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2008年1月 5日 (土)

やさぐれ勝の恋 十四

      十四

『まあ、ねえどうして私達・・最初から出会わなかったの・・』
 秋が過ぎ、やがて冬が来る前の何か静かな空が病室の窓から見えていた。
 か細く痩せ細った指がグローブを思わせるごつい勝の手をこれでもかというふうにぎゅーと握り締めていた。
 勝は全身に酷い汗を掻《か》いていた。
 いつの間にか、うとうととしてしまったらしい。
 船室の窓からわずかに陽の光が入ろうとしている。朝が近づいていた。二段ベッドの上に綾子が静かな寝息を立てていた。
 勝は反対側の下段に寝ていた泉がベッドから抜け出している事に気がついた。
『しまった』と跳ね起きると三治を揺り起こした。
「兄貴どうした」
「奴が逃げた」
 綾子に気が付かれないために密やかな会話をする必要があった。
 泉から室蘭に到着するまで船室から出ないよう指示されていた。しかし、奴は寝静まるのを待って抜け抜けと船室を出て行った。
 勝は身支度を整え三治を伴って船室をそっと抜け出した。
「兄貴どうする」三治はあまり似合うとは思えない背広姿だった。
「お前は上を探せ、武器を持っているかもしれね、見つけたらそのまま張り付け、俺が着くまでじっとしているんだ」
 勝一行は甲板から二番目のBデッキの一室にいた。上にレストランのあるAデッキ、一つ下に二等室があるCデッキ、その下がトラックや乗用車などを格納する貨物室がある。
 勝は泉の気の流れを感じ取っていた。
 人は興奮すると独特な気を発する。
 勝はこれを感ずることができる、だが人にこの能力を話した事はない。
 勝の脳がこれを嗅ぎ分ける、『脳臭』と勝はかってに命名していた。
 階下からだ。
 得たいの知れない興奮状態が伝わってくる。
 深夜運航のフェリーの廊下に人影はない、主な運航目的が大型トレラーを運ぶ事だ。だから観光シーズを外れた時期はほとんど観光目的の旅客は少ない。長距離のトラッカーはそのままトレラーの運転席の裏に設けられたキャビンで休憩を取る事が一般的だ。荷の番と一匹狼の多い彼らはCデッキにある和室で雑魚寝は好まない。だからほとんどが貨物室で一夜を明かす。
 勝はCデッキの入口から通路沿いに和室が面した廊下を進んでいた。
 范享は十二畳ほどの和室のちょうど上がり口付近に用意されていた枕と毛布で横になっていた。完全に熟睡していた訳ではない、近づく者の足音を感じ取った。
 彼の野生が何か妙な気配を嗅ぎ分けた。
 それは勝も同じだった。
 和室はそれぞれ廊下に面して二つに切れた入口を持つ、その間に腰までの高さの物を入れる棚があり、その壁が廊下に面している。
 このため勝は物入れの壁で横になっている范享を直接視線で捉える事は出来なかった。
 しかし、お互いに『嗅いだ』のだ。
 勝、そして范享もまた身動きが出来なかった。
 
