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2007年11月 8日 (木)

やさぐれ勝の恋 八

      八

 その夜、西岡組組事務所当番担当の若衆三人は組長室からの銃声を聞きつけ駆け出そうとした矢先、その音を超える激しい音で一瞬金縛りになった。
 玄関の擦りガラスが入った格子戸にダンプカーが飛び込んだ・・と思った。
 振り返った三人はそこに巨大な熊が仁王立ちで立っていると錯覚した。
『うぉ』と確かにそう聞こえた。
 次の瞬間、その人の形をした鬼の形相の生き物が三人の横を眼にも留まらぬ勢いで駆け抜けていった。
 誰も動けなかった。
『この世の物ではない、もののけ・・』
 勝は脳で嗅いでいた。そこに勝の命より大切な者の放つ気を感じ取っていた。それは今まで感じたどの憎しみより激しい嘆きを伴うものだ。
 ほんの数分前に組長室でこんな遣り取りがあった。
 それまで怯えきっていた泉が下を向いたまま急に笑い出した。
「くくく、僕はあの夏の日、とても愉快だった」
 綾子と西岡組長は泉署長の急変に気が狂ったと思った。
「僕の獲物・・君のおじいちゃんがじゃまをしたんだね、あの女もそして子供、僕が飼っていたんだ」
「あの夏、警官が家に遣って来た。下着泥棒の捜査で、でもそれは美沙にさせた狂言だったんだ。警官は美沙の誘いに家に上がってお茶を飲んだ。僕は前から奴が気に食わなかった。そうさ奴は僕を駅前で辱《はずかし》めた。不良連中を使ってかつ挙げをさせていたんだ。そこに聖人顔の奴が現れた。不良連中は逃げたけど、僕は逃げ遅れちまった。道端で僕の詰襟《つめえり》をぎゅぎゅと締め付けやがった」
「くくく」泉は両手で口を押さえ笑いを堪える仕草をした。
「美沙にこう教え込んだ。奴に犯されろ・・」
「くくく」
「警官は・・」
「いい加減にしろや」
 耐えかねた西岡が口を開いた。
 泉はいきなり背広の内側のホルスターからS&Wのリボルバーを取り出すとなんの躊躇《ちゅうちょ》も無く西岡組長を弾《はじ》いた。
 実に滑らかな動作だった。
「塵虫《ごみむし》は黙っていろ」
「お嬢ちゃん、そんなおもちゃで遊んじゃいけないよ」
 眼の前にいる泉署長は別人のように笑みを浮かべていた。
 隆二は銃声と共にドアに肩から飛び込んだ。しかし、簡単に隆二は跳ね返され廊下に転げ落ちた。組長室のドアは襲撃に備え、中に鋼鉄の鉄板が仕込まれていた。通常弾ではビクともしない頑丈な造りだ。さらに内側からしっかり施錠されていた。隆二は立ち上がろうとした矢先、何かとんでもない気配を感じた。
隆二の天性の獣性がそれを感じさせた。その矢先、事も無げに何者かがドアを破壊して組長室に飛び込んだ。
「兄貴・・」
 勝は虎の水墨画をあしらった屏風を蹴倒して部屋に飛び込んだ。
 部屋に背広姿の男と綾子がいた。
『やはり綾子だ』と勝は脳で感じた気配が正しかったことを改めて知った。
 泉は飛び込んできた男を西岡組の者と判断した。
「お前、この女がどうなるかわかるか」
 泉は綾子が携行してきたベレッタM92を取り上げていた。両手で拳銃を弄遊《もてあそ》んでいた、引き金に入れられた人差し指を中心にぐるぐると回っていた。
「チンピラが・・」
 綾子は思わず声を上げそうになった。
 目の前に居る筈のない男が仁王立ちでいた。
「ほう、お前の知り合いか・・」
 勝は背広の男が普通ではないことを覚った。
 顔が妙ににやけている。
『うぉ』と泉は確かに聞こえた。
 次の瞬間、まさかが起きた。
 数メートル離れていた男が泉の両腕を押さえつけていた。何が起きたのか理解できなかった。身体が裂けるような酷い激痛が全身を走った。骨がメキメキと砕ける音がした。身体が熊のような男によって高く持ち上げられていた。
「勝やめて、この人は警察署長よ」
 綾子はなぜ止めたのか自分でも判らなかった。
 勝は綾子の声でこの世に戻ってきた。
 綾子が止めなければ、泉署長の身体は半分に裂けていたかも知れない。
 勝は泉署長をペルシャ絨毯に放り投げた。
 華奢《きゃしゃ》な身体をした泉は絨毯の上で激痛で悶えていた。背骨がバラバラになった感覚があった。息をするのでさえ困難だった。
 ドアが押し倒された組長室の入口で隆二は勝が管轄署の署長泉を持ち上げているのを目撃した。
 横に綾子が立ち竦《すく》んでいた。
 そして、応接のソファに西岡組長の遺体があった。
「あや」と隆二は組長室に駆け込んだ。
 綾子はそこに隆二がいることに不思議な驚きがあった。
