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2007年12月31日 (月)

やさぐれ勝の恋 十三

      十三

「銀さん、人を殺したことはありますか」
 本村警部補は川崎○○警察署の署長宅へ向う車中の中で助手席にひっそりと納まっている銀蔵に問うた。
 銀蔵は目を瞑《つむ》ると走馬灯ように過去の修羅場の一つ一つが次々と浮かんでは消えていった。
「それに近い事は何度かあります、だがこの手で決して人を殺《あや》めた事はございません」
「俺は、どうも損な性分《しょうぶん》に生まれてしまったらしい、毎日必ず腹が立つほど殺したい人間に出会う」と本村はハンドルを握りながら、時折ワイパーのスイッチを入れフロントガラスの雨の雫を払った。
 銀蔵は一息置いてから若い時分の話を始めた。
「私の人生なんてちんけなもんです・・生まれた家が既に博徒という家系でございました。親の背中を見て子供は育つといいやすが、正に任侠一直線、人は助けても権力には迎合しない生き方が染み付いてしまいました。そのために何度も監獄とシャバを出たり入ったりでございます。まあ、人生の半分以上は監獄の中で修行したようなもんです」
「何の罪で・・」本村は一度銀蔵と目を合わせた。
「もちろん賭博が大半の理由です。だが、どれもこれも、すべて人が絡んでいます・・出会わなければ良かった奴も沢山おります。ほんとうに出会って良かった者もおります。それしかない、とこの頃ふと気が付きました」
「出会いか・・」
 本村は夏祭りの夜の銀蔵と勝を思い出していた。

 平屋の古い家屋だった。建物に隣り合う形でスチール製のガレージがあり、跳ね上り式のシャッターが上に上がったままになっていた。中にあるべき車は無かった。
「ここは」と銀蔵は本村に従いパトカーを降りた。
 本村は背広の胸ポケットから携行用の懐中電灯を取り出すと地面に蹲《うずくま》りながら何かを探し始めた。
「ここが行方不明になった警察署長の自宅です」
「銀さん、これを見てください」と本村は懐中電灯で地面を照らした。
 雨で濡れた砂利が轢《ひ》かれている、その脇に僅《わず》かな土が出ていた。そこにはっきりと下駄の歯の跡があった。
 本村は振り返り、「心当たりは・・」
「へい、どうやら私の処の勝らしい」
 まず間違いないと銀蔵は思った。下駄を履く男と謂えば勝以外にいない。
「共同正犯という法律用語があります。二人以上の人間が犯罪を犯す。たとえ片方が人を殺めたとしても共同で行った場合、まったく殺めていない人間も正犯となる・・」
「どういう意味でしょうか」
「ここに遣ってきた人間はまったく争った形跡がない、ここにも靴の跡があります」
 本村が再び懐中電灯で照らした先に女物の靴の踵《かかと》の跡が点々とブロックの石畳にあった。
『綾子・・』
 本村は起き上がると玄関のノブを回した。
 施錠されていなかった。
「挑戦的ですね・・さあ入ってと言っている」
 玄関には木製のサンダルがあるだけで他の靴は無かった。
「これで充分です」と本村は再び玄関からパトカーへ歩き出した。銀蔵は綾子の靴跡を踏まぬために石畳を飛び跳ねなけらばならなかった。
 車は再び二人を乗せて動き出した。
「警察署長の靴跡が常に先頭を歩き、他の三人の人間を案内していました、玄関にあったサンダルのサイズは男にしてずいぶんと小さい物です。どうやらその署長は小柄である事が推測できます。下駄の男、低いパンプス、そして妙な形の靴・・たぶんウェスタンブーツと思われますが、この四名があの家から車に乗って出かけた・・誰が西岡組長を射殺したかという問題より、共同正犯による犯罪とも取られかねない」
 本村はパトカーの無線のマイクを取り上げた。
「こちらはサッチョウの本村警部補、神奈川のカンクキョクどうぞ」
(サッチョウ-警察庁、カンクキョク-管区警察局)
「カンキョクです。本村警部補どうぞ」
 パトカーに無線スピーカーから明瞭な男性の声の反応があった。
「泉のエルワンをお願いしたい」
(エルワン-運転免許証種別照会)
「泉とは・・」
「イチエーの容疑者だ」
(イチエー-一号警戒A態勢)
「少々お待ち下さい」
 銀蔵は助手席で本村の話す警察隠語のほとんどを理解できないままじっとしていた。
「本村警部補応答願います」
「はい」
「泉署長は木村姓の第一種免許です」
「木村姓?」
「は、旧姓のようです、北海道公安委員会から交付されています」
「泉のユーゴウから車種が割り出せるか、それと大洗と直江津にその車を船に載せたか照会を頼む」(ユーゴウ-車輌所有者照会)
「紺の日産セドリックです。今船舶会社へ問い合わせします」
 しばらくして再び同じ男の声が無線から流れた。
「本村警部補、ハムのガイジ第一から連絡を入れて欲しいそうです」(ハム-警視庁公安部、ガイジ第一-外事第一課)
「ガイジ?」
「はい、元角《もとずみ》警視正と連絡をお願いいたします」
「本村警部補、直江津です」
「直江津」
「はい、午後二三時五五分発に出航しています。免許書は木村で記載されていました」
「よしありがとう、泉署長のやさをガサ入れする手配をお願いする」
「はい、了解しました」
 本村はマイクを無線機のフックへ戻すと、
「銀さん、ご自宅まで送るが」
「いいえ、本村さん、決して捜査の足で纏いにならないようにいたします。このまま同行させちゃくれませんか・・」
 本村は銀蔵がそう言うだろうと思った。
 本村はパトカーを公衆電話ボックスで止めた。
 もちろん警察無線から直接、外事まで連絡を繋ぐことができる。だが、外事が出張ってくる場合、間違いなく国家の重大な問題に関わる。だから敢えて警察無線から連絡を止め、公衆電話から連絡する事にした。
「本村君かしばらくだ、元角だ。今どこだ」
「はい、川崎市内です」
 本村は元角が体格のどっしりとした男と記憶していた。
「チョウバが立った。泉は北のスパイだ」
「チョウバ」
(チョウバ-捜査本部)
「今晩、直江津港発室蘭港行きフェリーがシージャックされた。その主犯は泉と推定される」
「本村君、これから合同捜査会議が行われる。後一時間後だ間に合うか」
「本庁ですね」
「ああ、ハムの階だ」
 電話を切ると本村は呆然としていた。
『北のスパイ・・シージャック』
 車に戻った本村は無言だった。
 銀治は本村の変貌に何かとんでもない事が起きた予感があった。
 外事課は公安部の中に置かれた外務と防諜を行う部門である。国外の諜報機関と密接な関係を持ち、テロやゲリラなど国家治安に関わる諸問題に対応する体制ができている。ここに所属する部員の氏名、業務内容は公安の同期すら知りえない。
『外事が動いた。泉とは何者なのだ。外事は北のスパイであることを内定していたらしい』
 一度本村は銀蔵をつくづくと眺めた。
 それに答えるように銀蔵もまたじっと本村を睨み返した。
「銀さん、娘さんと勝さんは直江津港から出航したフェリーに乗船した。そしてそのフェリーはシージャックされた」
「これから本庁へ向う、どこかで待っていてくれ」
「へい、お邪魔にならぬようじっとしておりやす」と銀蔵は言ったが心逸《はや》る気持ちは押さえが利《き》かなかった。

