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2010年7月 2日 (金)

坊ちゃんに会いたくて 三十五

      三十五

 行けども行けども、白き雪の中を俺達は何に向かって進んだのだろう。
 あの戦(いくさ)はいったいなんだったのだろう。
 これだけ時間が経(へ)たいまでも、真っ白な雪で覆われた桜島を思い出す。
 父上と母上が暮らし、祖母や祖父が生まれ、そしておいや妹の妙(たえ)が育った土地にある町並みや家の佇(たたず)まいが、何も変わらない姿で俺達を送り出した。
 深々(しんしん)と雪が降り続け、時々菅笠(すげがさ)に積もった雪を払い落とさなければならなかった。
 先頭を行く馬列が延々と峠を越える頃、ようやく桜島が視界から消え、遥か熊本の景色がぼんやりとした雲間に広がった。
 笠松栄治(かさまつえいじ)は私学校へ入学してわずか半年で、西南戦争の兵役により薩摩から出撃した。一度も戦(いくさ)どころか人に銃さえ向けた事も無かった。
 前夜、家族親戚が笠松の家に会した。
 女子供(おんなこども)も合わせ一同が大広間を埋め、出兵を祝う宴が開かれた。
 祖父がどこで手に入れたのか酒を振舞い、賑やかな舞いと歌を披露した。
 上座に座した栄治はただ親戚の顔を眺めていた。
 叔父の一人が袋から長刀を取り出し、栄治に手渡した。
「おいどんが鳥羽で幕府軍と戦った褒賞として藩から賜(たまわ)ったものだ」
 栄治は鞘(さや)から刀を抜き、菜種油(なたねあぶら)の灯に翳(かざ)した。
 この刀は幾たびか人の手に渡り、その度に戦で人を殺めてきた、幾度も刃を磨ぎなおした冷たい輝きに、栄治は一瞬眩暈(めまい)を覚えた。
 刃先から何か得たいの知れない恐怖を感じた。
 いくら振り回そうが人を殺めることのない武道場の竹刀(しない)とは違う。
 頬に軽く当てすうと引けば、一筋の傷となり、赤き血潮を体内より滲(にじ)みださせるだろう。
「どうだ栄治」と叔父は自慢げに語り、栄治から刀を奪い取ると高く掲げた。
 一同会した女子供までもが歓声を上げ、拍手さえした。
『俺に人が殺(や)れるのか』
 祖父が栄治の杯へなみなみと酒を注いだ。
 それを無理やり喉の奥へ一気に流し込んだ。
 栄治は淵辺群平(ふちべぐんぺい)の本営護衛隊に配属されていた。
 護衛隊の目的は西郷隆盛の護衛にあった。
 淵辺は栄治の教官である。
 淵辺は示現流の使い手で名を馳(は)せた。
 武道場で初めて淵辺が真剣で演武を披露した時、栄治は震え上がった。
 日本刀は人が振り回すものでは無い、そう感じた。
 正座し演武を目撃した私学校生徒全員が経験した事だ。
 人間に見立てた五体の藁人形の首が次々と中に舞った。
「人を切るとはこうやる」と淵辺の言葉が武道場にこだました。
『人を切る・・・人を・・・』

 先発隊は二月十五日に鹿児島を発った。
 栄治の隊は途中まで彼らの後方を支援し、十七日夕刻、日吉に到着した。
 鹿児島より馬を駆り使者が陣営へ到着した。
 栄治は夜露に濡れた草むらに腰を下ろし、野営地に設けられた陣幕に駆け寄る使者を目撃した。
 その刹那(せつな)、陣幕の僅(わず)かな隙間(すきま)を通し、西郷どんを覗き見る事ができた。
『あれが,大将か・・・』
『すごか怖い顔をしている。西郷どんはどれだけ人を切ったのだろう』
 聞くとはなしに会話が漏れていた。
「なに、大三が武器と供に戻ったと」
「は、五十万発ほどの弾薬を手にいれ、荷を運ぶ準備を進めております」
「そうか、これで懸念の一つが解決した。お主、桐野までこの事を伝えてくれるか」
「夜駆けいたします」
「たのむ」
 再び陣幕から明かりが漏れ、陣中に鎮座(ちんざ)する大将を背に使者が駆けて行った。
『ものすごい弾丸だ、どこぞから手に入れたのか』
 と栄治は今偶然聞いた話について考えていた。
『大三とは誰ぞ、聞いた覚えがないが』
 私学校生徒といえども全員の名前と顔を知る事はできない、鹿児島の各地に分校があり、栄治は高麗町で私学校分校に入学していた。
 ただ、吉兆(きっちょう)の知らせと感じ、前途洋洋(ぜんとようよう)たる気分になった。
 少しの不安が晴れ、知らずのうちに刀を立てたまま眠りについた。

 私学校本営留守居役(るすいやく)に大三は海洋丸で同船した田中耕造、田之上伸二を紹介した。
「こちら東京から参られた新聞社の方だ。鹿児島から記事を送るそうだ」
 初老の顎(あご)鬚(ひげ)を蓄えた留守居役は目を細め、
「それは、それはご足労をかけ申した」と突然現れた珍客を珍しがった。
 大三は寝ているような留守居役が別世界の者のように感じた。
 戦時下の緊張は無く、午睡でまどろんでいるようにも見えた。
「この者達の宿を手配して欲しいのだが」
「宿か、藩内の宿はどこも閉めておろう、私学校の寮がそのまま開いている。あの建物の裏側に行ってみてくれ、たぶん寮母がいるはずじゃ」
 黒ずみ痩せた人差指で窓の外を指し示していた。
 大三は田中と田之上を寮に案内しそこで別れた。
 別れ際に二人は礼を述べる序(つい)でに、大三が鹿児島を発つ時、同行したいと言ってきた。
「命が無くなる覚悟がおありか」と大三は問いただした。
 田中はこう答えた。
「我等は武士ではない、だから武器を持ち戦う事はできない、しかし、言論という武器を持っている」
「言論?」
「我等には、国民に正義を伝える使命がある。どんな窮地になろうと自身で活路を開き、言論を守るため戦う、だから心配御無用である」
 大三は何かに心を打たれた。
「わかりもうした」ときびすを返し、その場から立ち退(の)いた。
 歩きながら何度も何度も心の中で繰り返した。
『正義のために・・・正義のために・・・命も掛けられる』
『武士と何も変わらないじゃないか、言論を守るために自らの命を掛けるという、なぜだ・・・、言論とは命を掛けてまで守り抜くものなのか・・・』
大三は、私学校本営に戻ると留守居の私学校兵に西郷宛の勅使(ちょくし)を頼んだ。
 その日中、大三は田中の言葉を繰り返した。
『おいどんの守るものとはなんぞや・・・』
 答えが出ずに日が暮れようとしていた。

【二月十五日 午後二時三十五分
ナガサキハツ
イトウサンギドノ(イトウサンギ=伊藤博文)
ナガサキケンレイハツ
セイナンツイトウハワガクニノアンキナリ(アンキ=安危)
モシセイフハハイヲトラバ(ハイ=負)
テイコクヲイジスルコトハムズカルベシ
ユエニゴビグンノテアテハ(ゴビグン=後備軍)
ムシロホウボウヨリヨウイシテハイカガ
クシンニタエズグイヲテイス(グイ=愚意)】

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