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2007年11月25日 (日)

やさぐれ勝の恋 十

      十

 藤本巌《ふじもといわお》はこの組を継いで間もなかった。前の組長が脳梗塞で倒れ、実質組を仕切っていた藤本が跡目と目されていた。しかし、組長の嫡男《あとつぎ》がいた。もちろんその女房の姐《あね》さんが目を光らせてもいた。元々、藤本は組の存亡などに興味のある男で無かった。今日まで生きてきたことさえ奇跡、と自分で思える人生を歩んできた。
 そんな時に一本の電話が入った。
『あんたが組ついだらいいじゃないか』と酔った姐さんからだった。
『今からあんたのやさへ行くから』と電話が切れた。姐さんの性欲が凄い事は若衆から聞いていた。この世界に生きるものとして藤本とて嫌いではない、
『旨いもん食って、いい女を抱く』これこそが極道の道と思った事さえある。
 姐さんは組長の後妻である。どこかの島のクラブのママだったと聞く。どういう過程で本妻を蹴落として組長の下《もと》に下ったかは不明だが、まだ四十を超えたばかりだった。
 藤本の般若を中心とした彫り物の背中を見て姐さんはこう言った、
「般若に観音様とはぴったりだね」
 姐さんの背中には観音様の周りを龍がとぐろを巻く彫り物があった。
 藤本のやさで姐さんはベッドに組み敷かれて追い討ちを掛けるようにこう言った。
「あんたと私でこの世界を〆てやる」
 藤本は姐さんの欲望の深さに驚いた。
『姐さんが組長になれば』と思ったが流石に口には出さなかった。
 根回しと対外外交を姐さんが仕切って、藤本は後釜に納まった。
 もちろん藤本にも女は何人かいた。
 どいうわけか姐さんは全部自分の家に住まわせるように藤本に命じた。
 世話をしている若衆から教えられた。
「姐さんは女も食います」
 なるほどと思った。確かにとんでもない性欲があった。
 千葉でちょっとした揉め事があって、藤本は話《な》しを付けに出ていた。その場を何とか治め、工事中の湾岸道路を黒のベンツの中に居た。その当時まだ珍しい、車載電話がコールされた。
「頭、本部の代行です」
 運転していた若衆から受話器を受け取った。
「川崎の西岡が弾かれました」
『また面倒な・・』と藤本は一瞬思った。
「どこの奴だ・・」
「それがどうも西の奴等らしいと事務所では言っているらしいですが、あの島の銀蔵一家という博徒をご存知で」
 藤本は受話器をぎゅっと握り締めた。
 予感めいたものを感じた。
「その博徒一家にいる勝を見たというんです」
『やっぱり』と藤本は思った。
 藤本がこの世の中で怖い物は無い、と生きてきた。藤本がその怪物を一目見た時、こんな生物があるはずはないと感じたほどの男が存在していた。
 身長は六尺ぐらいだろう、顔を見ようによっては何か親しみやすい感じがするぐらいだ。
 ただ何か得たいの知れない威圧感があった。
 拳が異常に大きかった。拳の大きさはそのまま心臓の大きさを現す。
 いくつか勝に関する伝説を聞いていた。
 暴走族相手に喧嘩をした。
 相手の排気量が強大なバイクを止めただけではなく、両手に二台のバイクのハンドルを持って振り回した・・
 人間が百キロを超える重量のある物を片手で持って回す・・
 警察が駆けつけた時には全員がアスファルトに伸びていたと聞いた。
『川崎か・・』と藤本は思った。
 確かあそこのどこかの警察署長の悪知恵で川崎の博徒を府中へ送った覚えがある。
『けじめを付けるか』
 藤本は再び車載電話を取ると胸ポケットから手帳を取り出し、アドレス帖を開き電話番号を確かめるとプッシュ式のボタンで電話を掛けた。
 呼び出し音が続いたが、相手の電話は繋がらず、乾いた男の声の留守番電話の案内が流れた。
『只今、留守にしております。発信の音、伝言をお入れください・・』
「藤本だ、本家に来てくれ、何時でも待っている」

