輔
 曲:いずみたく編曲:渋谷毅)

 この歌を唄った大島九(おおしまひさし)さんは『九ちゃん』と愛称で呼ばれるすばらしい人でした。1985年8月12日、日本航空123便は群馬県多野郡上野村の高天原山に墜落しました。この飛行機に『九ちゃん』は乗り合わせていました。普段、全日航を使っていたのに、この日に限って、チケットが取れないために搭乗し、この事故で帰らぬ人になりました。妻の柏木由紀子さん、長女花子さん、次女舞子さんが後に残されました。この事故では尊い520名の命が奪われています。この悲しみは遺族全員の胸の内に今でもあります。当時の誰もが感じたことです。

 九ちゃんは北海道の地方局で約10年間、福祉関係のTV番組の司会を担当しました。いつも笑顔が絶えないその顔は、彼の「心」からのものです。米国のビルボードで3週間トップを取った『上を向いて歩こう』を唄ったのも九ちゃんです。彼は九人兄弟の末っ子として生まれました。NHKの『夢で会いましょう』に出演していました。

 九ちゃんから頂いたいくつかの重要な物があります。人として生まれ、「生きる」ために必要なもの、それは『隣人愛』です。すべての人を「愛」する「心」を持ち続けるのは、とても大変なことです。たった一人を愛することが難しいのに...

 好き嫌いで人と付き合ってしまう、私達が住んでいる小さな世界で、私達は人を遠ざけてしまう、そんな「心」にある滓《おり》を取り払う事ができたら、きっとこのささやかな世界は確実に変わっていきます。
 貴方が「愛」を受け入れられない原因は、もちろん貴方自身にあります。そして、貴方が人に「愛」されないのもまた、貴方自身にあります。求めて簡単に得られないのはなぜでしょう。出会いがないとか、今は忙しくて、それどころではない、自分の「心」を自分自身で騙《だま》し続けてはいませんか。

激しく愛し合っていた二人が遠ざかる。年老いていく連れ合いに、すでになにも感じなくなる。永遠を誓い合ったはずではなかったのでは...

 全部、貴方の「心」に問題があるんですよね。たった一つ、「愛」にすべてを賭ける「勇気」がいつしか、絶望や失望に変わっている。それを「心」の奥に仕舞い込んで鍵を掛けてしまっています。

 いつもぎりぎりのところで「生きる」となにもかも捨てたくなります。「愛」ですらそうなります。知らない土地を旅をして、電車の隣に偶然乗り合わせた人が実は、貴方と一度激しく「愛し合った」人であったらどうしますか。お互いに気まずい時間が流れる。話すことは何もない、でも二人とも出会いの時から、一緒に暮らした時間を回想している。ありきたりの言葉では、もう修復できない二人です。

 素晴らしい時間がどうしてここに至るのか。じりじりと時間だけが流れていく、貴方がしっかりと手を繋いでいなかったからではないですか?大人になった顔で、じつは「心」が頑《かたく》なに自分を変えられないでいます。簡単です。『次の駅で一緒に降りるよ』

 途中下車でもいいんです。それが人生なんです。目的地はいつも変わってしまいます。でも二人ならどんな苦労もできる。それが二人で歩み始めた「人生」なんです。いいことばかりじゃないです。悲しみや苦しみ、そんなことがあるのが当たり前です。二人で乗り越えていく、それが二人の「愛」の始まりからの運命です。

 誰にでも「愛」を与えることは本当に難しいことです。まるで空虚な事のように思えます。でも、それは違う、貴方が与え続けることで、いつかきっと誰かが気がつく、貴方の「愛」を、貴方の「心」の真実に気がつきます。そう信じるしかありません。

 唄は空間に響き、すぐに消えていきます。人は唄を聞くと悲しみや喜びを感じます。それが、記憶となって「心」に残っていきます。そしてその人をして「愛」へインスパイアする。人は生まれ、そして死んでいく。必ずしも安楽な死ばかりではありません。時間や空間を越え、その人の「愛」が伝えられることを感じませんか。人が生まれ、「生きる」間中、人は誰かの「愛」に包まれ、そして「愛」を勝ち取っていく、なんて幸せな人生なのでしょう。たとえどんな悲惨な人生であろうと、「愛」を信じて、「愛」を与える事ができたとしたならば、後悔のない人生と言えます。

 悲しみの多い人生でも、必ず「愛」を与えることで、報われることがあります。貴方を永遠に思ってくれる「心」の存在です。たった一人でもそう思ってくれるのは、貴方が「愛」与えたからなんですよ。

 貴方を信じて、貴方に付いてきてくれた、貴方を守ってくれた、貴方のために戦ってくれた、貴方のために弁明してくれた、その存在があるから私たちは頑張れるんです。

 もう離さない絶対に、私の「心」のなかにあるすべてに掛けて、永遠に貴方と共に、そう思えた時、生死すら超えられる気がしませんか。

 「愛」の謎を解く鍵は、貴方自身の中にヒントが隠されています。

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2006年7月 2日 (日)

愛について その7

愛は愛とて 何になる
男一郎 まこととて
幸子の幸は どこにある
男一郎 ままよとて
昭和余年は 春も宵
桜吹雪けば 蝶も舞う

寂しかったわ どうしたの
ああ 母さまの 夢見たね
おふとん もひとつ ほしいよね
いえいえこうして いられたら

あなたの口から さようならは
言えないことと 思ってた
はだか電球 舞踏会
踊りし日々は 走馬燈
幸子の幸は どこにある

...

(赤色エレジー 漫画:林静一 月間「ガロ」唄:あがた森魚
 詞:あがた森魚 作曲:八洲秀章)

「怖い、しっかり抱いて!」一世を風靡《ふうび》した一郎と幸子の物語は「赤色エレジー」を生みました。フランス風な恋愛を感じるこの物語は、同世代の愛のありかたに共感を与えました。男と女が暮らす生活、それこそ裸電球一つの下にあるのは、デカダンス(退廃的)なものかもしれません。暗く、なんの生産性もない暮らし。結末は別れの予感、惹かれあう「心」と「心」には、もはや肉欲による相手から得られる「安らぎ」しかありません。

 「愛」を得るためにSEXをする。そう考えたことはありませんか。「愛」することはSEXすることと考える。経験を積む事で欲望が強くなるかもしれません。「愛」とSEXは別と切り離して考えたことがありますか。男は女と「エッチ」をすることで、初めて「男」になる。女も「男」を知ることで「女」になる、そんな錯覚をしていませんか。それで大人になった気でいる。これが、違う「愛」の物語へ進む、一歩を踏み出す切欠《きっかけ》になっていく。SEXをするとその男(女)を好きになってしまう。生物の持つ本能がそうさせているだけだと理解した時、きっと貴方はがっかりするかもしれない。男は常に排泄の欲望がある。それは、生の存続に関わる重要な欲望であるということ、女もまた種を存続するための本能がある。こう考えると身も蓋もないけれど、そこに真実がある。子作りとSEXの違いがあるかもしれないけれど、SEXをスポーツのように解説する人間を信じてはいけません。SEXのテックニックやそのような間違った教えを実践してみたい妄想に駆られる。金で自分の身体を切り売りする少女達、金で得られるものはせいぜいブランドもののバックぐらいだと気がつかない。数年後には誰にも「愛」されることのない自分にまだ気がついていない。父親の分からない子供を生み、シングルマザーになってしまったと同じような境遇の友達に嘯《うそぶ》いているのが関の山というのがわかっていない。

 悲しすぎませんか。

 人と生まれて、「愛」を知らずに一生を終えるほど悲しいことが他にありますか。ただ「安らぎ」が欲しいだけなら、その手の店で金を払えばよいという考え方もあるかもしれません。「心」はいつも揺れています。「寂しい」だけなのです。貴方を思ってくれる人が必ず、たった一人は存在しています。まだ出合っていないだけです。

 一生を平坦に生き抜くのはとても大変だと思います。色々なことがあります。会社の倒産、両親との死別、病気、離婚、破産、いっぱい不幸なことがあります。どこに「幸」があるのかわからない、簡単に手に入るSEXを「愛」と錯覚する。でもそれが本当でないという気持ちがいつも「心」にある。自分でもわかっている。それが壊れるのが怖いだけということに気がついていない。

 いつから「愛」と向き合うつもりですか。明日ですか、明後日ですか。今の自分を全部捨てる勇気がありますか。それを実は自分が一番待っていることを知っていますか。知らないでしょう。自分の持っているすべてを捨てる勇気が、なぜ「愛」に関係するのと疑問に思う。それこそ何もたぶんわかっていない、と私は言いたい。

 何にもいらないのです。地位も名誉も、そして財産も、「愛」の前では全部無意味です。どんなにりっぱな人生を送った人であろうと「愛」の無い人生をすごしたのなら、全部ただの夢幻《ゆめまぼろし》に過ぎないのです。

「愛」の暮らしをすることで、本当の貴方の得られ結果をパートナーと共有できる真実があります。それは形がなく、他人から見たらまったく価値の無いものと思える事かもしれません。でも、その中には二人の「愛」がいっぱい詰まってますよね。もう爆発寸前ですよ。そこにあるほんとうのSEXが、二人をして永遠の時を分かち合う喜びを与えてくれる。もうエンドレスです。これが「幸」です。

 泣いたり、笑ったり、喧嘩したり、できる「愛」に進むためには、どうしても超えなければならないものがあります。「心」を開くこと、そして相手の「心」の叫びを真剣に聞く勇気です。逃げてばかりいては始まらない。どんな詰まらないことにも、聞く耳が必要です、相手がそれを望んでいるのです。そして、一緒に「生きる」覚悟ができる。

「愛」の形には色々あります。社会一般で認められるものばかりではありません。不倫や同性愛、近親相姦などまるで忌み嫌われるような風潮があります。でも、そこにすべて「愛」があるとしたら、誰がそれを否定できるのでしょう。お互いがそれを望み、そして「愛」の暮らしを始める。どんな辛い未来が予想できても、その一瞬、一瞬に「幸」を見出せるとしたなら、二人にとっての「愛」が間違いなく存在しています。なにもかも捨て去る勇気があります。純粋な「愛」が存在すらしているかもしれません。

「愛」は戦うことでしか得られない、厳しい掟《おきて》があります。

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2006年6月25日 (日)

愛について その6

雨上がりの街角 しずく流れる ショウウィンドウ

あの娘にセーター 買ってやりたくて ポケット探れば

小銭が少し そしてため息ひとつ

喧嘩するたび僕は

悪いのは みんな 君だよと 思い込ませた

あわれなあの娘 涙にぬれて

どうしていいか わからないと うつむいた

悲しい夢を見た

僕の名を呼ぶ あの娘が 誰かに 連れ去れていく夢

ラララ ラララ ラララ ラララ ララ

悪いのは僕

許して 悲しい 思いさせて

...