 日本電力開発機構の五十嵐光男は開発機構で打ち合わせを終え、その足で警視庁へ出向くように捜査協力を求められた。
 五十嵐は深夜に関わらず煌々と蛍光燈が点く公安部の事務机が並ぶ大部屋にいた。
 部屋の片隅に簡単なスチール製の衝立《ついたて》がある応接セットで待たされた。
 次々と電話がけたたましく鳴り響き、入れ替わり立ち代り人がやって来る。
 時々酷い睡魔がやってきたが、事が事だけに身体中に緊張があり、それをどうにか堪《こら》えていた。同じようにまた人が入って来たらしい。
「銀さん、すまぬがそこの応接で待っていてくれ」と本村警部補と銀蔵が公安部に入ってきた時は既に夜明けが近かった。
「へいわかりやした」
 五十嵐はどこかで聞いた声だと思った。
 衝立で姿形は見えない。
 着流しの和服姿に雪駄履き、白髪短髪の老人が衝立を回って現れた時、五十嵐は思わず声を上げそうになった。
「じいちゃん」
 五十嵐光男は勝との間に一人姉を置いた血の繋がった実の弟であった。
 銀蔵もまた応接にいる男を見てそれが勝の弟の光男であることにすぐ気が付いた。
「光男、お前どうした」と銀蔵は不思議な顔付きで応接の一人掛けに腰を下ろした。
「じいちゃんこそ、いつ府中から出てきた」
「昨日だ」
 五十嵐光男は成人すると国家公務員の家へ養子として入った。だから勝とは姓が異なる。光男にとって勝が父であり母であるように、銀蔵は祖父と同じだった。
 銀蔵はふと光男を見て思い出した事があった。
「お前の会社にヘリコプターがあったな」
 光男はなぜ銀蔵がそのような事を聞くのか見当が付かなかった。
 銀蔵はかなり慎重な声音《こわね》でここまで来た事の成り行きを光男に語った。
 光男は『勝』と話の中に出てきた時点で睡魔が一瞬で吹っ飛んでいた。『綾子』は勝兄妹の妹と同じで兄妹のようなもんだ。その一大時がそれも自分と関係があったと知って光男の中で眠っていた血が沸き立つ感じがあった。
「ヘリコプターをどうする」
「フェリーまでじいちゃんを運んでくれ」
 光男はその役目を自分が替わりたいと言いたかった。だが、銀蔵という人間を光男はよくわかっていた。
「じいちゃん、俺の用事が済んだら直ぐに出発できるようにする」と光男は応接から飛び出すと、電話を借り会社へ電話を入れた。
「ええ、すぐに警視庁に一機航続距離のあるのを・・」
 銀蔵はその声を聞いてやっと勝や綾子に追いつけると思った。
『そうか、俺はこのために今日まで生かされてきたに違いねえ』とこっそりと腹を押さえた。銀蔵には誰にも話していない秘密があった。府中の長年世話になった勤務医からこう諭《さと》されていた。
『銀蔵さん、もって半年ぐらい、しっかりとした病院に入院して抗がん剤で余命を伸ばす事はできるが・・あんたの命だ。どうするかは自分で決めるしかありませんね』
『先生、はっきりと言って頂き、ありがとうございます。銀蔵は幸せもんです。旨いもん食って、いい女抱いて、そして博打三昧の毎日だ、これで老衰でいっちゃ仲間内にあの世へ逝って笑われやす。ただ、痛てのが勘弁できなくなったら、時々痛みとめを打ってください』
 銀蔵は不思議とこれから来る試練など大した事が無いと思った。
『そうさ俺はこの時のために生を授かったのさ、そして真由美や勝と出会ったのも、全部、全部、神様が仕組んだ事だったんだ』