 新宿の裏通りに酷《ひど》くよれよのトレンチを着た長髪の若男がビール瓶を入れるプラスチックのケースに俯き加減に座っていた。一見、酔客が休憩しているようにも見える。しかし顔立ちといい、その中に輝いた眼《まなこ》に湛えられた光は決して尋常なものではなかった。誰もその男が殺気を一切発しないように細心の注意を払っている事には気が付かない。
 たまたま通り掛ったサラリーマン風の二人組みがその若者を恰好の獲物として勘違いした。
「おいここに便所があったぞ」
「おお」
 と二人組みは股間から男性自身を取り出した。たぶん尿意が限界に来ていたのかもしれない。酩酊しているとはいえ空間に放り出された肉体の一部は経験したことのない冷たさを感じた。
「あっ」と二人は同時に叫んでいた。
 夜目にもギラギラと輝いた鋭利な刃物がそれにいつの間にか当てられていた。
「動くな」
 とても低い声音《こわね》だった。
 若者の両手には刃渡り二尺もある刃物が握られていた。
 いつどこからそれが抜かれたのか、二人の目には捉えることができなかった。
 男達はきりきりとする酷い痛みを感じた。明らかに刃物はじっと一点に刃が当てられていた。しかし彼らの一物は恐怖のために徐々に萎縮《いしゅく》した。細く赤い線がゆっくりと引かれていく。
「ひぃ」と一人の男がアスファルトに崩れ落ちた。それに続きもう一人が尻餅をついた。
 コートの若者は男達の頭上を飛翔した。
 不夜城と言われる新宿ゴールデン街。
 深夜になっても道路を埋め尽くす人々の群れ、その間を真っ直ぐに歩く事は難しい。必ず避《よ》けながら歩く必要がある。しかし、路地から飛び出たコートの若者のステップは社交ダンスをしているかのように緩急を含んみ、ただ只管《ひたすら》真っ直ぐに歩いていた。
 その筋の者が見たら、その歩みが中国武術の達人のみが会得《えとく》出来ると言われる技の一つであることがわかるかもしれない。
 若者が溢れた深夜のコンビニエンスストアーで若者は牛乳パックを買った。昼間のように明るい店内の中で若者の顔立ちがはっきりと白日に晒《さら》された。
 目鼻立ちがはっきりした精悍な表情はどこか憂いを含んでいた。長髪が表情を隠していたが、店内でレジ待ちをしていた少女達は若者に釘付けになっていた。
 銀幕でしかお目にかかれない映画スターが空間を占めていると思えた。
 どの少女も生唾を飲み込むことさえ忘れ、貪るように若者を眺める。
 悪びれた感じの少女が声を掛ける。
「あんたこれから暇かい」
 若者は俯《うつ》いたままクスリと笑みを浮かべる。答える事無く、若者は清算を終えると店内を出る。何人かの少女がぞろぞろと後に従う。残念ながら少女達の誰も若者に付いて行く事はできない。道路を埋めた人垣が彼女達の行手を阻《はば》む。若者はその人垣を通り抜けているとしか考えられなかった。
 少女達は駆け出した。しかし若者の姿はどこにも見出せなかった。
 ひたひたと冷たい雨の滴る軒下に黒猫がひっそりと蹲《うずくま》っていた。
 黒猫がうっすらと瞼を開けると若者が立っていた。
「生きていたか」と若者は黒猫の横に置かれていた変形したアルミの皿へ牛乳パックから牛乳を注《そそ》ぎ入れた。立つのがやっというふうに黒猫は皿にそろそろと近づくと舌でちろちろと休み無く飲み始めた。若者は残りの牛乳を自らの喉《のど》に流し込んだ。
 次の瞬間、若者の身体がふわりと浮かび上がった。その上に若者のやさがあった。下はもう畳《たた》んだ鉄工場がある。
 部屋の明りが点いていた。
「りょう」と留美が部屋に既に戻っていた。
 二人は会うべきして出会った。
 冷たい国から留美は遣って来た。
 暗く何も無い世界、生まれた時からじっと息を潜《ひそ》め、耐《た》えることでしか生きられなかった。留美は二親を知らない。
 気がついた時には施設の中で毎日いじめの嵐の中で育った。誰も守ってくれる者など無かった。より強い者が弱いものを遣る。それが人間の宿命なのだと小さい留美は思った。だから誰の命令にも従った。全身をみみず腫が走るような拷問があった。頭から冷水を掛け続けられた。少女になると施設の大人から性的ないたずらを常に受け続けた。
 ある日、留美は施設から逃げた。
 外の世界をまったく知らなかった。
 興味があった。
 走り続けた。夜明けの海岸に辿り着いた。
 そこにもう一人辿り着いた者がいた。
 波際に人間が倒れていた。
 留美は全裸でその男を暖め続けた。
 男は青ざめていたが心臓が鼓動を打ち続けていた。
 やっと朝陽が昇った時、留美は男の腕の中にあった。目覚めた男が留美を起こした。
 名前を范享《はんりょう》とだけ言った。
 それ以外は何も覚えていないとも言った。
 男の両腿《りょうもも》に短剣を入れた鞘《さや》がバンドでしっかりと結わえられていた。
 二人は町へ出た。ネオンに誘われるように繁華街に足を踏み入れた。飢えていた。何かを食べなければならなかった。
 地回りが二人をやさぐれと取り違えた。
『おまえら、付いてきな』
 二人は言われるまま中年の男に従い、飲食店が雑居するビルに連れ込まれた。
『これを着な』と男は留美に下着のような服を差し出した。
『お前はこれだ』とスーツを差し出した。
 そこで留美は風俗の仕事を与えられた。
 享は黒服として働き出した。
 ある日、極道が留美の店で暴れた。
 敵対する組の若衆だった。
 留美の叫び声を聞いた時、享は部屋へ殺到した。両手にはすでに刃渡り二尺の剣-それが青龍刀であることは当時あまり知られていなかった。
 留美は享がまるで鳥のように舞う姿を見た。
 とても綺麗だと思った。
 留美を組み敷いていた全身に彫り物を入れた男の首から噴出した血しぶきが部屋を真っ赤に染め上げた。その若衆と一緒に遣ってきていた三人の男達が部屋に駆け込んできた。享は天井まで飛び上がるとそのまま男達目掛けて舞い降りた。そして次の瞬間には二人の男の首筋を断ち切っていた。残された男がドアから逃げようとした。それは不可能だった。享は壁を横に走るとやはり同じように男の背中に深々と刃物を差し込んだ。男の口から凄い勢いで血を含んだ嘔吐物がドアに噴出された。
 後始末にその風俗店を経営していた組の幹部が遣ってきた。部屋の惨状に驚いた。人間がやった仕事とは思えなかった。
 若い男が立っていた。その男に縋り付く様に全裸の女がいた。
『お前がやったのか』とだけ遣ってきた男は言った。若者が只者ではない事がすぐわかった。本家へ連絡を入れようと思った。ただの気まぐれではない。男はその若者が刺客として生きてきた者ということを見抜いた。
 店を任せていた店長から来る前に話を聞いていた。
『名前以外、一切記憶がないそうです。奴は中国人です。しかし、日本語も完璧に話します・・』
 留美は享と共に東京へ出てきた。
 相変わらず留美は風俗店で働いていた。
 だが毎日享と一緒に入られる。
 それだけで十分仕合せだった。
 享に毎晩抱かれて眠る。
 享とは一度も性交はしたことがない。
 留美の喜びは享の温もりだけなのだ。一度、享に性交を教えようと思った。留美がしたかった。だが、享は軽く留美の頭を叩くと全裸になって剣が縛り付けられた両腿を顕《あらわ》にした。
『禁じられている』と享は言った。
 それからいつも留美は享を全裸にすると自分も同じように全裸になって抱きつく、それだけで世の中の全てを忘れて眠る事ができた。
「享、本家から来るようにて」と留美は留守番電話の件を伝えた。
 確かに部屋に享が入って来た。
 留美は振り返るとそこには享の姿形が無くなっていた。