散歩道 唄:浜田省吾 作詞作曲:浜田省吾)

 いつのまにか一緒に暮らし始めていた。「好き」の一言で一緒に暮らし始めた。親にも兄弟にも秘密にしている。「同棲」という言葉の意味もよくわからなかった。「愛したことなど一度もなかった こうして君に会うまでは...」
 拙い「愛の暮らし」を始めてしまった二人。なにもかも経験したことない暮らし。最初はとても幸せな日々が続く。どんな些細なことにも喜びがあった。

 しかし、突然それが夢だったと気がつく日がくる。「生きる」という現実の前に、なにもかもが陳腐に思える。何が違ってきたのか。偽りで暮らし始める日々、それぞれが求める「夢」が違っていた。「背中向けたまま眠る夜...」、「ただ傷つけずに暮らす日々...」、「愛」を忘れてしまう。どうしてそれほど激しい思いが、遠くへいってしまうのか。

 こんなにつらい思いをするのであれば、最初から「愛」など求めずにいればと後悔する。でも離れられずにいる。壊れた「愛」を引きずったままで、その「愛」を失うことが怖いだけと気がつかない。

 二人は今、試練の嵐の中にあります。それは決して後戻りできない、厳しいものかもしれません。それを支えられるのは二人しかいないということにまだ気がついていません。

 人が「愛」を求める時、そこには何かの代償が付き纏います。なぜなのか、相手を思うと時、自己を否定しなければばらない無償の自己犠牲が存在します。「心」を殺してまで「愛」に生きるのか、そんなことがあるのか、とても不思議に思えます。

 なぜ「愛」はこれほどの代償を求めるのか、人は生まれた時から、「愛」の中にあります。それがあったからこそ、「生きる」ことが可能です。考えてみてください、私達のだれでもが両親の「愛」によって生まれてきています。それは日常の中にある。でも誰もそれを容易に理解できない。どんな品物、出来事の切欠《きっかけ》も「愛」から生まれてきているという事実を認めなければならない。それを信じない自分が、このすごく辛い、壊れた「愛」の暮らしを創っているという現実があります。

 二人で思いっきり泣いてみてください。この頃、人前で大声を出して泣いたことがありますか。「涙」は「心」の汗と言った人がいます。ほんとうにそう思います。笑いを忘れた大人はたくさんいます。もっといないのは、泣く大人達です。二人しかいない部屋で、二人で思いっきり泣いてみてください。もう言葉はいりませんよね、答えを見つけられますよ。貴方を抱きしめてくれるのは、今、貴方の前でオイオイ泣いているたった一人しかいませんよ。「心」の叫びを聞いてあげられる、それが貴方の「愛」のありかたです。また、貴方のパートナーにもそれが求められます。皆こうやって戦ってきたんです。

 だから貴方の周りにあるすべてのものが存在しています。くだらない物と貴方が思う中にも、「愛」が隠れています。それを見出せずにいる貴方がいる。形がないのに、あらゆるもののエネルギーの源は実は「愛」から生じている。それを見出せるようになった時、必ず「愛」がまた貴方の中で生まれてくる。それは当然バージョンアップしたものになっている。どんどん成長し続ける。これができないでいる内はきっと、また「心」の「扉」を固く締め切っています。

 人にどう思われようとかまわないと思うかもしれません。残念ながら、人として生まれてしまった貴方は、人の中でしか「生きる」ことしかできない。そして人の「愛」の中でしか生きられない。貴方が与える「愛」に代償があるのは当たり前なのです。それを常に相手から求め続ける、相手からそれを得られない時、貴方の「心」が空転し続ける。与えても得られない「愛」があるということに気がついていないだけです。

 私達が「生きる」ことができるのは、すべて、この「愛」に始まり「愛」に終わります。悲しいかな与え続けても、きっちとキャッチしてくれない人もいます。それを知ってください。貴方の「愛」の完成はまだまだ、先のことですよね。私もですけど。

 どんな些細《ささい》な事にも「愛」が潜んでいます。

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2006年6月18日 (日)

愛について その5

あなたの燃える手で 私を抱きしめて

ただ二人だけで 生きていたいの

ただ命の限り わたしは愛したい

命の限りに あなたを愛するの

頬と頬よせ 燃える口づけを

交わすよろこび

あなたと二人で 暮らせるものなら

なんにもいらない

なんにもいらない あなたと二人で

生きていくのよ

...

(Himno al amor(愛の讃歌) 唄 :越路吹雪 作詞:Edith Piaf
 作曲:Monnot Margueritte 訳詞:岩谷時子)

 ピアフは悲しみの中にありました。彼女の恋人、プロボクシングの世界チャンピオン、マルセル・セルダンがニューヨーク公演中のピアフに会うために乗った飛行機が大西洋上で墜落しました。なんて悲しい「愛」の終わりなのでしょう。妻子のある男との「恋」は成就することなく、涙ながらに唄う彼女の歌は「世紀を変えた」とまで言われました。大道芸人の両親から生まれたピアフは幼いころから街角に立ち、歌を唄うことで生活する暮らしをしていました。両親とも別れ、一人ぼっちの彼女には歌しかありません。彼女はいつも「愛」を求めていました。イブ・モンタンとの熱愛と別れ、そしてまたマルセルとの死別、傷心の中からこの歌が生まれました。

 人は「愛」によって成長するということ、これは事実です。人が子供を育てることによって、初めて親になるということと同じように、人は「愛」によって「人生」が変わり、そして自分自身も変わっていく。いままで考えもしなかった色々な「心」の動きを知ります。まるで病気にでもなったような激しい痛みが伴うかもしれません。そのすべてが「愛」の働きであり、その経験がひとつ、ひとつ積み重ねられ、その人の「愛」のありかたになります。

 求めても得られない「愛」があります。失った「愛」をいつまでも「心」にしまい生きなければならないこともあります。そのひとつ、ひとつが異なる「愛」の物語です。同じように見えて、どれも違う、それが人生と言えばそれまでかも知れません。しかし、私も貴方も二人で作り出した「愛」の物語の中でヒーローであり、またヒロインです。どんな運命が先にあるのか、誰にもわかりません。その当事者である二人にとって、他の何も目に入らない、人の語る思想や忠告の類《たぐい》にも一切聞く耳を持たない、「愛」の中心で吹き荒れる嵐に、しっかりと手をつなぎ、そして「愛」を語り合う。純粋で無垢《むく》な「心」があります。すべてを信じられる時、二人にはなにもいらない。その瞬間に永遠の時を刻む、違いこそあれ不変の「愛」の物語が存在します。

 人を信じられなかった。そういう人がたくさんいます。人を信じることはまるで鏡に映し出される、自分を信じることと同じということ、つまり自分が信じられない人が陥る不信感が貴方をして人を信じられなくする。いつも自分の臆病な「心」を自分で理由を見つけては、弁解しているはずです。そこには何も生まれない、暗くじめじめした陰湿な日陰花のような悲しさだけがあります。もし、貴方がそこから脱出したいとする、それにはかなりのエネルギーが必要かもしれない。その切欠《きっかけ》を待ち続けているだけかもしれない、どうしたらよいのか、合理的に考えることが難しいはずです。

 何が問題なのか。眼を瞑《つむ》って、貴方の「心」に問い掛けてみるしかありません。問題は貴方の「心」の中にきっちりと存在しています。「心」にも「扉」があるということを知っていますか。その「扉」に訪問者がやってきています。ノックをするのを感じませんか。そうなんですいつも、貴方の肉体で鼓動を打つ心臓があることを忘れていませんでしたか。それは、貴方が「生きる」ためにいつも貴方と共にあります。この「ハートビート」は、「愛」の訪問で勢いよく打ち出す。しかし、なかなか「扉」を開けることができない。ちょっと開ける「勇気」が必要です。その後は、いままでが嘘だったかのごとく、怒涛のように「愛」が訪問して来ます。『こんにちわ』という感じかもしれません。きっと、いままで悩んでいた自分が不思議に思えます。

 「愛」はすべてを受け入れることから始まります。たとえ私が嘘つきで、働きもせず、くだらない男だとしても、そのすべてを信じられること、そこに「愛」の力があります。貴方はそれを受け入れた時、この「愛」の旅立ちを、きっと始められます。嘘さえ肯定できるかもしれない。なぜでしょう。それは、私の中にある「愛」を信じたからです。「愛」の前では、世の中のどんなことも瑣事《さじ》と思えるからです。

 人の関係はちょっとした誤解で次々と衝突が生まれます。憎しみの始まりは、きっとほんの些細《ささい》なことかもしれません。これを解決するには、やはりたくさんのエネルギーが必要です。しかし、私達はこの世の中に「生まれて」きてしまった。そこにはすでに、あらゆる事を受け入れなければならない宿命があります。その事を認めなければ、前には決して進めない、そのためには私達自身の「愛」の力を高める努力が必要です。そこから、貴方自身の内面の輝きが生まれていきます。貴方の「第二の誕生」です。

 生まれ持った生から、人の「心」が芽生えてきています。今までも「心」を持っていたと勘違いしていた自分がいます。まるで、道端に転がっている石のように頑《かたくな》な「心」に、今初めて「愛」が「ハートビート」してきています。

 「愛」は貴方の内面を輝かせ、光で満たします。
 

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2006年6月13日 (火)

愛について その4

When you wish upon a star             星に願いをすると

Make no difference who you are      誰もが

Anything your heart desires            心から願うすべてを

Will come to you                            きっと かなえてくれる

...

