やさぐれ勝の恋 十二
十二
出所祝の宴を終えた銀治は川崎の街にあった。久しぶりの酒のせいかほろ酔い気分で何か気持ちが高ぶっていた。
小雨の降りしきる中にぼんやりした月明りが街の喧騒を少し落ち着かさせていた。
『それにしても勝と隆二はどうしちまった』と勝、綾子が直江津港から北を目指し旅だったことなど知る由《よし》もなかった。
その子はクラブのはねるまで銀治を待つように言ったが、銀治はシャバの、それも繁華街を自分の足で噛み締めるように歩きたかったのだ。
-時代がどう変わろうが、『変わらぬ物がある』と一人で頷《うなずいて》いた。
色とりどりのネオンが銀治を待っていた。
『やっぱり夜光虫のようなもんだ。ネオンに誘われて、何を求めるでもなく、この悲しい光が俺は好きなんだ・・』
銀治の足は自然と西岡組の事務所へと向けられた。
『ずいぶんと人だかりじゃねえか』
銀治は隆二が一悶着を起こした事を確信した。人だかりの中を掻き分けて銀治は警察官が組事務所の警備に当たっているのを確認した。
野次馬の若者に銀治は問い正した。
「事件ですか」
野次馬の一人はこう教えてくれた。
「発砲があって、救急車が呼ばれたそうです」
『しまった。命の取り合いになっちまった』
銀蔵の脳裏を一瞬不吉な予感が過《よ》ぎった。和装姿に雪駄履きの銀蔵はすたすたと警官の前に歩み出た。
二名の警官は目の前の白髪の老人の姿恰好がいかにも極道と取り違えた。
不快な表情を浮かべ、
「用向きは」と一人が問質《といただ》した。
銀蔵は深く頭を下げると、
「へい、あっしはここの関係者でございます」
と説明をした。もちろん西岡組とは一切関係のある者では無かったが、すでにこの事件の当事者の一人には違いなかった。
一人が入口から退き銀蔵を通した。
始末係りという警官が出張っていた。
所謂《いわゆる》、鑑識官達が例によって髪の毛一本も見逃さない動きをしていた。白手袋に庇を逆にして帽子を被《かぶ》っていた。
事務所の一角で本村警部補は事件発生時に組当番であった若者三人から裏捕を行っていた。
「その化け物みたいな男が飛び込んできた時には既に発砲があったのだな・・」
髪の毛を複雑に染め上げられた三人の組当番は神妙な顔つきで長椅子に窮屈そうに雁首《がんくび》を並べていた。
本村は辟易《へきえき》していた。
『なんだこいつらは、組長が取られたと言うのにみすみす犯人に逃げられるとは・・』
男手によって出された出がらしの茶を口へ運んだ時、組事務所に一人の老人が入ってくるのが目に留まった。
『え』と本村警部補は立ち上がりそうになった。
本村警部補と銀蔵の歴史的な再会が用意されていた。
『恒《こう》、あれが侠客《きょうきゃく》という生き方をしている者だ。よく見ておくんだ』
『侠客てなんだい』
『ああ、一切の権力に屈しない生き方を選んだ男の事だ』
ずいぶん幼い頃の記憶だ。父に手を引かれて川崎の街を歩いていた。人込みの中に羽織に袴《はかま》、雪駄履きの屈強な男が肩で風を切って歩いていた。子供心にも何か感じるものがあった。
二度目に会った時は命を助けられた。
中学二年の夏だ。
本村は学校の不良連中に夏祭りの夜呼び出された。何度か学校で衝突があった。本村は理不尽な暴力や大勢で弱いものを嬲《なぶる》彼らの行為を許せなかった。黒袋に納まった木刀を背負い家を出た。母親は黙って見送った。
夜店が立ち並ぶ賑《にぎ》やかな人通りが絶えた場所に既に十数人の不良達が待っていた。
『逃げなかったな』と番長を名乗る不良が行き成り向ってきた。本村は小学校へ入る前から父に剣道を伝授されてきた。小学校、中学校と剣道を続けてきた。中学校の剣道部の主将でもあった。背から木刀を取ると正剣に構え鳩尾《みぞおち》に突きを入れた。向ってきた不良はそのまま地面に崩れ落ちた。すぐに周りを全員で囲まれた。どの不良の手にも刃物が光っていた。