 泉は貨物室に降りていた。
 真黒に塗られたトレーラーの前に二人の黒革のジャンバー姿があった。
 一人は黒髪のサングラスの女、片方はレスラーの体躯をした男だ。女は見事に均整のとれた身体をしている。男はスキンヘッドヘッド、鼻の下に髭を蓄えている。二人の肩に掛けれれたものは共にAK-47機関銃であった。いわゆるカラシニコフ突撃銃だ。
 泉は二人の前に向うと軽く敬礼を行った。
 その二人も直立不動で敬礼を返した。
「多少手間取ったが、どうにか乗船できた」泉は妙なくすくすする笑いで二人に答えた。
「それでは作戦を決行する。操舵室を奪取するまで、火器の使用を禁じる。僕はここで待っているから・・」と泉はトレーラーの運手席に攀《よ》じ登るとその中に消えた。
 運転席のキャビンに用意された毛布の中に泉は潜り込むと愉快そうな笑みを浮かべ眠りに付いた。
『首領様万歳』と一言呟《つぶや》いた。
 黒革のスキンヘッドがトレラーの後ろに回った。トレーラーの後部扉のレバーを操作して扉を開いた。
 完全武装した屈強な数十名のソルジャーがトレーラーの箱を背に蹲《うずくまて》っていた。
「この船を制圧せよ」とスキンヘッドの後ろで腕を組むサングラスの女が命令した。
 軽快な動きでソルジャーがトレーラーから貨物室に散った。どのソルジャーも背に通常フル装備の重量と変わらぬ20キロ近い装備を背負っていたにも関わらず難なく駆けていた。彼らは本国から遣ってきた精鋭一個小隊であった。小隊は英国式で言われる事が多く、分隊長を二名配置するのが一般的である。この作戦に遣ってきた人数は40名、分隊長は2名であった。
「みごとな戦闘能力ね」とサングラスの女は次々とトレーラーの運転席の運転手を縛り上げている様子をスキンヘッドとうっとりと見ていた。
「朴《ぱく》、私達はお宝を確保しましょう」
 日本電力機構からの依頼で政府機関が用意したトレーラーが貨物室の片隅にあった。政府機関は特に警備体制を敷いていなかった。これがどのような経緯で計画されたのか、まったくの手落ちとしか言いようがなかった。
 日本の重大機密がいかに簡単に世界に知れ渡っているのか、政府首脳が常に心していればこんな事態はありえなかったかもしれない。
 トレーラーの箱に4名のガードマンがプルトニュームを入れた重金属でできたボックスと共に閉じ込められていた。運転のために雇われた男が一人。ガードマンは定期的に助手席側から出て小用を足しに出た。このトレーラーは運転キャビンとトレーラー部が結合され、行き来できる特殊な造りの車両だった。
 ガードマンの一人がまさに運転席を降りようとして助手席側のドアを開けた。
 丸い巨大な顔が下から現れた。
 ガードマンはドアを閉めようとした。
 下から昇ってきた男は辛うじてドアの隙間に手を入れた。ガードマンはそれ以上ドアが閉まらないので、再びドアを外側に開いた。
 次の瞬間、ガードマンはドアの引き手を掴《つか》んだまま外へ投げ出された。トレーラーのドアが引きちぎられぽっかりと口を開いた。
 運転手は呆然と助手席側のドアが投げ出されたのに気を取られた。
 運転席側のドアが急に開き何者かが堅い物で彼の頭をしこたま殴りつけた。運転手はその理由を理解する前に渾沌とした意識のまま運転席から貨物室の鋼鉄製の床へ滑り落ちた。
 トレーラーの箱に三人のガードマンが床に毛布を敷き仮眠していた。物音で運転席側を振り向いた一人が目の前に黒革ジャンバーの男がいる事に気が付いたが、次の瞬間には自分自身のどこかから妙な音がした。両腕がへし折られていた。声を出そうとしたが急に顔が自らが意識していない90度の方向へ向けられた。かつてそれまで首を回した事はない。意識が途切れた。巨体な体躯の男が運手席から舞い降り、両足で二人のガードマンの胴体を踏みつけた。何か鈍い音がトレーラーに響いた。
「朴、あまり汚さないで」と女の声を聞いたが二人はそのまま意識を失った。
「こちら麗華、お宝確保」
 麗華と名乗った女はハンディトランシーバから報告した。
 一団のトレーラーに納まった泉の枕元に置かれたレシーバーから次々と報告が流れていた。

「俺は人探しをしている」と勝はやっと声を出した。
 剣の達人が戦いの場に臨んで、相手の間合いに入らないように心がけるように、勝はその場から一歩も踏み出せないでいた。
 范享はその声を聞いて初めて、自分を狙った者ではない確信を得た。
「それでは人違いだ」と暗い響きの声音《こわね》だった。
 二人のすれ違いはその時点で完了したかに思えた。
 ソルジャーの第二分隊は貨物室、Cデッキ並びにBデッキ制圧が任務であった。分隊長の金龍《キムロン》は簡単な任務と考えていた。
 全員が階段を駆け上がり、起点になる場所に配置が完了するとそれぞれのデッキにいる人々を縛り上げる。乗員乗客全員を人質とする予定だった。日本は治安が世界一だ。武装している者は一人もいないと聞いていた。完全武装した小隊でこの船など短時間で制圧できる自身があった。
 Cデッキの階は五名のソルジャーが担当した。長い通路が平行に二本あった。その間に和室と海側に二等室がある。通路の両端に昇降用の階段室があり、そこにソルジャーを配置すれば誰もCデッキから出る事はできない。
 Cデッキを担当したソルジャーの一人が通路に立ち尽くしている男を確認した。背中を向けているので顔はわからなかった。
 勝は既に後部から殺気が殺到するのに気が付いていた。しかし、動けなかった。それより凄い者が壁の向こうにいる。動けば確実に攻撃される危惧《きぐ》を感じた。一瞬の気も許さない緊張があった。
 勝の視線に通路の反対側から完全武装したソルジャーの恰好をしたものが現れた。
「お前は後ろをやれ」と壁の向こうの者から聞こえた。
 緊張の糸は緩んだ。
 勝は振り返るとこれ以上ないという速さで駆け出した。
 ソルジャーは急に男が振り向いたのを確認すると背中にあったAK-47を構える動作を行ったが間に合わなかった。
 勝の気は目の間の敵より後ろに集中していた。自分が振り向くと同時に壁の向こうからとんでもない速さで天井へ飛び上がる気を感じた。人間のそれではない。勝はAK-47を片手で鷲掴みでもぎ取るとその銃底でソルジャーの顎を殴りつけた。
 背後から人間の呻《うめ》きがほぼ同時に聞こえた。
 勝はすぐに後ろを振り向き、未知なる攻撃に備えた。
 反対側の通路には喉仏にそれぞれ二尺ほどの短剣が刺さった武装したソルジャーが仰向けで朽ち果てていた。
 黒いジャンプスーツに身を包まれた青年が立っていた。
「お前は誰だ」長髪の精悍な顔立ちの若者だった。勝はその青年の目に湛えられた悲しみを感じた。青年もまた不思議な物を見るように勝を見つめていた。
 范享が『刺客』と一瞬思ったほど、目の前にいる男から今だ過って知らない気の流れを読み取った。その判断が正しかった事は、男の後ろに倒れているソルジャーが証明している。彼らとて過酷な訓練を経て屈強なソルジャーとなった事は一目瞭然である。そのソルジャーを目の前の男は素手で一瞬にして倒した。范享は読めなかった。大抵の人の気は読める。だからどう人が次に行動するか手に取るように判る。しかし、目の前の大男と言っていい体躯から激しくほとばしる気が何を意味するのかわからない。だから固まった。正直なところ動けなかった。
『人間離れしている・・』
 享の得意な剣技でこの男を仕留めたとしても、多分相打ちでこちらもどこかにダメージ・・いやあの時は勝てる気がしなかった。
「お前こそ何者だ」

