やさぐれ勝の恋 二
二
川崎大師平間寺《へいけんじ》の境内に銀蔵と勝《まさ》の姿があった。
秋雨のぼんやりした低く薄暗い雲のせいか、人影も疎らだった。正月の参詣客がごった返した様子から想像できないような静けさだ。川崎駅に着くと銀蔵は急に大師に参ると言いだした。
『おら、神仏に一度も祈ったことなんかない』が口癖だった。勝はちょっと不審に思った。
『何かあったのか・・』
鳥居をくぐる時、銀蔵は神妙な顔で一礼した。神前の前で二拝二拍一拝をする銀蔵の横で勝はじっと銀蔵を見守った。
番傘を差す勝と和服にからむし織の角帯姿の銀蔵からどうみても二人の様子は主人と使用人のように見える。
境内を一巡すると銀蔵は仲見世にある茶店に勝を誘った。
濡れ縁にある御影石が雨でぴかぴかに光って見えた。
暖簾をくぐり番傘をたたんでいると、奥からすっとんきょな声が聞こえてきた。
「おい、銀蔵じゃねえか」
給仕に現れた腰の曲がった老人が驚いていた。
「すえきちか」
銀蔵はすえきちと呼んだ老人から茶を受け取ると一気に飲み干した。
「おい、相変わらず出がらしだな」
「お前こそ減らず口が直らねじゃねか」
勝は二人のやり取りを出された茶と葛きりをやりながら聞いていた。
すえきちは昔やはり博徒をやっていたらしい、三十の歳に生死に関わる大病をしたという、その時に看病したおさよという女と所帯を持った。たぶん湯気が上がる厨房にいるばあさんらしい。
突然、老人は両拳をきつく握り締め高く掲げると銀蔵に殴りかかろうとした。
「銀蔵、お前・・、何十年も俺に顔を見せないとはどいう料簡なんだ」
「銀蔵、おらおめのおかげで・・」
急にすえきちが床にしゃがみこんでおいおいと泣き出した。肩を震わせ中々泣き止まない。
厨房から割烹着姿のばあさんが出てきた。
「あんた、もうおよしよ」とばあさんは床に膝間付いていたすえきちを抱きかかえるように起こした。すえきちは幼児がべそをかいているような顔をしていた。
「さよさん、しばらくだ」
勝はこのばあさんは歳をとっているが、ずいぶんと品のある女だと感じた。昔はかなり美人だったはずだ。
「すえきちはもう足を洗ったのよ」
「ああ、おれがやめさせた」
「じゃあ、どうしてここへこれる訳・・」
あきらかにこのさよというばあさんと銀蔵は過去に何か因縁があったと勝は睨んだ。
「最後のお別れに来た」
「何語ってるのよ、あんたとは四十年前にとっくに縁を切ってるのよ」
「ああそのとおりだ、だがよ、さよさん、俺たちは、同じ時代を生き抜いてきたんだ・・たとえ、別々の道を歩いてきたとしてもだ、その俺がこれが最後だと言ったら、最後なんだ」
「最後てなんだ」となきべそ顔のすえきちが銀蔵に詰め寄った。
銀蔵は勝を見てから、
「俺の島をこいつに任せようと思っている」
「お前、隠居するてことか・・」
「ああ、おめえだけには、きっちと挨拶だけはしようと思ってやってきた」
「それは、ご丁寧に、用事が済んだらとっと帰っておくれ」さよさんは振り返るとそのまま厨房へ戻っていった。
銀蔵は両手を膝頭に置くと、
「おめえだけには伝えたかったことがある」
「なんだい」
「最後の盆を開帳する」
すえきちはじっと押し黙った。
盆とは旧暦七月十五日の祖先を祭る盂蘭盆ではない、盆ゴザの上でサイコロを振って行う賭博のことだ。開帳も由緒ある寺社の観音様など秘仏を見せることとではない、賭博場を開くことだ。
刑法186条2項にある『賭博開帳等図利罪』「賭博場を開く」「賭博をする人を集める」ことによって利益を得ようとした行為を指す。
「継承盆・・」すえきちはまた涙を流し始めた。
「あい、承りました。銀蔵最後の盆」
店を出る時、銭を払うのだ貰えないでちょっとした悶着があったが、奥からさよが一言、「客から茶代を取るのが家の家業さ」と啖呵を切ったので、すえきちはようやく勝から銭を受け取った。
銀蔵と勝が店を出るとさよが塩壷を抱えて厨房から駆け出してきた。
「さよ、止めてくれ、俺たちの命の恩人になってことをするんだ」
「俺は全部知っているんだ・・お前が今でも銀蔵に惚の字てことをよ」
さよは塩壷を抱えたまま客席の一つに座り込んだ。
「俺が病気でうなってる時、銀蔵の差し金で看病に来たことも、俺が足を洗うかわりにお前と夫婦《めおと》になる約束を銀蔵としたことだって、全部知ってら」
