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2007年9月22日 (土)

やさぐれ勝の恋 四

      四

 綾子はこの泪橋を渡るたびにあの日の事が、昨日のように思い出される。
 泪橋は神奈川県警の警察学校の正面に架けられた橋だ。地図に載ってはいない。誰が名づけたのかはわからない。だが、誰もがそう呼ぶ。この橋を幾多の警察官を目指した若者が渡っていた。
 春四月、勝と綾子はこの橋の袂に佇んでいた。
「あや、それでは勝はここでお別れします」勝は軽く会釈すると立ち去ろうとした。
「まさ、卒業式に来てね」
「お嬢さん、勝とはここで縁を切ってください・・」
 誰が見ても美しい警官の制服姿の綾子がいた。 
 
 綾子の母親について勝が初めて語ったのは、綾子が高校の入学式の前夜だった。
 綾子は銀蔵が父であることは聞かされていた。ただ勝は母について一切語ろうとはしなかった。だから綾子も敢《あ》えて触れないようにしてきた。
「真奈美さんは・・やさぐれ・・川崎で一人暮らしておりやした。親分に出会い、見初《みそ》められ、そしてあやを生んだ・・」
「あやを生んで間もなく、真奈美さんは病のまま逝ってしまいました」
 建ててまもない、マンション三階の一室が綾子のために用意されていた。隣室に勝が住んでいる。夕方、勝がのっそりとやってきた。綾子は勝が夕食の誘いに来たと思った。二階のその子の家で食事を摂るのが日課になっていた。勝は話があると上がり込んできた。
「まだあやが乳飲み子の頃、真奈美さんの母親という人が尋ねてまいりました」
「真奈美さんの母親ということがすぐわかりました。とてもきれいな婦人で・・会うなり、子供・・そうお嬢さんに会わせてくれといいました」
 夕闇がせまる部屋にベランダから夕陽が差込、白壁を赤く染めていた。壁を背にして二人掛けの木成色のソファに腰を下ろした勝は下を向いたまま朴訥《ぼくとつ》に語っていた。綾子は一つ一つ言葉を噛み締めるように聞いた。
「真奈美さんの親父さんは警官でした。ある事件に巻き込まれて殉職した。それまで親父さんに憧れていた真奈美さんは警官を目指していた。ところがそれが切欠で警察自体を憎むようになったという、まだ高校生だった真奈美さんは学校へも通わず荒れた生活をする内に突然行方不明になった」
「そして親分に出会うまで十年あまりの年月にすっかり身体を壊してしまいなさった。よほど酷い暮らしをしてきたのかもしれません」
「あやからするとほんとうの祖母に当たるその方は鈴木加奈子さんと言いました。ずっと真奈美さんを探してきてとうとうこの川崎にいること突き止めたが、残念ながら真奈美さんに会う事は叶わなかった」
「その日、ちょうど姐さんが保健所へあやをなにかの予防接種で連れ出して不在でした・・」

