やさぐれ勝の恋 十三
十三
「銀さん、人を殺したことはありますか」
本村警部補は川崎○○警察署の署長宅へ向う車中の中で助手席にひっそりと納まっている銀蔵に問うた。
銀蔵は目を瞑《つむ》ると走馬灯ように過去の修羅場の一つ一つが次々と浮かんでは消えていった。
「それに近い事は何度かあります、だがこの手で決して人を殺《あや》めた事はございません」
「俺は、どうも損な性分《しょうぶん》に生まれてしまったらしい、毎日必ず腹が立つほど殺したい人間に出会う」と本村はハンドルを握りながら、時折ワイパーのスイッチを入れフロントガラスの雨の雫を払った。
銀蔵は一息置いてから若い時分の話を始めた。
「私の人生なんてちんけなもんです・・生まれた家が既に博徒という家系でございました。親の背中を見て子供は育つといいやすが、正に任侠一直線、人は助けても権力には迎合しない生き方が染み付いてしまいました。そのために何度も監獄とシャバを出たり入ったりでございます。まあ、人生の半分以上は監獄の中で修行したようなもんです」
「何の罪で・・」本村は一度銀蔵と目を合わせた。
「もちろん賭博が大半の理由です。だが、どれもこれも、すべて人が絡んでいます・・出会わなければ良かった奴も沢山おります。ほんとうに出会って良かった者もおります。それしかない、とこの頃ふと気が付きました」
「出会いか・・」
本村は夏祭りの夜の銀蔵と勝を思い出していた。
平屋の古い家屋だった。建物に隣り合う形でスチール製のガレージがあり、跳ね上り式のシャッターが上に上がったままになっていた。中にあるべき車は無かった。
「ここは」と銀蔵は本村に従いパトカーを降りた。
本村は背広の胸ポケットから携行用の懐中電灯を取り出すと地面に蹲《うずくま》りながら何かを探し始めた。
「ここが行方不明になった警察署長の自宅です」
「銀さん、これを見てください」と本村は懐中電灯で地面を照らした。
雨で濡れた砂利が轢《ひ》かれている、その脇に僅《わず》かな土が出ていた。そこにはっきりと下駄の歯の跡があった。
本村は振り返り、「心当たりは・・」
「へい、どうやら私の処の勝らしい」
まず間違いないと銀蔵は思った。下駄を履く男と謂えば勝以外にいない。
「共同正犯という法律用語があります。二人以上の人間が犯罪を犯す。たとえ片方が人を殺めたとしても共同で行った場合、まったく殺めていない人間も正犯となる・・」
「どういう意味でしょうか」
「ここに遣ってきた人間はまったく争った形跡がない、ここにも靴の跡があります」
本村が再び懐中電灯で照らした先に女物の靴の踵《かかと》の跡が点々とブロックの石畳にあった。
『綾子・・』
本村は起き上がると玄関のノブを回した。
施錠されていなかった。
「挑戦的ですね・・さあ入ってと言っている」
玄関には木製のサンダルがあるだけで他の靴は無かった。
「これで充分です」と本村は再び玄関からパトカーへ歩き出した。銀蔵は綾子の靴跡を踏まぬために石畳を飛び跳ねなけらばならなかった。
車は再び二人を乗せて動き出した。
「警察署長の靴跡が常に先頭を歩き、他の三人の人間を案内していました、玄関にあったサンダルのサイズは男にしてずいぶんと小さい物です。どうやらその署長は小柄である事が推測できます。下駄の男、低いパンプス、そして妙な形の靴・・たぶんウェスタンブーツと思われますが、この四名があの家から車に乗って出かけた・・誰が西岡組長を射殺したかという問題より、共同正犯による犯罪とも取られかねない」
本村はパトカーの無線のマイクを取り上げた。
「こちらはサッチョウの本村警部補、神奈川のカンクキョクどうぞ」
(サッチョウ-警察庁、カンクキョク-管区警察局)
「カンキョクです。本村警部補どうぞ」
パトカーに無線スピーカーから明瞭な男性の声の反応があった。
「泉のエルワンをお願いしたい」
(エルワン-運転免許証種別照会)
「泉とは・・」
「イチエーの容疑者だ」
(イチエー-一号警戒A態勢)
「少々お待ち下さい」
銀蔵は助手席で本村の話す警察隠語のほとんどを理解できないままじっとしていた。
「本村警部補応答願います」
「はい」
「泉署長は木村姓の第一種免許です」
「木村姓?」
「は、旧姓のようです、北海道公安委員会から交付されています」
「泉のユーゴウから車種が割り出せるか、それと大洗と直江津にその車を船に載せたか照会を頼む」(ユーゴウ-車輌所有者照会)
「紺の日産セドリックです。今船舶会社へ問い合わせします」
しばらくして再び同じ男の声が無線から流れた。
「本村警部補、ハムのガイジ第一から連絡を入れて欲しいそうです」(ハム-警視庁公安部、ガイジ第一-外事第一課)
「ガイジ?」
「はい、元角《もとずみ》警視正と連絡をお願いいたします」
「本村警部補、直江津です」
「直江津」
「はい、午後二三時五五分発に出航しています。免許書は木村で記載されていました」
「よしありがとう、泉署長のやさをガサ入れする手配をお願いする」
「はい、了解しました」
本村はマイクを無線機のフックへ戻すと、
「銀さん、ご自宅まで送るが」
「いいえ、本村さん、決して捜査の足で纏いにならないようにいたします。このまま同行させちゃくれませんか・・」