(When You Wish Upon a Star(星に願いを) 作曲:Leigh Harline
作詞:Ned Washington 訳:ととし)

 なぜ人は人を「愛」するのか、それは失った自分のもう一つの性を取り戻すためなんのでしょうか...

 あの夜空に輝く星々を何度、眺めてはため息をついたのでしょうか。幾つもの昼と夜を越えて、同じ空の下で暮らす二人が出会う偶然を待ち続けながら、私達は失った何か(Anything)を求めて彷徨っています。

 きっといつか出会うであろう人を想像することは、誰もが夢見ることではないでしょうか。「運命の人」はすぐ近くかもしれません。いいえ、遠い異国の地で暮らしているかもしれません。それは、まったくわからないのです。ただ、あの夜空に輝く、星を見てきっと貴方《あなた》と同じ思いをしているかもしれません。

「愛」について考えるとなんてロマンチックなのでしょう。これが、同じ人間が、人を憎んだり、戦争をして同じ人間を殺したりする。罪のない兵士が罪のない人を殺す。そんな世の中で私と貴方は偶然に「出会ってしまった」

「金」だけがすべての世の中みたいな考え方、物質だけに執着する大人達、人を「愛」すことを忘れたたくさんの人々、今二人に何が必要でしょうか。TVや映画のような人の意思で創られたフィクション(虚構)の世界では決してありません。どちらかといえば、泥臭く、汗の匂いさえする生々しい世界です。そこで「出会ってしまた」のです。これらすべてを受け入れること、ここから始まりですよね。

 どんな境遇でもその二人の「愛」を遠ざけることができるでしょうか。もし、財産やその他の欲望のために、二人が共にするとき、そこにはまったく「愛」などありませんよ。真実の「愛」の前に、空間や時間などの隔たりが問題でしょうか。そんなことは絶対にないと断言したい。
 人が人を求める自然さの中にある誤謬《ごびゅう》や妄信《もうしん》の類《たぐい》を信じてはいけないと思います。人が人を求めるのは、「愛」の一点において、他の何物も必要がない。それを信じられるか、それが二人に命題として与えられた最初の試練ということに直ぐに気がつけばよいのですが、そうなかなかうまくはいかない。ちょっとした疑いや、嫉妬などでどんどん「心」が離れていく。最後は二度と会いたくないなどと「心」を閉ざしてしまい、まるで仇《かたき》のようにさえ思う。

 そういう時、貴方が一番優しい気持ちに成れるのはどういう時か思い出してみてください。きっと、そこに解決が隠されています。実は、貴方自身の中にある「心」が、今病気に罹《かか》りつつあるということ、それは経験による「心」のコントロールが未熟であることを知ればたいていは治癒《ちゆ》できます。

 ちょっとした工夫でいいんです。二人の原点を思い出してみてください、それはきっと、今までの生活習慣、性格、家庭環境も異なる、人と人が出合ったはずです。そこに「愛」が芽生えた。それは決して後戻りできない事実です。それが二人のすべてのはずです。それ以外に何が必要というのですか。「金」や「家」は「愛」ではないですよ。

 貴方の命と私の命が等しいくらい「愛」し合ったはずです。それが「心」変わりしてしまった。悲しいくらい「心」が痛い、ほんとうに死にたい気持ちになってしまう。そして「心」の奥深くに仕舞い込んでしまうが、ふとしたきっかけでその記憶が蘇《よみがえ》る。「ああ、こんなことならあんな人のことなど『愛』さなければよかった」と考える。
 満天の星空の下で誓い合った「愛」は彼方に消えたのでしょうか。
 「いいえ、あの星の一つが私、そしてあの星は貴方」そんなことを語ったことを思い出したください。いつだって、夜空で貴方のパートナーの星が輝いていますよ。それは、何も言わないけれど、じっと貴方を照らし続ける。決して現世で結ばれることのなかった「愛」かもしれません。そう思うと決して憎しみは生まれない。人に言えない事情があって分かれたかもしれない。「愛」は必ずあったのですよ。

 そうです、あの輝く星が知っています。貴方の「心」にあったものなのです。きっと、すべてを知っています、貴方の「心」にあるように..
 いつまでも「心」の傷をもって「生きる」ことはできませんよね。
 「愛」は「すべてを許す」ことから始まるんです。それができたとき、きっと貴方はまた「愛」の旅立ちができます。失われた貴方の何か(Anything)を求めて...

「許すことを学ぶ」これもた「愛」の絶対的な力なのです。

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2006年6月10日 (土)

愛について その3

胸に しみる空のかがやき

今日も遠くながめ 涙をながす

悲しくて 悲しくて

とてもやりきれない

このやるせない モヤモヤを

だれかに 告げようか...

悲しくてやりきれない 唄:ザ・フォーク・クルセダーズ
 詞:サトウハチロー 曲:加藤和彦)

 恋の初めは切なく、そして何かもの悲しさがあります。これはどうしてなのでしょうか。それまで強い自信があった自分がまるで嵐の中で翻弄《ほんろう》される木の葉のように揺れ動き、ちょっとしたことで涙を流すことさえあります。『心』が無性に寂しく、そして一人でじっとしていることがこれほどつらいことであったことに気がつくかも知れません。
 人は一人で生きられない生き物とつくづくと感じるものです。それを初めて知るとき、人は『恋』に対する不安と期待に打ち震えながらも、自分の本当の『心』と向き合い始めています。淡い期待などもうありません。あるべき自分の『心』の方向は決まっています。でもそれを認められない、自分の『心』の真実にまだ気がついていません。

 貴方に会って、私という存在がなぜあるのか、その疑問と不可解な動揺が常に、私の中で渦巻いています。これが『恋』ということに気がつく聡明な知恵があればよいのですが、まだ人生経験が未熟なうちは、まさにモヤモヤした『心』が私を支配します。

 自然の摂理に従えば、男と女は結ばれるために生まれてきています。しかし、人として生まれれると動物的な欲求より、なぜか『心』による結びつきを求めます。それは、動物の中で唯一複雑な意思の伝達を与えられた宿命なのかもしれません。もちろん動物にそのような感情がないと否定するこてはできません、人ほど複雑な『心』の機微《きび》を持つ動物はいません。

 人が人によって否定される、これほど不安な気持にさせることがあたでしょうか。『恋』の告白をするには、自分自身の全身全霊を掛けなげれば、成し遂げられないということを感じているはずです。その結果を聞くことに、これほど勇気が必要であるということ、こんなことが今まであったでしょうか。私という存在がじつにちっぽけでみすぼらしくさえ思えます。その日を待つ、焦喪感《しゅうそうかん》もまた不安へと導きます。

 『好きです』たったこの一言を言う勇気がいるのです。簡単に言えば言えそうです。でもそれに至る『心』の動きを律する経験がありません。いくつかのストーリーを思いつくかもしれません。でもいつも否定してしまう、どっちつかずの私がいます。迷っている私を救う答えを見出すことができません。もう何もやる気がおきません。世界が終わってもいいとさえ思います。

 やがて、今まで気がつかなかった、空を流れていく雲、朝目覚めると聞こえる雨音...その存在ひとつ、ひとつについて印象深く考えるようになります。さらに、今まで見ていたすべてがどこか違ったように見えてくる。なぜ、こんなに素晴らしい世界に生まれてきたのか、そのひとつ、ひとつが私の生まれるまえから、なんら変わることなく存在していることにふと気がつきます。私はこの世界で『生かされている』という真実を知るとき、人は間違いなく変わろうとしています。

 人は母親から生まれてくることを誕生と呼びます。そしてこの『恋』へ至る道において、再び生物として誕生するのではなく、人として誕生しようとします。自己の『心』と真剣に対峙する苦しみを敢えて試練と呼べば、避けざる道として歩む必要があります。その機会を与えてくれたすべてに感謝の気持ちを持てるかもしれません。

 そしてこの経験は、人それぞれが必ず通らなければならない。それもたった一人で答えを出す必要があります。もちろん、正解などありません、それぞれが導き出した答えを、誰も否定できないからです。誰もがかってそれを知る者であったはずです。

 青い『心』のままに、『恋』に憧れていたあの頃を、誰もが経験したはずです。涙に明け暮れることもあります。恋焦がれた人と結ばれることもあります。きっと、その過程で私の『心』は『愛』について学んだはずです。臆病になるかもしれません。でも答えはないんです。

 ずうと『心』の奥に封印した気持ちを解き放つとき、すべての答えがわかるような気がしませんか。迷っていた自分がおかしく思えるかもしれません。

 『大好きです』、『貴方無しでは生きていけません』、『貴方について行きたい』...告白する科白《せりふ》はたくさんあります。言葉が必要でないかもしれない。目だけで気持ちを伝えられることもあります。そのいづれも私の真剣な『心』が必ず、そこにはある。何日も何年も思い焦がれていた私だからこそ、それが可能となるはずです。すべてがそこで初めて繋《つな》がる、実はその過程で点のように存在していたすべてが一直線な線で結ばれる。たとえそれが繋がらなくても、決してそれは無駄にはならない。なぜなら、私は今『人』として生まれる苦しみの中にあるのですから...