「お前はこの世では、俺の大切な銀蔵からの預かりものだ、あの世にいったら熨斗《のし》をつけて銀蔵にかえしてやら」
「あんた・・」
「さよ、あれを出してくれ」
さよは神棚の置くにあった風呂敷に包まれた小箱を運んできた。
中からいい具合に褪せた竹の壷が一振り出てきた。すえきちは壷を持って、
「銀蔵が半と言いや俺は半を出す。丁と言いや絶対に丁を出してみせる」
勝はこれから銀蔵に組がどのような状況に置かれているのかを説明することを考えると頭痛がするようだった。
雨がようやく小降りになっていた。
タクシーを拾うと二人はいよいよ銀蔵の家へ向かうことになった。
「又はどうしてる・・」など銀蔵は自分の子分の音信を問うた。
『なかなか肝心な事を聞きやしない』と勝は思いながらも、銀蔵の問われるまま受け答えしていた。やっと家に近づいて、「あのよ、その子はどうしてる・・」
勝の目には十二階建てのマンションに変わった銀蔵の家が写っていた。その一階にコンビニエンスストアーがある。その前に着物姿に襷掛けのその子が立っている事も勝は気がついていた。頭に鉢巻を締め、左手に手桶、右手に柄杓《ひしゃく》を持っていた。
「親分、あそこに立っておりやす」
「なんだありゃ、俺のやさがビルディングになってやがる、勝どうなってやがる」
タクシーが歩道に寄せて止まると銀蔵は車から飛び出していった。勝は一人車に残り、乗車料金を払いながら一部始終を目撃することとなった。
銀蔵はいきなりその子の前で歩道に手を付いて頭をアスファルトに擦り付けるぐらいに下げた。その上からその子が手桶から水を柄杓で次々掬《すく》い、銀蔵の頭へ掛けていた。最後には手桶から直接水をぶっ掛けた。
やっとその子の気が治まった頃を見計らって勝は車を降りた。
銀蔵は頭がずぶ濡れのまま立ち上がっていた。
「俺の家は、その子」
「このビルディング」
「六年あまりにも留守にしていると世の中はすっかりかわっちまったか」
「これも全部、勝のおかげさ」とその子は手桶を下げたままコンビニの入口へ向かった。
店に入って銀蔵はレジに並んでいる店員を見て、
「安と真治のかみさんじゃねか」
「お帰り、親分」と真治のかみさんとよばれた赤毛の女が返事をした。
レジに並んでいた客が不審な目で銀蔵を眺めていた。
「後であんた方も店においでよ」とその子は声を掛けそのまま、奥の部屋へ入っていった。銀蔵はかって知らないのでそれに従った。商品のダンボールや飲料箱の横を通った先に、大きな神棚のある事務所があった。
その子は当たり前というように、神棚の前にある両袖の大きな机に納まると、
「あんたそこの椅子にお座り、色々と説明しなきゃならないわね、それとも勝からもう聴いたかい」
銀蔵と勝は向かい合わせに応接椅子に納まった。
「いえ、姐さん、あっしからは何も・・」と勝は答えた。向かいで銀蔵の怒った時にぴくぴくとするこめかみの血管が浮きでていた。
「あんたが見舞いは一切お断りなんて言うから、府中に行くことは禁じたの・・でも勝は毎月、こっそりと差し入れをしていたはね」
『姐さんは知っていた』
「あんたが甲斐性無しなんて最初からわかってた事だけど、残された子分をどうやって食べらせるか、勝がいなきゃあんたの帰る家なんか無かったのよ・・」
銀蔵が逮捕されてからの子細をその子が説明している間中、銀蔵は押し黙ったまま目を瞑っていた。
銀蔵が唯一親から譲り受けた宿舎と土地を担保に銀行から金を融資してもらった事、子分の住むために賃貸マンションを建て、その下にコンビニを作って働く場所を作った事、、今では県内に同じコンビニを十二軒も経営するまでに至った経緯を説明した。
「あたしが社長で勝が専務よ」
その子の話が終わるとようやく銀蔵は口を開いた。
「おれはお前たちに迷惑をかけてえとは思わない・・すぐ府中に戻ろうとさえ思っている・・」
「なに馬鹿な事言っているのよ・・」
「おれはなこの勝に島を継いで貰いたいと思っているのさ・・」
『親分その先は言っちゃいけない』と勝は思った。
「綾子を勝に嫁がせたい、お前の話を聞いちゃ益々、その気になっちまたぜ」
その子の目がまん丸になっていた。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (2)



最近のコメント