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2010年12月31日 (金)

108物語 『僕は死体』

 神に何度祈った事だろう
 だが神はそれに答える事無く
 ただ静かに微笑んでいた

 1887年8月インドベナレス(ワーラーナシー)

 巨大な川の中に夥しい人間が洪水のごとく溢れていた。
 ヒンズー教徒の朝は聖なる川ガンジスの沐浴から始まる。
 川から少し離れた土手の上に、たくさんの遺骸が並べられていた。
 老若男女の遺骸は木材の丸太の如く積み重ねられていた。
 火葬されるまでの間に遺骸は熱帯地方の激しい炎天下に晒され、短時間で腐敗が進み、甲殻類の昆虫や蝿の襲撃を受け序々に姿を変えつつあった。
ぶんぶんという虫が立てる音の中で、老人達は腰を曲げ山から遺骸を引きずりだしていた。どの老人の顔にもよく肥えた昆虫や蝿がひっきりなしに止まるのだが、誰一人としてそれを振り払おうとしない。
 傍らのレンガ造りの火葬炉から荼毘の煙が立ち昇っていた。
火葬場で働く老人達は山から引きずり出した遺骸を竹の間に綿を張った畚(もっこ)に乗せ、炉の入口まで引きずってくる。火葬炉の大きな口で遺骸を受け取ったターバンをかぶった青年は、慣れた手つきで遺骸を紅蓮(ぐれん)の炎へ放り込んだ。
 かつて人であった生物はジリジリと髪の毛を焼いた時にする独特の異臭を放ち最期に黒く炭化された小さな塊と変わっていく。焼きあがり炭化した固まりは、炉の横から鉄の棒を突っ込み炉の下部へ叩き落とされる。炉から下へ落ちてきた灰は十歳にも満たない少年達が素手でバケツへと掻き集められていた。
 子供達はバケツの重みに耐え、ガンジス川まで遺灰を運び込み、川面へ散布していた。
 川面に撒かれた遺灰はゆっくりと川を下り、一筋の灰色となり川を染めた。

 遺骸の山にサリー姿の女性が一人近づいていた。
彼女は綿のお包みに産後間もない赤子を抱えていた。
 しばらく火葬場の様子を伺い、お包みごと赤子を遺骸の傍らにそっと置いた。
 女は後ろを振り返る事無く一目散に走り去っていった。
 遺骸運びの老人の一人が赤子に気が付くまで、赤子は朝陽を浴び気持ちよさそうに寝入っていた。
「ああ」と老人がため息とともに赤子を取り上げた。
 この一週ほどの間に火葬場への捨て子が数件起きていた。
 その度に赤子の口に濡れた布をあて生命を絶つ処置がおこなわれ、紅蓮の炎に放り込まれた。
処置を担当していた老人が発見した。
 この日も老人は監督に指示され、ガンジス川まで赤子を抱えてきた。
老人は、首に巻きつけていた布を解きガンジスの水に浸した。
布を赤子の口に近づけた。

「すまない」と老人は心の中で思った。
 それまでじっと寝ていた赤子が急に目を開けた。
 老人と目があった。
 老人は赤子がやさしく微笑んだように感じた。

 火葬場の仕事が中断され、発見した老人が火葬場の監督へ赤子の助命を嘆願した。
 老人はガンジス川のほとりの小屋で一人暮らしをしていた。
監督の許しを得て赤子を小屋に連れて来ることができたが、老人自信が赤子の養育をできる状況になかった。貧困の中で自分の食事すら取れない日々が続く中で、どうやって育てるのか―――思い悩んだ末に、近くの村に出戻りの娘がいる事に気がついた。
 ナタージャという娘だ。
 この界隈で有名な娘であった。
 幼い頃より神が掛かった予言を行い、何度か予言を的中させてきた。
 出戻りの原因となった結婚について、ナタージャは相手の婿が川で溺れるので、数ヵ月後に村に戻ると自らの未来を的中させた。
 老人はナタージャの家へ赤子を抱え向かった。
 ナタージャの村に近づくと村人が地べたにひれ伏している。
 老人が不審に思い尋ねると、
「その子は救世主である」と話すのである。
 いよいよ老人は不審に思いナタージャの家へ急ぐと、そこに沢山の人々が白い水連の花を一輪ずつ持ち待っていた。
 真っ白いサリー姿のナタージャが現れ、丁寧に赤子の前でおじきをするとこう話した。
「この子供の名前はシェリーニ、生命の神秘を解き明かす者なり―――我が子として育て、汝を仮の父と定める」