 その機会を与えてくれる『愛』について、まだまだ経験が必要なのです。

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2006年6月 3日 (土)

愛について その2

その2

なつかしい 痛みだわ
ずっと前に 忘れていた
でも貴方を見たとき
時間だけ 後戻りしたの
幸せと 聞かないで
うそつくのは 上手じゃない
友達なら いるけど
あんなには 燃え上がれなくて
失った 夢だけが
美しく 見えるのは なぜかしら
過ぎ去った やさしさも
今は 甘い記憶
Sweet Memories...

Sweet Memory 唄:松田聖子 作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂)

 人は忘れていた過去の「愛」に再会するとき、その「愛」の中で過ごしたすべての出来事や相手の仕草、話あった一言、一言がまるで昨日のように思いおこされるのではないでしょうか。
 もちろん「愛の経験」が個人、個人で異なる経験であることは間違いないと思います。その「愛」の中で過ごしているとき、漠然とした未来についてなにも考えていないかもしれません。なぜかというと、自分の持つすべてをその「愛」に賭けていた、そしてそれ以外の何物も必要としなかったからです。「無償の愛」という言葉があります。女は子供を生んで、子供に対して「愛」を感じます。それは何もにも変えられない「愛」のはずです。まさに「愛《いと》しい」という気持ちではないでしょうか。

 いろんな境遇があります。皆が同じような素晴らしい人生を歩めるような約束はありません。日々の努力が報われなく、墜ちるところまでいってしまう事もあります。でも人として生まれてくる幸運が貴方をして「愛」を経験させてくれるのは万人に賦与されていることにおいて平等です。

 ほんとうに「愛し合って」いても結ばれることなく、別の人生を歩むこともあります。ハンフリー・ボガード主演の「カサブランカ」でもパリで激しく燃え上がる愛の中にいた二人が戦争という悲劇で引き裂かれる。そして、アフリカのカサブランカで再会します。女にはすでに夫がいる。戦局はいよいよアフリカまで来る。アメリカ行きの旅券を彼女の夫に与え、ボギー(ボガードの愛称)はカサブランカに残るというストーリです。「マルタの鷹」のニヒルなボギーではなく、「愛」という重い荷物から決別して、最果てのカサブランカに流れついた男はやっぱり「愛」を忘れていたわけではなかったのです。

 どうして人を「愛」することにこれほどの重い責任が付きまとうのでしょうか。もちろん簡単に「愛」に墜ちることもあります。しかし、人生を「生きる」には、つねにこの「愛」と向き合わなければならない。逃げ続けることはきっとできないはずです。それが、人生を「生きる」道の中で必ず出会うことならば、少しはその「愛」について、どういうふうに向きあうのか、心構えのようなものを持つ必要がきっとあるはずです。常に相手の人生と接し、お互いが歩んでいくこの旅の「連れ合い」とするのですから...

 出会いはどのようにあるのか、もちろん偶然知り合い、そこから「愛」を育んでいく、そして結婚というストーリもあります。お見合いで結婚というのもあります。今では「合コン」という機会もあります。人それぞれにいろんな出会いがあります。自分の思い描くような出会いで知り合うことは実際は希少ではないでしょうか。でも、人は出会ってしまう。それがどのような機会でやってくるのか、誰も知りえない。「愛」に結ばれないで終わってしまうこともある。その「愛」へ発展するプロセスは、実に千差万別であります。そのすべてが「愛」というものならば、「求めて止まず」とまでいかないまでも、心の間口を少し開けておく必要があります。ただ単に一緒にいるだけの恋人が必要なのとわけが違う、なにしろ、この後、もしかしていつ終わるともしれない、「人生という旅」のパートナーとなるたった一人の人と結ばれるのですから。その重大さを心しておかなくてはなりません。

 生きてきた道程が違う二人が出会うのですから、考え方、物の見方、食べ物の好き嫌い、もちろん性格なんかも一緒でないはずです。そこが面白いのです。まったく違う二人が出合ってしまう。ほんとうに「神のみが知る」出会いが待っています。それは予《あらかじ》め予約済みというわけにはいきません。ある朝、友人が女(男)の子を二人連れて貴方のもとにやってくる。一方は友人の彼女(彼氏)、片方は恋人がいない。貴方の耳元にささやきがあるかもしれません。『「勇気」をもって』、そうです、もし貴方がその方に好意があるのであれば、後は貴方の背中を押すのは、たった一つ「勇気」だけです。

 それがなくては本当にいつまでも、この「愛」に向き合えないとおもうのですが..そして、この「勇気」の先にある、すべてを受けいることが試されています。たくさんの選択が用意されているような錯覚があると思います。実際はないです。つねに現実という世界で「生きる」私達ですから、映画のような「愛」があるわけではないと思います。

 まず誰かに「恋」をすること、これが実に大切なきっかけですよね。そして、きっとそれは貴方にやさしい心を持つことを経験させてくれます。

 今まで、同じ道を歩いていても気がつかなかったすべてを、喜びを持って受け入れられる気持ちが生まれます。すべてが「愛《いと》しく」感じられるようになったとき、きっと「愛」を受けいられる準備ができているのではないでしょうか。

 「愛」はまた「心」の一面を表す心象なのですから...

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2006年6月 1日 (木)

愛について その1

その1

 たくさんの方に「放浪舎」に訪れていていただき、ほんとうにグレートサンクスです。今、かなり厳しい締め切りと戦っています。週末までに..その間隙を縫って、「坊ちゃんに会いたくて 17」を書いております。そして、もう一つの私のブログのテーマ「生きる」についても書きたいと思います。「誰も教えてくれない..」もなんとか5回もやりましたけど、ちょっと尻切れトンボかな。

 今回の小テーマ(かなり深遠です)、10回というノルマを自らに課してみたいと思います。とくに「今時の女子《おなご》」に言いたいのです。では、スタートです。

 『自転車に跨り、ジーンズから刺青入りの半ケツを出して、タバコのポイ捨ては止めてください』先々月、渋谷のスペイン坂のお前だ。「オヤジ化する前にしっかり女子とはどうあるべきか経験しなさい」という私もすでにかなりのオヤジですから...

 まあいろな人生があるから「いいか」なんて言ってはいられません。大和撫子《やまとなでしこ》はどこへ行ってしまたのでしょうか?もちろんそれに見合う男もどこかへ行ってしまったのでしょうか?
 あまり難しい話をするつもりはありません。どの時代でも古い体質を壊してきたのは、若い力ですよね。マチガイない

 私自身を振り返ってもその時代、時代でものの考え方もどんどん変わっているのですから、ましていろんな世代の方が生きて、いろんな経験をする中で、私が「愛」と面と向かった経験を言うのもおこがましい気がします。「愛」を語るにはまだまだ、経験が浅いです。私の考える「愛」とはになってしまいます。それでも、いろいろな面をもつこの言葉の意味をあらためて考察していきたいと思うしだいです。

 それこそ美男、美女がおりなすロマンスのような物語の「愛」について書こうなんて思いません。こんな例はレアです。

 最初は「ボーイミッツガール」が存在しなくてはなりません。「愛」のきっかけは、男と女が出会うことから始まります。{もちろん同生の場合もあります。私はこれを否定するつもりはちっぽけもありません。念のため)いきなり熱烈な「愛」に陥《おち》いることもあるかもしれません。しかし、たいていは「気になる」存在からではないでしょうか、それがいつしか「恋」に変わる、そして「片思い」から実は「両思いだった」なんて都合のいい場合もあります。でもどちらかが「告白」するのではないでしょうか。そしてうまくいけば、「付き合う」なんてことになる。そしてお互いをすべてを知り合う期間があります。これが「恋愛期間」と言ったりしています。そして、結婚するという道筋が続きます。
 この中に「愛」が存在しているのでしょうか?
 この後は、出産~中年~老後という中で、「愛」はどのように変質していくのか、惰性とういか、打算というか、なにが「愛」だったのかと疑問に思うことがありせんか。

 まずこのあたりを疑い、社会的な通念や、経験してきた「愛」に関する錯覚を捨ててみませんか。もちろんそう簡単にできることではないと思います。でも、なんどか「失恋」を経験した貴方なら、なんとなくそのきっかけを知っているのではないでしょうか。

 つまり「愛」という言葉の持つ「幻覚性」について、議論を始めたいと思います。

 そして、正直な気持ちで「愛しています」と言える自分に帰結する、自分自身を発見する旅をはじめてみましょうか...

