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2007年11月17日 (土)

やさぐれ勝の恋 九

      九

 光と影、街を行く車の放つヘッドライトがネオン渦巻くイルミネーションの中に消えようとしていた。どうして人間というものはこの明りに誘われ短い時間を費やすのだろう・・過去の記憶がフロントガラスに浮かんでは消えて行った。綾子の中でそれはネオンと共にフラッシュバックしていた。
「その答えは絶対に発見できない・・というアイロニーですね」と綾子は泉署長に答えた。
「なかなかやるね」とまだ身体のどこかしこが痛みに時々襲われるらしい泉は不思議そうな顔でルームミラーに写っていた。
「僕たちの向う先・・」泉は一度、生唾をごくりとやった。
「君はその真実というやつを知りたい、そして、僕はこの世界とおさらばしたい・・そのためにはこの心に押し込めたすべてを解放する時・・が遣って来たようだ、さすがにこれを胸に仕舞ったまま、この世界からはお暇《いとま》できないだろうしね」
 また雨がポタポタと遣り始めた。間欠ワイパーから連続にスイッチを切り替えた三治は綾子に問うた。
「お嬢さん、どこへ向います」
「できるなら・・」と泉は勝を改めて眺めた。
「こんな事を言える立場にはない、それはよくわかります。だがこの世に遣り残した・・二つの事があります」
 勝は泉の目の中に名状しがたい叫びを感じ取っていた。
「話してみな」と勝は泉に返した。
「函館へ行きたい」と言うなり泉は急に嗚咽《おえつ》し始めた。
「何度も帰ろうと思った。私の人生の始まり、すべては其処から生じた」
「じっと怯えてきた。たとえば・・」一度泉はしっかりと瞼《まぶた》を閉じてからかっと見開いた。
「同じクラスに嫌いな奴がいるとする。そいつは自分の席の左側にいる。そのため、視線は常に左側を見ないようにする。するとどうだろう、左側に何か恐怖が潜んでいる感覚が生まれる。ちょっとした物音が左側から聞こえるだけで飛び上がってしまう・・自分自身で創り上げてしまった恐怖。それが『函館』にある」
 綾子はルームミラーに写る泉署長の苦悶の表情を読み取ろうとしていた。
「とてもそこまで辿り着けない・・」綾子はそう言うとふとあることに思い当たる。
「なぜ、函館なの・・」
「ほんとうに君は懸命だ。実は僕自身、事件について真実を知らないのだ」
 綾子には泉が何を言っているのか判らなかった。
『真実・・』
「たぶん僕が犯人である推測が成り立つ、しかし、それはそこに僕がいたという事、そして、僕は確かに美沙の子供を振り回して玄関に投げた覚えがある・・」
「しかし、その後の記憶がはっきりとしない」
 綾子は祖父が残した黒革の手帳を残らず暗記していた。何度も繰り返しそれを読んだ。祖父の目撃した若者は泉のはずだ。亡き母もそう考えたに違いない。
 だが、その若者のはずの泉から直接に聞いた内容には『たぶん僕が犯人である推測が成り立つ・・』とはどういう意味。
 勝は泉に対して真剣にそして憤りともにこう言った。
「お前が遣ってはいないんだ。ただ怖くて逃げた、逃げて逃げて逃げ回って生きてきた、と言うことだな」
『ああ』と嗚咽と共に泉は泣き崩れた。
「僕は・・犯人を捕まえるために・・警官を目指した、そして一生懸命、勉強したんだ。一日だって忘れた事はない、あの日の真実を暴きたい」
 綾子は呆然としていた。
『この男は何を言っているの・・』
 泉は急にこんな事を言い出した。
「兎に角、ここから北へ向かわなくてはならない・・非常警戒が幹線道路に引かれる。そうなっては身動きできなくなる」
 確かに泉署長の言うことに一理あった。
 もし、泉が西岡組長殺害で逮捕されたらとしたら、過去の罪状など泉が告白する事は永遠に訪れない危惧《きぐ》がある。
 こんな人数でどうやったら函館に辿り着けるというの・・
 泉は自分が警察署長であった事に気が付いた、それからは的確な指示を出し始めた。川崎駅西口でジャガーを捨てた一行は最終の立川行きの国鉄南部線に乗り換えた。
 妙な一行だった。
 妙齢の婦警と警察署長、パンチパーマに赤いジャンバーの三治、雪駄履きに黒の着流しを着た勝。まったく可笑しな一行だ。
 酔客でごった換えした車内は誰も勝と三治とは目を合わせなかった。その二人に守られるように乗り込んだ泉と綾子。
 確かに乗客は狭い空間にその一行と隙間を開けるためにさらに狭い空間に押し込まれていた。
 川崎駅から何番目かの駅で一行は下車した。そこから徒歩で署長の家へ向った。
 駅前のコンビニエンスストアーでビニール傘を買う必要があった。
 雨が降り続けていた。
「本降りになっちまった」と三治はテラテラと駅前の明りに反射するビニール傘を差した。
「服装を変える」
 たぶん逃亡者がよくやる服装の交換を誰もが想像した。泉は南部線沿いにある署長の自宅に全員を案内した。
 誰もがその平屋の家屋の質素さに驚いた。
「寝に帰るだけだ」と泉は言うと苦笑いした。
 泉は家屋に隣接した車庫を開け、黒のセダンのエンジンに火を入れた。
「幸いここには二人本物の警官がいる。この事は非常に有利だ」
 綾子は泉の真意を推し量っていた。
「これから僕たちは犯人を函館まで護送する担当者と犯人の役を演じる」
「警察手帳が物をいうのね」と綾子は自らの職業を最大限に生かせる逃亡方法について泉署長の聡明さに驚いていた。
「犯人は?」と三治が言うや誰もが勝ほど適任者はいないことに頷いていた。
「俺しかいないだろう」と勝はそっけなく答えた。
 アスファルトを濡らす漆黒と悲しい光がどこか凍てついた悪寒を綾子は禁じ得なかった。
『どこかが違う・・ずっと憎しみだけでここまで生きてきた・・どうしたことだろう、この男の闇は益々深くなる一方』
 さらに冷たい雨が激しくなっていた。