 シェリーニはガンジス川のほとりで育ち、ナタージャの家から老人の家へ訪れるのを日課にした。
 一歳で人の話を理解し、二歳の頃には古代インドの聖典『リグ・ヴェーダ』10巻を諳んじることができた。
 彼は10歳になると数学で身を立てる決意をする。
彼は港湾労働の日雇い生活を送りながら、当時もっとも権威のあるイギリスの大数学者へ彼が解いた定理の論文を送り続けた。ある時ついに大数学者の目に止まった。彼は大数学者からの援助を得て、16の歳に渡英した。シェリーニは正規な教育を受けていなかったが、定理を解く直感力は大数学者をして神と感嘆させた。彼が定めた定理を証明するのに数学界の権威達は約百年の歳月を必要とした。
 意気込んで渡英したシェリーニであったが、二年余りの渡英生活は、シェリーニの健康を損なわさせ療養生活を余儀なくさせた。
 シェリーニは失意の内に、ガンジス川のほとりへと戻った。
そこには彼の命を救った老人の死という現実が待ちうけていた。

「母上、なぜ人は死ぬのです」とシェリーニはナタージャに尋ねた。
「人の身体はいつか滅ぶようにできている、だがその魂は永遠である。なぜ、そんな事を問う―――」とナタージャはゆったりと長椅子に座り、息子を凝視した。
「しかし、人は死ねば、何も残りません」とシェリーニはいった。
「なぜ、そのような愚かな事を言うのだ。よく考えて見よ。コーラン、聖書すべて創ったものは存在しないではないか―――」
 シェリーニは納得できなかった。
『身体が滅びようが、人はその意識が無くなれば無ではないのか』

 それからシェリーニはナタージャの元を離れ、一人老人の小屋で寝起きし数学に没頭し始める。研究の合間を縫って、再び港湾に出かけ日雇い仕事で生計を立てた。
 寝る暇も惜しんだ彼の研究は5年の歳月の後、三冊のノートに纏め上げられた。
 23歳の夏、彼は結核療養所でひっそりと息を引き取った。
  ナタージャは葬式で村人にこう予言しました。
「シェリーニの小屋へ百年あまり後、ひとりの聖者がやってきます。小屋を保ち、いつでも休息できるようにしなさい」
 ナタージャは油紙でノートをしっかりと包み、小屋の床下に隠した。
  ノートはシェリーニの『失われたノート』と呼ばれている。

作者註:今年の群像詩人賞応募予定でした『僕は死体』全728ページのプロローグです。
興味のある方はご連絡をください。

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2010年12月27日 (月)

108物語 『命を賭ける』

 海崎政右ヱ門《かいざきまさえもん》は、昨日脱藩した。
 奥州街道を江戸を目指し馬を飛ばしていた。
 東北一の雄藩にて槍組頭を代々承る名家の次男として生まれた。
 もちろん部屋住みの身である。
 家督を継ぐわけではないので、もっぱら武道に打ち込み、その腕で他家の養子として迎えられれば、御の字ぐらいに思って昨日まで暮らしてきた。
 ところが昨日、政右ヱ門の一生を左右する一大事と直面することになる。
 父の義兄にあたる叔父からこんな話を聞いたのである。
「政、お前も不憫じゃのう、いくら武道に励んでも・・・敵《かたき》もちでは・・・」
 政右ヱ門は叔父の聞き捨てならない言葉に詰問した。
「叔父上、敵もちとは何をおしゃられる」
「あいや、ちいと口が滑ってしもうた」
 と叔父は政右ヱ門の家から口を閉ざしたままささっと退居してしまった。
『敵もちとは・・・』
 政右ヱ門は胡坐座に腕を組んで縁側で自問自答していた。
 そこへ、隣の木村金衛《きむらかなえ》の次女の小崎《おさき》が裏木戸を開けて現れた。
「あら、唐変木《とうへんぼく》がまた無い知恵を絞っている」
 と小崎は明らかに政右ヱ門を小馬鹿にした口調でいった。
「なんだ、おんの字か」
「なんだはないでしょう、母上様はご在宅でございましょうか」
「ああ、どっかその辺にいるだろ」
 と政右ヱ門は縁側に寝転がりだした。
『ますます、おんの字は生意気になる・・・』
 木村金衛は藩の御納戸役を拝命する重役であった。
 その娘の小崎は政右ヱ門より三つ年下になる。
 幼少の頃より、兄妹のように育った。
 何気兼ねない間柄であるが、さすがに小崎も年頃である。
 幾つか縁談の話があると政右ヱ門も人づてに聞いていた。