 やっと梅の蕾が膨らみ、少し陽足が伸び始めた頃でした。
  訪れた加奈子を勝が銀蔵に取り次ぎ、彼女を木賃宿の一階にある部屋へと案内した。
 銀蔵は加奈子を部屋へ上がらせると、自ら茶の仕度をした。
「まあ、そこに座りなさい」
 庭に面した縁側のある和室に加奈子は通された、銀蔵は神棚を背に火鉢を前に座り込むと、
「まだ初春だ、こうしてくぬぎ炭が燻《くすぶ》っておりやす」それは銀蔵がその火鉢の前で暖をとっていたことを示す。
「奥さん、あっしは見ての通りの者だ。なにも見栄も外聞もない、率直に言わせていただきやす」
 加奈子は横に控える勝に視線をさり気なく向けた。それに気がついた銀蔵は、
「この男はあっしの息子のような者だ。そして、真奈美の生んだ子供を育てている」
 ようやく加奈子は口を開いた。
「お世話になります」と頭を勝に下げた。
「真由美はとうとう最後まであなた・・いや、両親や兄妹について一切語らなかった」
「私が出会った時には、真由美はすでに何かの病に侵されていた。それは心の病というやつかと最初は思った、ある日真由美のほうからあっしの元へやってまいりました」
 銀蔵は和服の両袖に手を突っ込み腕を組んでいた。
「あっしには、その子という連れ合いがいると言うと、奴は『子供が欲しいと』言い出しました」
「その思いつめた表情を見たとき、あっしは、真由美が大変な重てぇ荷物を背負い込んでいることに気がつきました」
「何がお前をそうさせると問いました」
「奴はそれは言えないの一点張りでした」
「その真剣さについにあっしが折れた形で奴と暮らし始めた・・」
「幸いすぐに綾子・・奥さん、奴は女の子を授かりました。あっしの方で綾子と命名させていただきました」
「その後はこの勝から説明させます」
「へい」勝は軽く頷くと息を吸い込み、『話すべきか』と一瞬躊躇を感じた。
「俺は何もお前には尋ねなかった。真由美は事の真相をお前だけに明かしたのではないかい」と銀蔵はじっと勝を睨んでいた。
「へい、お聞きしやした」
『ああ、なんで俺は嘘がいえないんだ』と勝はつい口を滑ったのを後悔した。
「真由美さんはある・・男を追っていました・・」
 勝は真由美の最期の際で聞いた話を胸の中で咀嚼《そしゃく》するように話始めた。
「真由美さんはお父さんを信じていました。それは一点の曇りも無い。それ故に、自ら犯人を捜す人生を歩んでしまった事、ただ命が続かないと気がついた時・・彼女は子供を生んでそして・・」勝はその時の事がまるで昨日のように思い起こされ、瞼がどうも湿る感じで居ても立っても居られなくなっていた。
「冤罪《えんざい》・・」と加奈子さんはそこに今にも崩れそうに嗚咽を始めた。
 しばらく沈黙が部屋を占めた。ようやく加奈子が落ち着きを戻したのを見取って銀蔵が、
「あっしは頭が悪い、話がわかるように説明してもらいたいのだが」
「ええ、そうですね」加奈子はハンドバックからハンカチーフを取り出し涙を拭き取った。
「あの娘がどういう人生を歩んだのか、わかりました。すべてあの日を境に私達の道が変ったのね・・、私の主人は警察官でした・・」
「昭和四十九年七月、北海道の函館で悲惨な事件が起こりました。二十四歳の主婦、三歳の幼児が絞殺された無残な事件です。その当時、主人は道警の函館警察署に勤務していました。事件の起きた日、丁度主人は夜勤明けで、昼から近所に買い物に行くと出かけました。偶然というのはまさにその時の事を言うのかもしれません。事件は実に当時住んでいた官舎からわずか数百メートルの一軒家で起きました。官舎から商店街へ続く道からちょっと入った家でした。実は事件の後、私も何度もその家の前に行きました。それは主人がいつも見張っていたから食事を届けに行ったからです。主人は事件の起きた家のそばを通りかかった時に酷い悲鳴を聞きつけました。警察官でなくても駆けつけるでしょう。主人は向う途中で反対方向から掛けて来る若い男とすれ違ったそうです。それは一瞬の出来事で、動転していた主人は取り押さえるなど気もつきませんでした。後でどれほど後悔したことか・・主人はそのまま悲鳴がした方へ向いました。家の前に着いた時、玄関の戸が開けっ放しになっていました。三和土《たたき》に転がっている幼児を見つけました。抱き起こしましたが、すでに事切れていたそうです。何度か玄関から家に声を掛けたところ、なんの返答もありません、それで主人は家に上がり、主婦が全裸で倒れているのを発見しました。すぐに署へ電話を入れました。刑事等と鑑識がやってきて、主人は第一発見者のためその場に留め置かれました・・」
「主人は一通りの事情を聞かれると帰宅してまいりました。ところが、翌日から主人は本署で取調べを受けるようになりました」
「容疑者として嫌疑がかかった」銀蔵は消えかけたくぬぎ炭を使い煙管《きせる》に詰めた刻み煙草に火を点けた。
「主人に疑いが掛けられました。目撃者が主人以外にいないということ、主人がすれ違ったという若い男の似顔絵を作ることになったそうです。しかし、主人は着ていた服装すら思い出せなかったのです。刑事の一人に『そんな都合のよい若い男などいないのではないか、捏造だろう』と言われたそうです」
「それから主人は勤務が終わるとそのまま事件の起きた家を見張り続けるようになりました。来る日も来る日も同じように・・」
 銀蔵は二三度軽く火鉢の角で煙管を叩き、灰を落とした。
「犯人は必ず現場に戻るというから、それを信じ続けたご主人は必死だった」
「ご主人にはそのような悲惨な殺しをする動機が無かった。だが刑事達も必死に殺された主婦とご主人・・の接点を調査した」
 障子《しょうじ》に嵌《は》められた擦りガラスを通して暖かな日差しがようやく畳に届いていた。勝は今わの際《きわ》に真由美から預かった物を思い出していた。
『これを、必ずこの子が分別が付くようになったら、渡して下さい』透き通るようなか細い指にしっかり握りしめられた黒革の手帳を、勝はベッドで呼吸すら辛そうな真由美から受け取った。『勝が必ず手帳を綾子に渡す・・』--あれは誰にも見せられない。
「事件から三ヶ月ほど経過した頃、署に密告がありました。『二年前の殺された主婦の下着が盗まれる事件を調べろ』という内容の電話でした。盗難事件は交番の警官によって記録されていました。本署に報告されるような事件ではなかったので、記録は交番にある勤務簿の中に記載があるだけでした。--それを記入した警官が主人でした」
「主人はその殺された主婦からの電話で家へ行っていたのです」
「ご主人が犯人という道筋ができあがったというわけですね」
「昼夜、拷問のような取調べに変わりました。主人はついに拘留され・・そして・・」
 加奈子が下を向いたままじっと心の嗚咽を噛み締めていることが勝には良くわかった。
 勝はその先を真由美から聞いていた。
「縊死《いし》」銀蔵は知ってか知らずかふとそんなことを言った。
 ようやく加奈子は顔を上げた。
「留置場で主人はベルトを使って・・」
「奥さん、実は・・」銀蔵はその後を引き継いだ。
「真由美はあっしに親兄弟の事は一言も話してはくれませんでした。ただ函館で育ったと聞いてましたから、一度、北海道へ真由美の骨壷を抱いて行きやした・・」
「やさはすぐにわかりました。ただ警察官舎はすでに取り壊されていて更地《さらち》になってました。そこで官舎のあった近所で色々と聞いて回りました。そして官舎から逃げるように出て行った母娘の噂に行き当たりました」
「それは奥さんと真由美と確信しました。しかし、その後がわからなかった・・だからそのまま骨壷を抱いたままこっちへ戻ってめえりました」
 加奈子はさめざめと泣いていた。
「つらかったでしょう、同じ警察によって嫌疑を掛けられ・・あっしはなぜ真由美が川崎までやってきたか、なんとなく気がつきました」
「真由美は犯人の心当たりがあった。どうやってそこに辿り着いたのかはわからない、そんな訳がなきゃ、奥さんを一人残して川崎組んだりまで流れてきませんや」
 勝は銀蔵が北海道まで行ったのを聞いて驚いた。
『もしや親分は気がついて・・』
「私は・・真由美を連れて、長万部の実家へ戻りました。地元の高校へ真由美は転入しました。そしてある日、行方知れずに」
「その後、主人の残した物を整理していて無くなっている物に気がつきました」
「主人は大変几帳面な性質《たち》で日記を毎日付けておりました・・古い日記をダンボールに詰めて仕舞っていました。年代別に順に箱に収めています。その整頓された日記と日記の間に隙間《すきま》がありました。ちょうど事件のあった二年前ぐらいの日記です」
「つまりその日記をもって真由美はやさぐれた・・」銀蔵はしばらく虚空を眺めてから、
「その日記には犯人に繋がる事が書かれていた・・」

