やさぐれ勝の恋 十一
十一
関東自動車道から関越自動車道へ道を進めるためには幾つかの検問を抜けなければならなかった。
パーキングエリアの手前で蛍光塗料が施されている光るパイロンが続き出す。赤色灯が点灯されたパトカーが路肩に止められ、赤い点滅の懐中電灯で警官等が検問の誘導を行っていた。
泉は慎重に自動車を検問のために駐車している車列の最後尾へ着けた、決して目立たないように車の中で息を潜めた。順番が遣って来ても、泉は決して警察手帳を出さなかった。寧ろ運転免許書を言われるまま提示さえした。
「どこまで行かれますか」と運転席の窓越しからライトを車の中に照らしながら警官が尋ねた。綾子は不思議だった。『もうとっくに広域捜査に切り替わっているはずだ、免許書の名前を確認すれば、すぐに署長であることがわかるはずなのに・・・』
「親族に不幸がありまして、長野まで行く途中です」と泉は説明した。むろん偽りであるが、妙に説得力があった。
『泉とは珍しい苗字だ。一度聞けば、誰でも心に留める。まして職務質問をしている警官は免許書を確認する時、名前と生年月日を必ず確認するように訓練されている・・』
最初の検問は僅か数分で事なきを得て抜ける事ができた。
車が加速して検問から遠ざかると泉は免許書を綾子に提示した。
『木村重一《きむらしげかず》』という氏名が記載された運転免許書だった。
「私の元の姓は木村といいます。上京した時、まだ木村でした。運転免許書を書き換え続けてきましたが、姓は変えなかった。本来なら変えるべきなのだが・・こんな場面で役に立つ事もある」
『さすがに名の一致に気が付く者は稀有だろう』と綾子は思った。
誰でも泉何某と『泉』に気を取られる。
まして警察署長ともあろう者が姓の異なる運転免許書を持っている事を知る者はいない。
バックシートには手錠を掛けられた勝、ハンチングを目深に被った三治が占めていた。泉と背格好が近い三治は泉の背広とネクタイを身に着けていた。三治の真っ赤に染め上げられていた髪の毛は途中で購入した白髪染めで黒く染め直された。どうにかそれらしく見えるようになったが、泉から無駄な話をするなと釘を刺されていた。
泉は函館までの道程《みちのり》を出かけに説明した。
「直江津からフェリーで室蘭に向う、上陸後に函館まで車で移動する」
車はその後、幾つかの検問で止められたが同じように切り抜け直江津港に到着した。
綾子がフェリーターミナルで出航時間を確認した。午後二十三時五十五分発と掲示されていた。出航一時間前である。既に車の乗船が始まっていた。泉が全員の乗船券と車のフェリー運賃を支払った。一日一便、翌日の午後五時に室蘭に到着する。十八時間の旅になる。乗り込んでしまえばどこの港にも寄らず唯只管《ただひたすら》、日本海を北へ目指す。泉と綾子はフェリー運営会社の事務所へ出向き容疑者の護送について説明をした。会社側では別に個室を手配してくれる事になった。
綾子は特に護送の件について明かす必要もないと思った。
しかし、泉は事務所から船へ乗り込む際にこんな事を付け加えた。
「到着した時に刑事《でか》が出張っている可能性もある。我々は当然、一般客と別の入口から下船が可能でしょう・・」
確かに警察の特権を逆に利用すればそれができる。
フェリー会社には既に護送中という任務を遂行している警察官が乗り込んだという先入感が生まれているに違いない。
泉は事務所で警察手帳を提示しながらこう付け加えた。
「なにぶんその男は他の組から追われている者で極秘裏にお願いいたします」
当然、フェリーを運航する責任者ぐらいに伝わるかもしれない、しかし、これで間違いなく警察官一行が乗船しているという暗黙の了解が運行担当者へ認識されるはずだ。
例えフェリー会社へ捜査の手が伸びたとしても警察官一行が乗船しましたとは彼らは伝えない、なぜなら警察官が警察官を追うとは誰も気が付かない。
確かに盲点が生じる。
備え付けの二段ベッドが二組あった。
四人がどうにか仮眠を取れる程度の空間がある部屋だ。船室から外の明り取りのための丸窓があった。そこから僅かに上越市の街の明りが確認できる。
綾子にはある思いがあった。
『勝と初めて旅に出るのね・・』
とやっと部屋に着いて勝の手錠を外しながら気が付いた事であった。