 その夜である。
 政右ヱ門は父上の書斎をおとない、昼間の叔父の話を蒸し返した。
「そうか、ついに政の耳に入ってしまったか・・・」
 と海崎仁斎《かいざきじんさい》は困った顔をするどころか、不審にも笑顔であった。
「父は、政に話がある」
 と仁斎は佇まいを改めた。
「お前は俺の子ではない、今からちょうど二十年前のことだ、我が藩一の剣技といわれた武藤巌《むとういわお》という師範代がおった。その年の秋に上様がどこぞから一人の浪人を命抱《めしかか》えられた。妙な剣を使う男で、武藤と上様の前で御前試合をすることになった。下段から次々と繰り出す突きはみごとな技だったな、今でも惚れ惚れとする。さすがの武藤も後退するばかりで、相手にならん状態だった。上様からそこまでとお声がかかり、試合はそこで終わった。
 ところがその夜に事件が起きた。武藤が浪人の宿へ襲撃を掛けたのじゃ。 武藤は上様の御前で辱めを受けた事に非常な憤りを感じていたらしい、湯殿にいた浪人を袈裟懸けに切り捨てた。
 後始末の訪れた役人が浪人の部屋で丸々とした男の赤子を発見した。  その赤子が、お前だ」
 と仁斎は話終えると急に背を向けてしまった。
 政右ヱ門にとっては衝撃的な話であった。
 父上が口を押さえて笑いを堪えていることに気がつかなかった。
 政右ヱ門には悲しみの嗚咽を押し殺してるとしか写らなかった。
「父上、あい分かり申しました。その武藤の消息は何処でござる」
「木村が知っている」
「木村とは隣家の木村殿でござるか」
「いかにも」
「ではこれにて、お暇仕る」
 と政右ヱ門は長差を携え、庭から直接木村金衛宅をおとなうった。
「木村殿はご在宅でございますか」
 と縁側から政衛門は大声で叫んだ。
 縁側に面した障子から小崎が顔を除かせた。
「あら、唐変木か、父上に何の御用」
「木村殿にお聞きしたい儀がござる」
「そう、ちょっと待って」
 と小崎は木村金衛を伴って再び現れた。
「政殿、何事じゃ」
 すでに晩酌をしていたらしく、木村金衛は頬が赤らんでいた。
「武藤の所在をお教えくだされ」
 と政右ヱ門は頭を垂れた。
「武藤は江戸の神田船水長屋というところに住んでおる」
 と木村金衛は前もって調べていたというように答えた。
「江戸、神田船水長屋、あいわかりもした」
 木村宅の庭を駆け去っていた。
「まあ、騒々しいこと」
 と小崎はいったものの、少しはにかんだ表情をした。
「小崎、ゆっくりとしておられんぞ、お前も後を追え、あいつじゃ無理だろう」
 と木村金衛はいった。
「はい」
 と小崎は言うやいなや、その場から一瞬で姿形を消え去った。
「しかし、あの唐変木は実にそそっかし奴じゃ」
 と笑いながら木村は奥へと消え去った。
 政右ヱ門は、二町ほどさきにある藩の馬厩舎から1頭の駿馬を拝借して一路江戸を目指した。
 無鉄砲な政右ヱ門である。路銀の用意など毛頭考えもしなかった。
 さすがに、国を出て三日目に腹と背中がひっつくぐらいな空腹で眩暈が襲った。
「しまった、少し金を借りてくるべきであった」
 と思ったが、後の祭りである。
 川を見つけて水ばかり飲んでいるが、さすがに息消沈しだした。
『そもそも俺はなんで、敵打ちなどしなければならないんだ・・・』