 と夕暮れですっかり暗くなった部屋にソファに座ったままの勝はそこまで一気に綾子に語った。
 胴巻きから勝は黒革の手帳を取り出した。
「あや、これがその日記だ」
 それは古びた手帳だった。
「お前のかあさんから預かった・・俺は決して中身を調べたりしてはいない、これをお前がどうしようが、お前自身が決めることだ。お前のかあさんは、きっと大きくなったら綾子はわかってくれると信じていたよ・・」

 あの時から綾子は確実に人生に対する考え方が変わったと思う。警察官になることも自分で決めた。高校を卒業して二十一ヶ月間の警察学校の厳しさも綾子にとっては当たり前の事としか考えられなかった。
『祖父の命、母の命、そして惨殺された母子・・、おかあさん、綾子はやっぱり、罪を許せない・・』
 泪橋の綾子の横にすべるように一台の黒塗りの高級車が止まった。
 黄昏が迫っている街並、青春と決別したこの橋を待ち合わせ場所に綾子は指定した。
『ここでまさと別れたのね・・』
 綾子は助手席に乗り込むと懐かしい学舎《まなびや》を後にした。

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コメント

ととしさん、遅くなりました。悲しくなります。綾子がお母さんと同じような道を歩まないことを祈りたいです。

投稿: dorock | 2007年10月 5日 (金) 23時24分

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