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2006年5月28日 (日)

誰も教えてくれない その5

5.ばくちの勝ち方

 阿佐田哲也の「麻雀放浪記」には一流のばくち打ち(博徒)の物語が描かれています。ばくちに興味がなくてもその世界のなんたるかを知ることができます。第一巻の青春編は和田誠監督作品として映画化されました。

 刑法では第185条 賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。 とあります。

 競馬・競輪・競艇・宝くじ・TOTOなど公営ギャンブルがあります。官によってばくちを統制し、民でおこなうことを禁じています。
 まあ胴元が公務員(実際は委託された公営の非営利団体となっています。)といわけです。
 誰でも幸運による大金を掴みたい欲望があると思います。それも何度かその幸運を知ると、さらなる欲望がばくちへ駆り立てます。なんども損をしては、『これが最後だ』と自分に言い聞かせます。しかし、またばくちにのめりこんでいきます。ばくち打ちの脳から特殊なエンドルフィンがでるのでしょう。

 さて本題です。ばくちの勝ち方について、もちろんどのばくちにもそれを生活の手段としたプロがいます。その相手に勝負して勝てる確率は実に幸運しかありえないということをしっかりと覚えることが第一歩です。

 中国の孫子の兵法にもあるように『彼を知り己を知れば百戦殆うからず 』でわかるように、戦う相手を研究する必要があります。もちろん今の自分の実力を知った上で、戦うべき「天のとき」を練ります。いつでも戦うばかりでは自分が疲労するばかりです。
 勝負には「時の運」があるということこれが第二歩です。相手が勝ちの流れに乗っているときは「見」を決めこむ勇気が必要です。つまり「流れの時期」をつかむのです。かならずその時がやってきます。

 ふたたび孫子から『戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ 』、まず勝負は正攻法で戦います。そして相手の戦略やほころびを待ちます。そしていざと思うとき、奇襲作戦をおこないます。逆襲です。これが成功するとまず、相手は十中八苦破綻するでしょう。
これが「押し」です。

 『兵は詭道なり 』そもそも戦いとは騙《だま》しあいです。ポーカフェイスのできない人はばくちはできません。いい手が来たとたんにこにこしていてはまず勝負いぜんで負けています。麻雀でも誰かがリーチを掛けると、とたんに下りる人がいます。これは戦う前から負けています。勝負できない手でも、まるで聴牌しているように下りることで、相手にプレッシャを掛けることができます。これが他の打ちてにも警戒を与えることができます。
だま聴牌している者を下ろさせることもできます。

 『その疾きこと風の如く、その徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し 』(風林火山)この言葉は武田信玄の旗印です。一旦相手が破綻したら、まるで火の如く相手を剥ぎ取ることこれが第三歩です。情け容赦なしです。勝つとはそういうものなのです。情けはばくち打ちに一つもいりません。命を掛けているのですから、つねにきりぎりのところでプロは戦っています。運など信じていません。じっと蝉の幼虫のように地中にその時を待っています。すわ、一旦戦いに臨めば、ミーンミーンとその生を謳歌するのです。

 人生もまたばくちのようなものかもしれません。この道では必ず、分岐点に直面します。どの道に進むのか、結果はわかりません。

 それを選択するのは貴方自身のばくちの勝ち方にかっかています。

 ふたたび麻雀放浪記から、「死んだら負けだ」

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2006年5月21日 (日)

ロバート・ジョンソンという旅人

ロバート・ジョンソン(Robert Johnson1911-1938)はアメリカが生んだ偉大なブルースギターリストの一人です。3コードという演奏はたぶん彼のためにあったのではと思われるほどです。かのエリック・クラプトンがカバーして有名になった「クロスロード」(十字路)の原演奏者です。

「十字路で悪魔に魂を売り渡して引き換えにテクニックを身につけた」といわれています。

この人毒殺されて死んでいます。それも自分の女を寝取られたクラブのマスタが酒に毒薬をいれて殺したということです。彼は複雑な家庭環境で過ごしました。(家には父の愛人が暮らし、さらにその子供達もいました。もちろん実の母親も暮らすという生活) まだ奴隷制度の名残りのあるミシシッピーで誕生しています。自分は農夫と思っていたようですが、クラブで歌うようになったてから仕事を止め、ブルースシンガーとして旅から旅の暮らしをはじめました。

彼はどの町へいっても女のところに転がり込みます。たいていは演奏しているクラブでみつけたようですが、その女の選択が実に考えさせられます。容貌にまったくこだわらなかったそうです。綺麗とかかわいいとかいう女には、だいたい男がいるので、へたに手を出すとトラブルに巻き込まれることを経験で知っていたのでしょう。これは小さいときからの家庭環境で学んだのでしょうか。彼はメジャーレーベルからレコードを出していません。結局は旅芸人で一生を終えるのですが、彼の演奏を聴いた者はその演奏が記憶に残り、それに続く後進の演奏者に計り知れない影響を与えました。

「心」に刻まれた経験が人づてに伝わっていく、いつしか彼は伝説のブルースシンガーになっていきます。彼の存在自体ではなく、彼を知っている多くの人の感性に影響を与えたことが重要だったと思います。かれの演奏する一本調子のギターのバッキングやリフをよく聴いてください。

私は全部 「お前を愛している」と聞こえるような気がするのですが..

結局、女のトラブルで殺される運命も普段から注意していたルールを守っていたならばと考えますが、やはり運命には逆らえないのかもしれません。

Cross Road Blues

I went down to the crossroads, fell down on my knees.
I went down to the crossroads, fell down on my knees.
Asked the lord above for mercy, Save me if you please.

I went down to the crossroads, tried to flag a ride.
I went down to the crossroads, tried to flag a ride.
Nobody seemed to know me, everybody passed me by.

I'm going down to Rosedale, take my rider by my side.
I'm going down to Rosedale, take my rider by my side.
You can still barrelhouse, baby, on the riverside.

You can run, you can run, tell my friend-boy Willie Brown.
You can run, you can run, tell my friend-boy Willie Brown.
And I'm standing at the crossroads, believe I'm sinking down.

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2006年5月18日 (木)

セレンディピティー

セレンディピティー(serendipity)の意味は英和辞典では「ものをうまく発見する能力, 掘り出しじょうず;幸運な発見」とあります。英国の小説家ホレス・ウォルポールがエリザベス・ジャミソン・ホッジズの『セレンディップの三人の王子』を読んで、1754年1月28日の友人宛の手紙の中で造語として使用したのが始まりです。セレンディップはスリカンカの古名です。三人の王子が王が命じたあるものを探す旅にでます。探してもいない何か(Something)を偶然みつけるとういお伽ばなしです。三人の王子は知恵と勇気によって困難な旅で本当に大切なものを見つけるのです。ちなみに2000年度ノーベル化学賞を受賞した高分子化学の白川英樹博士がこの寓話を引用してスピーチを行い、この単語が日本でも認知されるようになりました。

この反対語にJapanity 「誰もがやっていることを追いかけ、必然のところで発見する能力」と日本の技術を揶揄した単語があります。

私たちの人生も常に平凡の中に、なにかしらの偶然の出会いや今まで気づかなかったSometingがたくさんあります。それはそのときすぐに気が付く場合もあります。長い年月を経てはじめて気が付く場合もあるでしょう。意識してそれ(Something)を得るのは難しいことと思います。凡を極めて、非凡に至る努力によってきっとそれを獲得できるのでしょうか?

山本周五郎の短編に「花匂う」という作品があります。主人公は蜜柑の花匂う頃にその匂いが嫌な匂いと感じるようになります。それは隣に住んでいた他家に嫁いだ「多津」をイメージするものだったからです。実は姉のように思っていた「多津」を失ったことによるものだったのです。やがて「多津」は出戻ってきます。そしてクライマックスで主人公が言います。

「..二人が結びつくためには、これだけの時間が必要だったんですよ。-この世で経験することは、なに一つ空しいものはない、歓びも悲しみも、みんな我々によく生きることを教えてくれる。..」

この蜜柑の匂いに込められた秘密を解き明かすことに、これだけの時間が必要であったのです。それは愛を封印していた自分に気づくことだったのです。

たぶん私もセレンディピティーのような探し上手ではありません。とにかく前へ進んでその後に気が付くと思っているのですが...

追記:

私の山本周五郎の新潮社文庫はすべてBOOKOFFへ売ってしまいましたが、この作品を収録した「花匂う」だけは売れませんでした。なぜかというと、この作品が大好きだからです。それと周五郎さんの編集者であった木村久迩典さんはご存命なのでしょうか。すごくお会いしたい一人です。

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2006年5月17日 (水)

誰も教えてくれない その4

4.異性との付き合い方

 生物学的に異なった染色体を持つ異性との付き合い方など議論するには百の哲学を持ってしてもそのあり方に千差万別の感があります。
とりあえずひとつの考察としてのべたいと思います。

 大正から昭和にかけ若者たちが愛読した「愛と認識の出発」
倉田百三)の中に「愛」についての苦悩が描かれております。

「...寂寞《せきばく》と悲哀と悶愁と欲望とをこんがらかして身一つに収めた私はときどき天下真にわれ独りなりと嘆ずることがある。今や私には気味悪い厭世思想が心の底に萌している。」

とにかく独りモンモンとしている様子がわかります。
同じく引用すると、

「...愛らしい女がいるとする。これを性欲の対象として観るとき、そこに盲目的な、荒殺の相が伴う。これを哲学的雰囲気のなかに抱くとき、尊き感激は身に沁み渡って、彼女の長き睫《まつげ》よりこぼるる涙はわれらの膝を潤すであろう。」

恋は盲目的なものであるとういことが書かれています。
しかも性欲の対象として観るとあります。

私達がその異性を「性欲」の対象としたとき、それはすでに動物的な感情に支配されているのではないでしょうか、前文では哲学的な雰囲気とあります。哲学的な雰囲気が何を意味するか不明ですが、その空間と時間はまったく停止するような気配を感じます。

異性と付き合うということは、暗黙のうちに「性の対象」として接することが求められています。

では性の対象ではない異性とはどのように付き合うのでしょうか? これが問題です。まず考え方が根本から違うことを考えるべきです。

 「男」はどちらかというと理想家で、それに対して「女」は現実家と思います。また大雑把座やいい加減さを持ち、暴力的なイメージが「男」にはあります。優しさ、丁寧、親切というイメージが「女」にはあります。これが正しいかは実際のところ両性にそれぞれあるとこ
ろで、勘違いがあると思います。

 まず大事なのは、この異性が自分とどういうかかわりがあるパートナーであるか最初の時点で明確にすることです。これによりある程度のトラブルに対しても受け入れられるようになると思います。
 まあ、どいうふうにかかわってくるのかきっちとすべきということです。

