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2011年6月26日 (日)

良子のヒ・ミ・ツ

第五回小説宝石新人賞一次予選落選作品(^◇^)

     六

 武と美香は恐る恐る教授に近づいた。教授の指す懐中電灯の明かりに、自分たちの懐中電灯の明かりを重ねた。
 光の先に人の影が映し出されていた。
着物姿の女性が石造りの台座の上に、まるで生きているように横たわっていた。
「氷付けで腐る事無く保存されてきたようじゃ」と教授がいった。
「すごい!」と美香がいった。
 武は腰が抜けていた。声一つ出すことができない。その姿をようやく美香が、気がついた。
「どうした、とうちゃん」
「こ、こんな・・・」と言うだけで武は精一杯だった。
「武藤さんどうしたかのう」
「み、み、美香、かあちゃんや」
「ええ」と美香が叫んでいた。

 教授の結論はこの発見は色々な学会に影響が計り知れない事、マスコミに公表するのはしばらく調査が完了するまで控えたほうがよいだろうといった。
 教授がどう手を回したのか分からない、鳴沢氷穴はその日を境に関係者以外立ち入り禁止となった。氷穴の近くに研究者用のプレハブが建設され、寝泊りしながらあの建物や沼を調査することになった。
 武藤武は、氷の底深くに横たわる女に良子の面影を見た。忘れもしない良子と瓜二つの容貌の女、どう説明いたらよいのか自分でも分からない。美香は良子の顔を思いだせないのか、『かあちゃんに似ているか』と断定できなかった。
 【愛の伝道師】の販売はあいかわらず好調だった。武はついにある行動を起こすことを決意した。
「とうちゃん、しばらく大阪へ行こうと思う、美香に商売を頼みたいんや」と武はある晩、美香へ切り出した。
「かあちゃん、探しにいくんか?」
「そうや、あんな沼の底で死んでいるはずがない」
「そうか、おいらにまかせとき」と美香は引き受けてくれた。

 十七年ぶりの梅田界隈だった。
 高層の商業施設が駅前に建ち、武はすっかり土地勘を失っていた。どうにか良子と出逢った路地裏を見つけたが、とうにあの居酒屋は存在しなかった。だが、相変わらず鄙びた居酒屋が軒を連ねる風情(ふぜい)は同じだった。夕方以降、武は『北一』という居酒屋の消息を知る店の経営者を訪ね歩いた。歩いて数件目で、「ああ、北一さんですか、娘さんに不幸があったところでしょう・・・」と居酒屋『北一』を知る老年の店主を探し当てた。
「不幸が・・・」
 もつ煮から香ばしい味噌の匂いが立ち昇っていた。
 武は焼酎のもっきりを注文しカウンターに座った。
「ええ、磯谷さんの娘さん、気の毒にね、植物になったんでしょう・・・」
 武は店主から、磯谷の娘が交通事故に巻き込まれ病院に運ばれた事、それ以降、店は従業員が継いでいたが、娘の父親が逝去したため店を畳んだことを聞き出した。
「その磯谷さんのご自宅をご存知でしょうか」と武はいった。
「ああ知っているよ、この界隈じゃ有名な的屋だよ」と店主は新聞の間から裏に印刷のないチラシを取り出し、耳に挟んでいたボールペンで地図を書き武に渡した。
「たぶん、娘さんのおかあさんがいると思うで」と店主はいった。
 武は礼を述べ、地図に従って良子の実家を目指した。
 梅田の駅前から1キロほどだろうか、白い漆喰(しっくい)の壁でぐるりと囲まれた大きな屋敷であった。繁華街からあまり離れていない場所にあった。
 門柱に『磯谷』と表札が掛かる。
 その横に勝手口があり、インターホーンが設置されていた。
 武は数度インターホーンのボタンを押下した。しばらくそのまま佇(たたず)んでいた。
「どちらさまです」とインターホーンから女の声が聞こえてきた。
「すいません、私、武藤と申します。お嬢さんと結婚しておりました・・・」
「ええ、良子と結婚・・・」
 それからが大変だった。
 屋敷の応接間に通され、応接テーブルを間に良子の母親に経緯を説明した。
 居酒屋で出逢った事、東京で暮らし、娘が生まれた事を母親に伝えた。
 母親は一言も発せず、繁々(しげしげ)と不思議そうな顔で武を眺(なが)めていた。
「武藤さん、いつ娘と会いましたか」と武が説明するとようやく母親は口を開いた。
「娘が十七ですから十八年前になりますか・・・」
「武藤さん・・・娘は約十八年間病院に入院したままです・・・」
 武藤武は理解できなかった。
「十八年・・・」と武はいった。
「おかしな話です。あなたのおっしゃる事が、本当なら、娘は七年間、東京に住み、そして娘を産んだということでしょう・・・」と品のよさそうな良子の母親がいった。
「確かに・・・」と武は口を噤(つぐ)んだ。
「磯谷さん・・・あの申し訳ございませんが、入院中の良子さんに面会させていただきませんか・・・」と武は頭を下げ願い出た。
「あなたが何者かわかりません、でも私は何か感じるところがあります。一緒に病院へ行きましょう・・・」と良子の母親はようやく許可してくれた。
 病院へ向かうタクシーの中で良子の母親はこんな事をいった。
「先週ぐらいでしょうかね、良子が枕元に現れて、こんな事をいったのよ・・・『かあさん、ごめんね、良子のいい人の事黙っていて、もう少しで来るわ、よろしく』」