 日も暮れる頃であった。
 政右ヱ門は馬を引きながら、実にしょぼくれた風で山間の村の入口に差し掛かった。
 道端に一人の老人を抱え、往生している小娘がいた。
 老人の身なりはしっかりとした袷であり、娘の様子からしても大店の娘ぐらいに見えた。
「もし、如何なされた」
 と政右ヱ門はいった。
「父上が急に差し込みまして・・・」
 と女はかなりの別嬪であった。
 政右ヱ門が屈みこんだ時である。
 首に何か冷やりとした物が触れた。
「おい、動くな」
 小娘であった。
 どこからそんな声音《こわね》がでてくるのか見当がつかない。
 政右ヱ門もさすがに、首に当てられたものが刃物ぐらいはわかった。
「銀治、刀を奪え」
 と老人が目の前にすくっと立ち上がった。
『なるほど、娘は男であったか』
 政右ヱ門はのっぴきならない状況に落ちいっていた。
 両差を奪われ、老人に胸を探られた。
「お主、金はどこじゃ」
 と強盗の首領は不思議そうな顔で立ち上がった。
 目を合わせた政右ヱ門は、
「実はおけらである」
 と答えた。
「二本差しが、おけらとは」
 と娘の格好をした、どうみても女に見える銀治がいった。
 政右ヱ門もだてに武道を修練して来てはいない。
 銀治の呼吸を計っていた。
 人間とういうものは、息を吸うときと話をするときのいずれも油断が生まれる。その一瞬を待っていた。
 政右ヱ門は銀治の腕を掴むと背負い投げで遥か彼方へ投げ捨てた。
 男はぐうの音も出さず昏倒した。
 次の瞬間に老人の抱えていた長差しから刀を抜き取り、逆に首領の首に刀の切っ先を当てていた。
「残念ながら、俺も武士である」
 と政右ヱ門はいった。
 老人は猿のように後ろに飛び去った。
 痩せた身体からその動きをまったく予想できない俊敏さがあった。
 政右ヱ門から奪った脇差を抜く姿は実に動がいったものがあった。
「ほう、元は武士であるか」
 老人は右に回りこむと一気に殺到して来た。
 政右ヱ門は一歩ほど横に移動し、脇差をぎりぎりで交わした。
 老人は狙った先を失いよろめきながら横を通り過ぎていった。
 長刀の背で老人を後ろからなぎ倒した。
 老人もまた昏倒していた。
「大変すまんが、路銀を少々拝借する」
 老人と銀治と呼ばれた娘の巾着には、小判が数十枚も入っていた。
 政右ヱ門はその中から五両ほど拝借すると、早道と呼ばれる路銀を入れる財布を取り出し入れた。
 老人が握り締めたままの脇差を腰に差し終えると、
「丁度窮していたところだ、相すまぬが借りて行くぞ」
 と政右ヱ門は横でじっと待っていた馬に飛び乗るとすかっり帳の下りた村を駆け去っていた。

『あぶないところであった。実に世の中は、正に騙し騙される化かしあいばかりなり・・・』
 と政右ヱ門は思った。
 政右ヱ門が立ち去った後、小崎が老人と銀治から路銀を入れた巾着を奪っていた。
「唐変木もいつのまにかやるじゃない、しかし盗賊に金を残していくとは・・・まだまだ甘いわ」
 と町娘の格好をした小崎は菅笠を一度上に傾け、満天に降り注ぐ星を眺めた。
 ここから一里ほど先が大田原の宿場町である。
 奥州路も晩秋を過ぎもう少しで真っ白い雪が落ちる頃であった。