勝は手錠を外され自由になると両腕を手で摩りながら腕時計で時間を確かめた。
針は午前零時を十分ほど回っていた。
『長い一日だった』と早朝の銀蔵の出迎えからここまでのなんと色々な出来事があったことだろうとつくづくと思った。
フェリーは一度船内を轟かせる汽笛を鳴らすと今まで規則的な振動を伝えていたエンジンを更に回転を上げた唸りがより強い振動となって伝わってきた。
丸窓に見えていた明りがいつの間にか遠ざかると変わりに夜空に瞬く星々が変わりの明りとして船室へと差し込んでいた。
漆喰《しっくい》で塗り固められた白壁で周りを囲まれた邸宅だった。白壁は瓦葺《かわらぶき》で時代劇の武家屋敷を連想させる。
范享はドカッティ900MHRのVツインの赤い車体を繰って雨の高速を駆けてきた。
一度グルリと白壁の周りを回ると900MHRを少し離れた場所に停車させた。このバイクは最近手に入れた。パワーがとてつもなくあるまさにイタリアが生んだスーパーバイクである。しかし惜しいかな、リアブレーキがシングルの280mmのディスクでは雨の中で制動をコントロールするのはかなりテクニックを要する。東京から発って二時間を切る時間で着いていた。新幹線を越える速さではさすがにブレーキは生命線である。レース場を走るのであればブレーキは寧ろこの程度の甘さでも良いかもしれない、しかし街乗りは常にブレーキを掛けながら車体をコントロールする必要がある。
黒革のジャンプスーツに包まれた黒豹を連想する姿態が一瞬で白壁の瓦まで駆け上がった。夜目を鍛え抜かれた享の目は一瞬にして獲物の存在を捉えた。成金趣味の庭に面した二階のベランダが開け放たれていた。中年の小太りの男が黒のボンデージ姿の女とSMプレーに興じていた。四つん這いになった全裸の男は後ろ手に縛り上げられ、口は革バンドで丸い玉が結わえられていた。
広大な庭が広がる。
数匹のドーベルマンが聞き耳を立てている。
享は犬の発する特殊な気を感じることができる。犬は人間に比べかなり高音サイクルの音を聞き分けられるという。いい例が『犬笛』と呼ばれる笛だ。その笛を吹いても発する音は人間は聞く事ができない。
だが享は聞き取れる事ができる。
空を飛翔する鳥が空中から地面に餌となる昆虫を発見した時の微かな叫びを聞き分けることができる。
『キー』という独特の音が空から聞こえる。
次の瞬間鳥が舞い降りてくる。それに目掛け石礫《いしつぶて》を投げる。普段警戒心が強い鳥が唯一地上に迫り、そして油断する瞬間である。享の記憶に黒服の老人の姿がある。その老人の横で享は懸命に石礫を鳥目掛け投げている。それ以上は判らない、だげ享は自分の持つ能力はその記憶にある老人によって鍛えられたものだと考えていた。
享は塀から庭に飛び降りるとドーベルマンへ忍寄る。普通の人間がドーベルマンに気づかれずに近寄る事は不可能だ。それを享は事も無げに次々とドーベルマンの首を両手で押さえ一瞬で捻り挙げる。犬は一切吠える事無く息絶えた。
島村良蔵は神戸に本家を構える日本最大の指定暴力団の直系組長であった。戦後の混乱期を神戸の港湾土木業から一代でここまで登りつめた。ほぼ恐い物の無い男であったが、しかし心が蝕まれていた。何度か懲役を務めた。そこで男色を覚えた。男なしで生きていられなくなっていた。彼の棲む世界にはその手の男はたくさんいた。そこから身体を傷つけあう獣のような性交がいつしか身体を痛めつけられる事でしか喜びを得られないようになった。
半勃起した男根が股の間に下がっていた。
享は乳頭を強調する黒いボンデージを身に纏った長身の女の首筋へ真一文字に青龍刀を走らせた。
「うぐ」女は何か起こったか理解できなかった。目の前に真黒なジャンプスーツの男が立っていた。
島村は四つん這いのまま頭に生ぬるい液体が流れてくるのを感じた。ゆっくりと頭から伝わり目に流れてきた。外の景色が真っ赤に見えた。振り向いた。そこに彼の想像したどの男も敵《かな》わない獣の目をした若者が立っていた。両手の刃物が光り輝いていた。島村はその刃物が自分を責めるためにあるべきだと信じた。そしてゆっくりと身体を切り刻んで頂く・・数年ぶりで股間にぶら下がった物へ大量の血液が流れるのを感じた。玉を咥《くわ》えた口から止めどなく涎《よだれ》が垂れていた。