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2007年12月24日 (月)

やさぐれ勝の恋 十二

      十二

 出所祝の宴を終えた銀治は川崎の街にあった。久しぶりの酒のせいかほろ酔い気分で何か気持ちが高ぶっていた。
 小雨の降りしきる中にぼんやりした月明りが街の喧騒を少し落ち着かさせていた。
『それにしても勝と隆二はどうしちまった』と勝、綾子が直江津港から北を目指し旅だったことなど知る由《よし》もなかった。
 その子はクラブのはねるまで銀治を待つように言ったが、銀治はシャバの、それも繁華街を自分の足で噛み締めるように歩きたかったのだ。
-時代がどう変わろうが、『変わらぬ物がある』と一人で頷《うなずいて》いた。
 色とりどりのネオンが銀治を待っていた。
『やっぱり夜光虫のようなもんだ。ネオンに誘われて、何を求めるでもなく、この悲しい光が俺は好きなんだ・・』
 銀治の足は自然と西岡組の事務所へと向けられた。
『ずいぶんと人だかりじゃねえか』
 銀治は隆二が一悶着を起こした事を確信した。人だかりの中を掻き分けて銀治は警察官が組事務所の警備に当たっているのを確認した。
 野次馬の若者に銀治は問い正した。
「事件ですか」
 野次馬の一人はこう教えてくれた。
「発砲があって、救急車が呼ばれたそうです」
『しまった。命の取り合いになっちまった』
 銀蔵の脳裏を一瞬不吉な予感が過《よ》ぎった。和装姿に雪駄履きの銀蔵はすたすたと警官の前に歩み出た。
 二名の警官は目の前の白髪の老人の姿恰好がいかにも極道と取り違えた。
 不快な表情を浮かべ、
「用向きは」と一人が問質《といただ》した。
 銀蔵は深く頭を下げると、
「へい、あっしはここの関係者でございます」
と説明をした。もちろん西岡組とは一切関係のある者では無かったが、すでにこの事件の当事者の一人には違いなかった。
 一人が入口から退き銀蔵を通した。
 始末係りという警官が出張っていた。
 所謂《いわゆる》、鑑識官達が例によって髪の毛一本も見逃さない動きをしていた。白手袋に庇を逆にして帽子を被《かぶ》っていた。
 事務所の一角で本村警部補は事件発生時に組当番であった若者三人から裏捕を行っていた。
「その化け物みたいな男が飛び込んできた時には既に発砲があったのだな・・」
 髪の毛を複雑に染め上げられた三人の組当番は神妙な顔つきで長椅子に窮屈そうに雁首《がんくび》を並べていた。
 本村は辟易《へきえき》していた。
『なんだこいつらは、組長が取られたと言うのにみすみす犯人に逃げられるとは・・』
 男手によって出された出がらしの茶を口へ運んだ時、組事務所に一人の老人が入ってくるのが目に留まった。
『え』と本村警部補は立ち上がりそうになった。