 1.親・親戚・兄弟・姉妹
 2.先生・弟子・学友・先輩・後輩
 3.仕事の同僚
 4.趣味などを共に過ごす(スポーツ・酒..)
 5.夫婦

異性との接触を分類し考察してみました。
 
1.は一生というか運命共同体です。もちろん性的な接触はない
はずですが、それはなんとも言えません。

2.の関係は信頼で築かなければならないと思います。この関係は利害関係とはいえないと思います。なんらかの尊敬の気持ちで付き合うべきです。

3.この関係こそある意味ではっきりした関係ではないでしょうか。パートナーであることは利害関係を抜きにして考えられないからです。お互いに協力することが肝心です。

4.この関係は曖昧です。恋人でもない異性同士が同じ趣味で付き合うことはほとんど何らかの前提があるはずです。もちろん愛に発展して結婚ということも考えられますが、相手が既婚者の場合は共に何かを壊す恐れがあります。せいぜい、喜びや楽しみを同じくする程度に留めましょう。これがコツです。

5.これに至るまでの経過で両性が婚姻を結んだのですから、結婚当時はベストハーフと考えていたはずです。ところが、年を経ると若い時と経験や考え方が変わってきます。その時、果たしてベストハーフであるか疑問に思うようになることがあります。これが不惑という迷いの心です。相手を信じられた頃を思い浮かべてください。それは絶対の信頼だったはずです。つまり今貴方自身が信じられないということを意味しているのです。夫婦とは1.の信頼関係で築かれ、性的接触のあるものと考えれば、付かず離れずうまくやっていけそうな気がしませんか。

いろんな議論があると思います。結論は同じですよ。
相手を信頼して、相手を尊敬する互いの気持ちしかないのです。
あこがれだけで付き合ったとしても相手がその信頼を見せないのなら、それはまったくの不毛の関係です。付き合うべきではないです。

この地球が回る限り続く永遠のテーマですから、答えはそれぞれのカップルにかかっています。

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2006年5月15日 (月)

青春とは

サミュエル・ウルマン(Samuel Ulman(米) 詩人 1840-1924)が書いた「青春」(邦訳:岡田義夫 原文:Youth)の書き出しです。知っている方がたくさんいらっしゃることと思います。

「青春とは 人生の或(あ)る期間を言うのではなく 心の様相を言うのだ。」で始まる名訳で有名になった詩です。この詩のエピソードはたくさんあります。たとえば、GHQ総司令官であったマッカーサー元帥は自分の執務室の壁にこの詩のメモを張っていたそうです。松下電器の創業者松下幸之助も座右の銘にしていたそうです。本当にすばらしい詩です。

この詩の意味を理解できて自らを鼓舞できるモチベーションを維持できるにはどうしたらよいでしょうか?こんなにすばらしい詩と出会える幸せを感じたらやはり、自分で紙に書いて壁にはりましょうよ。そして、一日一行でも、あるいは一つの単語でも覚えましょう。

きっといつか暗記することができます。でもそれでもまだ理解していませんよね、それからが大変です。自分の「心」と向き合う旅をこの「詩」とともに開始しなければなりません。

「喜び」や「悲しみ」のない人生はありません。「貧困」や「戦争」も人間といつも隣り合わせです。それに克(かつ)自分を想像できれば、きっとこの「青春とは..」が理解できますよ。

もちろん私も発展途上ですから分からないのです。でもこの「詩」を知っているだけでもちょっとは救われます。ちなみにこの「詩」のもとに集まっていらしゃる方々の会「新青春の会」があります。

生意気ですが私の「青春とは」です。

青春とは
自分がなんであるかを知る時期です

人生は永遠ではありません

心ざしや希望はいつの時代もあります
その幾つかを選択し
自分の道を歩み始めなければならない

もちろん平らな道ばかりではありません
曲がりくねった山道を
ひたすら歩き続ける
進むのが早い者もいます
歩みが鈍い者もいます

もし歩みを止めたとしても
もう道を後戻りすることができないかもしれません

それほど大切な時代なのです
そしてもっとも大切なことは
それを自分自身で自覚しなければならないということ

だれも手取り足取り教えてはくれません
誰(だれ)が生存競争に飛び込む自分の競争相手に
そのことを教えてくれるでしょうか

歩き出す時
たとえ「道」で倒れようと
また起き上がり、進む勇気がある時

「青春」というのです

「青春とは勇気そのものなのです」
何ものにも恐れずぶつかって行く「勇気」こそ
道を歩き続けるエネルギーです

これがある限り「青春」は永遠に私と共にあります

by ととし

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2006年5月 9日 (火)

誰も教えてくれない その3

3.金のもうけ方

「守銭奴」この単語の意味するところは、いかに「金」に執着するかということだと思います。「吝嗇<<りんしょく>>」という言葉は死語と思われます。「しわい」という言葉もまた同じかと..

普通に就職してサラリーを貰う身分になるといつの時代でも、生活にゆとり(人と比べた場合)があるようにはなかなかいかないと思います。結局、「金」を持つ者は次々と「金」を生んで行くのがいつの時代も同じと歴史が語っています。よくこの世の中は、「金」を使う者と「金」に使われる者の二種類しかいないという例えがあります。「金」は国家が保障する貨幣のことですが、これをたくさん持つ者は「金持ち」、待たないものは「貧乏人」なんか言ったりもします。「金」がないのに無理をしてローンやサラ金に手を出して首の回らない人がたくさんいると思いますが、「金」のもうけ方の「これだ..決定版」はなかなかないと思います。

私ももちろん「金持ち」ではありません。そして「金持ち」になろうとする「野望」も実際のところありません。でも「金」があったら、「こんなことをしたり、あんなことをしたりと空想」を止めることは個人の自由ですから、誰も止められませんよね。

結局のところ、「金」を増やすためには、ある程度の「ねた銭」をため、来る未来をしっかりと予想できる人がより多くの「金」を得るのではないかと思います。

「株」、この会社は将来絶対業績が伸びる、もちろん確かな根拠を自分なりに納得して、その会社に投資する。

この「馬」は絶対勝つ、といって「競馬」で大もうけするとか...

ちょっと例が適切ではないですが、「未来に投資」する。これができる方が、やっぱり「金」もうけのじょうずな方ではないでしょうか。なにを言いたいかといえば、「金」はだまっていてもなかなか増えないものです。ましてや預金もしかりです。最初の単語、「守銭奴」は別として、以下の言葉をつねに「お呪い<<おまじない>>」として唱えるべきです。

「身分相応、身分相応、分相応...」

これができる人が結局最後に勝つ人だとこの頃、特に感じます。「出るものは少なく、入るものは多く」この言葉を知る人はほとんどいないと思います。自らを律せる人を意味します。

まず、自分に投資すること、これを小さい頃より学ぶべきです。なんにでも興味をいだき、それに「寸暇をおしまず」なんでもやり遂げる「訓練(トレーニング)」をします。それを「金」に換算することを「天性の習性」とします。なんのことを言っているかというと「これは今は金にはならない、しかしこれを覚えることで、またはこれをすることで将来に換算すると億の金に匹敵する」(妄想癖ではないです)、この「習性」が「金持ち」へ通じる道かと思います。

例です、「車」、私の知り合いは、学生の頃から車が大好きで、もちろん高価な車など購入できませんでした。徹底的に「車」を研究しました。「車」をバラバラにして、自分の部屋の中で組み立ててしまいました。私が彼の部屋を訪れた時、唖然としました。狭い部屋の中に、一台の「車」が存在していました。「どうやって入れたの...」それしか考えられませんでした。彼は現在、12の中古車ショップを持ち、整備工場と輸入ディーラーもやっています。毎日、その日の気分で「車」を服のように変えて出勤しています。いまでも、その当時の車を家の天井に飾っているそうです。

これは極端な例かもしれません。

サラ金に苦しんでいる方、そう悲観することはありません。「犯罪者になるより、まずなんとか20万円貯めましょう」、そうして弁護士または司法書士のドアをノックしましょう。これで、貴方は確実にすくわれます。すべての借金はチャラになりますよ。

それから、やっぱりきっちと食べるためにせっせと働き、「自分に投資」しましょう。

「見栄はすてる」、服なんかどうでもいいですよ。かっこ悪くてもいいですよ。

だって三途の川を渡る時は、銭なんかいらないんですから、そこのところヨロシク

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2006年5月 1日 (月)

誰も教えてくれない その2

2.SEXのやり方

二人なら兎に角、お互いに「慈しみ合う」行為が基本です。もし一人なら、自分の存在を肯定し、それに「感謝」する想いが大切です。

人間の「欲望」の中で、成長とともに現れる「性欲」は、誰もが個として取得するものです。獣とは違い、人間のSEXは「行為」そのものを文化として長い間、隠蔽してきました。秘密めいた「行為」それ自体を美化する者、忌む者など考え方も千差万別です。

まだ、「心」が個として完成する前に、経験したSEXは人間の一生を支配するほど、重要な経験を与えます。これを教えてくれる者はいません。ある日突然、幼い「心」はこれを知ります。自分の存在が、両親の「行為」によって生まれた事。この感じ方で、その後のSEX感が決まります。そして異性(または同性)に出会った時に、二人で拙いSEXを始めます。もちろん、経験豊かな大人から導かれる「幸運」もあるかもしれません。たくさんの経験が必要とは限りません。そして「行為」に対する、「欲望」のありかたを学びます。

日本的に「いく」とか「気をやる」とかいうオルガスムスに達すること、それ自体をSEXと考えるのは止めましょう。これは「性行為」です。人間が文化として育んだSEXはそんなちんけな「行為」ではありません。あなたが男性ならば、書店に並ぶ若い女性のその手の雑誌に「欲望」を覚えるかもしれません、女性なら道行く男性に「欲望」を覚えることがあるかもしれません。この「欲望」はかならずしもオルガスムスに達することで、埋めるばかりではないということを知っていただきたいと思います。私はその「行為」をすることで、「心」の「喜び」が感じられる、その一連の「行為」をSEXと考えます。

