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2007年5月14日 (月)

黒い記憶 解放

   十四 解放

 長い長い記憶の旅、心を深く閉ざし、何を求めるでもなく、何かをそっと隠してきました。
ありふれた日常の繰り返しの中であきらめてしまった・・
 実は自分自身が答えが解っているようで一番深い迷宮に囚《とら》われ彷徨《さまよ》っていました・・

『貴女に会うために・・生まれてきました』

 何時間でもサラスヴァティーの前で語り尽くせない時の流れについて語り明かしたかった。
 しかし、現実は一刻の余裕もなく刻まれ、そして辛《つら》く厳しい・・

「カナモトさん、ここがお宝の場所か」
 黒光りしたリボルバーを私に向けたマックが背後に立っていました。
 はたして私が『カナモトさん』だったのか、所詮《しょせん》、この世の姿は仮の姿-移《うつ》ろい行く時と己が姿、名前などあって無き者、
「あなたの欲しい物は何ですか・・」
「すべて」
「ああ、そうですね、すべてを差し上げましょう、ただし、このサラだけは・・このままここに居させて下さい・・」
「サラ?」
「私の永遠の妻です」
 マックの視線がサラスヴァティーに止まった時、彼の喉から驚愕《きょうがく》の呻《うめ》きが起こりました。
「おお、生きたビーナス・・」
 その通りです。マックの直感は正しいものです。
 いつしかサラスヴァティーのこの姿から菩薩が造れら、そしてシルクロードから西へ伝わりビーナスの像が造られました。
 その二つに共通すること、菩薩は蓮《はす》の上におります、ビーナスは貝殻の上にあります。そして、注目すべき点、手の表情です・・顔の表情ではありません。

 眼は心の扉、手は心の触覚です。眼から入ったすべてに触れるために・・手は存在します。
 手をよくご覧下さい、実にうまくできている、親指が他の四本の指と離れて存在しています。他の動物とのこの違いが大変重要なのです。ロイヤル・タッチという言葉があります。『王の手』をご存知であれば、手を触れるだけで病気や心の悩みを癒《いや》す奇跡はすべてこの手によって行われたきたという事実が雄弁に物語っています。ここから『手当て』という意味も生まれてきています。・・手を当てることで癒す・・
 サラの手は愛を象徴しているのです。
 万物すべてに愛を与えよう・・そういう強い意志が発せられています。
 蓮と貝殻の意味するところは、どちらも水のレトリックです。そしてその中に閉じ込められている。つまり氷に閉じ込められたサラを見た者からの噂が世界に伝播《でんぱ》していきました。
「生きているようだ・・」
 サラスヴァティーを他人に晒《さら》すのは数千年間一度もありませんでした。
「これが宝・・」
「あなたが求めているものは違う場所にあります。付いてきて下さい」

 石灰岩を荒く削っただけの壁、百メートルはあろう真っ直ぐなトンネルを通り、行き着いた先に金属製の大扉に突き当たります。この扉をどのように開けるのか、一枚の厚い鉄で鋳造されています。扉というより、この先へ進むのを防ぐために通路に存在しています。
「どうやって開ける?」
 マックは懐中電灯で扉を丹念に調べました。その間中も拳銃を私に向け続けていました。 衛がどうなったのか、彼から宝珠印を奪っていました。
「さあ、これを使え・・」
「開けましょう」
 マックから宝珠印を受け取り、扉の真ん中に開宝の文字が刻まれていました。その上に宝珠印はぴったりと填《は》まります。
「何も起きない・・」
「待つのです」
 微かに石灰岩の床が振動を始めました。
 遠くから何かが近づいてきます。
 物凄い勢いで近づいています。
 ゴーゴーという地鳴りを上げていました。
 ギリギリと金属と石灰岩が擦れる音が始まりました。
「おお、扉が持ち上がる・・」
 鉄の扉が完全に持ち上がるとマックは中へ駆け出しました。私は止めません。
 その先に罠が仕掛けられている事も話してはいません。
 宝珠印は門を開けるための鍵です。水の流れを止めていた鍵です。水車を回し、幾重もの金属製の歯車を回転させます。この水量が軽く数トンはあろう鉄の扉を持ち上げました。そして、マックはその水がどこからやってくるのか知っておくべきでした。
 石灰岩の天井から次々と雫が垂れてくる、水滴が段々と加速度を増し、地底深いこの場所へ槍のように降り注ぎ始めました。
 ある限度を超えた時、辺り一面を水のカーテンが覆い、マックは濁流へ飲み込まれました。
 まだこの先に幾重にも罠が仕掛けられています。それは、ここに聖櫃が無いことを意味しているのです。厳重に守られているからこそ、あたかもこの先に何か大切な物が隠されている、そう思わせるために用意した仕掛けの数々でした。
 結局誰も最期まで辿り着いた者はありません、なぜなら、終わりがないのです。
 チベットを出た時、運び入れた多くの宝石や財宝を隠しています。たとえそれらを手に入れたとしても、聖櫃以外は無意味です。
 聖櫃を探し続けても、ここには存在しない。
 まして私自身がその隠し場所を記憶から削除してしまった。
 
「金本」後ろを振り返ると右脚を引きずった衛の姿が立っていました。マックの銃弾が右脚に命中していました。

「衛、私は完全に意識を取り戻した・・」
「目的の物を手に入れましたか」

 衛ですら欲望を抑えきれない。
『衛よ、目的の物の意味を取り違えている』
 もちろん彼の心には届かない・・
『聖櫃は誰の物でもないのだよ、それは永遠の秘密・・』

「私達一族があなたに従ったのは、その物のため、終にここでそれを手に入れられる」
「衛よ、ここにはないんだ」
 衛の顔は一瞬強張り、何か違う方向に視線が泳ぎました。
「ではどこに・・」
「あなた方一族の呪縛を解放しましょう、累々と築いてきた命の連鎖、あなた方一族だけではない、この地上に生きるすべての起源が封印されている・・」
「それを知ることはあなたを知ることでもある」
「それは生きるすべてのものの中に既にあるものなのです」
『ああ、そうか』
 やっと衛の心からの言葉が返ってきました。
 うな垂れた衛の瞳から涙が零《こぼ》れ落ちました。

『この身体は預かりもの、すべてのものに所有者などいません、わかちあったその時から、幾重もの種が分化し、そして繋いできた、身体を作っているすべての細胞、一つ一つにその記憶が刻まれています・・それに誰も気が付かないだけ・・』

『ああ、王の言葉、心に深く刻みましょう』

 サラスヴァティーの洞窟から帰った私と衛は待ち草臥れて眠りについた范兄妹を胸に抱え、再び戦乱の現世へと旅立ちました。
 星明りを頼りに山間を過ぎたころ、開け放ったままの洞窟の入口が静かに閉じる音がこだましました。

『次に戻るのはいつのことだろう、サラ・・』

BGM:Marilyn Monroe - The River of no Return

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コメント

へぇ。 菩薩様とヴィーナスにそういった共通点が! そういえば雰囲気似てますよね。 

隊長ww>いよいよ現世へ移行だよ(^◇^)
     本日は折口信夫の「死者の書」の講義を受けてきました
     やっぱ大学はいいな..
     でもほとんど寝てましたから^_^;

投稿: ゆかこ | 2007年5月19日 (土) 21時48分

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