 本村警部補と銀蔵の歴史的な再会が用意されていた。

『恒《こう》、あれが侠客《きょうきゃく》という生き方をしている者だ。よく見ておくんだ』
『侠客てなんだい』
『ああ、一切の権力に屈しない生き方を選んだ男の事だ』
 ずいぶん幼い頃の記憶だ。父に手を引かれて川崎の街を歩いていた。人込みの中に羽織に袴《はかま》、雪駄履きの屈強な男が肩で風を切って歩いていた。子供心にも何か感じるものがあった。
 二度目に会った時は命を助けられた。
 中学二年の夏だ。
 本村は学校の不良連中に夏祭りの夜呼び出された。何度か学校で衝突があった。本村は理不尽な暴力や大勢で弱いものを嬲《なぶる》彼らの行為を許せなかった。黒袋に納まった木刀を背負い家を出た。母親は黙って見送った。
 夜店が立ち並ぶ賑《にぎ》やかな人通りが絶えた場所に既に十数人の不良達が待っていた。
『逃げなかったな』と番長を名乗る不良が行き成り向ってきた。本村は小学校へ入る前から父に剣道を伝授されてきた。小学校、中学校と剣道を続けてきた。中学校の剣道部の主将でもあった。背から木刀を取ると正剣に構え鳩尾《みぞおち》に突きを入れた。向ってきた不良はそのまま地面に崩れ落ちた。すぐに周りを全員で囲まれた。どの不良の手にも刃物が光っていた。
 一人でこれだけの人数を相手にしたことはなかった。じりじりと不良達の輪が縮み、一人二人倒したところでこの死地を脱《ぬけだ》せそうになかった。
『前に進め』と雷のような轟きがあった。
 本村は言われるまま、木刀で前方の二人を薙《な》ぎ倒し駆け抜けた。
 だがどこか切りつけられたらしく、酷い痛みが彼方此方《あちこち》にあった。
 振り返るとそこには銀治が熊のような身体をした厳《いか》つい男と立っていた。
 不良達はさらにいきり立った。
 本村に殺到しようとした不良の二人が熊男に襟首《えりくび》を捕まれ、そして虚空に投げ捨てらた。
『お前たち、一人にこれだけの人数で喧嘩をするとは男の風上にも置けねえ、通りがかりといえども黙ちゃおれねえ、勝、俺が許す、ちょいと懲《こ》らしめてやれ』
 本村は呆然《ぼうぜん》と半纏《はんてん》を纏《まと》った男が次々と不良達を熨斗《のし》ていく様を眺めていた。男の動きは実に俊敏で刃物の下を掻い潜り不良達を投げ飛ばした。実に鮮やかだった。身体の巨大な人間がこのような俊敏な動きができるとはとても思えなかった。だが一時後《いっときあと》には草むらに不良達はノックアウトされていた。
 銀蔵が本村に駆け寄ってきた、
『お若えの、ちょいっと傷を見せなせえ』
 右腕の一箇所、左脇にかすり傷程度の刃物傷があった。しかし、止め処なく血が滴り落ち服を染めあげていた。銀蔵は腹を強《きつ》く締めていたサラシを外すとそれで本村の簡単な血止めの処置をした。
『傷は浅いが手当てが必要だ』
 本村は銀蔵と熊男に従い銀蔵の知己《ちき》の外科医で手当てを受けた。診療時間を過ぎて一杯遣っていたらしい老医が慣れた手つきで傷を縫合した。麻酔無しだ。
『ちょいと痛いよ』と老医はさも楽しげに傷を縫い上げた。気絶しそうな激痛が走った。油汗《あぶらあせ》が額《ひたい》から滲《にじ》み出た。ざくざくと音を立てて縫い付けた。本村は一言も発せず耐えた。
『銀のとこの若衆かい』と老医は銀蔵に尋ねた。
『いいえ、通りがけにかかわっちまった若者です』
『ほう、こりゃ将来が楽しみだ』
 洗面台で老医は縫合後、手を洗いながらもう用が無いとても言いたげに縫い針や縫合糸を片付け始めた。
『一週間ぐらいで傷は付くだろう、糸を抜くからまたおいで、それと二三日は風呂に入らぬ事、そしてやんちゃはしていけないな』と笑いながら診療室を出て行った。
 医院を出て数歩歩いた処で本村は頭を下げて礼を述べた。
『助けて頂き、ほんとうにありがとございました』とそれだけしか思い浮かばなかった。
 先を歩いていた銀蔵が振り返った。
『若い時は無茶な事をしたがる、だがお前さん、その命はあんたのご両親から頂いた大切なものだ。決して粗末にしちゃいけない、奴等がまた言いがかりを付けたら、川崎の銀蔵一家を尋ねなさい』と銀蔵は勝と呼ばれる男を伴って去っていった。
 あれから十数年の時が経っていった。
 本村は一時も忘れた事は無い。
 本村がもし警官の道を選ばなければ、間違いなく銀蔵を訪ねていただろう。