相手を思いやり、そして慈しむ、髪に触れる、手を握り合う、キスをする、そして、その一連の最終的な結びつきの結果、オルガスムスに達する。これのひとつづつがSEXだと考えます。すべてに「心」に「喜び」を感じることができた時、お互いのSEXが完成すると思います。

SEXについての技術的な話は、雑誌などで学ぶより、お互いに探求者としてこの深遠な「行為」の冒険者として学ぶべきです。相手がどのようなことに「喜び」を覚えるか、これを探求するだけでも、貴方は立派な冒険者となります。それに貴方のSEXのありかたが問われてきます。

若くして、「愛」イコールSEXと考えて、「結婚」する方がたくさんいらっしいます。その結果、離婚するケースが増えているのが残念です。また、なかなか結婚の機会を逸して、適齢期を過ぎても結婚されないかたが多くなっています。私は生物学者ではありませんが、人間の寿命がいくら医学的に延びたといえども、二十五歳を境に生殖細胞は減少していくことを知っています。つまり、これまでに生物として「子孫」を作る必要があります。この後に誕生する貴方の遺伝子は色々なストレスにさらされ、危険因子に破壊されていくということを知ってください。これは、生物的にSEXの「行為」をいつ盛んに行うかということにも通じています。「結婚」とSEXは必ずしも一致するものではありません。ただ、長い間、お互いにその「行為」を行うにあたり、重要なのはやはり「喜び」を求める探求者であって欲しいと願います。

とても難しい話のようですが、人類が誕生してから、その「欲望」があるために私達が存在できているのですから、私たちはきっちとその「方法」を知るべきです。

まだまだ続く、人類のために...

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2006年4月27日 (木)

誰も教えてくれない その1

義務教育、高校、大学、専門学校を通じて誰も教えてくれないことを感じたことはありませんか。私が思う「誰も教えてくれない」は以下のような事です。

1.友の作り方
2.SEXのやり方
3.金のもけ方
4.異性との付き合い方
5.ばくちの勝ち方

5回に分けて、私の考えを整理したいと思います。かなりいい加減かもしれませんが、一つの意見としてお聞きいただければ幸いです。「生きる」とちょっとかけ離れるかもしれませんが..

1.友の作り方

「親友」という言葉ほど曖昧な言葉はありません。どこまでも「心」を通じ合える「友」でも一線を画す時が必ずきます。結婚や就職、転校、入学で疎遠になった「友」が必ず存在することと思います。「親友」とは永遠不滅の友情で結ばれ、「心」が結びついた「友」と考えます。いきなり結論からはいってしまいましたが、「友」にも色んな分類があることを知るべきです。

1.学校や職場などの知り合い
2.趣味などの価値感を共有している
3.利害関係(一連托生)
4.生き方に共鳴しあっている
5.敵

1.から3.はすぐそばにいる「友」で、一緒にいなければ「生きる」ことがなりたたない場合の関係です。これに依存していると、その中での価値観に支配されます。つまり、その中だけの価値観が共有されることで成り立つ「友」の関係で、ある日、この関係が壊れると一瞬で「友」を失います。この存在は「知り合い」にとどめておくのがポイントです。この中では、「妬み」、「嫉み」が渦巻く「権謀社会」であることを念頭に置くことです。ある時は、「ほめ殺し」で貴方を有頂天に祭り上げ、あるときは密告で貴方を奈落の底に陥れる危険もあります。最初からそんな「友」はいらないと思いますが、だれでもが何かの「社会的組織」に属さなければ生きていきませんから、十分注意して付き合うことをおすすめします。べつにこのような「友」を自分からすすんで作るべきでしょうか。

4.の「生き方に共鳴しあっている」これこそが、真の「友」ではないでしょうか。貴方のもっているすべてを渡してもいい、あの人の頼みであれば全力で助けてあげたい、「生き方..」という言葉も曖昧ですが、自分のすべてをかけてその人に報いてあげようと思う気持ちができる「友」こそ親友と呼べるのではないでしょうか。出会うのは難しいでしょう。一生で一人出会ればいいぐらいではないでしょうか。なんの躊躇もなく信じられる人をどうやって作るのか。それこそ「一期一会」では、ありませんが、この人なら「心」を語れると思った人に自分の正直な人生感やすべてをさらけだした時から二人はなにかしらの「心の共鳴」がおきます。それは無償の愛にも似ています。付き合いが長いとか短いと、歳が離れていようとも関係ありません。「心を開く」ここから始まると思います。

5.敵についてですが、ライバルと置き換えてもいいと思います。お互いにその存在を認め合って「生きる」事に切磋琢磨して、ある時は勝、ある時は負ける、お互いに言葉を交わすことは少ないが、お互いを心配しあう。「長島茂男と王貞治」、「矢吹丈と力石徹」、「アンパンマンとバイキンマン」、「ルパン3世と銭形警部」..枚挙に暇がありませんが、相手があってこそ自分も存在できる。それに気がついた時、あなたは生涯の「友」を得ることができます。別に仲良くわいわいやるのが「友」ではないと思います。相手に自分の存在に気付いてもらう、これだけでも幸せなことです。相手がくじけそうな時は、自分はうんとがんばってみる、相手を奮い立たせる。相手が再び立ち上がれば、きっと貴方は喜びに満ちます。まず自分の戦う生涯のライバルを作りましょう。そう「心の中に」。

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サッチモという旅人

サッチモて怪獣の名前ではありません。(SatchmoはSatchel-mouth(がま口)を略したもの)1900年の独立記念日に生まれた(7月4日に生まれて(映画があります))ダニエル・ルイ・アームストルングの愛称です。彼は知る人ぞ知る偉大なエンターティナーです。1913年の大晦日にランパートのストリートで発砲したサッチモは黒人浮浪児養護施設に収監されます。リトルギャングだったのです。そこで彼は一つのことに目覚めます。それがコルネットでした。これが音楽との出会いだったのです。その後は音楽の旅を続けることになりました。

そしてあの名曲「この素晴らしき世界」が生まれます。この中で歌われた思いと同じく、「生きる喜び」の中で人生を生きたいのです。

大口で白い歯をむき出しながら笑うサッチモを想像しながら、聞いてください。

I see trees of green           木々の緑
Red roses too                   赤いバラ
I see them bloom               咲きほこる
For me and you                 私と君のために
And I think of you              私は君を思う
What a wonderful world       ああなんて素晴らしい世界

I see skies of blue               青い空
And clouds of white             白い雲
Bright blessed days           光輝く昼
Dark sacred night            漆黒の聖なる夜
And I think of you               私は君を思う
What a wonderful world        ああなんて素晴らしい世界

The colors of the rainbow     虹の色
So pretty in the sky             空に輝き
Also on th faces                  道行く人々の
Of people goin' by                顔を照らす

I see friends shaking hands   友が手を振る
Sayin' how do you do           ご機嫌いかがと言う
They're really saying            彼らはきっとこう言う
I love you                I love you

I hear babies cry                 赤ちゃんが泣いている
I watch them grow              成長するのを見守る
Hey'll learn much more        彼らはもっと多くを学ぶだろう
Than I'll ever know              私が知らない
And I think to myself           自分自身を思う
What a wonderful world        ああなんて素晴らしい世界
Yes I think to myself
What a wonderful world,woah yes
(訳:ととし)

http://www.users.tapstep.net/saints/home.shtml

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2006年4月26日 (水)

旅人の哲学

「哲学」て何?。「哲学」について記述されている文献を検索すると膨大な量が存在するほどいろんな研究がされている分野です。「人間とは?」というような議論をする学問といえばわかりやすいかもしれません。「哲学」の歴史も研究しているのは不思議にも思えますが。

「旅人の哲学」は何?と問えば、私はシンプルに「自己を否定するところから始まる」と言い切ります。

すべてのしがらみをを一旦捨て去り、そこから「生きるのに必要最小限のものを見出す旅」ともいえるかもしれません。何年もかかって作ってきた自己を取り巻く世界を否定することは、自己の否定に他なりません。これができる人が何人存在するでしょうか?

親、恋人、妻、子供、家、財産、すべてを捨て去り、自分の名前もない旅。もちろんあるのはその日を暮らすための最低限のお金、または食べ物。頼れるのは最後は自分だけ。考えたら恐ろしことですよね。それこそ修行のような旅ですね。実際はそんなことをしなくても毎日が旅なのですから、「自己を捨てる」訓練をすれば、ある旅の到達点でこの「哲学」を習得できるもではないかと思うのですが..

ちょっと難しいお話です。「哲学」を考えるのではなく、「生き方」それ自体が「哲学の道」に続くのであると信じれば、なせる「道」と思えば分かりやすいと思います。

説教くさいですが、それほどこの「道」を極めるのは一朝一夕でなせることでないことは間違いのないことです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6

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花はどこへ行った

「Where have all the flowers gone」の邦訳。ピート・シーガー(作者)、マレーネ・ディートリッヒ、キングストン・トリオ、PPMが唄ったこの歌は反戦歌として有名です。どどいつのような掛け合いになった詩になっています。「花はどこへ行った。 少女が摘み取った。少女はどこへ行った。少女は結婚した。若者はどこへ行った。若者は戦争へ行った。若者は墓の中へ。墓は花で覆われた。少女が摘み取った。」という無限ループの詩になっています。そしてさびは「いつになったら わかるのだろう」という戦争の空しさを見事に唄い上げています。

ちなみにショーロホフの「静かなるドン」の中に同様の子守唄があります。興味のある方は調べてみてください。(河出書房 世界文学全集、第12、13巻 1966)

私はこの唄を聞くと、花イコール少女と思います。少女は女になって、また少女を生みます。そして彼女の愛する若者は戦争に行き、帰らぬ人になってしまいます。この唄で暗喩としているのはいかに多くの若者が失われようと、少女は花を咲かせまた摘むという強い意志を感じるのですが..