 三治は甲板から深夜の海を眺めていた。
 星々が散りばめられた夜空、対岸に一本の光の線となった街明り、思えば生まれてこの方、船に乗ったのは初めてだ。船の舳先《へさき》まで歩んだ。もう少しで冬がやって来る。日本海の寒々とした空気が身体を切り刻む厳しい寒気となって襲ってくる。
 自分が甲板に遣ってきた理由を忘れていた。
 振り返ると視線の先に操舵室が夜空に向ってそそり立つ。煌々とした明りが漏れていた。操舵室の横から甲板へ降りる鉄の階段がある。
 背に何かを背負った十人あまりが駆け上っていくのを目撃した。
『あ、やつら機関銃をもってやがる』

 真鍋正興《まなべまさおき》船長は今年勇退が予定されていた。
『後何度この船に乗るのだろうか』と思った。
 特に船長が操船する事はない。
 今のフェリーは行き先さえ入力すれば、自動運航で目的地まで向う。レーダーや陸《おか》からの誘導無線で難所も安全に航行する。
 今の乗組員で海図を広げコンパスや計算尺など昔のローテクを駆使して航行できる者はいない。真鍋は海軍で鍛え上げられた。戦時中は空から飛来するグラマンを掻《か》い潜《くぐ》り食料と弾薬を運ぶ高速船を操舵していた。何度船柱に身体を括り付け嵐の荒海を航行した事だろう・・
『酷い時代だった』
 航海長の井上信二《いのうえしんじ》、無線技師の川村正幸《かわむらまさゆき》が夜の航海担当だった。
 真鍋自ら操舵するつもりはない、だが船乗りとして生きてきた忸怩《じくじ》たる思いがあり、矜持《きょうじ》もある。だからじっと船室に篭《こも》ってなどいられない。
 行き成り操舵室の外側入口のハッチが開いた。日本海の厳しい寒気が操舵室に怒涛《どとう》の勢いで流れ込んだ。次に機関銃を構えた男達が雪崩《なだ》れ込んで来た。
『またドンパチが始まるのか』と真鍋は思った。
 南方の血塗られし海の記憶が蘇《よみがえ》った。

作者註:
 平成2年3月に直江津~博多(箱崎埠頭)間、さらに直江津~室蘭港までを繋ぐ、全長196メートルの豪華フェリー『れいんぼうべる』が就航する。総屯数13,594屯。特等28室、1等室27室、2等寝台2室、2等7室(雑魚寝用)、ドライバー室2室の総定員350名が宿泊できた。その後、後続の船舶に変更され、平成19年1月より現在直江津港~室蘭港間の航路は経営上の問題で休航中となっている。甲板からAデッキがあり順にBデッキ、Cデッキと呼ばれていた。Aデッキには船員室とレストラン、Bデッキに特等室と一等室、そして浴室にカラオケルーム、Cデッキには2等室と雑魚寝するための和室などがあり、その階下に車両を格納する貨物室があった。平成14年の「白い船」のモデルになったのがこの船である。また平成18年の「LIMIT OF LOVE 海猿」でもこの船は登場する。この時は沈められてしまう。「れいんぼうべる」は、その後ギリシャのフェリー会社に譲渡され現在もエーゲ海にて運航されているらしい(未確認)。筆者は残念ながらこの船には乗船していない、「ニューれいんぼうらぶ」の直江津~室蘭間に一度乗船する機会があった。この物語のフェリーのモデルは「れいんぼうべる」としています。もちろん二段ベットの船室はないので悪しからず。

『脳臭』-平成19年8月23日逝去された西村寿行が最初に著作の中で使用されています。

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