(了)

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2010年12月18日 (土)

108物語 『三人で』

 私は何度か階段の踊場で子供たちが泣き叫ぶ声を聞いた。

 今年、大阪の夏は観測史上記録的な猛暑が続いていた。
 背中にじっとりとした汗が噴出し、ワイシャツは背中に貼り付き、部屋に戻り脱ぐのに一苦労した。
 早朝から気温はうなぎ上りで、昼頃にはアスファルトがまるで黒あめのように溶け出していた。自転車のスタンドはアスファルトにめり込んだ。

 「島崎さん、あれどうなったでしょう」
 鉄鋼金属部第二課の佐野山係長が朝から私の席に現れ、腰を下ろした格好で耳打ちした。
 紺に白玉模様の草臥れたネクタイ、額が大きく後退した佐野山係長は当時、私の部下だった。
 私はある建設ゼネコンをめぐる談合事件の渦中にあった。
 遡ること二年前の夏のことである。空港建設のインフラ事業で大手ゼネコンと共に手掛けた建設入札をめぐる談合が新聞社へ密告された。
 当時の国土交通省だけでなく、入札をめぐる政治家の口利きもあった事が取りざたされていた。
「トカゲの尻尾切りか・・・」
 と私は思わず口から出た。
 佐野山は一瞬顔を強張らせ、私の机から身を引こうとした。
「今週末に返事をする」
 と捨て台詞とも思えるようにいった。
 佐野山は何も言わずに去っていった。
 一度、振り返り何か念を押すように私を睨み付けた。
 定時に社を退社をしたが、私はどこにも行く所がなかった。
 帰宅途中のサリーマンの流れに身を任せ、何も考えられず彷徨っていた。
 駅から電車を下車し借りている1DKのマンションへ向かう途中に公園がある。

 すでに午後7時を回っていたが、十分辺りは明るく日長を感じさせた。
 公園に唯一ある木製の古びたベンチに腰を下ろした。
 ネクタイを緩め、ワイシャツの襟首のボタンをはずし、黒皮の鞄を抱きしめたまま眠りに陥った。
 別に疲れている分けではなかったのだけれど・・・

 「おじさん、おじさん」
 と聞き覚えのある女の子に私は呼ばれた。
 目を開けると辺りは真っ暗で、夜空は金平糖をこれでもか、これでもかという具合にばら撒いた星々が輝いていた。
 女の子は、おかっぱ頭に、熊の絵柄のティシャツとジーンズの半ズボン姿で、サンダル履きだった。
「桜ちゃん」
 私の階下に住む女の子だった。
「楓《かえで》が具合悪いの・・・」
 桜ちゃんは泣きべそをかいたような表情で私に訴えた。
「ママは・・・」
 と私は見るからに水商売風の桜ちゃんのママを思い出していた。
「ずっと帰ってこないの・・・」
「ずっと・・・帰ってこない?」
 私は桜ちゃんを伴って、マンションへ急いだ。

 部屋のドアが開かないようにガムテープが張られていた。
「桜ちゃん・・・」
 私は理解するのに時間がかかった。
 誰が部屋のドアにガムテープを張った・・・
 振り返ると桜ちゃんの姿は無かった。

 「はい、子供だけがいるようです。それがドアの周りをガムテープが張られていまして・・・」
 私は近くの公衆電話から110番へ電話を入れた。
 翌朝までマンションをぐるりと複数台のパトーカーが取り囲み、マンションの入口には規制線のテープが張られた。
 翌日の夕刊各紙の一面はいづれも「2幼児遺棄事件」の記事が掲載された。

 だから私の犯した罪については掲載されることも無かった。

 午前中、私はスポーツ用品店で金属バットとそれを入れるビニールのケースを購入した。その足で社へ出社した私は最初に、鉄鋼金属部第二課の佐野山を金属バットでこれでもか、これでもかと殴った。
「これが、答えだ・・・」
 周りの誰も制止しなかった。
 そのまま、ビルの最上階に住む魔物たちの部屋に向かった。
「島崎君、何をする・・・」
 この会社の重役達が昼間からシャンパングラスを片手に談笑している席へ、私は血のりがべったり付いたバットを持ったまま現れた。
「お世話になりました」
 と私は一度軽く会釈すると、逃げ惑う重役連中の頭をこれでもか、これでもかと殴りつけた。
「弱いものを挫き、我がもの顔でのさばる悪人を成敗しに参上いたしました」
 と私は絶叫したまま気絶した。