 藤本巌は予感があった。
 たぶん奴は部屋に既にいるだろう・・
 こんなに厳重に警備された本家の建物に容易《たやす》く忍込める者は享以外にはいない。赤外線による警報システム、テレビカメラであらゆる角度が見張られていた。
 組長室のドアノブを回し藤本は部屋の明りを点ける為にスイッチを入れた。部屋の中央の応接椅子にコート姿の若者が座っていた。
 藤本はある恐怖を禁じえない。
 この世の中には触れてはならない幾つかの物がある。
「来ていたか」とだけ藤本は言うと享の向かいに座るとマルボロを一本取り出し火を点けた。
「西の者を一人やる」と藤本は言うと、書棚からターゲットの組長の顔写真と住所の記載がある名簿を取り出した。
 藤本は既に誰をやるか腹を決めていた。
 たぶん享に依頼すれば、西のトップすら訳がないだろう、しかし、それではバランスが一挙に崩れる。この世界で生きてきた者として急激な変化は望まない。警察もそうだろう。西岡組長と貫目が釣り合う者をやる・・
 手提げ金庫のダイヤルを回し、中から二つ札束を取り出した。
「半分は始末を確認してからだ」と応接テーブルに札束を載せた。
 享は札束を鷲づかみにするとコートの胸ポケットに納め、そのままベランダから雨脚が強くなった外へ出て行った。
 ベランダはそのまま開け放たれていた。
 静かさの中に雨の音が響く。
 残された藤本はふとこん事を思った。
「奴と勝を咬み合せたら、どちらが勝つだろうか」

作者注:
 幾つか青少年に与える影響のある過激な表現があります。このため原文の一部を落としましたが作品の雰囲気を最低限残す部分を掲載いたしました。ご了解ください。

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