「隆二・・」
 ある意味不可解な偶然が積み重なり、その場は、綾子を中心とする運命の糸車に巻き取られた人間模様に彩られていた。
 遠くからパトーカーのサイレンが聞こえてきた。綾子は二つの選択肢に迫られていた。この状況で泉を司直《しちょく》の手に委ねる。『だめ・・』と綾子は考えた。泉は例え西岡組長の殺害を自白したとしても、正当防衛を主張すればそれが通る恐れがあった。彼は仮にも警察のキャリアなのだ。この場にいる証人の誰にその証明ができようと綾子は勝、そして隆二の顔をため息混じりに眺めた。彼らが悪い訳ではない、一人は博徒一家の強力、片割れは極道なのだ。まず泉の証言が通る。そういう世界だ。
 もう一つの選択、泉を浚《さら》い、真実を聞き出す。そうしなければ、綾子の気が修まらない・・お母さんもそしておじいちゃん・・泉から聞きだすチャンスは永久に来ない。綾子、勝、そして隆二も闇に葬られる可能性がある。
「隆二、この場を任せる。そして勝、私達をどこか安全な場所へ連れて行って・・」
「綾子、それはどういう意味だ」勝が呆然自失した表情で綾子に問うた。
「ふふ」と絨毯でのた打ち回る泉から聞こえてきた。泉は仰向けで綾子に微笑んでさえいた。
「僕が知っている」
「君の望むようにしよう、そこの大男、この女の言う通りにしなさい」と泉は今までの苦痛が嘘のようにすくっと立ち上がった。
 綾子は何か背筋を冷たい物がすーっと通り過ぎたのを感じた。
 隆二は色々な男を見てきた。勝もその中の一人だ。恐ろしく頑丈な身体の持ち主だ。だが、至ってシンプルな性格を持っている。どうだろうそこに立っている、一人の男、いまだ過って知らぬタイプ・・蛇のような滑《ぬめ》りを禁じえない、心の底から得たいの知れない悪寒が身体全体を襲う。
 隆二は綾子の暴走を止めるべきと思った。
 これ以上はとんでもない事が起きる。もうすでにとんでもないことが起きているには違いない、しかし、これ以上の傷口を広げる必要はない・・
「あや、この男を警察に突き出そう」それが隆二の答えだ。隆二は綾子の事情を知る者ではない。
「隆二・・」と勝はじっと隆二を睨みすえた。
勝の腹は定まった。俺は真由美に約束した。綾子を守ると・・それは勝のたった一つの嘘を守る事でもあった。
『勝、あやをお願い・・』今わの際の真由美の願い、そう綾子はこのために生まれてしまった・・と勝は改めて我心を静めた。
「隆二、綾子の言う通りにしてくれ」
 隆二は勝の顔を穴の開くほど眺めた。
 綾子の瞳に薄っすらと涙が浮かんでいた。
 隆二の与《あずか》り知らぬ勝と綾子の心の機微を隆二は感じ取った。隆二は返事もせずに絨毯に転がり落ちた二挺の拳銃を拾おうとした。
「お前、それを触っちゃいけない、お前の指紋がつく、ほんとお頭《つむ》が悪いな」泉だ。拳銃に伸びかけた手を隆二は引っ込めた。確かに泉署長の言う通りだ。今、拳銃には泉の指紋がべったり付いている。状況証拠から言ってもそれは重要な点だ。それを自ら守ろうと泉はした。その不自然さにその場にいた全員が改めて不気味な笑みを湛《あたた》えた泉の不敵さに尋常でないものを感じた。
 壊れたドアの向こうに腰の引けた事務所当番の若衆が恐る恐る聞き耳を立てていた。
 サイレンがさらに近づいていた。
「綾子、出る」勝の決断だった。
 これからどうなるなんか先は見えない、だが、きっとこの先に何かある。人生なんてそんなもんだ。全部先がわかるようじゃ何も生まれない、そう勝は思った。隆二が残った。西岡組の若衆に見守られ事務所を綾子を先頭に、泉、そして勝が続いた。
 壊れた玄関先に隆二に預けるはずだった三治がいた。
「あやお嬢さん・・」
 三治は事務者から綾子が出てきたのに驚いていた。
「三治、お前そこの車を運転できるか」と勝は顎《あご》で駐っていたジャガーを指した。
「へい、あっしの唯一できる事が転しだけでさ」と三治はジャガーの運転席に転がるように入るとイグニッションキーを回し、冷めかけたエンジンに渇を入れた。
「さあ、綾子」と勝は泉と共に後部座席に滑り込んだ。助手席に収まった綾子が一度後部座席の勝を振り返った。その瞳はどこか憂いを含んだものだった。生まれた時から一緒に居た。手に取るように心の内が分かる。
「砂を砂漠に隠すにはどうするか分かるか・・」泉が突然不思議な事を話し出した。
『砂を砂漠に隠す・・』
 バックガラス越しに寒々として青白き満月が顔を覗かせていた。

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