「刑務所を選ぶことができます」
 と担当の国選弁護人はいった。
「あの下村早苗はどこの刑務所でしょうか・・・」
 胸に金バッチを付けた、白髪の弁護人は一瞬、理解できずに私を眺めていた。
「幼児遺棄事件を起こした女が入っている刑務所です」
 と私は改めていった。
「大刑《だいけい》だろう・・・」
 と弁護人は一度掛けていた眼がねを持ち上げる仕草をした。
「そうですか、大阪刑務所ですか」
「そうだが・・・」
「私を大刑に入れてください」
 弁護人はじっと私を眺めた後、こんなことをいった。
「女区と男区は完全に分離されているが・・・」
「ええ、大丈夫です」
 と私の顔はきっと笑みを浮かべていただろう。

『桜ちゃん、楓くん、もう少しでママがそちらへ行くよ、がまんしててね』

 平成23年1月4日の大阪タイムにこんな記事がある。
「大阪2児遺棄事件の被告は収監された大阪刑務所内の独居房で惨殺される。
大阪府警は内部の犯行との見解で捜査中」

(了)

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2010年12月12日 (日)

108物語 『良夫』

 一片《ひとひら》、一片ごとに真っ白き雪がゆっくりとアスファルトを白く染め始めていた。
 石井明は行灯《あんどん》に灯が灯った玄関をじっと眺めていた。
 時折、その玄関から弔問客が通夜の会場を立ち去る。
 明の肩や頭にかなりの雪が積もっていた。
 眉毛や睫《まつげ》が真っ白なだけでなく、吐く息さえ白かった。
 ようやく、明のお目当ての人物が紺の半纏《はんてん》を着た若衆二人を伴って現れた。
 その男は、年のころ五十後半から還暦を迎えようかという容貌をしている。
 髪は短く刈上げ、白髪混じりであるが十分にまだ黒々とした頭髪である。
 若衆に挟まれる格好で、番傘を斜めに差し、ゴム長をゆっくり正確に前へ進め、雪の上に足跡を残した。
 明は板塀の前でじっとその男が来るのを待ち構えた。
 若衆の一人が明に気がついた。
「お前は誰だ・・・」
 明の住む世界とまったく無縁な人間達に立ち向かう事に、明は一瞬身震いを感じた。
「良夫の身内の者です」
 と明は深く頭《こうべ》を垂《た》れたままいった。
 その男は番傘をからじっと押し黙ったまま明を見ていた。
「話をしたく、お待ちしておりました」
「てめ、待ち伏せしやがって・・・」
 と若衆の一人が明の胸倉を捕まえて、アスファルトに叩きつけようとした。
「やめなさい」
 と男は、どこからそんな声が出てくるのかと思わせる重厚な響きで若衆を止めた。
「木村組の親分さんとお見受けして、お伺いしたい事があります・・・」
「なんだ」
「なぜ、良夫なんでしょう・・・」
「なぜ、良夫が殺されなくちゃならないんでしょう・・・」
 明は俯いたまま、深深と降り始めた雪を見るとは無しに見ていたが、あたりの景色は目頭に溜まった涙でぼんやりとしか見えなかった。
「良夫から兄がいると聞いた事がある。お前さんが良夫の兄さんか」
「へい、兄の明でございます」
「そうか、あんたが・・・」
 と男は何か感じ入るところがあるらしく、ため息をついた。
「この世の中で血を分けたたった一人の肉親でございます」
 明は嗚咽とも咳きとも思える音を喉から出した。
「幼い時に両親を失い、施設で育った二人でございます。悪い時も苦しい時も全部、お互いが歯を食いしばり、支えあってどうにかこうにか今日まだ生きてきました。それをどういう了見で、人殺しなど良夫に命ずるのか・・・あいつも俺も人様から後ろ指だけは指されまいと、お天道様の下を真っ直ぐに歩いて来ました」
 明は一気に話すと世界がまるで綿飴のように歪み、何も見えなくなっていた。
「俺はすまないとお前さんには言えない・・・それは良夫に対する侮辱になる」
 と男はいった。
 明は耳を疑った。そんな非道な事を言う人間がいるはずがないとさえ思った。
 これが極道なのかと思った。
「良夫ほど兄思いの男はいなかったよ、明さん・・・」
「兄思い・・・」
「じゃなんで、こんな無様な死に様なんだ」
 と明は叫んだ。
「あいつは極道になるために生まれてきたんじゃない、あいつは、明さん、お前たち兄弟の本当の敵《かたき》を打つために、俺のところにやってきた」
 明はなんの話かまるで見当がつかなかった・
 男は合わせの懐から封筒を取り出した。
「良夫から預かった。きっと兄が尋ねてくるからと奴は俺に頼んだ・・・」
 明は木村組の組長から封筒を受け取り、封筒から乱雑な見覚えのある字が綴られた手紙を取り出した。