「お前たちはもういい、そこのご老人、こちらへどうぞ」と本村は事務所入口の銀蔵に声を掛けた。
 様子を伺っていた銀蔵は突然声を掛けられ、事務所隅の応接に座る刑事らしい青年をじっと凝視した。
『どこかで見た顔だ』と思ったが、詳しくは思い出せないまま応接椅子に納まった。
「警視庁の本村と言います」と刑事は懐から名刺入れを取り出し、恭《うやうや》しく名刺を刺し出した。
 『捜査第一課 特殊捜査班担当課長 本村恒孝』と明記されていた。この名前に銀蔵は記憶が無かった。
 青年刑事は気づいたらしく、
「中学生の時、助けられました」と銀蔵に頭を下げた。銀蔵は『本村』という名前の警官を一人知っていた。川崎駅の交番勤務の本村という警官をよく覚えていた。そういえば、どこか面影があると思った。
「どこかでお会いしましたか」と銀蔵は口を切った。
「夏祭りの夜、不良と喧嘩している私を救って頂きました」
 ああと銀蔵は思った。確かにあの時の若者だ。『そうか警官になったのか』と感慨深げに改めて目の前の逞《たくま》しくなった若者を眺めた。
「銀さんとお呼びしてもいいでしょうか」
「ああいいとも」
「ところで、本村さん何があったか教えちゃくれねえか」
「捜査の内容をお知らせすることはできないが、新聞発表程度の内容しか教える事はできません、それでよろしければ」
「ああそれで結構です」
「この西岡組の組長が射殺されました」
「西岡の・・」
「そこには川崎市○○警察署署長がいました」
「で犯人は」
「組事務所の当番の者が言うには、女が一人いたそうです。銃声の後、化け物のような男が事務所に飛び込んできた。その後、署長と女、そして化け物が去っていった・・」
 銀蔵はその『化け物』が勝である事にすぐ気が付いた。
「もう一人、容疑者がいます。なんでもこの組の若衆今岡隆二という者だそうです」本村は銀治にある程度説明をしようと決めた。こんな遅くにこの男がわざわざ遣って来るには何か訳があるに違いないと思ったからだ。
「ただ、救急車で射殺された組長と病院へ向ったそうです。今、病院へ警官を向わせています」
『そうか、勝も隆二も無事だったか』と銀蔵は胸の痞《つか》えを下ろした。
 話をしていて本村はその『化け物』がもしやあの夜の熊男ではないかと推測していた。
『確か、勝と呼ばれていたのでは・・』
「組事務所を出る時に誰か一人外にいた者がこう言ったそうです」
「『あやお嬢さん・・』と聞いた者があります」
 銀蔵に衝撃が走っていた。
『外で待っていたのは三治にちげえねえ、三治がお嬢さんと呼ぶのは、この世にたった一人しかいない・・それもあや・・』
「どうかされましたか」本村は銀蔵の顔が強張《こわば》ったのを見逃さなかった。
「いえちょっと気になる事がありまして」とだけ銀蔵は答えた。
「気になるとは」と本村は続けた。
「その女、ちょいと心当たりがあります」
「誰だ・・」と本村は詰問《きつもん》した。
「へい、間違いであってくれと思います、もしや私の娘ではないか・・」と銀蔵は自分の推測を述べた。
 事務所の電話のベルが二人の会話を中断させた。
 鑑識官の一人が受話器を取った。
「警部補、本庁からです」
 本村は立ち上がり様、銀蔵を上から見下ろした。『ずいぶんと老いたな』と思った。
 第一課課長からだった。
「本村、西の島村が刺客に首を掻《か》っ切られた」
 それだけで充分だった。
 酷い夜だ。なんとか宿酔いが収まりつつあった身体の奥底で別の澱《おり》が生まれてくる感覚があった。どうせお前たちは六出無《ろくでなし》じゃないか、なんでこうも事件を起こしやがる。
 銀治がじっと本村を睨んでいた。
「銀さん一緒に来てくれるかい」と本村は電話を切った。
「へいわかりやした」と銀蔵は本村の後に従った。張り番で付いていたパトーカーに本村は近づくと、
「車を借りる」と運転席にいた警官を下ろした。
 運転席に滑り込むと、「銀さん乗ってくれ」と助手席のドアを開けた。
 車は川崎の悲しい光で覆われた街を抜け出した。
「銀さん、俺はやっぱり道を間違えたらしいや」と本村はぽつりと言った。
「へい、なんの事でしょうか」と銀蔵はガラス越しに遠のくネオンを眺めていた。