一人でこれだけの人数を相手にしたことはなかった。じりじりと不良達の輪が縮み、一人二人倒したところでこの死地を脱《ぬけだ》せそうになかった。
『前に進め』と雷のような轟きがあった。
本村は言われるまま、木刀で前方の二人を薙《な》ぎ倒し駆け抜けた。
だがどこか切りつけられたらしく、酷い痛みが彼方此方《あちこち》にあった。
振り返るとそこには銀治が熊のような身体をした厳《いか》つい男と立っていた。
不良達はさらにいきり立った。
本村に殺到しようとした不良の二人が熊男に襟首《えりくび》を捕まれ、そして虚空に投げ捨てらた。
『お前たち、一人にこれだけの人数で喧嘩をするとは男の風上にも置けねえ、通りがかりといえども黙ちゃおれねえ、勝、俺が許す、ちょいと懲《こ》らしめてやれ』
本村は呆然《ぼうぜん》と半纏《はんてん》を纏《まと》った男が次々と不良達を熨斗《のし》ていく様を眺めていた。男の動きは実に俊敏で刃物の下を掻い潜り不良達を投げ飛ばした。実に鮮やかだった。身体の巨大な人間がこのような俊敏な動きができるとはとても思えなかった。だが一時後《いっときあと》には草むらに不良達はノックアウトされていた。
銀蔵が本村に駆け寄ってきた、
『お若えの、ちょいっと傷を見せなせえ』
右腕の一箇所、左脇にかすり傷程度の刃物傷があった。しかし、止め処なく血が滴り落ち服を染めあげていた。銀蔵は腹を強《きつ》く締めていたサラシを外すとそれで本村の簡単な血止めの処置をした。
『傷は浅いが手当てが必要だ』
本村は銀蔵と熊男に従い銀蔵の知己《ちき》の外科医で手当てを受けた。診療時間を過ぎて一杯遣っていたらしい老医が慣れた手つきで傷を縫合した。麻酔無しだ。
『ちょいと痛いよ』と老医はさも楽しげに傷を縫い上げた。気絶しそうな激痛が走った。油汗《あぶらあせ》が額《ひたい》から滲《にじ》み出た。ざくざくと音を立てて縫い付けた。本村は一言も発せず耐えた。
『銀のとこの若衆かい』と老医は銀蔵に尋ねた。
『いいえ、通りがけにかかわっちまった若者です』
『ほう、こりゃ将来が楽しみだ』
洗面台で老医は縫合後、手を洗いながらもう用が無いとても言いたげに縫い針や縫合糸を片付け始めた。
『一週間ぐらいで傷は付くだろう、糸を抜くからまたおいで、それと二三日は風呂に入らぬ事、そしてやんちゃはしていけないな』と笑いながら診療室を出て行った。
医院を出て数歩歩いた処で本村は頭を下げて礼を述べた。
『助けて頂き、ほんとうにありがとございました』とそれだけしか思い浮かばなかった。
先を歩いていた銀蔵が振り返った。
『若い時は無茶な事をしたがる、だがお前さん、その命はあんたのご両親から頂いた大切なものだ。決して粗末にしちゃいけない、奴等がまた言いがかりを付けたら、川崎の銀蔵一家を尋ねなさい』と銀蔵は勝と呼ばれる男を伴って去っていった。
あれから十数年の時が経っていった。
本村は一時も忘れた事は無い。
本村がもし警官の道を選ばなければ、間違いなく銀蔵を訪ねていただろう。
「お前たちはもういい、そこのご老人、こちらへどうぞ」と本村は事務所入口の銀蔵に声を掛けた。
様子を伺っていた銀蔵は突然声を掛けられ、事務所隅の応接に座る刑事らしい青年をじっと凝視した。
『どこかで見た顔だ』と思ったが、詳しくは思い出せないまま応接椅子に納まった。
「警視庁の本村と言います」と刑事は懐から名刺入れを取り出し、恭《うやうや》しく名刺を刺し出した。
『捜査第一課 特殊捜査班担当課長 本村恒孝』と明記されていた。この名前に銀蔵は記憶が無かった。
青年刑事は気づいたらしく、