 真っ白いベッドに身体中にチューブが接続された女がじっと目を瞑(つむ)ったまま横たわっていた。ベッド真上の壁に『磯谷良子』と生年月日が記されていた。入院年月日の文字はサインペンで書かれたのだろうか、すでに色あせてかすみかかっている。
「武藤さん、この娘が良子ですわ」と紹介すると母親はハンカチをそっと眼に当てた。
「身体にはまったく異常がないそうです。ただ、意識が回復しません・・・」
 武は改めて女の顔を確認した。
 女の容貌は良子とは異なっていた。
「武藤さん、娘でしたか」
 横たわる女はじつに美香に似ていた。
 実の父親が思うのである。
『どういう事だろう・・・あの沼に横たわる女は良子にそっくり、そして本来の良子のはずの病院で横たわる良子は美香に似ている・・・』
 ただ武は呆然とするだけである。
「あれ、鼻から」と良子の母親が叫んだ。
 鼻からうっすらと鼻血が出ている。
 母親はベッドの横にぶら下がるナースコールを押した。
 看護師が駆けつけてきて、それから白髪の丸い黒い眼鏡を掛けた医師が呼ばれてやってきた。
 医師は聴診器を良子の胸に当て、脈を取った。身体に取り付けられた心電図を、医師は繁々と眺めていた。
「磯谷さん、もしかして・・・意識が回復しつつあるのかもしれませんね」と医師はいった。
 医師は看護師に指示して鼻の血をガーゼで拭い、ペンライトで鼻を覗(のぞ)いた。
「特に出血箇所はないようですね」と医師が説明をした時だった。
「えらい遅いわ、とうちゃん待ってたで」
 聞きなれた声、そして話し方。
 ベッドにチューブをつけたままの女が起き上がり、目を開けていた。
「良子か」
「あたりまえや、おいらが良子や」とベッドの良子は答えた。
 その後、良子はすぐに家に戻ると病院で大騒ぎを起こした。病院服のままタクシーで梅田の実家に戻った。
良子は父親の仏前にお参りをすると東京へ帰りたいとまた大騒ぎを起こした。
「かあちゃん、おいら娘をほったらかしや」と良子は母親にいった。
 武と良子の母親は18年間以上病院に入院していた良子がどうやって娘を産んだのか・・・その謎を暗黙のうちに無視しようとした。 
 触れざる謎・・・たぶん良子から説明を受けても理解できないだろう。
 世の中にはこんな不思議な事がおきるんやぐらいに留めておこうと武は思った。
 あの巻物を武が書いたとか書かないなど、どちらも問題ではない。
 良子が帰ってくるのであれば、すべて問わない、そう武は考えた。
 元の良子と顔形が変わったが、性格も話し方も以前と同じに武は感謝した。
 東京へ向かう新幹線の中である。
「良子、あの男どうした」と武は気になったスーパーの社長の事を尋ねた。
「ああ、スーパーの社長か?」
「そうや」
「社長は夜逃げや、金持って大阪に向かったんや、どうにか捉(つか)まえて、東京へ戻る車が事故に巻き込まれ社長は死によったわ、おいらは植物で寝たきりや」
「でも、お前・・・美香に家を出るていっただろう」と武は少し憤慨(ふんがい)していった。
「ごめんな、冗談であんたを脅かすつもりが・・・ほんとになってもうたわ」と良子は涙ぐんだ。
 武は順番が違うと思った。
 良子と出逢った時、良子は病院のベッドに寝たきりだった。
 武には説明ができない、時間軸がどうしたとか未来から過去へ時間を遡(さかのぼ)るタイムトラベルができるはずがないと思っている。
「あの女は誰や」と武は尋ねた。
「そうか女も見たんか・・・あれは祖先らしい、あの女がおいらの頭の中に現れて、武と会う運命だから、身体を貸してやるとかいってたで」と良子は窓に広がる夕闇に沈む富士を眺めていた。
「美香おおきくなったか」と良子はぽつりといった。
「お前にそっくりや」と武は答えた。
「そうか、よかったわ美人に生まれて、かあちゃんに感謝しならんわ」
 武は巻物からの経緯を良子に説明した。
「そうか【愛の伝道師】売るのが楽しみや、おいらがバンバン売ったるで」と良子はいった。
 家にもどってからも一騒動あった。
「帰ったで」と良子がいうやいなや、
「どこの馬の骨がのこのこと帰ってきた」と美香が返した。
 取っ組み合いの喧嘩がはじまった。
「てめ」
「ぶっ殺したる」
武はなだめすかすのにその夜中かかった。
朝方和解した親子は一緒に風呂に入ったらしい。
武は夢の中で、湯船で騒ぐ親子の声を聞いた気がした。
武が【愛の伝道師】を使う機会はまだ来ない。

(了)

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