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2007年12月15日 (土)

やさぐれ勝の恋 十一

      十一

 関東自動車道から関越自動車道へ道を進めるためには幾つかの検問を抜けなければならなかった。
 パーキングエリアの手前で蛍光塗料が施されている光るパイロンが続き出す。赤色灯が点灯されたパトカーが路肩に止められ、赤い点滅の懐中電灯で警官等が検問の誘導を行っていた。
 泉は慎重に自動車を検問のために駐車している車列の最後尾へ着けた、決して目立たないように車の中で息を潜めた。順番が遣って来ても、泉は決して警察手帳を出さなかった。寧ろ運転免許書を言われるまま提示さえした。
「どこまで行かれますか」と運転席の窓越しからライトを車の中に照らしながら警官が尋ねた。綾子は不思議だった。『もうとっくに広域捜査に切り替わっているはずだ、免許書の名前を確認すれば、すぐに署長であることがわかるはずなのに・・・』
「親族に不幸がありまして、長野まで行く途中です」と泉は説明した。むろん偽りであるが、妙に説得力があった。
『泉とは珍しい苗字だ。一度聞けば、誰でも心に留める。まして職務質問をしている警官は免許書を確認する時、名前と生年月日を必ず確認するように訓練されている・・』
 最初の検問は僅か数分で事なきを得て抜ける事ができた。
 車が加速して検問から遠ざかると泉は免許書を綾子に提示した。
『木村重一《きむらしげかず》』という氏名が記載された運転免許書だった。
「私の元の姓は木村といいます。上京した時、まだ木村でした。運転免許書を書き換え続けてきましたが、姓は変えなかった。本来なら変えるべきなのだが・・こんな場面で役に立つ事もある」
『さすがに名の一致に気が付く者は稀有だろう』と綾子は思った。
 誰でも泉何某と『泉』に気を取られる。
 まして警察署長ともあろう者が姓の異なる運転免許書を持っている事を知る者はいない。
 バックシートには手錠を掛けられた勝、ハンチングを目深に被った三治が占めていた。泉と背格好が近い三治は泉の背広とネクタイを身に着けていた。三治の真っ赤に染め上げられていた髪の毛は途中で購入した白髪染めで黒く染め直された。どうにかそれらしく見えるようになったが、泉から無駄な話をするなと釘を刺されていた。
 泉は函館までの道程《みちのり》を出かけに説明した。
「直江津からフェリーで室蘭に向う、上陸後に函館まで車で移動する」
 車はその後、幾つかの検問で止められたが同じように切り抜け直江津港に到着した。
 綾子がフェリーターミナルで出航時間を確認した。午後二十三時五十五分発と掲示されていた。出航一時間前である。既に車の乗船が始まっていた。泉が全員の乗船券と車のフェリー運賃を支払った。一日一便、翌日の午後五時に室蘭に到着する。十八時間の旅になる。乗り込んでしまえばどこの港にも寄らず唯只管《ただひたすら》、日本海を北へ目指す。泉と綾子はフェリー運営会社の事務所へ出向き容疑者の護送について説明をした。会社側では別に個室を手配してくれる事になった。
 綾子は特に護送の件について明かす必要もないと思った。
 しかし、泉は事務所から船へ乗り込む際にこんな事を付け加えた。
「到着した時に刑事《でか》が出張っている可能性もある。我々は当然、一般客と別の入口から下船が可能でしょう・・」
 確かに警察の特権を逆に利用すればそれができる。
 フェリー会社には既に護送中という任務を遂行している警察官が乗り込んだという先入感が生まれているに違いない。
 泉は事務所で警察手帳を提示しながらこう付け加えた。
「なにぶんその男は他の組から追われている者で極秘裏にお願いいたします」
 当然、フェリーを運航する責任者ぐらいに伝わるかもしれない、しかし、これで間違いなく警察官一行が乗船しているという暗黙の了解が運行担当者へ認識されるはずだ。
 例えフェリー会社へ捜査の手が伸びたとしても警察官一行が乗船しましたとは彼らは伝えない、なぜなら警察官が警察官を追うとは誰も気が付かない。
 確かに盲点が生じる。
 備え付けの二段ベッドが二組あった。
 四人がどうにか仮眠を取れる程度の空間がある部屋だ。船室から外の明り取りのための丸窓があった。そこから僅かに上越市の街の明りが確認できる。
 綾子にはある思いがあった。
『勝と初めて旅に出るのね・・』
 とやっと部屋に着いて勝の手錠を外しながら気が付いた事であった。
 勝は手錠を外され自由になると両腕を手で摩りながら腕時計で時間を確かめた。
 針は午前零時を十分ほど回っていた。 
『長い一日だった』と早朝の銀蔵の出迎えからここまでのなんと色々な出来事があったことだろうとつくづくと思った。
 フェリーは一度船内を轟かせる汽笛を鳴らすと今まで規則的な振動を伝えていたエンジンを更に回転を上げた唸りがより強い振動となって伝わってきた。
 丸窓に見えていた明りがいつの間にか遠ざかると変わりに夜空に瞬く星々が変わりの明りとして船室へと差し込んでいた。