『にいちゃん
 どこまでも馬鹿でとんまな良より。
 にいちゃんは何にも知らないだろうが、良は一目でも父や母をにいちゃんに合わせたくて、こっそりと消息を探し続けてきたんだ。
 俺は二人の育った施設の園長から聞き出した、俺たちは夕張の炭鉱から来たこと、強盗殺人の現場にのこされた二人の男の子を引き取ったこと、そして犯人は逃走したまま見つからなかったこと、犯人は池山勇吉という30歳前後の男ということ、それを俺が知った時、どれほどその男を憎んだことか。
 探すのに12年の歳月がかかった。札幌のすすきのを縄張りにする木村組にその男がいると知った時、俺は極道として木村組に入る決心をした。
 そして木村組の親分の口から、俺たちの父と母の命を奪った強盗殺人の犯人と告白された時、俺は泣いたよ。
 にいちゃん、俺たち兄弟はいつも、いつも誰かに守られて生きてきたことに、気がついていたかい?
 冬の寒い部屋で兄弟抱き合って泣き暮らしている時、玄関に投げ込まれた金、俺が盲腸を患って入院した時、金を清算した人物、あれは全部、木村組組長だったんだよ。当時の炭鉱の関係者から、俺たちの両親が組長を馬鹿にして奴隷のように扱っていたことを俺が知った時、だれが悪いのかわかったよ。
 俺は親分と親子の縁を結んだ。にいちゃんとは本当の兄弟だけれど、兄弟の縁を切ってくれ、それで俺の魂はたぶん救われる。
 そうすれば、にいちゃんが組長を憎む筋合いがないよ、きっと、頼むよ。
 あばよ、この世で一番好きなにいちゃんへ』

 明は、読み終えると真っ白い雪に夥しい赤い色があるのに気がついた。
 雪の上にうつ伏せに倒れ込んだ木村組組長は匕首《あいくち》で腹を掻っ捌《かっさば》いていた。
 二人の若衆は茫然自失のまま押し黙っていた。
「これでいいんだ」
 と男はもんどり打つでもなく静かに雪の上に横たわった。

 昭和33年1月4日の北海タイムズにこんな記事がある。
『木村組組長割腹自殺。先週刺殺された若衆石井良夫の通夜の帰り、薄野を縄張りとする一和会系木村組初代木村幸三は雪の降りしきる路上で割腹自殺を図る。道警では現在進攻中の山口組との抗争の関連か調査中』

(了)

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2010年12月 4日 (土)

108物語 『川向こうへ』

 その男に最初に会ったのはずいぶん昔のことである。
 それがいつであったのか、実際のところ判然としない。
 通勤列車の隣のつり革につかまっていたり、公衆浴場の湯船の中であったり、ドラッグストアーのトイレだったり、私が存在する・・・いずれかの、それもふと立ち寄ったりする場所であった。