島村の希望は叶えられなかった。
享はボンデージの女をやったのと同じ動作を繰り返し、島村の首筋を断ち切った。
瞬間、島村は白濁した飛沫を飛翔させ床へ崩れ落ちた。島村の遠のく意識の中にはまだ見ぬ桃源郷があった。
享は仕事を終えた。
享は身体に瘧《おこり》が遣って来る感覚があった。仕事を終えると享は動けなくなる事が度々あった。全身を走る震えがあり、激しい発汗がともなう。だから直ちに現場から立ち去る必要がある。享が遣られるとしたらこの瞬間以外にはない。主人を失った白亜の豪邸は享のやって来る前となんら変わらぬ姿を留めていた。
ドッカティまで戻る途中で享は公衆電話のボックスに立ち寄り二箇所に電話を入れた。
藤本組長に始末をつけた件を報告した。
「わかった。金をどうする」
「女に渡してください」
「これからどうする」
「暫《しばら》く柄をかわします」
享は大きい仕事の後は必ず行方を暗《くら》ます。どんな目撃者がいるとも限らない、まして依頼主が裏切る可能性もある。死人にくちなしを狙われる。だから誰にも行き先を告げず旅に出る。
後の電話は留美の店に電話を入れた。
「享です。留美を呼んで下さい」
しばらく待ってから、留美が受話器の向こうで咽《むせ》た咳をしていた。どうしたと享は敢えて聞かない。駆けてきた理由《わけ》ではない。留美は風俗店に勤めているのだ。性交中だったのかもしれない。
「しばらく旅に出る。組から金が届くはずだ」
「いつ帰ってくるの」必死の声だ。
「必ず帰ってきて・・」
「ああ」とだけ享は答えた。
初めの咽び声と違う嗚咽が聞こえた。
受話器を下ろし電話を切った。
電話ボックスの窓ガラスには幾分小降りになった雨のため外界の景色がぼんやりと映し出しされていた。
享は北を回って来るつもりだった。
具体的な行き先は決めていない。
奇《く》しくも享は直江津港からフェリーに乗る道を選んだ。脳裏にいつかバイク雑誌で見た深夜に出航する便の記憶があった。ここから三時間以内に到着する自身があった。
Vツインの奏《かな》でるエギゾーストノーズが神戸の街を出たのは既に九時を回っていた。
日本電力開発機構の五十嵐光男がその電話を自宅で受け取ったのは深夜零時を回った時刻だった。五十嵐は今年四十を迎える。機構の電力資材調達課の課長であった。大学を卒業するとこの道一筋に仕事に没頭してきた。まだ未婚も仕事優先の人生を送ってきたと人には言い訳程度に話す。実際は大学当時に大恋愛の末、それに敗れた過去を持つ中年男だ。ずっと引きずったまま仕事へ逃げ込んできたと指摘する者がいれば、『その通り』と答えるだろう。
「課長、社へ至急来てください」
非番の部下からの電話だった。
「何があった」
「船が・・船が、シージャックされました」
五十嵐はいやな予感めいたものが二週間前にこの輸送の決定が下された時にあった。
『大洗から陸路を用いて直江津港からプルトニュームを運ぶ』、この決定の時、なぜ直接船で輸送しないのか疑問があった。フランスから再処理されたプルトニュームが横浜港まで船便で到着した。しかし、フランスの報道からのリークでこの輸送を知った原発反対団体のチャーターした漁船が船を取り囲んだ。永久に入港ができない恐れがあった。電力機構が政府に打診した。陸路を使い直江津から日本海で北海道に向へという作戦がその筋から出た。電力機構は急遽記者会見を行った。船はフランスへ戻す。ただし船の補給が必要なため貨物船を横付けにし、補給を完了しだい出航する内容のものだった。これには裏があった。横付けする貨物船の積荷は一般に公開された。クレーン作業がし易いということでコンテナに食料や雑貨が詰め込まれた。貨物船は順調に積み込みを終えコンテナを回収して貨物船の母港大洗に帰港した。
しかし空のはずのコンテナの一つにプルトニュームが積み込まれていた。極秘だった。
その積荷を搭載したフェリーがシージャックされた。国家の中枢を握る権力者達の明暗を分ける事件が起きてしまった。
五十嵐はあの予感が当たった事に驚いていた。
『誰がリークした。いや積荷の事を知ってシージャックしたのか』
電力開発機構から迎えに来た車中の中で五十嵐はさらに恐ろしい予感を禁じえなかった。
| 固定リンク



コメント