 漆喰《しっくい》で塗り固められた白壁で周りを囲まれた邸宅だった。白壁は瓦葺《かわらぶき》で時代劇の武家屋敷を連想させる。
 范享はドカッティ900MHRのVツインの赤い車体を繰って雨の高速を駆けてきた。
 一度グルリと白壁の周りを回ると900MHRを少し離れた場所に停車させた。このバイクは最近手に入れた。パワーがとてつもなくあるまさにイタリアが生んだスーパーバイクである。しかし惜しいかな、リアブレーキがシングルの280mmのディスクでは雨の中で制動をコントロールするのはかなりテクニックを要する。東京から発って二時間を切る時間で着いていた。新幹線を越える速さではさすがにブレーキは生命線である。レース場を走るのであればブレーキは寧ろこの程度の甘さでも良いかもしれない、しかし街乗りは常にブレーキを掛けながら車体をコントロールする必要がある。
 黒革のジャンプスーツに包まれた黒豹を連想する姿態が一瞬で白壁の瓦まで駆け上がった。夜目を鍛え抜かれた享の目は一瞬にして獲物の存在を捉えた。成金趣味の庭に面した二階のベランダが開け放たれていた。中年の小太りの男が黒のボンデージ姿の女とSMプレーに興じていた。四つん這いになった全裸の男は後ろ手に縛り上げられ、口は革バンドで丸い玉が結わえられていた。
 広大な庭が広がる。
 数匹のドーベルマンが聞き耳を立てている。
 享は犬の発する特殊な気を感じることができる。犬は人間に比べかなり高音サイクルの音を聞き分けられるという。いい例が『犬笛』と呼ばれる笛だ。その笛を吹いても発する音は人間は聞く事ができない。
 だが享は聞き取れる事ができる。
 空を飛翔する鳥が空中から地面に餌となる昆虫を発見した時の微かな叫びを聞き分けることができる。
『キー』という独特の音が空から聞こえる。
 次の瞬間鳥が舞い降りてくる。それに目掛け石礫《いしつぶて》を投げる。普段警戒心が強い鳥が唯一地上に迫り、そして油断する瞬間である。享の記憶に黒服の老人の姿がある。その老人の横で享は懸命に石礫を鳥目掛け投げている。それ以上は判らない、だげ享は自分の持つ能力はその記憶にある老人によって鍛えられたものだと考えていた。
 享は塀から庭に飛び降りるとドーベルマンへ忍寄る。普通の人間がドーベルマンに気づかれずに近寄る事は不可能だ。それを享は事も無げに次々とドーベルマンの首を両手で押さえ一瞬で捻り挙げる。犬は一切吠える事無く息絶えた。
 島村良蔵は神戸に本家を構える日本最大の指定暴力団の直系組長であった。戦後の混乱期を神戸の港湾土木業から一代でここまで登りつめた。ほぼ恐い物の無い男であったが、しかし心が蝕まれていた。何度か懲役を務めた。そこで男色を覚えた。男なしで生きていられなくなっていた。彼の棲む世界にはその手の男はたくさんいた。そこから身体を傷つけあう獣のような性交がいつしか身体を痛めつけられる事でしか喜びを得られないようになった。
 半勃起した男根が股の間に下がっていた。
 享は乳頭を強調する黒いボンデージを身に纏った長身の女の首筋へ真一文字に青龍刀を走らせた。
「うぐ」女は何か起こったか理解できなかった。目の前に真黒なジャンプスーツの男が立っていた。
 島村は四つん這いのまま頭に生ぬるい液体が流れてくるのを感じた。ゆっくりと頭から伝わり目に流れてきた。外の景色が真っ赤に見えた。振り向いた。そこに彼の想像したどの男も敵《かな》わない獣の目をした若者が立っていた。両手の刃物が光り輝いていた。島村はその刃物が自分を責めるためにあるべきだと信じた。そしてゆっくりと身体を切り刻んで頂く・・数年ぶりで股間にぶら下がった物へ大量の血液が流れるのを感じた。玉を咥《くわ》えた口から止めどなく涎《よだれ》が垂れていた。
 島村の希望は叶えられなかった。
 享はボンデージの女をやったのと同じ動作を繰り返し、島村の首筋を断ち切った。
 瞬間、島村は白濁した飛沫を飛翔させ床へ崩れ落ちた。島村の遠のく意識の中にはまだ見ぬ桃源郷があった。
 享は仕事を終えた。
 享は身体に瘧《おこり》が遣って来る感覚があった。仕事を終えると享は動けなくなる事が度々あった。全身を走る震えがあり、激しい発汗がともなう。だから直ちに現場から立ち去る必要がある。享が遣られるとしたらこの瞬間以外にはない。主人を失った白亜の豪邸は享のやって来る前となんら変わらぬ姿を留めていた。
 ドッカティまで戻る途中で享は公衆電話のボックスに立ち寄り二箇所に電話を入れた。
 藤本組長に始末をつけた件を報告した。
「わかった。金をどうする」
「女に渡してください」
「これからどうする」
「暫《しばら》く柄をかわします」
 享は大きい仕事の後は必ず行方を暗《くら》ます。どんな目撃者がいるとも限らない、まして依頼主が裏切る可能性もある。死人にくちなしを狙われる。だから誰にも行き先を告げず旅に出る。
 後の電話は留美の店に電話を入れた。
「享です。留美を呼んで下さい」
 しばらく待ってから、留美が受話器の向こうで咽《むせ》た咳をしていた。どうしたと享は敢えて聞かない。駆けてきた理由《わけ》ではない。留美は風俗店に勤めているのだ。性交中だったのかもしれない。
「しばらく旅に出る。組から金が届くはずだ」
「いつ帰ってくるの」必死の声だ。
「必ず帰ってきて・・」
「ああ」とだけ享は答えた。
 初めの咽び声と違う嗚咽が聞こえた。
 受話器を下ろし電話を切った。
 電話ボックスの窓ガラスには幾分小降りになった雨のため外界の景色がぼんやりと映し出しされていた。
 享は北を回って来るつもりだった。
 具体的な行き先は決めていない。
 奇《く》しくも享は直江津港からフェリーに乗る道を選んだ。脳裏にいつかバイク雑誌で見た深夜に出航する便の記憶があった。ここから三時間以内に到着する自身があった。
 Vツインの奏《かな》でるエギゾーストノーズが神戸の街を出たのは既に九時を回っていた。