「花はどこへ行った。咲かぬならもう一度きっと咲かせます。」

と聞こえるのは旅人の幻聴でしょうか。道端で可憐に咲く「名も知らぬ一厘の花」にSomethingを感じる人でありたいと願います。失われつつある「花を愛でる心」のある人々に出会うことを願うしだいです。

全訳をしてみてください。

Where have all the flowers gone?
Long time passing.
Where have all the flowers gone?
Long time ago.
Where have all the flowers gone?
The girls have picked them ev'ry one.
Oh, when will you ever learn?
Oh, when will you ever learn?

Where have all the young girls gone?
Long time passing.
Where have all the young girls gone?
Long time ago.
Where have all the young girls gone?
They've taken husbands, every one.
Oh, when will you ever learn?
Oh, when will you ever learn?

Where have all the young men gone?
Long time passing.
Where have all the young men gone?
Long time ago.
Where have all the young men gone?
They're all in uniform.
Oh, when will you ever learn?
Oh, when will you ever learn?

Where have all the soldiers gone?
Long time passing.
Where have all the soldiers gone?
Long time ago.
Where have all the soldiers gone?
They've gone to graveyards, every one.
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone?
Long time passing.
Where have all the graveyards gone?
Long time ago.
Where have all the graveyards gone?
They're covered with flowers, every one.
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the flowers gone?
Long time passing.
Where have all the flowers gone?
Long time ago.
Where have all the flowers gone?
Young girls picked them, every one.
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

http://www.peterpaulandmary.com/

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2006年4月25日 (火)

複雑系

なぜか2006.4.24に投稿していないので今日は2題目。現代科学の実際の問題として線形代数や非線形代数なんかについて議論するつもりはありません、もちろん量子力学で扱う類推の範疇にも言及するつもりはないんです。そもそもこの宇宙を取り巻く問題、たとえば三体問題なんか結局、だれも解けない数学だからです。微積分ですら、近似値だけを得る数学ということを知れば、宇宙空間をつかさどるエネルギーの不思議さほど魅力のあるものはありません。(旅人の考えることでない?)惑星や星を個々の点として、それぞれを結ぶ線を仮定します。これをエネルギー線(私が勝手に命名してますenergy band)といいます。この線は延びたり縮んだりしています。惑星の軌道を考えるとよくわかります。太陽を回る地球は楕円の軌道を描いて公転しています。ゴムバンドにたとえるとすごくわかります。バンドが縮まっているときはバンドが太くなっています、また長くなっている時は細くなっています。そう考えると地球が公転起動から外に飛び出さないのがイメージされませんか。もうこれ以上伸びることのできない点をエネルギーの均衡点とします。均衡点に到達するとバンドは縮み始めます。これは2点間(二体問題)に言及していますが、エネルギーを持つ者(者するところがいいです。人間自身もエネルギーを持ちます)すべてにこのエネルギー線があると仮定するといきなり「複雑系」になってきます。惑星や星が集まった集団を「銀河」といいます。(まあ宇宙スケールでいうなら村の単位より小さいです。)そして宇宙を構成するこの「銀河」とい点どうしもエネルギー線で結ばれています。ビッグバン理論からすると、今宇宙はどんどんとゴムバンドが伸びる状態(エネルギー線が細くなっています)です。みなさんもうおわかりですよね。宇宙の果てはこのゴムバンドが均衡点に達する位置にあります。均衡点に達するとどうなるかて、パッチンと切れない限りまた縮みます。そして、エネルギー線の縮める限界まで収縮します。このエネルギー線て「神の手」みたいなものです。科学が宗教を目指す由縁なのかもしれません。

せめて、旅先で夜空の星を眺め自分と繋がっている無限のエネルギー線を感じてみませんか。

「複雑系」の入門書 1996吉永良正 「複雑系」とは何か   (c)Yoshimasa Yoshinaga 1996 講談社現代新書 1328

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061493280/90210-22/249-1957712-3336301

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風に吹かれて

ボブディランの代表曲の「Blowin' in the wind」の邦訳です。

How many road must a man walkdown before they call him a man.(男はどれだけ歩いたら男と呼ばれるのだろう)で始まる有名な曲です。PPMが唄って大ヒットした曲です。
黒人の男を歌ったものです。黒人は大人になってもBoyと呼ばれていました。man(男)ではなかったのですよ。

私もいつも子供のような「心」でいたいと思います。時々、無茶な事をして失職したりなんかして、「小学生みたい..」と呼ばれても、どこかで「答えは風の中で見つけるよ」なんて思うしだいです。旅人の意見です。

ちなみにこの詩の意味がすごすぎです。訳してみてください。

How many road must a man walkdown before they call him a man.

Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?

The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

http://www.bobdylan.com/index.html

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2006年4月23日 (日)

虹の彼方に

邦名「オズの魔法使い」の中の挿入歌「SomeWhere Over The Rainbow」 の邦訳です。ジュディ・ガーランドという子役が竜巻に巻き込まれて家へ戻る間の出来事を描いたものです。ちなみに、ジュディ・ガーランドはライザ・ミネリーのお母さんです。主人公の名前はドロシーです。一緒に旅をする犬の名前はTOTOです。あの有名なバンドはこのワンちゃんから命名したとか。旅の途中で出会う、藁のカカシとブリキの樵、弱虫のライオン、彼らはドロシーとともにエメラドの都へオズの魔法使いに会いに行くことになります。カカシは知恵がないので「脳みそ」を、ブリキは「心臓」を、そしてライオンは「勇気」を貰いに行きます。

私の旅もどこかへ、何かを求める旅なのでしょう。このSomeWhere,SomeThingがわからないのです。彼らのほうが目的がはっきりしていていいですね。

こんな映画もありますよ、http://www.taki-c.co.jp/cont/over/index.html 虹の向こうに何か「いいこと」がありそうに思えるのは、誰でもこの不思議な「虹」を見ると感じるのかもしれません。

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2006年4月22日 (土)

アリとキリギリス

「イソップ物語」に書かれたこのお話はもともとギリシャ語で書かれたものです。そして、二千五百年前に書かれているということをご存知の方が何人いらしゃるでしょうか。

働くことの大切さを教える「アリ」と人生の楽しみを教える「キリギリス」。

私の中には「生きる」ために働かなければならない「義務」と「責任」があり、その一方で常に人生の「快楽」または「楽しみ」を希望する「欲望」が綱引きをしています。そしてこのバランスの上に歩まなければいけないという「葛藤」があります。

夏の日の炎天下でじっと「アリ」の活動をご覧になれば、「なぜそんなに働くの」と言わずにおれません。「なぜ..」これこそが「始まり」です。

誰でも生まれたばかりの時は「無垢」な「精神」と「心」があります。それがいつしか「個性」または「性格」として人間固有の「精神世界」を形成していきます。そしてある時「自己」に疑問を持つ時がやってきます。それが「無知」です。平たく言えば、日常些事の中で意識はしているが主体的にその事物について理解ができていないということでしょうか。そのことに気付くことが「認識」です。

それを知ることから「始まり」そして「さとり」に達する、これがすべての「宗教」の基本原則なのです。

「アリ」と「キリギリス」の生活をうまく取り入れて旅を続けるには、やはりこの「無知」であることに気がつくことから始めなければならないでしょうか?

「風のまま」と呑気にもしておれません。

「衣食足りて礼節を知る」という諺もあります。特に「食」は命の糧であり、それを得るために働かなければなりません。これが「生きる」という原則の一つであることは言うまでもありません。そして、「精神」を豊かにして来る日まで「生きる」ためには「喜び」や「楽しみ」がなくてはならないこれもまた一つの原則です。

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2006年4月21日 (金)

放浪舎について

googleで「放浪舎」を検索すると結構ヒットするので驚きました。昔、北海道の伊達市にあった「喫茶店放浪舎」から命名しました。いつのまにか閉店になっていて残念な思いがあります。同名の「放浪舎」とは一切関係がございません。世の中は広いようで実に同じような思いつきをされる方がいらっしゃるのを痛感いたします。

目的のある旅て「放浪」ではないですよね、結末がわからないドラマが人生て旅ですよね、これこそ「放浪」かなと思います。

そんなこんなで同名のブログを運営される方、ちょっと目をつぶってください。

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さらばブルース

 去年から買い集めた本やCD、レコードをセコハンショップに持ち込んでいます。本当に二束三文とは..中には火の鳥の初版本なんかもありました。「パンタ&ハル」のCDはかなり痛かったな。なぜ、そんな事をしているかって?もちろんすべてを一度リセットしたいからです。青春て「心」がいつまでも若いことって名言を言った方もいらっしゃいますが、思い出に囲まれて「生きる」てある意味でとてもつらいことかも知れないって、この頃思いました。

一つ一つになんらかの人生のシーンを共にした品物といつまでも一緒はできないと考えるようになったからと思います。

生まれるときも死ぬ時も私たちて何も持っていませんものね。

私の「心」の琴線を奏でる「ブルース」達をどこかに置いて、また「旅立ち」をしないといけないと...

「チップス先生さようなら」でチップス先生が卒業式で生徒に語る言葉がとても私の「心」と一致しているような、「私の中で君達は永遠の記憶と...」ていう感じでしたか。

とにかく「古い船は、古い船乗り..」(By 吉田拓郎)のように新しい船乗りが必要ですよね、新しい事を始めるには、古いものを捨てなくてはならないんですよ。                               

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旅人のつぶやき

 どれだけ生きれば、この旅は終わるのでしょうか?旅の途中であることに間違いないと思います。あらためて今までの過ちを振り返るより、先へ進むことを考えるために、自分自身の「心」の探求を書き綴けたいと願います。

 自分自身へ宛てた「手紙」のような内容かもしれません。

 誰にも言えない「心」の中身を取り出したいと思うのですが...

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