「中学生の時、助けられました」と銀蔵に頭を下げた。銀蔵は『本村』という名前の警官を一人知っていた。川崎駅の交番勤務の本村という警官をよく覚えていた。そういえば、どこか面影があると思った。
「どこかでお会いしましたか」と銀蔵は口を切った。
「夏祭りの夜、不良と喧嘩している私を救って頂きました」
ああと銀蔵は思った。確かにあの時の若者だ。『そうか警官になったのか』と感慨深げに改めて目の前の逞《たくま》しくなった若者を眺めた。
「銀さんとお呼びしてもいいでしょうか」
「ああいいとも」
「ところで、本村さん何があったか教えちゃくれねえか」
「捜査の内容をお知らせすることはできないが、新聞発表程度の内容しか教える事はできません、それでよろしければ」
「ああそれで結構です」
「この西岡組の組長が射殺されました」
「西岡の・・」
「そこには川崎市○○警察署署長がいました」
「で犯人は」
「組事務所の当番の者が言うには、女が一人いたそうです。銃声の後、化け物のような男が事務所に飛び込んできた。その後、署長と女、そして化け物が去っていった・・」
銀蔵はその『化け物』が勝である事にすぐ気が付いた。
「もう一人、容疑者がいます。なんでもこの組の若衆今岡隆二という者だそうです」本村は銀治にある程度説明をしようと決めた。こんな遅くにこの男がわざわざ遣って来るには何か訳があるに違いないと思ったからだ。
「ただ、救急車で射殺された組長と病院へ向ったそうです。今、病院へ警官を向わせています」
『そうか、勝も隆二も無事だったか』と銀蔵は胸の痞《つか》えを下ろした。
話をしていて本村はその『化け物』がもしやあの夜の熊男ではないかと推測していた。
『確か、勝と呼ばれていたのでは・・』
「組事務所を出る時に誰か一人外にいた者がこう言ったそうです」
「『あやお嬢さん・・』と聞いた者があります」
銀蔵に衝撃が走っていた。
『外で待っていたのは三治にちげえねえ、三治がお嬢さんと呼ぶのは、この世にたった一人しかいない・・それもあや・・』
「どうかされましたか」本村は銀蔵の顔が強張《こわば》ったのを見逃さなかった。
「いえちょっと気になる事がありまして」とだけ銀蔵は答えた。
「気になるとは」と本村は続けた。
「その女、ちょいと心当たりがあります」
「誰だ・・」と本村は詰問《きつもん》した。
「へい、間違いであってくれと思います、もしや私の娘ではないか・・」と銀蔵は自分の推測を述べた。
事務所の電話のベルが二人の会話を中断させた。
鑑識官の一人が受話器を取った。
「警部補、本庁からです」
本村は立ち上がり様、銀蔵を上から見下ろした。『ずいぶんと老いたな』と思った。
第一課課長からだった。
「本村、西の島村が刺客に首を掻《か》っ切られた」
それだけで充分だった。
酷い夜だ。なんとか宿酔いが収まりつつあった身体の奥底で別の澱《おり》が生まれてくる感覚があった。どうせお前たちは六出無《ろくでなし》じゃないか、なんでこうも事件を起こしやがる。
銀治がじっと本村を睨んでいた。
「銀さん一緒に来てくれるかい」と本村は電話を切った。
「へいわかりやした」と銀蔵は本村の後に従った。張り番で付いていたパトーカーに本村は近づくと、
「車を借りる」と運転席にいた警官を下ろした。
運転席に滑り込むと、「銀さん乗ってくれ」と助手席のドアを開けた。
車は川崎の悲しい光で覆われた街を抜け出した。
「銀さん、俺はやっぱり道を間違えたらしいや」と本村はぽつりと言った。
「へい、なんの事でしょうか」と銀蔵はガラス越しに遠のくネオンを眺めていた。
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