 その年の暮れのことである。
 私は長年勤めてきた会社を退職する決意をした。
 「今泉課長・・・」
 「あ失礼しました、今泉さん」
 と見るからに将来になんの不安もない女子社員は、昨日までの役職で私を呼び間違えた。
 たぶんこの会社のほとんどの職員は、私をあいも変わらず『今泉課長』と呼ぶのだろ。その呼び方が、私がこの会社で得る事のできた最高位の役職であることになんの疑いもないのである。
 だが、私が『今泉課長』と呼ばれるとどれだけ傷ついてきたのか・・・誰も知れよしがないのである。
 38年間に渡り勤務した、都心の一等地に立つ十八階建てのビルディング。入社3年目に入居した建物も35年の月日を経て、その当時この界隈で一番の高さを誇った高さも周りをぐるりとより高いビルディングに囲まれてしまった。
 入社3年目までは実に順風満帆であった。
 新興都市の開発プロジェクトに大抜擢のすえ課長職を社より承った。
 つまり私はこのビルディングが建設された時から、『今泉課長』と呼ばれ続けてきた。
 その役職名との決別を決断できずに、これだけの年月が過ぎたわけだ。
 少し回転が鈍くなった回転扉から、夕闇に包まれた街へ踏み出した。
 この回転扉をくぐることが、これで最後かと気が付き、改めてビルの中に戻った。
 どうしてそんな気分になったかわからなかった。
 あの男が玄関ホールの片隅に厚手のグレーのコートの襟を立て、佇んでいた。
 会社で見たのは、初めてであった。
 もちろん、話しかけたりなどする気など毛頭ない。
 私はまた回転扉の中に吸い込まれていった。
 ほんとうに吸い込まれていった。

 何かの光が回転扉の先で輝いた。
 目が一瞬くらんだ後、回転扉の外にほうり出された。

 「あ」
 私は草原を見渡せる場所に投げ出されていた。
 立ち上がり、よごれただろうズボンの裾の土ぼこりを払おうとした。
 しかし、ズボンなど穿いていなかった。
 短ズボン、薄汚れたズックの踵を踏んだ小さな足。
 思わず手のひら広げると、真っ白い小さな手のひらがそこにあった。

 「今泉君、約束したよね」
 後ろから子供の声が聞こえた。
 振り返ると、どこか見覚えのある少年が悲しげな表情で佇んでいた。

 いくら記憶を辿ろうが、私はその少年の顔すら思い出すことができなかった。
 再び少年の口が開いた。
 「今からでも行こうよ」
 この少年はどこへいきたいのだろうか?
 少年に尋ねるまでもなく、彼はスタスタとなだらかな丘陵地帯を半分に分けている道を下り始めた。
 私も彼に従い、駆け足ぎみに坂道を下った。
 緑の麦畑が続き、そして緑の洪水が途切れると、道の両脇のポプラが空高く刺さり、ついに川幅の先がまったくわからない雄大な川にたどり着いた。
 「向こう岸へ渡る」
 少年は声高に言った。
 「僕たちはまだ子供だけど、あの川の向こうに行くことはできる」
 「きっと、きっとできる・・・」
 「そうさ、今泉君も・・・」
 少年はテーシャツに半ズボンのまま川に飛び込んだ。
 激しい水しぶきのシャワーが私を全身ずぶぬれにさせた。
 少年はクロールの泳ぎでズンズンと私から遠ざかっていった。
 ついには、ひとつの点に少年がなった時、私はようやく思い出した。

 「高橋・・・」

 『そうか、あれから60年過つんだ』
 と私が思った瞬間、私はいきよいよく回転扉からありふれたいつもの世界へ戻ってきた。
 そしていつもの男がグレーのコートの襟を立て迎えてくれた。

 「ようやく川を渡れたね、今泉君・・・」
 「ああ、高橋君、ごめんねこんなに待たせて」

 二人は肩を並べ雑踏の中に消えていった。

 1950年6月3日の信州タイムズにこんな記事が載っていた。
 『小学生、千曲川で流される。雨で増水した川岸で遊んでいた小学生が川遊びで行方不明。現在地元消防団、警察が捜索中。』

(了)

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