 西岡組事務所に残った隆二はこういう筋立てに決めた。
 敵対する組の襲撃があった。そしてその一行が泉署長を浚《さら》った。綾子と勝の事は一切出さない。事務所に残った若衆にこう言いくるめた。
「組長をやったものが逃げた。お前たちはこれから一切口を噤《つぐ》め、それが盃を貰う条件だ」
 暗黒街の掟など持ち出さなくても、こいつ等が行くところなど無い。
「へい」と直《すなお》に奴等は頷《うなず》いた。
 救急車が呼ばれた。既に西岡組長はこと切れていた。パトカーが到着する前に隆二は救急車に同乗して組事務所を脱出した。
 奴等が口を割るのは時間の問題、兎に角、矢面《やおもて》に立たない事だ。本家から連絡が入るだろう、『組長の傍に付いていた』それだけで充分な言い訳が立つだろうと隆二は考えた。仮にも関東を中心とする組である。まして神奈川最大の川崎を〆ていた組長が射殺されたのだ。間違いなく報復が成される。理由《いいわけ》や犯人《ほし》などまったく必要がない。早朝にはヒットマンが神戸のどこかの組事務所に鉛の熱い弾をぶち込む。西岡組長と釣り合うだけの貫目の組長が襲われる。そして、どこかの有力な任侠団体の組長からの休戦の話《な》しが来る。そしてどういうわけか手打ちの儀式が取り持たれ、少々縄張りの切り張《ば》りが変わる。後の残された隆二達は西岡組長亡き後の後継者争いに巻き込まれる。この辺りはまったくのお決まりの筋書きだ。だが、隆二はこう考えていた。『こんなチャンスはない、俺が西岡組を継承しようじゃないか』
 今夜、隆二は西岡組長に破門を言い渡してもらうつもりだった。それが、どいう具合か向こうからこっちへ転がり込みやがった。
『まず、頭《かしら》を病院に呼びつけようじゃないか・・』
 隆二は西岡組長の冷たくなった手を握力の限り握り締めた。『冷たいぜ・・』

 警視庁捜査一課特殊班のチーフ本村恒孝警部補の携帯が鳴り響いたのは深夜二時を回っていた。御前様でやっとの思いで実家の二階のベッドに転がり着いていた。黒のずぶ濡れのコートを椅子に投げ捨てて、倒れこむように横になっていた。
「この野郎」率直な思いだった。
 携帯からこう聞こえてきた。
「本村警部補、川崎の○○署の署長が誘拐されました。犯人は川崎西岡組組長を射殺して、現在逃走中です。緊急招集です」
『ああそうかい、どこかの署長が極道との逢引中にその組長が射殺されて誘拐された、自業自得《じごうじとく》』と思ったが流石《さすが》に口には出さなかった。
「は、了解しました。直ちに本庁へ向います」
と言ったのはよいが、とても宿酔いで身動きが取れなかった。
『馬鹿野郎・・』と思ったが、本村はずぶ濡れのコートをやっと身に着けた。
 部屋のドアが開いていた。母親が立っていた。
「こうちゃん、タクシー呼ぼうか」
 本村の父親も警官だった。既に退職している。市井で一巡査を三十以上勤め上げた。本村は今年本庁に上級職で採用された。父と同じ道を歩まない。そうずっと思い続けて生きてきた。だから、東京大学に入った。キャリアになって父を超える、それが夢だった。しかし、実際入庁してから、本村は荒れ捲くっていた。
『こんな組織いつか必ずぶっ壊してやる』という思いだった。
「かあさん、タクシー呼んでくれ」
 タクシーが到着して、階下に下りると、玄関に寝巻き姿の父親が待っていた。
「こう、頼んだぞ」
 死ぬまで警官を辞めない父親に取って本村こそ自分の生きた証《あかし》なのだ。邪険にはできない。本村は敬礼をすると、
「は、本村警部補本庁へ向います」と答えた。
 幼い頃から父親の真似をして育った。
 初登庁の日、所属長から『本村君の敬礼は堂にいっている』と言われた。
『当たり前だ、生まれた時から、本物の警官に教えられてきたんだ』とその時、いつも交番の前で警邏捧を支えに立っている父親の姿が浮かんだ。雨の日も風の日も、彼は立っていた。何度も通学の途中でその姿を目撃した。しかし、一度も本村は面と向って声を掛けたことは無い。何かとても神々しい姿だった。『市井を支える警官の存在があることを組織の幹部は何も考えていない・・』
『悪い奴等は根こそぎ遣っ付けてやる』が本村の身上だった。
 タクシーは全てを流してしまうような勢いの雨の中を駆け抜けていった。
 ぼんやりした光の渦がどこか疎らな暗闇と入れ違いに本村の目に飛び込んでくる。
 タクシーのラジオから、
「今夕、川崎市内の西岡組組長が射殺され、現在川崎市内に警視庁が警戒態勢をしいています」と流れた。
『俺が全部遣っ付けてやる』と本村は独り言を言った。

作者注:
本村警部補は「恋愛小説依存症候群」に登場する本村警視正と同一人物です。
この「やさぐれ勝の恋」はその前の物語になります。

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