 日本電力開発機構の五十嵐光男がその電話を自宅で受け取ったのは深夜零時を回った時刻だった。五十嵐は今年四十を迎える。機構の電力資材調達課の課長であった。大学を卒業するとこの道一筋に仕事に没頭してきた。まだ未婚も仕事優先の人生を送ってきたと人には言い訳程度に話す。実際は大学当時に大恋愛の末、それに敗れた過去を持つ中年男だ。ずっと引きずったまま仕事へ逃げ込んできたと指摘する者がいれば、『その通り』と答えるだろう。
「課長、社へ至急来てください」
 非番の部下からの電話だった。
「何があった」
「船が・・船が、シージャックされました」
 五十嵐はいやな予感めいたものが二週間前にこの輸送の決定が下された時にあった。
 『大洗から陸路を用いて直江津港からプルトニュームを運ぶ』、この決定の時、なぜ直接船で輸送しないのか疑問があった。フランスから再処理されたプルトニュームが横浜港まで船便で到着した。しかし、フランスの報道からのリークでこの輸送を知った原発反対団体のチャーターした漁船が船を取り囲んだ。永久に入港ができない恐れがあった。電力機構が政府に打診した。陸路を使い直江津から日本海で北海道に向へという作戦がその筋から出た。電力機構は急遽記者会見を行った。船はフランスへ戻す。ただし船の補給が必要なため貨物船を横付けにし、補給を完了しだい出航する内容のものだった。これには裏があった。横付けする貨物船の積荷は一般に公開された。クレーン作業がし易いということでコンテナに食料や雑貨が詰め込まれた。貨物船は順調に積み込みを終えコンテナを回収して貨物船の母港大洗に帰港した。
 しかし空のはずのコンテナの一つにプルトニュームが積み込まれていた。極秘だった。
 その積荷を搭載したフェリーがシージャックされた。国家の中枢を握る権力者達の明暗を分ける事件が起きてしまった。
 五十嵐はあの予感が当たった事に驚いていた。
『誰がリークした。いや積荷の事を知ってシージャックしたのか』
 電力開発機構から迎えに来た車中の中で五十嵐はさらに恐ろしい予感を禁じえなかった。

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