本村は銀蔵がそう言うだろうと思った。
本村はパトカーを公衆電話ボックスで止めた。
もちろん警察無線から直接、外事まで連絡を繋ぐことができる。だが、外事が出張ってくる場合、間違いなく国家の重大な問題に関わる。だから敢えて警察無線から連絡を止め、公衆電話から連絡する事にした。
「本村君かしばらくだ、元角だ。今どこだ」
「はい、川崎市内です」
本村は元角が体格のどっしりとした男と記憶していた。
「チョウバが立った。泉は北のスパイだ」
「チョウバ」
(チョウバ-捜査本部)
「今晩、直江津港発室蘭港行きフェリーがシージャックされた。その主犯は泉と推定される」
「本村君、これから合同捜査会議が行われる。後一時間後だ間に合うか」
「本庁ですね」
「ああ、ハムの階だ」
電話を切ると本村は呆然としていた。
『北のスパイ・・シージャック』
車に戻った本村は無言だった。
銀治は本村の変貌に何かとんでもない事が起きた予感があった。
外事課は公安部の中に置かれた外務と防諜を行う部門である。国外の諜報機関と密接な関係を持ち、テロやゲリラなど国家治安に関わる諸問題に対応する体制ができている。ここに所属する部員の氏名、業務内容は公安の同期すら知りえない。
『外事が動いた。泉とは何者なのだ。外事は北のスパイであることを内定していたらしい』
一度本村は銀蔵をつくづくと眺めた。
それに答えるように銀蔵もまたじっと本村を睨み返した。
「銀さん、娘さんと勝さんは直江津港から出航したフェリーに乗船した。そしてそのフェリーはシージャックされた」
「これから本庁へ向う、どこかで待っていてくれ」
「へい、お邪魔にならぬようじっとしておりやす」と銀蔵は言ったが心逸《はや》る気持ちは押さえが利《き》かなかった。
日本電力開発機構の五十嵐光男は開発機構で打ち合わせを終え、その足で警視庁へ出向くように捜査協力を求められた。
五十嵐は深夜に関わらず煌々と蛍光燈が点く公安部の事務机が並ぶ大部屋にいた。
部屋の片隅に簡単なスチール製の衝立《ついたて》がある応接セットで待たされた。
次々と電話がけたたましく鳴り響き、入れ替わり立ち代り人がやって来る。
時々酷い睡魔がやってきたが、事が事だけに身体中に緊張があり、それをどうにか堪《こら》えていた。同じようにまた人が入って来たらしい。
「銀さん、すまぬがそこの応接で待っていてくれ」と本村警部補と銀蔵が公安部に入ってきた時は既に夜明けが近かった。
「へいわかりやした」
五十嵐はどこかで聞いた声だと思った。
衝立で姿形は見えない。
着流しの和服姿に雪駄履き、白髪短髪の老人が衝立を回って現れた時、五十嵐は思わず声を上げそうになった。
「じいちゃん」
五十嵐光男は勝との間に一人姉を置いた血の繋がった実の弟であった。
銀蔵もまた応接にいる男を見てそれが勝の弟の光男であることにすぐ気が付いた。
「光男、お前どうした」と銀蔵は不思議な顔付きで応接の一人掛けに腰を下ろした。
「じいちゃんこそ、いつ府中から出てきた」
「昨日だ」
五十嵐光男は成人すると国家公務員の家へ養子として入った。だから勝とは姓が異なる。光男にとって勝が父であり母であるように、銀蔵は祖父と同じだった。
銀蔵はふと光男を見て思い出した事があった。
「お前の会社にヘリコプターがあったな」
光男はなぜ銀蔵がそのような事を聞くのか見当が付かなかった。
銀蔵はかなり慎重な声音《こわね》でここまで来た事の成り行きを光男に語った。
光男は『勝』と話の中に出てきた時点で睡魔が一瞬で吹っ飛んでいた。『綾子』は勝兄妹の妹と同じで兄妹のようなもんだ。その一大時がそれも自分と関係があったと知って光男の中で眠っていた血が沸き立つ感じがあった。
「ヘリコプターをどうする」
「フェリーまでじいちゃんを運んでくれ」
光男はその役目を自分が替わりたいと言いたかった。だが、銀蔵という人間を光男はよくわかっていた。
「じいちゃん、俺の用事が済んだら直ぐに出発できるようにする」と光男は応接から飛び出すと、電話を借り会社へ電話を入れた。
「ええ、すぐに警視庁に一機航続距離のあるのを・・」
銀蔵はその声を聞いてやっと勝や綾子に追いつけると思った。
『そうか、俺はこのために今日まで生かされてきたに違いねえ』とこっそりと腹を押さえた。銀蔵には誰にも話していない秘密があった。府中の長年世話になった勤務医からこう諭《さと》されていた。
『銀蔵さん、もって半年ぐらい、しっかりとした病院に入院して抗がん剤で余命を伸ばす事はできるが・・あんたの命だ。どうするかは自分で決めるしかありませんね』
『先生、はっきりと言って頂き、ありがとうございます。銀蔵は幸せもんです。旨いもん食って、いい女抱いて、そして博打三昧の毎日だ、これで老衰でいっちゃ仲間内にあの世へ逝って笑われやす。ただ、痛てのが勘弁できなくなったら、時々痛みとめを打ってください』
銀蔵は不思議とこれから来る試練など大した事が無いと思った。
『そうさ俺はこの時のために生を授かったのさ、そして真由美や勝と出会ったのも、全部、全部、神様が仕組んだ事だったんだ』
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